第一の噺/人魚の騙り(1)

 とんからりんとん、からんからん、ぴしゃん。

 とんからりんとん、からんからん、ぴしゃん。


 奇妙な音が、軽快に鳴る。屋台街の提灯が並んだ温かな宵闇の中へ、不思議なひびきは明るく広がった。それでいて調子はずれな歌のごとく、その音色はどこか悲しげでもある。

 とんからりんとん、のくりかえし。

 ソレに惹かれたのか、ひとりの青年が足を止めた。

 切れ長の目の色は黒、長めの髪も同じ。背は高く、足はすらりとしている。それをくたびれたスーツで包み、彼は頭に山高帽を乗せていた。骨のめだつ手には、キセルが持たれている。その先からは細く煙がたなびいていた。

 くいっと、青年は整った顔をかたむける。

「おや、まあ」

 そう言う視線の先には、不思議な音の出どころがあった。

 見世物小屋の店頭に──アサガオ形のトランペットと木製の歯車、車輪をいっしょくたにした──ヘンテコリンな手回しオルゴールが置かれていた。調教済みの猿にハンドルを回されながら、それはずっと同じ調子で歌をつむいでいる。


 とんからりんとん、からんからん、ぴしゃん。

 とんからりんとん、からんからん、ぴしゃん。


 にぎやかな音で、客を呼びこもうというのだろう。また、華やかさを誇るかのごとく、小屋は色とりどりのペンキで彩られてもいた。だが、全体を囲う板はといえばペラペラだ。

 なんともうら寂しく、うさんくさい風情が漂っている。

 入り口を塞ぐ分厚い幕の隙間からは、今日の出しものがちらりちらりと覗いてもいた。

 ぎらりとした鱗。たらりと垂れた乳房。もじゃもじゃと、海藻のごとくからまった髪。

 そして、濃くも生臭い魚の香り。

「人魚、か……」

 カチリッ、青年はキセルを噛んだ。

 ひと吸い、ひと吹き、ひと言。

「今日も、人は騙っているねぇ」

「おい、デクノボー! かわいい俺様が見ていないと、おまえってやつはすぐにこれだよ。そのまま、ぼーっと眺めてたらよぅ! モンドームヨウで、見物料をとられるんだぜ!」

 少年のような口調で、中性的な声が謡った。だが、その声の主はといえば、十四歳程度の小柄な少女だ。彼女は青空のような布地に、ひまわりが白く染め抜かれた柄の着物姿で、背中には紅い帯をリボン風に結んでいる。こちらは黄色い花で飾られた、長い髪は白。大きな目は紅。顔立ちはおそろしく美しい。一方で、鮮やかな服装に反して体には色素がなかった。見るものに混乱を招くような立ち姿をしている。

