第一の噺/人魚の騙り(3)

   ***


「う……っ……あっ……あぐっ……ああっ……アアア……」

 男のうめき声が聞こえる。

 だが、それだけならば、べつにどうということはない。

 皆崎もユミも、人間の悲鳴のたぐいなんぞ、聞きなれている。今の問題は、『だからこそわかる』のだが、その声が苦痛というよりも、恍惚と快楽をうったえていることだった。

 館の奥にもうけられた黒い扉。それを前に、ユミは眉根をよせる。

「なぁんか、嫌ぁな予感がするぜぇ。皆崎のトヲルよぉ」

「ハハッ、きもちはじゅうぶんにわかりますけどねぇ、ユミさんや。あなたさん、『虎穴に入らずんば虎児を得ず』ってコトワザは知っているでしょう?」

「虎の子なんてかわいいもんが、いるとは思えねぇんだよなぁ」

「まあまあ、そう言わず」

「マアマアも、パアパアもあるかい!」

「……では、失礼をして」

「俺様の話を聞けってんだ!」

 ガチャリと、皆崎は真鍮のドアノブを回した。ゆっくりと、重い扉を開く。

 うす暗い部屋の中、美夜子夫人がハッと振り向いた。はてさてしかし先ほど聞こえた声は男のものだったが……。そう首をかしげたあとに、皆崎とユミはある異常に気がついた。

「えーっと、ご夫人。その姿は、僕の知るものとは違うようですが?」

「こちらは、舞台衣装のようなものですわ」

「舞台衣装」

「あるいは真の姿とも言えます」

「真の姿」

 美夜子夫人の服装は上品な着物から革製の衣装に変えられていた。しかも、面積が少なく局部しか隠れていない。意外とその太ももがムチムチしている事実をふたりは学んだ。

 そして──部屋の奥──濃い暗がりの中にもナニカがいた。

 それを見て、ユミはゲーッと蛙が潰れたような声をあげた。

 控えめに表現するのならば、そこにいたのは『百舌鳥もずの早贄』であった。杭で貫かれた裸の人が、蠢いている。床のうえには、血液やら排泄物やらが悪臭とともに広がっていた。

 ガツンと、皆崎はキセルを食んだ。ふうっと、彼は煙を吹きだす。

「ふーむ、『後ろ』のは、ご主人さんですねぇ。まさかのまさか。串刺しとは。そのような痛々しい目にあわせるとは、憎しみでもおありで?」

「まさか! なにをおっしゃいますの! 夫はいつでもかわいく、コロコロふくよかな、大切な私のベイビーちゃんですわ!」

「はぁ、べいびーちゃん」

「それよりも! いかにお客様といえども、夫婦の営みにいきなり土足で踏みこむのは、私、いかがなものかと思いますわね!」

 ツンッと、美夜子夫人は鼻を高くあげた。キーキーバタバタ。賛同するように、串刺し中の旦那氏も両腕を振り回して暴れる。ケッと、ユミは口を挟んだ。

「もてなしもなんもないまんま、客を放って、勝手におっぱじめといてなにを言ってやがるんでぇ! それよりも、こんな物騒なことが夫婦の営みたぁ、どういうことなんだぁ?」

「サディズムとマゾヒズムですか?」

 ぼそっと、皆崎はたずねる。

 ぱああっと、美夜子夫人は顔をかがやかせた。堂々とうなずき、彼女は誇り高く語る。

「そのとおりですわ。ご理解いただけて助かります」

「つまりは趣味。つまりはプレイの一環。これも性の営み、と……えーっと、こういう過激なことをやるようになられましたんは、人魚の肉を食べて以来で?」

「ええ。普通の肉体のときは鞭打ち程度で満足をしていたのです。しかし、今や死なない体を得たのですもの。私たちは、究極に挑戦しているのですわ」

「究極に挑戦」

「今日は肛門から口までを貫いて、意識を保てるかどうかを試す約束でして。朝からワクワクしておりましたのよ。お客様のために予定は変えられなかったのです。ね、あなた?」

