第一章(4)

            *


「ぐっ!」


 敬陽西方に広がる大草原。その小高い丘にある廃砦。

 私――張白玲が石壁に隠れながら放った矢は、不用意に接近しようとして来た敵騎兵の腕を貫き怯ませた。

「手前らっ! 白玲様だけに撃たせてんじゃねぇっ!! 気張れっ!!!」

『応っ!』

 古参兵が、野太い声で兵士達を叱咤すると、次々と矢が放たれる。

 だが、前へ出た革製の盾を持つ別の騎兵に阻まれ、一騎も倒せない。

それどころか、私が先程怯ませた騎兵ですら落馬せず、後方へ自力で下がっていく。

信じられない練度だ。

「やっぱり……ただの野盗じゃない? まさか、【玄】の斥候?」

 強い恐怖を覚え、歯がガチガチと鳴りそうになる。

左手に持つ弓が震えるのを、右手で抑え込む。必死に防戦してくれている兵達に悟られるのは駄目だ。士気に関わる。

 でも……多少とはいえ高所を取り、石壁に守られているとはいえ、このままでは。

 血の味がするくらい唇を噛み締め、自分自身を叱咤。

 情けないっ。怖がっている場合じゃないでしょう、白玲!!

 貴女は張泰嵐の娘で――……脳裏に飄々とした隻影の顔が浮かんできて、泣きそうになってしまう。

私、独りだとこんなに…………。

衝撃を受けていると、周囲で必死に矢を放ち、騎兵を近づかせないようにしている兵士達が決死の形相で訴えてきた。皆、負傷している。

「白玲様」「我等が血路を切り開きます」「どうかっ、脱出をっ!」「貴女様をこんな所で死なせたら、張将軍と若に合わせる顔がありませぬっ!」「お逃げくださいっ!」

 ――軽鎧の下の胸に、抉られるような鋭い痛みが走る。

 廃砦の周囲は草原が広がり、見晴らしは良かった。

 けれど、同時に起伏もあり……丘の陰から数に勝る謎の軍勢に奇襲を許し、包囲されたのは指揮官である私の失態なのだ。

その結果、無数の矢を浴びせられ馬の大半を損失。

生き残った数騎に救援を託す他なかった。……何騎が敬陽に辿り着けたか。

 そして今、私の稚拙な判断は百を超える味方を殺そうとしている。

 歯を食い縛り、先程よりも確実に近づいている敵騎兵へ矢を放ち、礼を言う。

「ありがとう。――でも」

 続けざまに矢を放ち、第一射を躱した騎兵の腿を射抜き、今度こそ落馬に追い込む。

「徒歩では逃げきれないでしょう。あいつ等は明らかに私達の全滅を狙っています。……私の失態です。本当にごめんなさい」

『…………』

 周囲の兵士達は息を呑み、手に持つ弓や槍を握りしめた。

 私達の持つ矢は残り僅かだ。

「けどっ!」

 敵が放って来た矢が石壁に弾かれる音を聞きながら、決意を告げる。

「私は張泰嵐の娘です。嬲られるくらいなら死を選びます。貴方達にはそうなる際、刻を稼いでほしいんです。あと――」

 敵戦列の中央部にいる赤髪赤髭の男が、深紅の紐が結ばれている槍を掲げた。

 騎兵達が半弧型の剣を抜き放つ。突撃して来るつもりなのだ。

「私の肌に触れていい男の子は、肉親以外ではこの国で独りしかいないんです。……秘密にしておいてくださいね?」

『っ!』

 目を見開き、兵士達は絶句。

 その後――笑いが広がって行く。

「そいつは……」「ますます死なせるわけにはいきませんなっ!」「まったくもってっ!」「あの人にも恨まれそうです」「若も罪作りな!」。士気を少しは回復出来たみたい。

 くすり、と笑い、指示を出す。

「来るようです。矢が尽きた者は白兵戦の用意を!」

『はっ!』

