第一の噺/人魚の騙り(4)

   ***


 賞賛は、ない。

 歓声も、ない。

 だが、悲鳴もなかった。動揺のうめきもあがりはしない。

 家族の反応を言葉にするのならば、『あっ、そう』といったところだった。

 どうやら、実感がともなっていないらしい。だが、ふたりだけは様子が違った。姉のみどりと妹の碧。みどりは皆崎をにらみつける。瞳に涙を浮かべて、碧のほうは口を開いた。

「わかってくださるのですか?」

「碧、あなた……!」

「わかってくださっているのでしょう?」

 みどりの制止を聞くことなく、碧は訴える。大きな目に、彼女はひたむきな光をたたえた。その必死な問いかけに対して、皆崎は笑ってみせた。くいっと唇の端をひきあげるやりかたは、ずいぶんと色男めいている。ぽっと、碧は頬を紅く染めた。

 一方で、ユミは不機嫌に空三味線を弾く。

「べべんっ」

「続きを語るとしましょうや。人魚を食った人間は、不老不死を経て、人魚に変わる。ならば、僕に此度『食われそうだ』と手紙をだした人魚とは、『人魚を食った、家族の誰か』ということになりましょう。しかも、その人には『人魚に変わりつつある、自覚があった』……適応が、異様に早かったんでしょうなぁ」

「でも、どんな変化が家族にあったと言うんですの? 見てわかるとおりですわ。私たちに異常はございませんことよ」

 両腕を広げて、美夜子夫人がつんと言う。

 それに対して、皆崎はキセルを動かした。彼は車椅子の碧を示す。

「飛び降りて、足を潰した人間がいらっしゃいまさあ。そこは、あきらかにおかしいでしょう。だって、あなたさんたちは不老不死。本来ならば、足は復活するはずなのですよ」

 流れるような調子で、皆崎は応えた。バッと、家族全員の視線が碧に集まる。

 車椅子の肘置きを、彼女は強く握りしめていた。それこそ骨が浮かぶほどに。

「人魚自体は不死性をもたないせいですな。不老不死の恩恵に授かれるのは、増える途中の個体だけ。もう変化が終わりかけていたせいで、あなたさんの足は潰れても元にはもどらなかった」

「べんべん」

「飛び降りた動機は……家族が人魚に憑かれているせいだ。『尾になりかけの足』がバレたら食われると危機感を覚えて、あなたさんはどうにかしようとした。そのため、足が復活しないことに賭けて、あるいは変化前の足が生えてこないかと狙って、飛び降りた。結果、『尾になりかけの足』は潰れてもどらなかった。これで、バレない……そのはずが……実は、もう、『早急に人魚に変わりつつある』という事実は、とある御仁にバレていた。そうなんでしょう?」

「……はい」

「このままでは遠からず、どのみち食われてしまう。あなたさんはそう確信して、僕に手紙をだしたんだ。これ以上、多くの家族にバレないよう、名前を伏せて『人魚』を騙って。そうして、僕が到着したらすべてを話し、助けを乞う予定だった……だが、できなかった」

