Case FileⅠ 狂三ディテクティブ(2)
狂三は茉莉花を連れて別館を出ると、現場となったホールがある本館へと足を運んだ。
ホールの入り口には刑事ドラマでよく見るような黄色いテープが張り巡らせてあり、数名の刑事や警官の姿が見受けられた。
狂三と茉莉花がホールの中を覗き込むように顔を出すと、それに気づいてか、季節外れのロングコートを纏った初老の男が早足で歩み寄ってきた。
「ちょっとちょっと。何してんだ。君、確かホールにいた子だな?」
「ええ、時崎狂三と申しますわ。よろしければ、少し現場を見せていただきたいのですけれど」
狂三が言うと、男は眉根を寄せながら返してきた。
「何言ってんだ。駄目に決まってんだろ。あとで話を聞かせてもらうから、しばらく待ってて――」
「――あら、いいではないですの佐田のおじさま」
「……っ!?」
が、狂三の背後から茉莉花がひょこっと顔を出した瞬間、男――佐田という名らしい――の顔色が一変した。
「ま、茉莉花お嬢さん……!」
「狂三さんはあたくしが連れてきた探偵さんですのよ。きっとお役に立ってくれますわ」
「……探偵、多くないですか?」
佐田が至極もっともな突っ込みを入れるも、茉莉花は特に気にしていないようだった。
「探偵さんは一人に一人の時代ですわ!」
「は、はあ……ですが、まだ犯人がどこかに潜んでいるかもしれないわけで、お嬢さん方を危険に晒すわけには……」
「あら、優秀な刑事さんたちがこれだけいらっしゃれば大丈夫ですわよ」
「し、しかしですね……」
「駄目ですの……?」
茉莉花が甘えるような調子で言う。
佐田はしばしの間困惑するような表情を作っていたが、やがて観念したように息を吐いた。
「……特別ですよ。こっちの目の届かないところには行かないこと。それと、現場のものには勝手に触らないこと」
「もちろんですわ! ねえ、狂三さん!」
「ええ、ええ。承知いたしましたわ」
狂三はうなずきながら言うと、茉莉花を連れて事件現場のホールへと足を踏み入れた。そのあとを、やれやれといった様子で佐田がついてくる。
「……にしても茉莉花さん。よく現場に入れてもらえましたわね」
「おーほほほ! 持つべきものは太い実家ですわー!」
狂三の問いに、茉莉花が高らかな笑い声を上げながら答えてくる。先ほどまで借りてきたチワワのように震えていたのだが、だいぶ調子が戻ってきたようである。
なんだか階級社会の闇を垣間見てしまったような気がしないでもないが、現場を調べられるのは僥倖である。とりあえずこの場は余計なことを言うまいと心に決め、歩みを進めていく。
探偵が狙撃されたホール中央の床には、赤い花が咲くかのように、夥しい血の跡が広がっていた。
「ふむ……」
狂三は小さく唸ると、数時間前の記憶を思い起こしながら、その血の跡の周囲をぐるりと巡った。
「佐田さん――と仰いましたわね。探偵さんの容態はいかがですの?」
「ん? ああ……詳細は病院からの連絡待ちだが、一命は取り留めたみたいだ」
「それは何よりですわ。しかし……奇妙ですわね。被害者が屋敷の関係者ではなく、偶然呼ばれていた探偵さんだなんて。犯人は無差別に標的を定めたということですの?」
「それは現在調査中だ」
「ふむ――にしても不幸中の幸いでしたわね。わたくしの目からは、正確に胸を撃ち抜かれたように見えたのですけれど」
「ああ、それなんだが……」
佐田が、引っかかっていることがある、というような顔をする。
「何か気になることがございまして?」
「ございまして?」
狂三の言葉に重ねるように茉莉花が言うと、佐田は渋々言葉を続けてきた。
「犯行に使われた銃弾がな……ちょっと変わってるんだよ」
「どのようにですの?」
「お嬢さん方に言ってもわからんかもしれんが……現在一般的に使われてるようなものじゃなかったんだよ。いわゆる鉛玉ってやつだ。骨董品もいいとこだな」
「つまり犯行に使われた銃は、旧式の先込め銃のようなもの、ということでして?」
狂三が言うと、佐田は驚いたように目を丸くした。
「なんだ、やけに詳しいな」
「乙女の嗜みですわ」
狂三は肩をすくめながらそう言って――ぴくりと眉を揺らした。
「ちょっと待ってくださいまし。もし犯行に使われた銃と弾が旧式のものだとするなら、あのとき、なければならないものがあったはずですわ」
「なければならないもの……?」
茉莉花が不思議そうに首を傾げてくる。狂三は首肯とともに続けた。
「ええ。――銃声ですわ」
「ああ……言われてみれば。確かにあのとき、そういう音は聞こえませんでしたわね」
「なんですって?」
狂三と茉莉花の言葉に、佐田が眉根を寄せる。
「銃声が……しなかった? 他の音に紛れていたとかじゃあなく?」
「ええ。信じられないのであれば他の方にも聞いてみてくださいまし。てっきりサイレンサーか何かを使用したのだと思っていましたけれど……先込め銃に取り付けられるサイレンサーなんて、聞いたこともありませんわね」