 槍を構え、剣を抜き放ち、負傷した者ですら短剣を手にする。

 直後、敵指揮官が凄まじい大声を発した。

「皆殺しにせよ」

『殺! 殺!! 殺!!!』

 敵騎兵の群れが駆け出し、後衛は無数の矢を放ちながら襲い掛かってくる。

 私も咄嗟に命令。

「敵を倒そうと思わないでっ! 負傷させて後退させれば、それだけ攻め手が――」

「白玲様っ! 敵がっ!!」

 眼前で、まるで生きているかのように騎兵の群れが幾つかの群れに分かれていく。

 その分、矢が散らばり、効果が減少。一気に距離を稼がれてしまう。

「くっ!」

 私自身も廃城のすぐ傍まで近づいて来た騎兵へ矢を放つ。

けれど――楯で防がれ、遂に侵入を許してしまった。

「殺っ!」

 石壁を跳び越え、振り下ろして来た曲剣を弓で受け止めるも、断ち切られ、転がりながら剣を抜く。

二騎、三騎、四騎――辛うじて、攻撃を凌いでいくも、

「きゃっ」

 五騎目の突き出された槍で剣を弾かれてしまった。

 周囲では兵士達が必死に戦っている。

『白玲様っ!!!!!』

私を助けようと振るわれる剣は悉く防がれてしまう。

 自分の優位を確信し、敵騎兵は顔に野卑た愉悦を浮かべた。

肌はやや浅黒く、髪の色も濃い。明らかに……我が国の者ではない。

 私は涙を堪えながら短剣の柄を掴み、小さく小さく名前を呼んだ。


「――……隻影」


 騎兵は槍を突きつけながら、何事かを私へ告げようとし、

「がふっ!?」

「…………え?」

 首元を矢で射抜かれて、馬から転げ落ち絶命した。

 状況を理解出来ずにいると、廃城の外から次々と矢が飛んできて、勝ち誇っていた敵騎兵の額を、首を、心臓を容赦なく射抜き、倒していく。

 な、何が……いきなり、私の近くの壁に矢が突き刺さった。

 よろよろ、と近づくと紙が巻き付けてある。

 ――ドクン。

 心臓が高鳴った。

 急いで中身を確認すると、そこにあったのは誰よりも、父よりも知っている字。

『爺と朝霞が救援を連れて来る。それまで粘れ。今晩説教!』

 心に力が湧き出してくる。……バカ。

 私は転がっていた槍を拾い上げ、兵士達を鼓舞する。

「みんな、頑張ってっ! すぐに救援が――礼厳達が来てくれますっ!!」

『おおおおっ!!!!!』

 私同様、状況に惑っていた兵達が歓喜に湧き、残る敵騎兵を追い返していく。

 ――いける。これなら、まだ!

 戦意を滾らせていると、戦場全体に凄まじい名乗りが轟いた。


「聞けっ! そこの賊徒共っ!! 我が名は張隻影っ!!! 【護国】張泰嵐が息子なりっ!!!! 我が首――取れるものなら、取ってみよっ!!!!!」


『っ!?』

 廃砦内の兵士達は顔を見合わせ驚愕し、声のした方へ次々と目線を向けた。

 敵騎兵の背後の丘で、黒髪の少年が白馬を駆り、弓を掲げている。

 状況は未だに危機的。なのに、心中で安堵が広がっていくのを止められない。

 勿論――名乗りをあげて、自分の命を簡単に囮とすることへの躊躇のなさ。それへの強い憤りもあるけれど、溢れてしまいそうになるくらいの圧倒的な喜びに負けてしまう。

きっと、強情な私を心配して、何時でも助けに来られるよう準備してくれていたのだ。

あいつは、隻影は何時だって私を――白馬が動き出すと同時に、敵情を偵察していた若い女性兵が叫んだ。

「敵軍の約半数! 隻影様を追う模様っ!!」

「っ!」

 私は拳を強く握り締めた。

 ――バカ。バカ隻影っ! 帰ったら、言いたいことがたくさんあるんだからっ!!

