バイト少年と女神の誘惑 6
県大会で、団体の金賞を取っても俺たちはその次へは進めなかった。金賞を取った学校が全部次に上がれるわけじゃない、それは当たり前のことだ。
男子が二人、他は全員が女子という構成だったが、俺は負けても泣かず、半分くらいの部員が泣いていた。これで、皆でできる演奏は終わりだからだ。
それを寂しいと思っても、どうにもならない。俺たちはベストを尽くした。それでも努力が報われないという経験を、もう一度したくはなかったのかもしれない。
だから、
「ちょっとでもいい。一週間に一度でもいいの。今はユーフォが専門じゃない子が吹いてくれてるから、海原くんが入ってくれたら、その子も元のパートに……」
「先生。ユーフォニアムは、吹奏楽には必須の楽器じゃないと思います。チューバとホルン、トランペット、コルネット、トロンボーン……それらの楽器は知ってても、ユーフォのことを知らない人は多い」
「そんなことない。海原くん自身が分かってるはずよ、ユーフォがあるとないとではブラスバンド全体の音にどれだけの違いが出るのか」
世間においてはマイナーな楽器。だが、吹奏楽部に入ればほぼ全ての学校にユーフォニアムがあり、パートが確立している。
姉ヶ崎高校の吹奏楽部もそうだ。俺はすでに、一度一緒に演奏して分かっている。自分の演奏で、ある程度貢献できる部分があることを。
「……それでも、俺は……高校では、部活と違うことをやってみようと思ってこの一年をやってきました。今から入るのは、不誠実だと思います」
「そんなこと……そこまで真剣に考えてくれてるだけで、海原くんは誠実だと思う。かちかちすぎるくらい堅物さんだから、何とかしてふにゃふにゃに柔らかくしてあげたいくらい」
「な、何とかというと……って、その誘惑には乗りませんよ」
「酢の物を食べてもらったら、少しは柔らかくなるかしら……やっぱり、また海原くんにご馳走しなきゃ。頭が柔らかくなるように、栄養管理してあげる」
先生は俺を指差して言う――これは、宣戦布告というやつだろうか。
「栄養には気を使ってますよ、結構サプリを飲んでますから」
「そういうのはだめ、ちゃんと食べ物から栄養を摂らなきゃ。私が作った料理で海原くんの身体ができてるっていうくらいにしてもいいのよ?」
「そ、それは……諸事情によって、なかなか難しいと思いますが……」
「どうして? ……あっ。他にも海原くんにご飯を作ってくれる人がいるからだったり? もう、隅におけないんだから」
女の勘というのは、超常的なものがあると思う。というより、俺が余計なことを言い過ぎているだけか。
「でもね、海原くんは私のご飯がすごく美味しいって言ってくれたから、それは良い交渉材料になると思ってるの。そうだ、『杜山さんちのお食事チケット十枚』で、吹奏楽部に体験入部をしない? 悪い条件ではないと思うの」
これは
まだ岸川先生も気づいていないのに、杜山先生が俺の弱点を知ってしまった。家庭の味に飢えているというところまでは、悟られていないのが救いだ。
「今から一分以内に体験入部を決めてくれたら、驚きの大サービス! 無期限で私の家にいつでも来てよくて、ご飯だけ食べて帰ってもいいです!」
どこまで先生は本気で俺を買収しようとしているのか――普通、一人暮らしでそんな提案をされて断る男はいないだろう。
しかし、俺たちは生徒と先生だ。
同じ学校に通っているから先生と知り合い、部活に勧誘されたりしているわけであって、先生が俺を家に通わせたいとか、そういう意味に受け取ってはいけない。
「先生の家に入り浸ったら、俺はそのうち帰らなくなっちゃいますよ。だから、その提案は受け入れられないです」
「……ちょっとだけは、心は動いた?」
「動きました。それでも俺は、バイトでお金を貯めたいと思ってるので」
「うん、わかった。でもね、高校生活はまだ二年近くも残ってるんだから。先生はまだまだ諦めないわよ」
全くそのつもりがなければ、ここで断っておくべきだろう。
そうしないのは、純粋に、俺のことを必要としてくれたことが嬉しかったからだ。
「明日もいい天気になりそうね。ほら、星が見えてる」
先生が空を指差す。俺も普段は見ない夜空を、先生と一緒に見上げた。