第一の噺/人魚の騙り(2)

   ***


 どばばんっと、ソレは飾られていた。

 銀糸で唐草模様の縫われた壁紙。そのうえに金の額縁がかかげられている。中には、バーンッと墨絵に似たものが入れられていた。人間の上半身に魚の下半身。豪快かつどこかマヌケな、人魚の魚拓である。この家の主人が釣りあげたあと、記念にとったものらしい。

 それを見て、ユミはうへぇっと舌をだした。

「魚じゃねぇんだぞ」

「まあ、人魚は食べられる水妖ですからね。しかも美味で、副次効果のオマケもつく。マグロなんかよりは、立派な釣果と言えなくもないですよぉ」

「んじゃ、クジラと比べたらどうなんでぃ」

「ユミさん、クジラを人間の手で釣れたらねぇ。あなたさん、そりゃすごいですよ」

 のんきものんきに、ふたりはあーだこーだと言葉を交わす。

『人魚の魚拓』は、大階段の踊り場にどどーんっと飾られていた。つまり、皆崎たちもまた、玄関ホールを見渡せる紅い絨毯のうえに立っている。

 そうして一階から高い声をかけられた。

 夫人、改め──たちくら夫人である。

「皆崎様、ユミ様。家族がそろいましてございます」

「おー、そうですか。あなたさん、わざわざすいませんです。ご苦労様です」

 皆崎は応える。首を伸ばして、ユミも一階を覗きこんだ。

 ダンスができそうなほどに広々とした空間には、美夜子夫人の他に数名が集まっている。口髭の立派な肥満気味の旦那、成人済みの息子、片方は車椅子に乗った可憐な双子の姉妹。

 両腕を広げて、美夜子夫人は家族のことを誇らしげに示した。

「こちらに集うはみながみな、人魚の肉を食べたものたちでございます! ですが、言葉だけでは信じがたいことでしょう! 今から、その証拠をお見せいたします」

「いやあ、嫌な予感がするので、僕は見たくないなぁ」

「まあ、まあ、まあ、ご遠慮なく!」

 そう言い、美夜子夫人は手を伸ばした。いつの間にかぶらりと垂れていた鎖を、彼女はえいっと引く。みしみしっと嫌な音がした。

 瞬間、どーんっと、一階の天井が落ちた。

「うわー」

「あれま」

 皆崎とユミ──階段踊り場にいたふたりは、難を逃れる。だが、一階にぽつり、ぽつりと立っていた面々は、哀れ下敷き。ペッシャンコだ。やがて、キリリ、キリリと歯車の回る音が鳴った。自動的に、吊り天井は持ちあげられていく。それは元の位置へともどった。

 みょーんと潰れた肉が伸びる。

 したしたしたと、血が滴った。

 だが、突然それは動きだした。

 まるで粘菌生物のごとく、血と肉は蠢く。グネグネにちゃにちゃと、紅色はくっつき、醜悪な団子と化して、薄い皮膚に覆われた。やがて、それらはふたたび人の形を構成した。

 潰れた車椅子はそのままで、服もまたくしゃくしゃだが、全員が生きている。

 ほへーっとユミは感心の声をあげた。

 ガツンッと、皆崎はキセルを噛んだ。

「ああ、なるほど、わかりやすい。人魚を食べれば、そのときから副次効果で不老不死になれる。なるほど、なるほど。つまり、あなたさんたちは本当に食らっちまったんだねぇ」

「ホホホホッ、そうですわ。一年前に、みなで美味しくいただきましてよ。だから、こんなドロボウだって一網打尽な、便利なカラクリも造りましたの。でも、使用人もぺしゃんこになってしまうものですから、私たちだけで暮らしたほうが不便がないのです、ほほっ」

「ゲゲッ、暇をだしたんじゃなくって、殺してんじゃねぇかよぉ」

「本当は逮捕したほうがいい家族ですねぇ。でもなぁ、証拠はあるのかなぁ。どっちにしろ、ずいぶんと前の物証を探して、捕まえて、裁いてくれる機関なんざ今はないですしね」

