1-4 元カップルは呼びたくない「そういうところが嫌いだったんだよ」

「えー? 別に普通でしょー? きょうだいなんだからー」


 にやにやと嫌らしく笑ってみせる女を見て、僕は遅まきながら、このルールの真なるコンセプトを理解した。

 きょうだいであれば普通のこと、と見なされるすべての行為は、明らかに嫌がらせであっても、理由なしに嫌がることはできない。『義理のきょうだいらしからぬ言動』に含まれてしまうからだ。

 つまり……このルールは、嫌がらせの免罪符!

 こ、この女……! そのためにこんなルールを提案したのか! 性根が腐ってやがる! もしこんな性悪女に惚れる男がいたとしたら同じくらい根性が曲がってるに違いない!

 ……マズいぞ。

 本棚から適当に本を取り出しては「ふうーん」だの「へえー」だの「うっわ」だの言っている女を睨みながら、僕は内心で危機感を募らせる。

 本棚を漁られるのは心の中を覗かれるようで居心地が悪いが、幸い、見られて困るものは入っていない。ちょっとエロいライトノベルが精々である。

 問題は……その隣。勉強などに使っているデスクの引き出しだ。

 僕の部屋における唯一のパンドラの箱と言えるそこには、中学のときに書いた自作小説のノートや、思うところあって薬局で買い求めたとあるブツ――そして、付き合っていた頃に当のこの女からもらったプレゼントが隠されている!

 もしそれが見つかったらと思うと――


『うっわ、まだこんなの持ってるの? もしかして、まだ私に未練があったりして? えー? ちょっと本気でやめてほしいんだけどー! きっもー!』


 ――絶対に見つかってはならない。

 このままでは、結女の興味がデスクに移動するのも時間の問題だ。その前にどうにか注意をこちらに惹かなくては。それも、義理のきょうだいとして不自然のない行動で!

 僕は脳細胞を総動員して突破口を探った。こんなに頭を使ったのは高校入試以来かもしれなかった。

 その甲斐あって――この『きょうだいルール』、そのもうひとつの運用法に思い至る。


「――……勘弁してくれ」


 僕の口から零れ出た弱々しい声に、結女が黒髪を揺らして振り返った。

 僕はベッドから立ち上がると、彼女に近付く。結女の顔は戸惑ったような色に染まって、僕の顔を見上げた。


「君といがみ合うようなことは、もうしたくないんだ……」


「え……」


 結女の目が軽く見張られる。瞳の中に、僕の神妙な表情が映り込んでいる。


「気に食わないなら謝る。視界からも消える。だからさ……こんなことは、もうやめにしよう」

 結女の肩に手を置いて、目一杯に真剣な声で告げた。

 結女は視線を彷徨わせ、それからもう一度、ちらりと僕の目を見上げる。

 大きな瞳が微細に揺れた。僕の顔をぼうっと見つめて、戸惑いの色が徐々に消える。

 やがて瞳は、真剣に引き締まった僕の表情に焦点を結び――


「…………伊理戸、くん…………」


「はいアウトー」


「へ?」


 ぽかんと口を開けて固まる結女に、僕はにやにや笑ってみせる。


「きょうだいは苗字で呼び合わない」


 唖然としていた結女の顔が、ティーバッグを浸けたお湯のように、徐々に真っ赤に染まっていった。

 過去の関係をあえて思い出させる――それこそがこのルールの必勝法であることに、この女もようやく気付いたのだろう。


「ばッ……こ、こんなのっ……あなたもアウトでしょっ!?」


「どこが? いがみ合いたくないって、至極当然のことだろ? きょうだいなんだから」


「あああああ……!! うううううううう……っ!!」


 耳まで真っ赤にして悔しげに頭を抱える『義妹』を、僕は満足した気持ちで見下ろした。


「さて……約束通り、義妹になってもらおうか?」


「なっ……何する気っ……!?」


「自分を抱いて後ずさるな。君は義妹をなんだと思ってるんだ」


 心ゆくまで辱めてやりたいとは思っているが、程度くらいはわきまえるぞ。猫耳義妹メイドにするのはまた今度にしてやろう。


「最初だしシンプルに行こうか。呼び方を変えろ」


「ど……どういう風に……?」


「好きな風に」


 貴様の思う義妹を見せてみるがいい。ガッハッハ! 愉快愉快!(大口を開けて赤ワインを流し込む)