「ということは……どういうことですの?」
「そもそも銃が使用されなかったか――音が聞こえないくらい離れた距離から撃った、ということですわ」
「なるほど! さすがですわ狂三さん!」
茉莉花がパン、と手を打ち鳴らしながら声を弾ませる。
が、狂三と佐田が難しげな顔をしていることに気づいたのだろう。そろそろと手を下ろし、首を傾げてきた。
「あの……何かおかしなことがありますの?」
「……ええ」
茉莉花の疑問に答えたのは佐田だった。眉の間に深い皺を刻みながら、続ける。
「当然ですが、銃を使わず弾を撃つのは困難です。スリングショットのようなものを使えば射出することくらいはできるでしょうが、銃ほど威力は出ません」
「ふむふむ」
「そして、弾が発射されたと思しき方向を調べましたが、屋敷の外から狙撃できるような場所はありませんでした。それに、割れた窓や、弾痕なども発見されていません。屋敷は厳戒態勢中で、何者かが外部から侵入した痕跡もなければ、屋敷内にも現状、怪しい人物は見つかっていません。もちろん、自動で弾を撃つような仕掛けもです」
「ということは、つまり……」
茉莉花は、意味深にあごを撫でたあと、渋面を作った。
「……どういうことですの?」
「外からの狙撃という可能性は低く、ホール内にいた方々が銃を撃ったということも考えにくく、謎の人物が潜んでいたわけでもない、ということですわ」
「なるほど! さすがですわ狂三さん!」
茉莉花が先ほどと同じように手を打ち鳴らす。
だが、さすがに狂三の言葉が意味するところに気づいたらしい。すぐにたらりと汗を垂らした。
「……それって、誰にも犯行は不可能だった、ということですの?」
「端的に言うと、そういうことになりますわね」
狂三が目を伏せながら言うと、茉莉花は「えぇー……?」と腕組みしながら身を捩るように首を傾げた。
そう。普通に考えればあり得ない。いわゆる不可能犯罪というやつだ。
しかし実際事件が起きている以上、誰かが何らかの方法でそれを為したのは間違いなかった。
「『魔弾の射手』――」
狂三は、手紙に記されていた名を、ぽつりと呟いた。
「――わたくしの前でそのような名を名乗るなど、いい度胸ではありませんの」
◇
――『魔弾』。
ひとたび放たれれば、必ず目標に当たるという魔性の弾丸。
あらゆる障害物を避け、獲物がどれだけ逃げようとも、決して外れることはない。
ウェーバーのオペラ『魔弾の射手』においては、狩人が悪魔ザミエルにその製法を教わった、とされている。
無論普通に考えれば、そんなものは空想の世界の道具だ。
もしそうだったなら。もしこんなものがあれば。そんな人々の希望や妄想を、作曲家が形にしたものに過ぎない。
けれど――
「…………」
詮無い思考を巡らせながら、狂三は椅子に腰掛けていた。
栖空辺邸別館の一室。先ほど皆と一緒に待機させられていた部屋の隣に位置する場所である。
狂三の隣には茉莉花が、そしてその前方には佐田と屋敷の使用人が、向かい合うように腰掛けていた。
「――で、あなたは事件が起こったとき、ホールのどの位置で、何をしていたんですかな」
「は、はい。私はだいたいこの辺りで――」
と、佐田の質問に、緊張した様子で使用人が答えている。
そう。簡単にではあるが現場検証を終えた狂三と茉莉花は今、事件発生時ホールにいた者たちへの事情聴取に同席させてもらっていたのである。
普通であれば素人の大学生二人が事情聴取に同席するなどまずあり得ないのだが、ここでも茉莉花のおねだりは有効らしかった。まあ、聴取を受けるのが皆栖空辺家の関係者だったため、文句を付ける者がいなかったというのもあるかもしれなかったが。
「ふむふむ……その位置からでは犯行は無理そうですわね。――ね、狂三さん」
興味深げにうなずきながら、さらさらとメモを取っていた茉莉花が、不意に話しかけてくる。狂三は思わずビクッと肩を揺らしてしまった。
「狂三さん? どうかされまして?」
「ああ――いえ。少し考えごとをしていたもので」
狂三はそう言うと、いつの間にか少し俯きがちになっていた顔を正面に戻した。
別に話を聞いていなかったというわけではないが、正直ホールの中にいた人間の行動を聞いたところで、そう大した情報が得られるとも思えなかったのである。
実際、佐田も似たような考えなのだろう。他に容疑者がいないものだから一応話を聞いているといった様子だ。茉莉花だけがテンション高く、一言一言にうなずきながら逐一メモを取っていた。
「犯行が起こった瞬間、銃声のようなものは聞こえましたか?」
「銃声……いえ、そういった音はしていなかったように思いますが……」
佐田から質問を受けた使用人が、眉を八の字にしながら答える。この証言は、他の九人も共通していた。
