第二章 名誉は金では手に入らない ⑧

 東の街の学校で学べるのは小学校の内容にも劣るようなことばかり。それ以上の専門的な教育や教養を身につけるとなれば、セリアルのように西の街にある学校へ通わせなければならないが、どんな学問にせよ何百万と金がかかる。この帝国の格差社会の根源だ。


「ほらみんな、夕飯食べよ」


 夫人が食卓の準備を終えて、ダイニングへ呼ぶ。

 クラウとルンの稽古の間にトーナが子守りをして、その後夕食を共にするのが、ここ最近のお決まりだ。一人息子のクルスはトーナにすっかり懐き、端から見れば姉弟のようで、食後にも二人にはお約束のイベントがある。


「勇者は魔王の脛に蹴りを繰り出します。ドドーン! ズガーン! ズッキューン! 魔王は叫びました。『痛いンゴオオオオオオオオ!』」


 聞き飽きたおとぎ話をめちゃくちゃに脚色して、ついでに派手な身振りを加えて語るトーナ。本来なら手に汗握る迫真の場面なのに、聞いているクルスは大笑いしている。


「魔王はネイマールかよ」


 ダイニングテーブルでその様子を見守るルンは、そう呟いて酒の注がれたコップを呷る。

 ソファで膝を抱えて悶えるトーナの迫真の演技に、クラウと夫人も楽しげに笑っていた。


「トーナちゃんのあの寸劇はどういう意味なんだ?」


 勢いに笑わされつつ、実際のところ意味はよく分からないのだろう。クラウに質問を投げられたルンは、どう説明したものか思案し、テーブルの隅でリンゴをかじるカイリと目が合う。何を思ったのか、リンゴを食べ終えたカイリがトーナの真似をし始めるが、そんなものを見せてくれと頼んだ覚えはない。


「何ていうか……脛を蹴られたってアピールするのが俺の国で流行ったんだよ」


 この世界にはサッカーという競技は存在しないのだから、真面目に解説ができないのが心苦しいところだ。全く見当違いな説明になってしまうが、こう言うしかない。


「何だそりゃ」


 やはり意味の分からないクラウは苦笑する。


「ルンさんの国って、面白いのね」


 夫人はのんびりした調子で言った。


「にしてもお前、ほんと酒強いなぁ」


 酒瓶を勧めてクラウが感心したように言った。外円の市場で売られている一本三〇〇バルクの酒は、辛口で味も良くない、アルコール度数だけが立派な粗悪品だ。それでも生前は体育会系の部長や陽キャ属性の後輩と何かにつけて飲み歩いていただけに、そう簡単に酔っ払ったりはしない。


「そういうクラウだって結構強いだろ。この酒、結構キツいぞ」

「俺は一等団員だからな。この程度の酒で潰れるほどヤワじゃねぇさ」


 クラウは腕を組んで誇らしげだ。この街に四人しかいない一等団員。その中で最強であり、パーティのリーダーでもあるのは、成人前から自衛団で活動していた彼にとっては誇りなのだろう。


「お前はくたばらないだろうなぁ。負けるとこ想像つかないもん」


 ルンもその自信には賛同するばかりだった。実際、クラウの剣技はとても真似できる代物ではないのだ。


「でも年取ったらいつか死ぬからな。その時に備えて、保険入らない?」

「お前なぁ、酒入ってるところにそんな話すんなって。卑怯だぞ?」


 至極真っ当なことを言って、クラウは酒を呷る。


「他にねぇのかよ? もっとこう、死んだ時以外に金もらえるやつとか」

「病気とか事故とか?」

「そうそう! 怪我治してくれるとかなら、俺もちょっとは考えるぜ?」


 アルコールで顔を紅潮させたクラウが、コップに酒を注ぐ。

 治療費を払うというのなら、生前の日本では需要があったが、治療となるとそれは保険ではない。医者を頼れば良いのでは、と考えたが、そこで疑問に辿り着いた。


「例えばなんだけど、俺がセリアルちゃんに治してもらった怪我って、普通に医者に診てもらったらいくらかかるんだ?」

「え? う~ん……まぁ正確なところは分からねぇけど、一〇〇万は飛ぶんじゃねぇの?」


 全身打撲に擦り傷、おそらく骨も何本か折れていただろうし、痛みからして内臓も傷ついていたかもしれない。健康保険なんて便利なものがないこの世界なら、金額としては妥当かもしれないが、そんな大金を用意できるのは西の街の連中くらいだろう。


「じゃあ、魔法で治すってどのくらい大変なんだ?」


 クラウは魔法を使えないが、ハンナがいる。彼女がどれほどの負担を感じているかは、同じパーティなら分かるはずだ。


「あいつ回復魔法はそこまで得意じゃねぇからな。まぁ得意な奴は自衛団なんて入らねぇんだけど、それでも骨が折れたくらいの怪我なら、かかって三〇分だな」

「すごいな、それ。医者いらねぇじゃん」

「怪我は、な。病気は回復魔法を専門でやってないとどうしようもねぇよ」


 それこそセリアルちゃんみたいにな、と補足して、クラウは続けた。


「ていうか、あの子くらいなら切り落とされた手足でもくっつけられるんじゃねぇかな」

「へぇ、すごいねそれ」


 ルンが思ったことを、割り込んできたトーナが代弁した。寸劇はいつの間にか完結したらしく、クルスは夫人と一緒に寝室へ向かった。


「魔法って死んだ人を生き返らせたりはできないの?」

「そりゃ無理だなぁ。トーナちゃんの国でも、さすがにそれはできないだろ?」


 トーナが神からもらったチート特典の数々は、海の遥か向こうにあるルン達の祖国の謎技術ということで、クラウ達には受け入れてもらっている。生前世界の技術の程度は彼らも察していて、だからこそトーナに死者蘇生の不可能性を理解してもらうには最適と見たのだろう。


「生き返らせるのは無理にしても、大怪我を治せるんだったらお金持ちになれそうだね」

「魔導士の資格がないと、魔法でお金もらっちゃダメなんだって」


 昼に教えてもらったことを、トーナにも共有する。


「セリアルちゃん、学校中退しちゃったから、魔法を使う職業には就けないんだってさ。復学しようにもお金がないからできないらしい」

「じゃあ貸してあげれば? 奨学金みたいな感じで、将来働いて返すってことでさ。どうよ、ルンさん?」

「でも四〇〇万だよ? そんな大金残ってないよ」

「そこはほら、クロアさんから借りたお金で」

「それ転貸じゃん。不健全だからダメです」

「良いじゃん、固いこと言わずにさぁ!」


 食い下がるトーナに、クラウが咳払いをして割り込んだ。


「あー、トーナちゃん。実はまとまった金が手に入りそうな依頼があるんだけど、一緒にやらない?」

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