Case FileⅠ 狂三ディテクティブ(4)
狂三が言うと、茉莉花は不思議そうな顔をした。
「『いつ』……? って、探偵さんが撃たれたときではありませんの……?」
「ええ。普通であればそうですわね。銃というのは、引き金を引けば銃弾が発射されるもの。そして銃弾とは、一瞬にして目標に到達するもの。当然の道理ですわ。だからこそ佐田警部も、わたくしたちも、犯人が『いつ』銃を撃ったかなど、気にも留めなかった――」
「話が見えませんわ。一体どういうことですの?」
焦れるように茉莉花が言ってくる。
狂三は銃に見立てるように右手の人差し指と親指を立てると、その先端を茉莉花に向けた。
「わたくしが今、『魔弾』の装填された銃を持っているとしましょう。こうして茉莉花さんに狙いを定めて引き金を引いたなら、茉莉花さんがどこへ逃げようとも、『魔弾』は追いかけていきますわ」
「そ、そうなります……わね」
茉莉花は少し居心地悪そうに身じろぎした。まあ、無理もあるまい。本物の銃を向けられているわけではないとはいえ、いい気分はしないだろう。
「では」
狂三は短く言うと、顔を茉莉花の方に向けたまま身体の向きを変え、銃に見立てた右手を反対側――窓の方に向けた。
「こうして引き金を引いたなら、一体どうなるでしょう」
「え――!?」
狂三の言葉に、茉莉花は目を見開いた。
「銃口が向いている方向が真逆ではありませんの……! そんなもの――」
「ええ。普通の銃ならば、当たるはずがありませんわ。――ですが思い出してくださいまし。今わたくしが放つのは、百発百中の『魔弾』ですわよ? 如何な距離を隔てたとしても、目標に当たるまで進むことが運命づけられた至高の工芸品ですわ」
「つまり……どういうことですの?」
困惑とともに茉莉花が問うてくる。
狂三は、ふっと唇を緩めながら述べた。
その、荒唐無稽に過ぎる結論を。
「つまり、あのときの『魔弾』は――
地球を一周して探偵さんに着弾した、ということですわ」
「は……!?」
茉莉花が、表情を驚愕の色に染める。
「『魔弾』を放った銃は、見たところ普通のマスケット銃。その初速はおよそ秒速三三〇メートルですわ。その速度を保ちながら、地球を一周――約四万キロを旅したとして、目的地に到着するのに要する時間は、およそ三三時間四〇分。
あらゆる障害を避け、標的に向かって進む弾は、通風口を通ってホールに至る――
ああ……そういえば最後にお話を伺った使用人さんの証言がございましたわね。一昨日、かんしゃく玉が弾けるような音を聞いた――と。
時間的に考えて、恐らくそれが、本当の犯行時刻なのではないでしょうか」
「――――」
茉莉花は、呆気に取られるようにポカンと口を開いた。
その表情があまりに可笑しかったものだから、狂三は小さく笑ってしまった。
「なんてお顔をされていますの。最初に申し上げたではありませんの。空想話――と」
言いながら手を下ろし、ゆっくりと茉莉花の方に向き直る。
「さて――ではここからが本題ですわ」
そして、片手でスマートフォンを操作しながら、狂三は続けた。
「ねぇ、茉莉花さん。茉莉花さん。この栖空辺邸のお嬢様。
一昨日――あなたは一体、何をしにこの部屋を訪れていましたの?」
狂三の言葉と同時、スマートフォンの画面に、とある映像が映し出される。
――他ならぬ茉莉花が、この部屋へ入っていくところを捉えた、防犯カメラの映像が。
日付は一昨日。使用人が謎の発砲音を聞く少し前。
そう。早回しで防犯カメラの映像を確認したところ、この二日間で件の部屋に入ったのは、先ほどの狂三たちを除けば、茉莉花だけだったのである。
「な……っ、あ、あたくしは――」
狂三の言葉に。
そして、画面に映し出された映像に、茉莉花が汗を滲ませながら喉を絞る。
狂三は、静かに続けた。
「そう慌てないでくださいまし。――先ほども申し上げました通り、これは空想にして幻想ですわ。現代科学においては立証のしようがない不可能犯罪。仮にあなたが銃を撃ったことが明らかになったとして、その弾が三三時間以上の時間を経て被害者に当たっただなんて誰も信じない。問われる罪はせいぜい、銃刀法違反くらいのものでしょう。
――でェ、もォ――」
狂三はニィッと唇を歪めると、足を一歩前に踏み出し、茉莉花の顔を覗き込むように額と額を近づけた。
「わたくし、そういう、自分が安全地帯にいると思い込んでいる方の鼻を明かすのが、嫌いではありませんの」
「――――っ」
「考えはしませんでしたの? 人智を超えた
わたくしの知り合いに要請して、あなたに残った魔力反応を調べさせていただきます。
その結果、もしも犯行に使われた弾とあなたに残る反応が合致したならば――相応の報いを覚悟していただきますわよ?