「まったく、無法地帯もいいところだぜ! この国はよぉ!」

 イーッと、ユミは嫌そうに口をひん曲げた。

 その頭を、皆崎はぽんぽんと撫でてやる。両手をあげて、ユミはジタジタした。

「あーっ、皆崎のトヲルの野郎め! 俺様を子供あつかいしやがってるな! てやんでぇ、ちくしょうめぇ、いいぞ、いいぞ、もっと撫でろぃ! ナデナデしまくれぃ!」

「うーん、あいかわず、ユミさんは撫でられるのが好きなのか嫌いなのかわからないもんですねぇ。で、さてはて、皆、死なないと見せられた以上、人魚を食った証明は終わった」

 ひと吸い、ひと吹き、ひと言。

 皆崎トヲルは、細く吐きだす。


「なら、誰が人魚を騙ったっていうんだろうねぇ」


   ***


「どーすんだよ、皆崎のトヲルよぉ」

「なにがですか、ユミさんや」

「人魚に助けを求められたってのに……書いてあった屋敷まで来てみたら、ソイツは一年も前に喰われちまってるんだぜ?」

 美夜子夫人に案内された客間は、紺色のカーペットの美しい、上品な場所だった。そこで腰に手をあてて、ユミは言う。それから、かしこい俺様にもお手あげだぜーっ! と立派なベッドに飛びこんだ。もふもふの羽毛布団を、彼女はぞんぶんに両手でモミモミする。

 それから大の字になって、皆崎にたずねた。

「まさか、手紙の住所をまちがえてました! なーんてオチはねぇよなぁ?」

「ユミさんねぇ。あなたさんは、僕をどんな間抜けだと思っているんだい?」

「かわいい俺様がいないとまるでダメな、トーヘンボクの皆崎のトヲル野郎」

「ふむ……まあ、確かに、僕にはユミさんがいないとダメなところはありますね」

 揺り椅子に腰かけつつ、皆崎はうなずく。おおっと、ユミは顔を跳ねあげた。

 見えない尻尾をブンブンと振りつつ、彼女は声を弾ませる。

「なんでぇ、今日はやけにすなおじゃねぇか! おっちつかねぇなぁ! もっと褒めてもいいぜ! ほらほらぁ、かわいい俺様が、こんなに喜んでやるからよぉ!」

「ユミさん、褒められるとすぐにぐにゃんぐにゃんの骨抜きになっちまうのは、あなたさんのよくない癖ですよ。まあ、僕はそんなところを嫌いじゃないですが」

 くすりと、皆崎は口の端をあげる。ガチンと、彼は続けてキセルを食んだ。フゥッと宙に輪を作りながら、皆崎は煙を吐きだす。揺り椅子を意味なく前後に漕いで、彼は語った。

「住所はまちがいござんせん。僕の貞操にかけて誓いましょうか」

「ソイツは固ぇな」

「固いよ。それに、人魚の希少性を考えれば、二匹も三匹もいろんなところで釣れるのは話がおかしい。なら、助けを求めてきたのは、『この家の人魚』にほかならんでしょうね」

「ケッ、なら、胃袋の中から手紙を書いたってか?」

「そう、今だとそういう話になっちまうんですよね。だが、そいつはおかしいや。『声』はたまに、死者からも届くことがある。けれども、『手紙』は生者がだすもんですから……だからね、さてと、ユミさん」

 ぐっと、皆崎は後ろに体重をかける。ぎりぎりまで、彼は揺り椅子を倒した。それから、ぐらりんと戻す。勢いをつけて、皆崎は立ちあがった。そうして、山高帽をかぶりなおす。


「ちょっと、ひと調査、行こうじゃありませんか?」


   ***


「真実の愛、というものをご存じでしょうか?」


 応接間にこれ以上なく真剣な口調がひびいた。その問いかけはまじめでまっすぐで重い。

 こっそり、皆崎とユミは視線をあわせた。そしてどちらからともなく前を向き、ふるふると首を横に振った。ふたりは真実の愛も恋も、贋作の愛も恋もまるで知ったことではない。

