第1章 2006年、春へ その1

 衝撃の合格通知から1ヶ月後。僕はおおさか府の南の果て、みなみ河内かわち郡のさらに果ての地に立っていた。

 目の前にはコンクリート造りの巨大な建物がある。

おおなか芸術大学──」

 建物の一番上に書かれている文字を読み上げる。

 そして、ポケットに入れてある学生証と見比べる。

「──映像学科 はしきよう

 間違いない。

 僕は大芸の学生として、2006年の4月に、この場所に立っていた。


 信じられなかった。だってタイムスリップなんて起こるはずがない。もしそんな現象があったとしても、なんで僕が?

 だから、たとえ2006年のカレンダーを見せつけられようが、ガラケーの解像度の低さにドン引きさせられようが、妹が服装だけじゃなく中身まで中学生になっていようが、壮大なドッキリだと疑っていた。

 でも。

 洗面所の鏡の中の自分を見て、いよいよ信じる他はなくなった。

「自分まで若返ってるとなあ」

 と、まあ。

 どういうわけか、10年前の世界に来てしまっていたのである。


 衝撃がやわらいだあと、届いたばかりの合格通知を右手に僕は考えた。

 そのあともいくつかの大学の合否が届いたけど、僕は「芸大に進学したい」と親に告げた。

 理由はわからないながら、とにかく人生をやり直す機会がやってきたらしい。それなら、以前とは違うルートを選びたい。何かを変えたい。

 親は、第一志望にも受かっているのになぜとげんな顔をしたものの、最終的には「おまえの好きにしなさい」と許してくれた。

 そして、4月11日の今日。

 講堂で入学式を終えたばかりの僕は、おおなか芸大映像学科の1回生として本校舎の前に立っていた。


「えーと、いち、一須賀で、この信号を右……」


 思う存分大学を散策したあと、僕はそう古くもないけど、別段新しいわけでもない2階建ての木造住宅を探して歩いていた。

「『シェアハウスきたやま』……ここかな」

 実家のあるこまから大芸のあるみなみ河内かわち郡までは、少々交通の便が悪く、親と相談した結果、一人暮らしすることにした。でも、妹もいるし、特に裕福でもないうちにとってマンションやアパートの家賃はなかなか負担が大きい。そこで、学生向けのシェアハウスを利用することにしたのだ。

「まだだれも来て……ないな」

 大学から歩いて数分の、無造作に段ボールが積んである倉庫のわきにその建物はあった。チラッと外から見た限りでは、人の気配はない。

「こんにちはー、誰かいな……いか、やっぱり」

 事前に預かっていたカギを使って中に入ると、テーブルと以外何もない共有のリビング兼ダイニングと、扉一枚でつながっている台所。その左右にとトイレ。各自の部屋は1階と2階に2つずつ。

 不動産屋からは、自分を入れて入居者は4人と聞いている。 全員1回生らしいので、いくぶん気は楽だった。


 契約した時に、どこの部屋にするかはすでに決まっていた。

 階段を上がって、2階の右側。

 夕方になって届いたふとんや、自宅で使っていたテレビ、服を入れたカラーボックスを置くと、やっと部屋らしくなった。

 家具の位置を決めたころにはすっかり夜も更け、辺りは真っ暗になっていた。

「ふーっ、まあ後はおいおいやればいっか」

 来るちゆうに買ってきたヨーグルトドリンクを開けて、飲む。

 一人暮らしの食事は偏りがちだから、乳酸菌か納豆菌だけはしっかりとっておけよというのが、下宿生活を始めるに際しての、父親からの唯一の言いつけだった。

 10年後の世界で身体からだを一度壊していたせいで、そんなお節介も、素直に聞き入れる気になっていた。

「他のやつ、まだ来ないのかな……」

 もし入学式に参加していたら今日中、そうでなくとも入学ガイダンスが始まる前、つまり明日には来るはずだ。だというのに、だれも来る気配はなかった。

「はーっ、僕が芸大生、か」

 話す相手もいないし、えず今日はもうすることもない。ポケットから取り出して机に置いた学生証を眺めていると、段々と実感がいてきた。

 あのプラチナ世代の彼らと同じスタートラインに立っている。

 もちろん、まだ一緒の学校に入ったというだけのことだ。だけど、たくさんの有名クリエイターを生んできた学校なんだ。卒業する頃には、僕も何かをつかめているかもしれない。

「もしかしたら、あきしまシノやかわごえきよういちN@NAななと、いっしょに何か作れるかもしれないんだ!」

 どうしてタイムスリップしたのかは確かに気になる。落ち着いているように見えるかもしれないけど、そうじゃなくて、考えてもさっぱりわからないだけだ。誰かの野望に巻き込まれて? あるいは未知の災害で? あの人生に行き詰まっていた僕は、元の世界に未練があるわけじゃないってこと。何をするべきなのか、考えたらキリがないけれども。