ああ――もちろんここまで、全てわたくしの空想に過ぎませんけれど」
吐息が触れるような距離で、囁くように言ってみせる。
「…………」
茉莉花はしばしの間、射竦められたようにその場に立ち尽くし、小刻みに身体を震わせていたが、やがて小さく唇を開いた。
「――――――――す」
「す?」
「――素晴らしいですわぁぁぁぁぁぁぁっ!」
そして、目をキラキラと輝かせながら、そんな大声を上げてみせる。
「………………は?」
さすがにその反応は予想していなかった。目を丸くしながらポカンと口を開ける。
しかし茉莉花は、そんな狂三の様子などお構いなしに、興奮した調子で言葉を続けた。
「
――さすが、メイザース女史にご紹介いただいただけのことはありますわねっ!」
「……今、なんと?」
茉莉花が発した名に、狂三は眉根を寄せた。
単純な理由である。その名前に、聞き覚えがあったのだ。
「どういうことですの。説明していただけまして?」
「ええ、もちろんですわ!」
茉莉花は大仰にうなずくと、スカートの裾を摘まみながらお辞儀をしてみせた。
「――まずはお詫びを。やむを得ない事情があったとはいえ、あなたを試すような真似をしてしまいましたわ。
狂三さんの仰るとおり、あの弾を撃ったのはたしかにあたくしでしてよ」
が、茉莉花はそう言ったあと、何かを思い出したようにハッと肩を揺らした。
「あっ、今のなし。なしですわ。もう一回やらせてくださいまし」
「……? どうぞ」
狂三が言うと、茉莉花はコホンと咳払いをしてから、格好いいポーズをとってみせた。
「――ふっ。よく見破りましたわね。
そう、あたくしこそが――『魔弾の射手』ですわっ!」
「言い直すほどのことでして?」
「こういうのは雰囲気が大事なのですわ!」
茉莉花が満足げに言ってくる。
……まあ、気持ちはわからなくもない。狂三はそれ以上は追及せず先を促した。
「にしても、随分あっさりお認めになられますのね。――それに、試すような真似、とは?」
狂三が言うと、茉莉花はスマートフォンを取り出し、何やら操作をしたのち、その画面を狂三の方に向けてきた。
どうやらビデオ通話画面らしい。問題は、その中に映っている人物だった。
『――あ、どうも! 時崎狂三さん。お騒がせして申し訳ありません! 私はこの通り無事ですのでご心配なく! 防弾チョッキ装備で、血は輸血用パックです! お嬢様をよろしくお願いします!』
言って、病院のベッドに座った人物が元気そうに親指を立ててくる。
それは紛れもなく、ホールの中央で狙撃を受けた探偵・伊丹貞義その人だった。
「…………、最初からグルだった、というわけですの?」
「そういうわけですわ!」
茉莉花がいやにテンション高く声を上げてくる。
「…………」
なんとなくイラッときて、狂三は茉莉花の頭を拳で挟んでぐりぐりやった。
「痛いですわ! 痛いですわ!」
「……説明を続けてくださいまし」
手を離し、吐き捨てるように言うと、茉莉花は渋面を作りながら側頭部をさすったのち、言葉を続けてきた。
「ええと――そもそも前提として、あたくしたち栖空辺家は、魔術師の家系でしたの」
「――魔術師の?」
その言葉に、思わず視線を鋭くする。
恐らく彼女の言う魔術師とは、脳内に機械を埋め込み
すると狂三の反応を受けてか、茉莉花が慌てたように手を振った。
「ああ、誤解しないでくださいまし。あくまでご先祖様がそうであったというだけで、長い時の中で、とうに力は失われていますわ。
あたくしたちに残されたのは、妄想とも空想ともつかない仰々しい記録と――ご先祖様が収集した
「――――! まさか、『魔弾』以外にも、
狂三が表情を変えると、茉莉花は静かに目を伏せた。
「ええ――と言いたいところですけれど、残念ながら。
実はこの間、
「燃えてしまった――というわけですの?」
狂三の言葉に、茉莉花はゆっくりと首を横に振った。
「火災現場からは、あるはずの残骸、燃え滓さえも発見されませんでしたわ」
「…………、つまり、何者かが
狂三が言うと、茉莉花は「ええ」と首肯した。
「もしも悪意ある者が彼の工芸品を使ったなら、容易に完全犯罪を成し遂げてしまいますわ。そう――あたくしが、『魔弾』で探偵さんを撃ったように」
「…………」
確かにその通りだ。『魔弾』の実在を知る狂三がいたからその可能性に至れたものの、普通であれば迷宮入りしてしまうであろう事件である。
だから、と茉莉花が続ける。