 後ろの裸身がジタジタと動いた。どうやら、美夜子夫人の言うとおりのようだ。

 合意らしい。

 シミのない頬についた血も鮮やかに、美夜子夫人は恍惚としながら語った。

「アア、人魚の肉は、心からすばらしいわ!」

「なるほど、なるほど。合意ならばケッコウ、ケッコウ、まことにケッコウ。ここには『騙り』もない。さぁ、次に行きましょうか、ユミさんや」

「……おーっ……まったく、かわいい俺様は疲れちまったぜ」

「それでは、おじゃましましたね。ごゆっくり、お楽しみを」

 ひらひらと、皆崎は手を振った。美夜子夫人はうなずく。するりと、ユミは外に出た。

 皆崎も後を追う。しばらくして、快感ここに極まれりといった叫びと共に、頭か内臓だかが、床に落ちる濡れた音がひびいた。全身をぶるりと震わせて、ユミは高い声をあげる。

「痛そうじゃねぇかぁ! ひんひん、わかんねぇ趣味だぜ」

「まあ、ユミさんはそうでしょうねぇ。あなたさんは、それでいいんですよ」

「おっ、おっ、褒めてんのか? もっと褒めるか、皆崎のトヲルの野郎よぉ」

「その前に、次の部屋に行くとしませんかね?」


 ガチリ、キセルを食んで、皆崎は提案する。

 このトーヘンボクとユミはその足を蹴った。


   ***


 バン、バンバン、ババンッ!

 続けて、皆崎たちは二階へと向かった。館の持ち主である夫妻は、『お楽しみ』のまっさいちゅう。ならば、遠慮など必要ない。むしろ、今のうちだとすら言えた。

 二階の回廊に並んだ扉を、皆崎はバンバンと片っ端から開けていく。

 やがて、彼は『当たり』を見つけた。

「まあ、無作法ね!」

 ガチャリッと、小さな扉を大きく開いた瞬間だ。

 鈴を転がすような声が、コロコロとひびいた。

「あいさつをして、それから開いてくださるものよ。無理に押し入るなんて、初夜のベッドでのふるまいも知れるというものですわ」

「これは失敬しました。でも、僕の貞操はそんじょそこらの女子よりも確かなもんでして。つまりは、いらぬ心配はご無用というやつです」

 謝るように、皆崎は山高帽を持ちあげた。

 それを見て、双子の少女の片方──先だって夫人から紹介されている姉のみどりはくすくすと笑った。ピンク色の部屋は、子供用に造られた場所らしい。天蓋のあるベッドもぬいぐるみ専用の棚も、ごてごてしく、砂糖菓子のように飾りつけられている。その中心に座す車椅子へと、みどりは身を寄せた。

「あら、私の思ったよりも、おかしな殿方なのね! 身持ちの固い男なんて、つまらないにもほどがあるじゃないの!」

「それはよぉ、おもしろいのか、つまんねぇのか、いったいどっちなんだい……ッタク、この屋敷の連中は。全員わけがわからねぇぜ」

「ねぇ、みどりもそう思うわよね?」

「……うん」

 車椅子のうえの妹──碧というらしい──は小さくうなずいた。焦げ茶色の髪に、同色の目をした、大人しい印象の娘だ。ぺったりと、姉は張りつくように彼女へと両腕を回す。白くまろやかな碧の頬にみどりは頬をつけた。妹に産毛を触れさせて、みどりはささやく。

「見てわかるとおりに、私たちはとっても仲良しさんですのよ。そうでしょ、碧?」

「ええ……姉さんは、飛び降りて、半月前に足を切断した私を、支えてくれているのです」

「飛び降りたんですかい? 半月前に? それで、足はダメに?」

 くるり、皆崎はキセルを回した。

 こくり、碧はうなずく。じっと、彼を見つめながら、彼女は語った。

「ええ、高いところからまっすぐに落ちて、足で着地しましたの。いつもなら、体はすぐに治るのに、足だけは回復が起こらなくて……二本ともずたずたになって、ちょっきん、切るしかなくなったのです」