 彼女の忠言に、青年はうむとうなずいた。

「それは困るねぇ。なにせ、ほら、僕には人の金の持ちあわせはないもんでして」

「ほれ見たことか。ならさ、俺様についてきな! こういうときは逃げるが勝ちよ!」

 パッと少女は青年の手をとった。彼をかっさらうようにして、彼女は獣じみたすばやさで駆けだす。少女の下駄のカラコロ鳴る音と、男の革靴のカッカッと鳴る音がかさなった。

 ふたりが離れた直後のことだ。見世物小屋の中から、あこぎそうな店主がでてきた。

 間一髪、少女と青年は難を逃れる。太い腕を振り回しながら、店主は大声で叫んだ。

「バッカやろうが! うちの人魚を見たのなら金を置いてけ! ただじゃねぇんだぞ!」

「やなこった! そっちこそバカやろうでぃ! 小屋に入ってもいない客からふんだくろうなんざ、でっぷり重たい腹ん中が黒いぜ! それに、その人魚、どーせ偽物だろう!」

「本当の人魚は、見世物小屋にも飾れるだけの希少な高級品。だからこそ、あそこまで嫌な魚の臭いなんてしませんからねぇ」

 走りながら、青年はのったりのたのた口にした。だが、声の調子に反して、彼は駆けるのが速い。あれよあれよという間に、ふたりは店主を置き去りにした。

 そうして、足を止める。

 屋台街は遥か後方。気がつけばあたりは濃い暗闇に包まれていた。遠くで森がざわざわと鳴く。道沿いには争乱期に捨てられたのであろう廃屋がぽつり、ぽつりと残っていた。

 ここらへんは、路面も十分に舗装されていない。石ころを蹴っ飛ばして、少女は言った。

「よぅ、みなさきのトヲルよう!」

「なんだい、ユミさんや」

「今回は、その人魚から手紙がきたんだろう?」

 人魚からの手紙。さも当然のごとく、ユミと呼ばれた少女は不可解な事柄を問う。

 皆崎トヲルと呼ばれた青年もまた、あっけらかんと応じた。

「ああ、あなたさんの言うとおり、人魚からの手紙をもらいましたよ」

 螺鈿の細工も見事なキセルを、彼はガチリと咥える。走りながら振っていたというのに、その火は絶えていなければ、灰もこぼれてはいない。皆崎はひと吸い、ひと吹き、ひと言。


「今にも食われそう……とのことでして」


 人魚から救いを求める手紙を送られる。

 皆崎トヲルにとってそれはなんら異常事態ではない。それどころか、この世にはもっと摩訶不思議なことがあふれていた。その中のきれっぱしをあつかうのが皆崎の役割だ。


 人は、妖怪は彼をこう呼ぶ。

『魍魎探偵』、皆崎トヲルと。


   ***


『魍魎』とは、通常、山や石や水に宿るもののことを指す。だから、正確には『妖怪』探偵だ。けれども、『字面に威力が足りねぇや。もっと複雑怪奇なほうがいいぜ』という、ユミのワガママな希望により、皆崎は『魍魎探偵』を名乗ることとなった。


 もちろん、そんな職業が成立する時点で、ちょっとばかし世がおかしいのである。


 人魚──水妖が人間に手紙をだすなど、昔は夢幻の御伽噺のただの伝説。あるいは誰かの妄想だった。つまり、あってはならないことである。


 だが、常世とこの世が『ひょんなことから』繋がってしまい十年。

 幽霊も妖怪も幻獣も精霊も、あらゆる怪異は人間の隣人と化した。

 彼ら相手に戦争まで起こしたものの、人は十年かけて混乱期を乗り越えたのだ。そこから更に時間を経て、今ではなんとか日常を取り戻しつつある。それでも、いや、だからこそ怪異絡みの事件は尽きない。あちこちのチンドン騒ぎには定期的に妖怪が巻きこまれた。 妖怪はときおり人を食らう。だが、それ以上に、人間は悪食だった。

 妖怪の売買、捕食、殺害行為──そして妖怪を利用した犯罪も様々に起こされた。

 あちこちで妖怪絡みの事件は後を絶たず、人々はさまざまな嘘を騙った。

 やれこれは妖怪の仕業だ、あれも妖怪の仕業だと、犯罪者は嘘をつく。それらの事件は、たいがい人の手には余る怪異とセットだ。そのため、元々国家権力が崩壊状態にあることからも警察の力には頼れず、専門の解決家が求められた。


 それこそが、『魍魎探偵』である。


 国の混乱期、争乱期を越えた安定期──またの名をやけくそ期──の今、皆崎は妖怪と『騙り』にまつわる事件を解決して回っていた。招かれたり、嗅ぎつけたりして、『魍魎探偵』は事件の起きたり、これから起きる場所を訪れる。そこではナニカやダレカが、皆崎のことを求めていた。それらのケェスと、此度の人魚の手紙の招きは同じものだと考えられる。つまり、此度も、また。


 解決を望む、事件が待っている。

 カラン、カランカラン、カラン。


「すみませんです。よい晩で。どなたかいらっしゃいませんでしょうか?」

 皆崎は声をはりあげた。金の力で整えられた地区へと、ふたりは移動をしている。豪華に装飾された鉄門にさげられた鐘を、彼は再び鳴らした。カラン、カランカラン、カラン。

 虚しく音がひびく。遠くに見える洋風の屋敷は静かだ。人の応える気配はまるでない。

 舌打ちして、ユミは腕まくりをした。

「ええい、めんどくせぇ! おい、皆崎のトヲルよう! いっそ、押しいっちまおうぜ!」

「ユミさん、あなたさんねぇ。ちょっとばかり気が早いですよ。焦ってカリカリしても得はなし。そいつは悪い癖ってもんです」

「そんじゃあ、どうするってんだい!」

「待ちましょうや。我々みたいなのは招かれて入るのが一番……おっと」

 そこで、ギギッと目の前の門が開かれた。

 暗がりから、ひょっこりと着物姿の女が姿を見せる。白粉おしろいの塗られた顔は美しい。長い黒髪は艶やかかつ見事に結いあげられ、象牙の櫛で留められていた。そこから毛皮を巻いた肩を通って爪先まで、たんまりと金をかけられている事実が見てとれる。