 両頬を叩き、兵士達へ指示を飛ばす。


「皆、武器を! 救援が来るまで、私達も生き残りますよっ!!」


            *


 廃砦を囲んでいた騎兵の約半数を引き付けた俺は、白馬を駆けに駆けさせていた。

 後方からは、明らかに熟練した様子の騎兵の群れ。

持っている剣や槍は【西冬】の物に見えるが……詳細は分からず。

数は約百。まともにやり合いたくはない。

――が。

「幼馴染兼命の恩人の一人も救えないんじゃ、男でいる意味もない、か」

 独白しながら、矢を三本取って振り返り、

『!?』

 先頭を駆けていた三騎の肩を射抜き、落馬を強いる。

 ぼんやりと浮かぶ『皇英峰』の弓術に比べばまだまだ拙いが――十分!

 次々と速射し、落伍者を増やすことに注力する。

 白馬はその間も見事な脚を見せ、敵騎兵との距離を保ち続けていると、

「お?」

 敵が隊列を崩し、各個に突撃を開始した。

 個々の技量を信じての臨機応変な戦術判断。敵の指揮官はかなりの猛者らしい。

 だが、要は接近してくる奴から――

「……尽きたか」

 あれだけあった矢筒が空になってしまっている。

 先頭を突き進む赤髭の敵将が赤布の巻かれている槍で俺を指し示した。

「奴は矢が尽きたぞっ! 殺せっ!!」

「諾っ!!!!!」

 敵騎兵が剣を構え、速度を上げた。

 白馬も疲労が溜まってきているのだろう。距離が縮まってくる。

 俺は即断し、弓と矢筒を投げ捨て方向転換。

腰から剣を抜き放ち、先頭を走る二騎へ向けて突進した。

「「殺っ!」」

 勝利を確信した男達の顔に残酷な笑み。

 曲剣の白刃が俺を切り裂かんと煌めき――

『!?!!!』

 擦れ違い様に剣で革鎧ごと胴を叩き斬る!

 血しぶきが舞う中、敵騎兵達は何が起きたのか理解出来ないまま、絶命した。

『!』

 突進してきた敵軍の勢いが鈍る中、俺は白馬を操り、敵将と視線を合わせる。

狼のように鋭い眼光。肌が粟立つ。

 ――……こいつ、恐ろしく強い!

 敵将の傍にいた老騎兵が話しかけた。小声で聴こえなかったが唇を読む。

『グエン様――』

 ! まさか……【玄】の『赤狼』っ!? 四人の猛将の一人かっ!

 大河と親父殿達が築き上げた要塞線を、どうやって突破しやがったんだ? 

いや、それよりも、どうしてこいつ等がこんな所にいる?

驚愕を表に出さないよう注意しながら俺は剣を構え直し、白馬を止めた。

「悪いな。さっきのは嘘だ」

「……何だと?」

 敵将は訝し気に俺を見た。

 残存敵騎兵数は約五十。

 対して此方の剣の限界が近い。

……前世でもそうだった。俺の力に耐えられる剣はそう多くはない。

片目を瞑り、肩を竦める。

「俺の名前はただの隻影。張家の人間じゃない。張泰嵐に散々痛めつけられてきたあんた達なら――玄帝国の騎兵なら引っかかってくれると思ったんだ」

「…………」

 敵将が黙り込む。……当たりのようだ。

 俺は素直に質問する。

「なぁ……どうやって大河を渡ったんだ? 親父殿が築き上げた警戒網は完璧だ。数名ならいざ知らず、百単位を見逃すことはない。騎兵なら猶更だ。ああ、正面からじゃないってことは分かってる。教えてくれよ、『赤狼』のグエン殿?」

「――今度こそ殺せ」『諾!!!!!』

 敵将の短い指示を受け、敵騎兵前列はすぐさま反応を示し、突っ込んで来た。

 その数、五騎。俺もすぐさま白馬を加速させ、

「よっと」

先頭の槍騎兵の刺突を弾き、剣でそのまま胴を薙いだ。

剣が軋むのを感じながら、槍を奪い取り、横合いから仕掛けようとした弓騎兵へ投擲。

「ほらよっ!」

「っ!?」

 槍が革製の鎧を軽々貫通したのを見やりつつ、突進して来た剣騎兵と剣を交わす。

 ――金属音が鳴り響く中、一気に押し切り、剣ごと両断。

 残る二騎は左右から襲ってくるも、

「「~~~っ!?」」

 機先を制し、右、左へそれぞれ一撃。馬上から敵兵が転げ落ち、動かなくなる。

「死ねぃっ!!!!!」「誰が死ぬかよっ!」

 五騎の後に突進して来た敵将とすれ違いざまに、数度刃を交わす。

 一撃を受ける度、手が痺れる。こいつ……想像以上に強いっ!