「以前から親交のあった、アスガルド・エレクトロニクスのカレン・メイザース女史に相談を持ちかけたのですわ。彼女もまた、魔術師の末裔でいらっしゃいますので」
「……そして、わたくしを紹介された、と」
狂三は苦々しい表情をしながら言った。
カレン・メイザース。〈ラタトスク〉議長エリオット・ウッドマンの秘書官にして、世界最強の魔術師エレン・メイザースの実妹。そして、恐らく世界一の
〈ラタトスク〉の情報網は侮れない。
精霊の力を失う前、狂三が〈
を用いた『内職』に精を出していたことを知られていてもおかしくはなかった。
「そういうことですわ。――ですが、あたくしたちはあなたのことを存じ上げない。
そこで、まこと失礼ながら、唯一残った『魔弾』を使って、あなたを試させていただくことにしたのですわ。
――あなたが、
言って、茉莉花がビッ! と狂三を指さしてくる。
「狂三さん。改めてお願いいたしますわ。
――恐らくそう遠くないうちに、
魔術の力を知らない警察では、その謎を解き明かすことはできないでしょう。
どうか、どうか、あなたのお力で、その事件を解決してくださいまし!」
そして、懇願するようにそう言ってくる。
「……あら、あら」
狂三は腕組みすると、不満げにため息を吐いてみせた。
「勝手に人を試しておいて、随分虫のいい話ですわね。正直に申し上げればお断りしたいところですけれど――」
「でも、
茉莉花が、狂三の思惑を察するように、ニヤリと微笑みながら言ってくる。
まあ実際彼女の言うとおりではあったのだが、なんだか無性に腹の立つ顔だった。狂三は苛立たしげにピクリと眉を動かした。
「なんだかちょっとイラッとしたので受けたくなくなりましたわ」
言って、茉莉花の脇を抜けてすたすたと歩いていく。
「えっ、ちょっ、今のは受ける流れではありませんの!? 狂三さん!? 狂三さぁぁぁぁん!?」
茉莉花が縋り付くように叫んでくる。
狂三は大きなため息を零すと、呟くように言った。
「――条件と状況次第ですわ。
もしも本当に次の事件が起こったら、一報をくださいまし」
◇
「……で、一体なんですの、これは」
栖空辺邸探偵銃撃事件から数日後。
天宮大通りの端に位置する雑居ビルの二階で、狂三は訝しげな顔を作っていた。
だが、それも当然ではあった。何しろ今狂三の目の前にあったのは、『時崎探偵社』の名が記された扉だったのだから。
「見ての通り、探偵事務所ですわーっ!」
大仰なポーズを取りながら高らかにそう言ったのは、やはり茉莉花だった。髪型と衣服は今日も絶好調だった。
「なぜこんなものがあるのか、と聞いているのですけれど」
「何を仰いますの狂三さん! あの日、あたくしと誓ったではありませんの! 法で裁けぬ
「そんな熱い誓いは交わしておりませんわ」
「ならまず必要なものは何でして!? そう! 探偵社ですわね! ピンポン! 大正解!」
「まだ何も言っていないのですけれど」
「ここを拠点に、
「…………」
もう何を言っても無駄と悟り、狂三はふうと息を吐いた。
と、そこで、とあることを思い出す。
「そういえば、茉莉花さん。探偵さんがグルだったということは、お父様お母様や屋敷の皆さんも、このことはご存じで?」
「ええ、もちろんですわ。栖空辺家総出の一大イベントでしてよ!」
「……佐田警部や警察の方々も?」
「おじさまたちは何も知りませんわ! リアリティは大事ですもの!
――あ! 事件の方は、探偵さんが皆を驚かせるためにやった自作自演ということで片を付けておきましたのでご心配なく!」
「…………」
なんだか、協力するのが不安になってきた。狂三は胸にわだかまる嫌な空気を、ため息として吐き出した。
しかし茉莉花は微塵も気にしていない調子で、元気よく声を張り上げた。
「時崎探偵社の旗揚げでしてよ! さあご一緒に!
――闇を払うのは、知性と慈愛と、ほんの少しの暴力ですわー!」
狂三は、もちろん唱和しなかった。
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試し読みは以上です。
続きは2023年10月20日(金)発売
『魔術探偵・時崎狂三の事件簿』
でお楽しみください!
※本ページ内の文章は制作中のものです。実際の商品と一部異なる場合があります。
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