「……はい」

 キラキラと碧の目から涙がこぼれた。ポロポロと、彼女は泣きだす。

 ついっと、皆崎はふたたびキセルを動かした。そうして、今度は姉のみどりを示す。

「お姉さんが……『あなたが人魚に変わりつつある』と知ってる人がですね。どこにいても、べったりと張りついてきたもんだから……ですね」

「べべんっ!」

 口で、ユミは音をたてる。三味線を胸前にかかげるかのように、彼女はポーズを決めた。

 そのまま拍手を待つかのごとく、ユミは動きを止める。だが、うん? と首をかしげた。

「なあなあ、皆崎のトヲルよう」

「なんだい、ユミさんや」

「それなら、姉のみどりは、『もっともっと人魚への変化が進んだら、妹の碧を食おうとしてた』ってぇことなのかい?」

「そういうことになりますねぇ」

「妹を食うなんざ、鬼畜の所業じゃねぇか! いったいぜんたいどういうことだよ!」

 見えない尾をたてて、ユミは跳びあがった。

 彼女の視線の先で、みどりは恥じらう様子もなく嗤った。にぃっと双子の姉は唇を歪める。その全身からは処女特有の残酷さと美しさが放たれていた。可憐に、彼女はささやく。

「だって、人魚のお肉は本当に美味しかったのですもの」

 軽やかに、みどりは歩きだした。

 そっと、彼女は碧の肩に手を置く。びくっと、碧は身を震わせた。そのやわらかな頬を、みどりはべろりと舐めた。べったりと妹にヨダレ跡をつけて、彼女は語る。


「アレがもう一度味わえるっていうなら、妹だろうと食べちゃいますね」


   ***


「えっ、碧が人魚になりかけている、と?」

 口を開いたのは姉妹以外の誰であったか。

 そこに哀れみのひびきはなかった。進行度が異なるだけで、自分たちもやがては同じになる。だというのに同情もふくまれてはいない。それどころか、家族は目をギラつかせた。

「つまり」

「つまり」

「つまり」


 あの肉が、もう一度食える?


 食欲に、どろりと溶けた声は、誰のものか。もはや、判断する意味はない。

 どろどろどろり。煮つめられた飴に似た熱と粘着性をもって声はひびいた。

「この舌で、私の恋をふたたび味わえるとは」

「不死性がさらに高まったりはしないかしら」

「アア、限界の限界の限界を超えた快楽を!」

「あなたの味方は、家族にはいないのよ、碧」


 だから、私たちの糧におなりなさいな。


 ねっとりと、みどりがささやく。皆崎の長話の間に、旦那氏の手足は生えてきていた。

 四組の腕が、ゆらゆらと碧に迫る。

 ガッシャンと音をたてて、彼女は車椅子のうえから落ちた。必死に這い進んで、碧は大階段の前までくる。床の上から、彼女はそこへ座る皆崎へとうったえた。

「助けてくださいまし、『魍魎探偵』様。風の噂で、あなたのことを聞きましたの。妖怪と人の間の揉めごとを解決してくださる御方だと。だから、あなたに手紙をだしたのです」

「そうですな、ただ、ひとつ、あなたさんに言うべきことがありまして」

「なんでしょう?」

「あなたさんは『食われそう』ですが、まだ『人魚』ではない」

「ええっ!? もしや、だからお助けいただけないとでも!?」

「まさか。ただ、此度の『騙り』を並べているだけでして」

 ガチリ、皆崎はキセルを食む。

 ひと吸い、ひと吹き、ひと言。

「邸内での、今宵の『騙り』はふたつ」

「べべんべん」

「『喰らわれるもの』のついた嘘と、『喰らいたいもの』のついた嘘」

「べべんべんべん」

 すっと皆崎は手を前にだした。くるりと彼はキセルを回す。それはすうっとなめらかに、あるべきカタチに戻るように溶けた。歪み、曲がり、キセルは奇妙な銀色の時計へ変わる。

 低い声で、皆崎は語った。

「人と妖怪の揉めるとき、そこには『騙り』がある。さて、此度の『騙り』はいかほどか」

 歌うような声にあわせて、ふわりと黒いネジが現れた。それはガチャンと時計の背中の穴へとハマる。カクンッ、カクンッと二回、ネジは回された。そのまま時計は宙に浮かぶ。

 くいっと、皆崎は口の端をあげた。

「二分。なれば」

「おうともさ!」

 皆崎の求めに、ユミは応じた。彼女は胸を張る。

 皆々様がた、ご笑覧あれ、とユミは床を蹴った。

 ひとつ回ると、狐耳が生える。ふたつ回ると、黄金色のふさふさ尻尾が生える。彼女は人間ではない。化け狐だったのだ。みっつ回れば、その姿は細く美しい刀に変わった。

 それは、皆崎の手に落ちる。瞬間、彼の姿も変わった。髪が銀色になり、肩へと落ちる。目は蕩けるような蜜色と化した。くたびれたスーツも、本来の姿に戻るかのように形を変えていく。黒の着物になぜか女ものの紅い打掛を羽織り、皆崎は銀の刃をかまえた。


『魍魎探偵』は宣言する。


「これより、今宵は『語り』の時間で」

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