週に一度クラスメイトを買う話 3 ~ふたりの時間、言い訳の五千円~

第2話 宮城は遠慮を知らなすぎる(1)

 学校で初めて宮城と喋った気がする。

 前に一度、宮城を呼び出して音楽準備室で話をしたことがあるが、あれは彼女の部屋で過ごしている時間の延長に近かった。でも、今のは違う。友だちの前で初めて会話らしいものをした。

 たいしたことではないけれど、たいしたことに思えてくるから調子が狂う。振り向く必要がないのに、振り向きたくなる。

「葉月、なんかぼけっとしてるけどマジで大丈夫?」

 羽美奈の思いのほか大きな声が聞こえて、隣を見る。

「ごめん。ちょっと考え事してた」

「またぶつかるよ」

 軽い調子であははと笑う羽美奈に、確かに、と返して廊下を歩く。

 耳を澄ましても、宮城の声は聞こえない。

 羽美奈と麻理子の声だけが耳に入ってくる。

「さっきの子、確か……。宮城だっけ? 仲いいの?」

 羽美奈が思い出したように言う。

「宮城であってるけど、別に仲良くはないよ」

「夏休み、二人で歩いてたじゃん」

「誰と?」

「宮城と」

「人違いじゃない?」

 噓はつきなれているから、すんなりと言葉がでてくる。

「あたし、葉月のこと見間違えたりしないと思うけど」

 余程自信があるのか、羽美奈が食い下がってくる。

「変なところで見たからよく覚えてるし」

 そう言って羽美奈が口にした駅の名前は、宮城と夏休みに出かけた場所で、友だちごっこをするために二人で映画を観た場所だった。だから、彼女が見た二人というのは間違いなく私と宮城で、見間違いではない。

「そう言えば―― 」

 教室の前に着いたところで、私はついた噓を修正するべく記憶を辿るようにゆっくりと言う。

「親戚の家があの辺にあって行ったんだよね。そのとき、宮城に偶然会ったんだった」

「珍しい。葉月でも忘れることあるんだ」

 ずっと黙って話を聞いていた麻理子が明るい声で言って、私を見る。

「人間だもん。忘れることくらいあるって」

 笑いながら教室の中へ入ると、羽美奈の不機嫌そうな声が聞こえてくる。

「葉月が宮城と仲が良くても良くなくてもどっちでもいいんだけどさ。夏休み、あの子のせいで付き合いが悪かったのかと思って」

 羽美奈が席に座って、恨みがましい目を向けてくる。私は自分の席には行かず、そのまま彼女と話し続ける。

「夏休みは予備校行くからあんまり会えないって言ったじゃん。羽美奈はなんであそこにいたの?」

「彼氏とデート」

「あんなところで?」

「たまには違うところに行こうって話になってさ。あそこ、うちの学校の子いないじゃん? だから、ちょっと遠出した」

 裏目に出たな。

 わざわざ知り合いに会いそうにない場所を宮城と選んだはずなのに。

 羽美奈も同じようなことを考えてあんなところまで行くなんて、予想しなかった。

「仲いいね。羨ましい」

 にこりと笑って話を進めると、羨ましい、の一言が良かったらしく羽美奈の機嫌がほんの少し良くなる。羽美奈には宮城とのことを追及するつもりはないようだけれど、話の発端を思い出させたくない。笑顔を保ったまま羽美奈に彼氏の話を振り続けると、宮城のことはどうでも良くなったのか、彼とあの日どこへ行ったとか、なにを食べたとか語り出す。

 人の幸せを妬むつもりはないがあまり興味のある話ではなく、羽美奈の声はただ聞こえているだけのものになる。

 視線を落として、自分の手を見る。

 当たり前だけれど、宮城の痕跡はない。

「ぶつかったときに、怪我でもした?」

 じっと手を見ている私を不審に思ったのか、麻理子が覗き込んでくる。

「してない。大丈夫」

「ほんと?」

「ほら、大丈夫でしょ?」

 私は手を振ってみせる。

「合格。これなら彼氏とデートで手を繫げるね」

「すぐそういうこと言う。相手、いないから」

「知ってる。早く作りなよ」

「作っても、手は繫がないかも」

「なんで? 繫ぎなよ」

 麻理子が不思議そうな顔をする。

「そんなに手って繫ぐ?」

 私は、羽美奈と麻理子どちらにというわけでもなく問いかける。

 質問は深い意味があってしたものではない。その答えが私の役に立つとも思えない。宮城のことが頭に浮かんだけれど、宮城は恋人ではないし、彼女と手を繫いで歩きたいとも思わない。ただ、側にいると意識をしてしまう。

「普通、繫ぐでしょ」

 羽美奈が言って、麻理子が「デートしたら繫ぐでしょ」と続ける。

「わかった。葉月は手も繫がないほど健全なお付き合いがしたいんだ」

 からかうように言って麻理子が手を出してきて、私はその手を握る。

 麻理子の手は、宮城の手とそう変わらない。

 温かいし、柔らかい。

 たぶん、羽美奈の手だって変わらないだろう。

 でも、宮城は明らかに二人とは違う。

 手を繫ぎたいわけではないが、触れたくなる。さっき廊下でぶつかったときも、気がついたら手首を摑んでいた。この感情は、麻理子が言うほど健全なものではない。

「なに、好きな人でもできたの?」

 羽美奈が興味しかない顔で私を見る。

 面倒なことになったな。

 これは、いないと言っても「気になる人くらいいるでしょ」と追及されるパターンだ。

「誰、誰?」

 楽しそうな麻理子の声も聞こえてきて、適当な答えを考えているとチャイムが鳴る。

「授業、始まるよ」

 正義の味方のようにタイミング良く鳴ったチャイムに助けられて席に着くと、すぐに先生が教室に入ってくる。

 授業が始まり、先生の声が響く。

 私は黒板に書かれた文字をノートに写していく。

 白い紙の上、右手が余白に〝みやぎ〞と綴ってそれを消す。

 学校でも話をしたい。

 先生の声を上書きするように、頭の中に自分の声が響く。

 ……馬鹿げている。

 宮城と学校で話すことなんてなにもない。大体、彼女の部屋に二人でいても未だに沈黙が長いときがある。

 私は余計なことを頭の中から追い出して、教科書を一ページめくる。ノートを埋めることだけに集中していると、長くもなく短くもなくいつも通りに授業が終わる。羽美奈たちと一緒にお昼を食べようと立ち上がりかけたところで着信音が聞こえて、私は鞄からスマホを取り出した。

 座り直して画面を見ると、届いていたのは宮城からのいつものメッセージで、放課後の予定が埋まる。昨日呼ばれたにもかかわらず今日も呼ばれることに驚きはない。

 廊下で手首を摑んだ。

 そのことを追及したいんだろう。

 問題は、宮城の手首をみんなの前で摑んだ理由を説明できないことだ。触りたかったと答えてもいいけれど、宮城がそんな答えで納得するとは思えない。どうして触りたかったのかと聞いてくるはずだ。

 宮城を友だちに返したくなかった。

 触りたいという気持ちの奥に、そういう感情があったなんて言えるはずがない。大きさで言えば金平糖くらいの感情だったけれど、宮城に向けるには不適切な感情だ。

 私は放課後の約束を受け入れるメッセージを宮城に送り、席を立つ。

 廊下でのことを追及されると思うと頭が痛くなってくる。

 面倒くさい。

 でも、宮城に会うこと自体は面倒だと思わなかった。

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