「あら、なんでまたそんな」

「碧をいじめないであげて! そんなこと、いちいち聞くものじゃなくってよ! お兄さんは、こなれた女に対して、なぜ処女じゃないのかを、いちいち問いつめるタイプかしら」

「あなたさんねぇ。それは男性にとっても、女性にとっても、よくない発言ですよ」

 眉根を寄せ、皆崎は苦言をていした。対して、みどりはコロコロと笑う。

 不意に、碧が口を開いた。意を決したかのように、彼女は声を押しだす。

「……あのう」

「さっ、さっ、もう行っておしまいなさいな。人魚を探しにきたというけれども、おあいにくさま。あの肉は、二度と食べれはしないのよ。帰ってちょうだい」

 ガチリと、皆崎はキセルを食んだ。

 ひと吸い、ひと吹き、ひと言。

「見つけた。『騙り』だ」

「『騙り』?」

 なんのことかと、碧は目を細める。その前で、ユミはぴょんっと跳びあがった。

 見えない尻尾をブンッと振って、彼女は声を弾ませる。

「なら……やるってのかい? 皆崎のトヲルよぅ!」

「ああ、そうですともさ」

 皆崎は、山高帽を持ちあげた。双子の姉妹はきょとんとしている。

 パンッと、ユミは手を叩いた。

 パンッ、パンッ、パパパパパパパパパパパッ、パンッ!

 柏手のごとく、音のひびく中、『魍魎探偵』は宣言する。


「これより、『謎解き編』に入る」


 一年前に美味しく食われた人魚から。

 なぜ、助けを求むる手紙が届いたのか。


 パンッと、ユミは音を鳴らした。


「乞う、ご期待!」


   ***


「あれ?」

「あら?」

「うぐ?」

「あら?」

「あら?」


 五つの声が集まった。

 未だ、片手をあげて直立している一輝、革で局部を隠しただけの美夜子夫人。今は両手足を落とされている旦那氏。そして、双子の姉妹のみどりと碧。

 人魚を食べた家族のみんなが、玄関ホールへとそろえられる。

 だが、彼らは自力で移動したわけではない。摩訶不思議な力で飛ばされてきたのだ。

 そして奇怪な行為をなしたものはといえば、大階段の半ばに座っていた。悠々と長い足を組んで、皆崎はガツンとキセルを食む。ひと吸い、ひと吹き、口を開いた。


『魍魎探偵』は騙らぬ。

 ただ、語るばかりだ。


「そもそも、『人魚とはなにか』?」

「べべんべん」

「『人魚を食うと不老不死になる』。まず、ここからしておかしいんですよ。妖怪とはいえ、人魚も生き物。生物はおしなべて、自らに有利となる方向へと進化する。そのはずが、『人魚自体は不死ではない』。のに、自身の肉を食べた相手に対しては、『不老不死という副次効果』を授ける────いったい、ここにはなんの意味があるのか。種族にとって、その事実がなんらかの利益をもたらすのでなければ話にならない」

「べべんべんべんべん」

 皆崎は語る。その前で、ユミは三味線を弾くまねをした。さらに、口で音を添える。

 人魚を食べた家族は、まず理解する。どうやら、ユミのたてる音に特に意味はない。

 問題は『魍魎探偵』がなにを語っているかだ。

「また、『不老不死になった人間が、最後にはどうなるのか』を見届けたものは誰もいない。洞窟に入った尼さんはいましたがね。アレも、最後の姿は誰も知らない」

「べんべべん」

「つまり、ですよ。ここからは、あるひとつの結論が導かれる。『人魚とは食べられるため、進化をとげた生き物である』。そして、生物の最たる目的は増殖です。果実が美味しくなったのはなぜか。花が蜜をたくわえるのはなぜか。人魚も同じだ。『喰われることによって、人魚は増える』んですよ」

「べんっ!」

 いっそう強く、ユミは空の三味線を鳴らした。

 ふぅっと皆崎は細く煙を吐く。そしてひと言。


「『不老不死に変わった人間は、最終的に人魚になる』。それが答えでございます」


 食ったものは、やがて己も食われるものとなるのだ。

 そう、皆崎は人魚という美味な肉の真実をつむいだ。

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