 あからさまなほどに、上流階級の人間だとわかる女であった。

 皆崎は、山高帽を胸に押し当てた。意外な心持ちで、彼は口を開く。

「おやおや、これは驚きましたね。まずはメイドさんか、女中さんの出てくるのが、こういった屋敷での定石ってもんだと、僕なんかは思うのですが?」

「使用人はなにかと存在がわずらわしく、全員に暇をだしました……そういうあなたは、誰なのです? 当家になんの御用でしょう? もしや、主人の知りあいで?」

「いやあ、僕はね。ご主人の知りも知らないような生き物でして」

「あら、ならば物売り? 歌唄い? 夜語り? お帰りなさい。当家には必要ありません」

 そう、夫人はシッシッと手を振った。彼女は鉄の門から離れようとする。

 細く、女の自信をたたえたしなやかな背中。それに、皆崎は呼びかけた。

「まあ、お待ちなさいや。僕が頼まれたのはあなたさんじゃない。人魚です。人魚に頼まれごとをしたのです。『今にも食べられそうだ。助けて欲しい』と」

「それは、いったい……」

「水妖の求めるところ、人の手には負えない異常事態が起きているはずだ……ああ、それなのにそれなのに。ここではなにも起きていないと、あなたさんは言いはるおつもりで?」

「ええ……なにも、なにも起きてなどおりませんもの」

 ことり、女は首をかたむける。白く塗られたその顔は、まるで闇に溶けかけた半月だ。

 分厚い唇に、女はふてぶてしい笑みを浮かべた。

「本当に、ほほっ、異常など。ほほっ、なにも」

 ガッと皆崎はキセルを噛んだ。

 ひと吸い、ひと吹き、ひと言。

「騙るねぇ、人間は」

「ええ? あなた、なにをおっしゃって」

「────『魍魎探偵、通すがよかろう』」

 不意に、皆崎は言い切った。今までのどこか眠たげな口調とはまるで違う。命令するかのごとき物言いで。瞬間、夫人はぐるりと目を回した。ぐる、ぐる、ぐるぅり。あちこちに眼球は向く。そうして混乱する彼女へと、皆崎はふぅっと細く、白色の煙を吹きかけた。

「僕を通すこと。それすなわち、必ずあなたさんのためにもなるんです。行きはよいよい。帰りはあなたさんの知ったことじゃない。さあ、さあ、僕を通すがよかろう」

「あ……い」

 かくりかくりと、うなずき、夫人は門を開いた。どうぞと、彼女はお辞儀までする。

 あーあと、ユミは頭の後ろで手を組んだ。呆れたように、彼女は頬をふくらませる。

「ほぅら、けっきょくこうなるんじゃねぇか! だったら勝手に押しいったって似たようなもんだったろ! 皆崎のトヲルがひと吹きすりゃ、揉めようがそれでしまいなんだぜ!」

「ユミさん、乱暴を前提にするのはよくありませんよ。僕はそういうのは好きませんので」

「ケッ、よく言うぜ、トーヘンボク!」

 バンッと、ユミは皆崎の背中を叩いた。結果、自分のてのひらのほうを痛めたらしい。

 きゃあっと、彼女は飛びあがった。これまたいつものことである。

 やれやれと、皆崎は肩をすくめた。そして、カツンと歩きだす。

 邸内へと向かう、くたびれた背中。

 それに夫人の声が追いかけてくる。

「あっ……でもぉ」

「なんでしょうか、ご夫人」

「人魚でしたよね……人魚、人魚、人魚でしたら」

 そして、夫人はツィッと笑った。

 妙な猫撫で声で、彼女は続ける。


「一年前に、家族みんなで食べてしまいましたよぉ」

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