が、そこで、使用人が何かを思い出したように眉を揺らした。
「あの、銃声って、映画で聞くような、パン! って音……ですよね?」
「ええ。要は火薬の炸裂音ですからね。――まさか、何か心当たりが?」
「いえ……ただ、一昨日くらいだったでしょうか……お掃除をしている最中に、かんしゃく玉が弾けるような音がしたような気が……」
使用人の言葉に、微かに上体を前に傾けていた佐田が、小さく息を吐いた。
「一昨日……ですか。さすがに関係はなさそうですな」
「は、はあ……すみません」
使用人が恐縮するように肩をすぼめる。
佐田は「いえ」と言うと、質問を再開した。
そしてそれから幾度か問答を繰り返したあと、事情聴取が終わる。
「――え、ええと……こんなところかと思います」
「ご協力ありがとうございます。指示があるまで隣の部屋にいてくださいますか」
「は、はい……」
使用人が椅子から立ち上がり、ぺこりとお辞儀をしてから去っていく。
狂三と茉莉花の聴取は事前に行っていたので、これで犯行時ホールにいた人間全員の話を聞いたことになる。佐田は殴り書きのような文字が躍った手帳を見ながらポリポリと頭を掻いた。
「まあ何となく予想はしてたが、怪しい動きをしていた人間はいない……か」
「ええ。もしあの場にいたどなたかが不審な行動を取っていたなら、わたくしが気づいているはずですし。少なくとも、銃の気配を見逃すほど、感覚を錆び付かせてはいないつもりでしてよ」
「戦場にでもいたのかよ」
狂三の発言を冗談と思ったのか、佐田が肩をすくめながら苦笑してくる。狂三は軽く微笑むと、「そんなところですわ」と返した。
と、狂三たちがそんな会話を交わしていると、不意に部屋の扉が開いて、一人の警察官が入ってきた。
「警部! 屋敷内を捜索していたところ、凶器と思われる銃を発見しました!」
『……!』
やや興奮気味な警察官の言葉に、狂三たちは目を見合わせた。
「どこだ。案内しろ」
「はい、こちらです!」
言って警察官と佐田が、早足で歩き出す。狂三と茉莉花も小さくうなずき合ったのち、そのあとを追った。警察官は一瞬驚いたような様子を見せたが、佐田が二人の同行に何も言わないからか、不思議そうにしながらも案内を続けた。
一行は本館に入ると、そのまま二階に上がり、長い廊下を渡って、その最奥に位置する部屋へと辿り着いた。
どうやらそこは物置のような場所らしかった。高そうな調度品などが置かれているものの、使用を目的とした配置ではなく、ただ部屋の端から並べただけ、と言った感がある。
そしてその奥の壁に、精緻な細工の施されたマスケット銃が二挺、銃身を交差させるような形で飾られていた。
「これが?」
「はい。右側の銃に、最近使用された痕跡が発見されました。指紋は検出されていません」
「なるほどな……」
佐田はあごを撫でながら、今し方入ってきた扉の方を見やった。
「犯人はこの銃を持ち出し、あるいは事前にどこかに隠しておいて、探偵を狙撃した。そしてそののち、混乱に乗じてこの部屋に銃を戻した――ということか」
しかし狂三は、目を細めながら腕組みした。
「随分と無駄の多い行動ですわね」
「犯人が必ずしも効率的な行動を取れてたって保証はないだろう。それとも、何か他にもっと上手い方法があるってのかい?」
佐田が眉根を寄せながら言ってくる。
「そうですわね――」
狂三は右手を銃に見立てるように、人差し指と親指を立てると、その先端を廊下の方に向けてみせた。
「たとえばですけれど、この部屋から直接、ホールにいる探偵さんを撃った――というのはいかがでして?」
「なんだって?」
狂三の言葉に、佐田が渋面を作った。
「馬鹿言うな。この部屋からホールまで、どれだけ離れてると思ってるんだ。当然のことだが、銃弾ってのは真っ直ぐにしか飛ばない。曲がりくねった廊下に、何枚もの壁。そんなものに阻まれた相手に当たる弾があってたまるかってんだ」
「…………」
狂三はしばしの間無言になったのち、ふうと息を吐いた。
「まあ、それもそうですわね」
狂三が言うと、佐田は「まったく……」と肩をすくめた。
するとそれに合わせるように、茉莉花がポン……と優しく狂三の肩に手を置いてくる。
「大丈夫ですわよ。乙女には誰しも、夢見がちな時期があるものですわ!」
「……ご配慮痛み入りますわ」
狂三の反応をどう受け取ったのか、茉莉花がにこやかに言ってくる。狂三は力なく苦笑した。
「――とにかく、この銃が犯行に使われたものだっていうなら、犯人が事件のあと、ここにやってきたってのは確かなわけだ。――お嬢さん、確かこの屋敷には、防犯カメラが付いていましたね?」
「え? ああ、はい。部屋の中はプライバシーがございますので、廊下部分だけですけれど……」
「十分です。――おい、事件発生から今までの記録を確認させてもらってこい!」
「はっ!」
佐田の指示に、警察官が大仰に敬礼をし、部屋を出ていった。