 結女は「うう~……」と極めて不服そうに唸り、所在なく目を泳がせ、きゅっと握った手を胸の前に抱いて――羞恥に赤らんだ顔で、僕を上目遣いに見つめた。

 震えを帯びたか細い声が、僕の耳朶に響く。


「お……おにい、ちゃん……」


「……………………」


 僕は顔を背けた。


「あ、アウト! アウトでしょ、その反応! ただのきょうだいが呼ばれたくらいで照れるわけない!」


「……照れてないし」


「照れてるわよ! どんだけその顔見てきたと思ってるの!?」


「知りません。人違いじゃないでしょうか。君と出会ったのはほんの数日前のはずです」


「ずるいっ! ずるいずるいずるいずるいずるい!!」


 子供のように地団駄を踏む結女に、僕は断固として顔を向けない。決して顔が熱くなったり、鼓動が早くなったり、もう一回呼んでほしいと思ったりはしていないが、それはそれとしてこいつに向ける顔はない。

 結女は尚もごねたが、少々騒ぎすぎた。


「結女ー? なんか騒がしいけどー?」


 由仁さんの声が階下から聞こえてくる。僕にとっては救いの声だった。僕は笑みを湛えて勝ち誇る。


「タイムアーップ」


「く、うううう……!!」


「まあこれに懲りたら、僕にちょっかいかけようなんて思わないことだな。ミステリを読み漁ってると勘違いするかもしれんが、君と僕とではここの出来が違う」


 ここがな、ここが。僕は自分のこめかみを指で叩いた。

 怒りなのか悔しさなのか、結女はますます顔を赤くして、挙げ句の果てにはじわりと涙まで滲ませる。


「…………昔は、そんないじわる言わなかったのに…………!!」


 ……泣くなよ、卑怯者。

 僕はばつが悪くなって前髪をいじる。

 ……ちょっと、調子に乗ったか。読書傾向に絡めて中傷するのは、僕らみたいな人種にとっては何よりもの人格攻撃になる。犯罪者の本棚を引っ繰り返して好き勝手なことを言うマスコミみたいな真似は、うん、確かに、やりすぎか……。

 僕は溜め息をつくと、不承不承、渋りに渋った末に右手を伸ばし――ぽんぽん、と。子供にそうするように、結女の頭を軽く撫でた。


「はいはい。僕が悪かったですごめんなさい。おねえ――えー、姉さん」


 ……懐かしいな。前は何かあるたびにこうして、綾井のはにかむ顔を眺めたっけ――

 だけど、今の結女は、はにかんでなどいなかった。

 噴火寸前の火山のように、ぷるぷると身体を震わせて――


「………………そ」


「そ?」


「そういうっ……ことを! すぐできちゃうところが、嫌いだったのよっ!! クソおにいちゃんっ!!」


 斬新な捨て台詞を吐くと、結女は本の塔に蹴躓きながら、部屋を飛び出していった。

 僕は呆然として、一人取り残される。

 ……今のは、付き合っていた頃も見たことのない反応だった。


「……ったく……」


 ――僕だってな。

 君のそういう――控えめな割に負けず嫌いで、大人っぽいようで子供じみてて、……忘れた頃に、見たことのない顔を見せてくる――

 ――そういうところが、嫌いだったんだよ。


   ◆


 結果として。


「……おはよう、水斗くん」


「……おはよう、結女さん」


 呼び方は変わらなかった。

 元より、ルール抵触によって弟または妹になるのは一度だけでいいという約束だ。そうじゃないと、お互いに『姉さん』『お兄ちゃん』と呼び合う謎の関係になってしまうし。

 変わったことがあるとすれば――


「水斗くん、醤油取ってくれる?」


「ああ、はい、結女さん」


 醤油差しを受け渡しながら、一瞬、視線が交錯する。

 ――あなたの妹にだけは絶対なりたくないわ。

 ――奇遇だな。僕も君の弟にだけは絶対なりたくない。

 そんな意思が、言葉もなくやり取りされた。

 この女とは気が合わない。中学の頃のことは何かの間違いで、僕たちは気が迷っていたに過ぎないのだ。それをますますもって理解できたことが、昨日の収穫だった。

 朝の食卓を囲みながら、僕らはテーブルの下でローキックを応酬する。隣では父さんと由仁さんが、何も気付いていない顔で仲睦まじそうに談笑していた。

 僕らだけが、僕らの関係を知っている。

 一つ屋根の下で暮らす家族が、世界の誰よりも忌まわしい、不倶戴天の敵であることを。

 ……それにしても。


「結女さん、醤油返してくれ」


「はい、水斗くん」


 付き合っていた頃でさえ苗字呼びを貫いた僕たちが、別れた今になって名前で呼び合う関係になるとは――神様の野郎もなかなか皮肉がうまいな、と思った。

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