保健室のミューズ 6
そんなことを考えていたのだが、夕食の時間が終わっても、俺は居間で待機している。してしまっている、と言うべきか。
先生はどうやらお酒を飲むと寂しくなるとか、そういうタイプだったようだ。
いつもより飲みすぎてしまったのか、食事の前に一杯飲んだのが良くなかったのか。杜山先生はお酒が回ってしまい、顔がほんのり赤くなってくると、汗をかいたのでお風呂に入りたいと言い出した。
それなら俺はそろそろ帰ります、と言おうとしたのだが――先生が物凄く寂しそうにする上に、お酒を飲んだ人がお風呂に入って大丈夫なのかという心配もあったので、とりあえず風呂上がりまでは待っていることにした。
一人暮らしの女性の部屋でこうして待っているのは、何かしてはいけないことをしている気分になる。
高校ともなれば大人の階段とやらを上ってしまうこともあるのかもしれないが、俺は基本的に大人になってからそういう交際をすべきだと思っている。自分にそういう出会いがあるかといえば、全くもって自信はない。
そんな俺がこんな状況にあるのは、やはり先生が優しすぎるからだ。
普通は生徒が足を挫いても車で送ってくれたりはしないし、夕食を作ってくれたりもしない。しないのだが――。
制服のポケットからスマホを取り出すと、岸川先生からチャットが来ていた。届いたのは一時間ほど前――ちょうど、杜山先生に夕食を食べさせてもらっていた頃だ。結局自分で箸を使ったのは味噌汁だけということに、我ながら呆れてしまう。
岸川先生:こんばんは
岸川先生:怪我の具合はどうだ? 帰りに君の家を訪問したいと思っていたのだが
杜山先生の家に来なかったとしたら、岸川先生が俺の家に来ていたかもしれない。
姉ヶ崎高校の二大女神に、二股をかけている――そんなつもりは決してないのだが、客観的に見ればそう見られてしまっても無理はない。
しかし、先生たちにそういうつもりがないのに、俺がそう思うのは自意識過剰だな。俺の、最優先で直すべき悪い癖だ。
自分:怪我は大丈夫です、ご心配おかけしました
岸川先生:良かった、なかなか返信がないので心配していた
岸川先生:では、明日こそ君の家に夕食を作りに行ってもいいだろうか?
岸川先生:やむをえない用事で順延していたが、明日の夜なら訪問できそうだ
岸川先生:足を怪我している生徒のために夕食を作るということなら、訪問しても変ではないだろう
四連メッセージの最後を見て、俺は思わずスマホを持ったまま固まっていた。
今日は杜山先生にお世話になったのに、その次の日は岸川先生が夕食を作ってくれるとか、さすがに甘えすぎではないだろうか。
岸川先生:返事がないな
岸川先生:急に言い出してすまない、押し付けがましかっただろうか
岸川先生:都合が良くないのであれば、またの機会にしておこう
俺が答えないことを、先生は嫌がっていると思っている――そんなことはない、しかし甘えすぎている自分を自制するためにも、俺は心を鬼にしなければいけない。
自分:先生にはいつもお世話になってますから、俺の方からお礼をしないといけないと思ってます
岸川先生:そうか
岸川先生:うん、大丈夫だ
岸川先生:全然大丈夫た、都合が悪いなら仕方がない
岸川先生:先生はお礼がしてほしいわけではない、それは気にするな
岸川先生:では、おやすみ
「……先生、すみません」
隠そうとしてはいるようだが、凄くがっかりしている様子が伝わってくる。俺は就寝の挨拶を返しつつ、胸をチクチクと刺すような罪悪感にさいなまれた。
現在、杜山先生の家に滞在していることはとても言えない。隠しておいて知られてしまった場合の方が良くないと分かっているが、いかんともしがたい。
そのとき、風呂場の方からだろうか、大きな物音が聞こえてきた。