 今はとにかく、自分に違う未来があることがうれしかった。

「ふぁ……ねむ」

 入学式や引っ越しの作業で動き回ったせいで、思ったより身体が疲れていた。

 半分ほど飲んだドリンクをまくらもとに置いて、敷いたばかりのふとんに潜り込む。

 知らないうちに僕は寝入ってしまっていた。


 10年前に戻ってから、寝る瞬間が少しだけこわくなっていた。

 寝て起きたら「はーい良い夢でしたねえ! ざーんねんでしたぁ! エロゲ会社がつぶれて無職になって実家に帰ってきた人生の方がもちろん正解でーす! 元の時代にもっどれー☆」と意地悪なロリ神様に耳打ちされ、ハッ、と気がつけば妹の息子に腹に乗られ、「おじー、あそぼー」と言われる現実が待っているのかもしれない。そう思うとちょっと恐かったのだ。

 でも実際は、昼に寝ようが夜に寝ようが2006年から2016年に戻ることはなく、いつしか眠ることに抵抗もなくなっていた。

「うーん……」

 まだカーテンが届いていないせいで、朝日がモロに目に入って痛い。

 今日の予定は入学ガイダンスだけだし、そう早起きする必要もないはず……。僕は眠い目をこすって、眼前の光景を見た。

「………………」

「………………え?」

 見覚えがあった。

 あの忌まわしき過去。2016年に発売されたゲームであるにもかかわらず、散々使い古されたシチュエーションを今更持ち出してきた企画者の社長により、イベントCGとして5番目に発注したものだった。


 【CG005】指定

 状況:主人公の目の前に、女の子が眠っている。朝の光で神々しい。

 服装:衣服は一部はだけていて、胸が少し見えている。


「うわあああああっっっおおおぅぅおおお!!」

 それが現実のものだと認識した瞬間、叫び声を上げて僕は飛び上がった。こういうときって、やっぱりお約束の叫び声が出るんだな!?

「はえ……? もう朝になったと?」

 女の子は「ふあー」とかわいくアクビをし、首を軽く振り、そして僕の方をジッと。

「じぃ~~~っ」

 穴の開くぐらい、見つめてきた。

「あ、あの……っ」

 距離にして15センチぐらいだろうか。すぐ目の前に女の子の顔があった。

 寝起きでトロンとしたは少しだけうるんでいて、まぶたは落ち気味だったけど、それでも十分すぎるぐらいに大きくて。ちっちゃくて収まりのいい鼻と、かすかに開かれた唇と。女子大生というよりも、中学生ぐらいじゃないかと思うぐらい幼い顔立ちと体格だったけれど、文句なしに、断言できた。

「かわいい……」

 つい小声でつぶやいてしまった。

 瞬間、彼女の顔が、ぐりん、と横を向いた。

「のどかわいた」

 そして僕が残していたヨーグルトドリンクを無造作に取り上げ、

「ちょ、ちょっと!?」

 止める間もなく、一気にのどへと流し込む。

「んくっ、んくっ、ぷはぁ~。うん、朝はやっぱりヨーグルトやね~!」

「うん、って」

 口元が緩いのか、女の子はヨーグルトを顔と胸元にこぼしていた。

 通常CGのはずがエロ差分までついてきてしまった。

 そして顔立ちや小柄さとは裏腹に、胸が結構でかいことに気がついた。いや落ち着け。ここにいるってことは彼女はまだ18歳で、ほとんど犯罪……ってことはないか、僕も今は18歳なんだった。

「そ、その、きみは……?」

「え? あっ、まだごあいさつもしとらんやったね!」

 女の子はそこでさっと元気よく立ち上がった。立ち上がってもやっぱり小さい。

「わたしはふくおかの西の果て、いとしまからき……ふあっ?」

 何かのポーズを取ろうとした途端、シーツで足を滑らせて、身体からだが宙に舞う。

「あぶないっ!」

 とっさに手を伸ばした……が、

「ひゃあっ!」

「わあっ!」

 そのまま、倒れてきた彼女を〝正面から〟受け止めるような形となってしまう。


「あー、2階にも部屋があるんだね」

「ここはオレら以外の2人の部屋か。あ、もうだれかいるぞ? そこ開いてね?」

 部屋の外から声が聞こえ、ドアが大きく開かれた。

「あえ?」

「うわ!」

「げっ……」

「なにっ……」


 神様は意地悪だと思う。何の説明もなしに10年前に戻したかと思えば、次は望んでもいないエロゲに使えるシチュエーションを現実のものにしてくる。

「あ、あの、違うんだ、僕はただここで寝てただけで、そして朝起きたらこの子がいきなり横で寝てて!」

「ふとんが届いてなかったけん、ちょっと借りとったとよ」

 必死な僕と、のんびりした女の子が、かなり温度差のある説明をする。

「そ、それが、今あんたのかんにこの子の顔があって、2人で仲良く抱き合ってることの説明になると思ってるの……?」

 入ってきた2人のうち、ギャルっぽい女の子の方は、まるで汚いものを見るかのような目でこちらを見下ろしている。

「しかも白濁液まで……いや、お前すげえな、男として」

 男の方は、なぜか妙にうなずいて感心している。勘違いしているのはまちがいない。

「これヨーグルトだから! あとこの子さっき転んだだけだから!」

「そうそう、そもそも一緒に寝とっただけよ~」

「ほらやっぱり!」

「すげえなお前!」

「だから違うんだって!」

「なんも違わんよ~」

 ああ、このシーンなら、何キロバイトでもテキストが稼げただろうなあ……。

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