「ダメですね、あなたたちは」

 皆崎たちの前に座った男性は深々とため息を吐いた。濃い隈と痩せすぎの体、油をべったり塗ってぴしっと固めたオールバックが特徴的な美夜子夫人の長男だ。名をかずという。

 ふたたびハァッと、彼は当てつけじみたため息を重ねた。

「まるで生きている価値のない愚物。血と糞が詰まっているだけのぐずぐずとした肉袋だ」

「おいおい、一輝の兄さんよ。そいつは言いすぎってもんじゃねぇのかい? 本来は温厚な、かわいい俺様が万が一にでもブチキレちまう前によ、謝ったほうがいいってやつだぜ」

「ユミさん、あなたさんね。腕まくりをしながら言う時点で、もうキレてやがりますって」

「……ああ、そうだな。私が悪い」

 威嚇する声に、一輝は悔いるように応えた。革張りのソファーに座り直して、彼は両手を組みあわせる。続けて深々とため息を吐いた。皆崎は首をかしげ、ユミは目を丸くする。

「へっ」

「おっ」

「くっそ、ダメだ! もうしわけない!」

「急に謝られてもよぉ……なんかこれはこれで気味が悪ぃな」

「ユミさん、それは失礼ですよ。でも、確かにあなたさんもかなりすなおに謝りますねぇ」

 感心と呆れが半々の声を、皆崎はあげた。

 そのまえで、一輝はぴしっとしたスーツに包まれた自身の肩を強く掻き抱いた。ふむと、皆崎は眉根をよせる。その理由はといえばあまりにも一輝の表情が恍惚としていたためだ。

 声をはりあげ、彼は語りだす。

「愛しい人と永遠にひとつになれた! しかも、彼女の血肉は私を老いさせず、殺さず、強く生かし続けている! この歓喜が、この恍惚が、この真の愛が、喰わないものにわかるわけがありませんでしたね! 恵まれたものとして、私は神のごとく寛大であるべきでした! いやはや、愚物を愚物とバカにして本当にもうしわけない! 謝罪しましょう!」

「……おい、皆崎のトヲルよぉ。コイツはマズイ域にいってるやつだぜぇ」

「うん、僕もそう思うとも。人魚に恋する人間は別に珍しくはないが、コイツはちょっとうっとうしいや。それに語りはするが『騙り』ではない。おいとまするとしやしょうか?」

「そいつがいいや」

 皆崎とユミは、そっとソファーから立ちあがった。

 同時に、一輝も流れるように腰をあげる。だが、彼は──暖炉の前を横ぎる──皆崎たちの様子を見てはいなかった。宣誓するように片手をあげ、一輝は語り続ける。

「私という人間ハァッ! まず、水槽に入っている彼女を見たときに、運命の恋に堕ちたのであります! ならば、人魚たる彼女の捌かれる運命を悲しむべき? いいえ、それは凡人の発想であります! 食とは愛しき人といっしょになること! つまり、究極の求愛行動! その証拠に、彼女のうす桃色の肉はプルプルと震え、私に喰われることを切望しておりました! そう、刺身のあの醤油の弾きこそ、彼女の私に対する愛の証なのであります! この崇高かつ汚し難き、純粋な愛の形を、私は論文にまとめ然るべき学会へ……」

 こそこそと、ふたりは応接間を後にした。部屋の外にでると一輝の声は遠ざかる。ばたり。ユミが扉を蹴り閉めても彼は気づきもしない。呆れたと、ユミは大きく肩をすくめた。

「学会ってさ。どこにそんな酔狂なモンを投げるつもりなんだ?」

「うーん、妖怪食の学会はありますから。内容次第じゃぁ、歓迎される可能性も……」

「あんのかよ。ぶっそうだな、おい!」

「それはね、食は人間の本能に基づきますから、学会の中でもまっさきに作られましたよ。最初は確か……なべしま秘密結社から端を発して、三年後に正式に認められたんだったかな?」

「ぺっぺ、嫌な話じゃねぇか!」

「さてと、ユミさん。我々は次へ行くよ」


 クイッと、皆崎はキセルの先を揺らす。

 はいよっと、ユミは投げやりに応えた。

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