「やるなっ! 若き虎よっ!!」

 図らずも一騎打ちの形になり、馬を反転させながら赤髭の敵将が叫んだ!

 俺は白馬を返しながら、揶揄する。

「そういうあんたは思ったよりも大したことないんだな!」

「言ってくれるっ! 貴様の首を取り、先程の小娘に突き付けてくれようっ! その後で、嬲ってくれるわっ!!」

「……させるわけねぇだろうが!」

 お互い、馬を駆けさせ――剣と槍とがぶつかり合い、閃光が舞い散った。

 首を狙ってきた相手の突きを剣で弾くと、嫌な感覚。

剣身が半ばから折れ、視界を掠め、宙に舞い上がった。敵将の口が嗜虐を示し、歪む。

 瞬間――身体が無意識に動いた。

 折れた剣で槍の柄を力任せに叩き斬り、腰の短剣で首筋を狙い突き出す。

「なっ!?!!!」

 猛将は身体をよじって攻撃を躱し、馬を走らせ距離を取った。

 ――血が飛び散り、俺の軍装を濡らす。

 部下達に囲まれた敵将が左頬に触れた。そこには――深い傷。

目を見開いている猛将へニヤリ。

「悪いな。俺は弓より――」「う、撃てっ!」

 グエンの傍にいた老兵が命令すると、敵騎兵が矢を放ってきた。

 半ばから折れた剣と短剣で、放たれた十数本の矢を払いのけ、

「剣を使う方が強いんだよ!」

 不敵に笑う。敵兵の瞳に恐怖が浮かび、老騎兵が悲鳴をあげた。

「北方に住まう狼の子孫たる我等を、単騎で圧倒する人馬一体の武勇……まるで……まるで、古の【コウはい】ではないかっ!?」

 ――風が新しい土の匂いを運んで来た。調子に乗って脅かす。

「フフフ……ばれちまったみたいだなぁ。そうさ。俺はトウ帝国が大将軍、皇英峰の生まれ変わり。死にたい奴からかかって来るがいい!」

『~~~っ!』

 敵騎兵達がはっきりと動揺を示し、馬達も激しく嘶く。

 ……これ以上戦えば、俺は死ぬだろう。

 左頬から血を流す敵将が槍を高く掲げた。赤い布が風に靡く。

「――鎮まれ。かの英雄は千年以上前に死んでいる」

 良い将だ。立ち直るのも早い。俺は舌を見せ、笑う。

「バレたか。……だが」

 折れた剣で、敵部隊の後方の丘を指し示す。

 敵軍に今日最大の動揺が走った。

「賭けは俺の勝ちだ」


――『張』。

 

金糸に縁どられた軍旗がはためき、騎兵が整列していた。凄まじい土埃が舞っている。

 俺はここぞ、とばかりに脅す。

「ほらほら? 怖い怖い張泰嵐がやって来たぞ? とっとと、自分達の国へ帰らないと、皆殺しにされちまう。此処で死んだら貴重な情報は持ち帰れない。さ……どうする??」

「…………」

 グエンは無表情のまま、馬に踵を返させた。

 戦場全体に角笛が響き渡り、騎兵達は見事な練度で西へ撤退していく。

 ……何とかなった、か。

 全身の力が抜けていくのを感じながらも、油断せずにいると、自ら殿を務めていた敵将が丘の上で振り返った。

「張隻影っ!!!!!」

 俺も他人のことは言えないが、とんでもない大声だ。獣の咆哮に近い。

 深紅の紐が結ばれている槍を突き出した、勇壮な名乗り。


「その名――忘れぬっ! 次は我が戟でその首貰い受けんっ!!!!!」


 そう一方的に告げ、グエンの姿は丘の陰へと消えた。奴も本気じゃなかったようだ。

「……二度と御免だってのっ」

 折れた右手の剣に目をやり、顔を顰める。無銘とはいえ相当な業物だった。

 【天剣】とは言わないものの、折れない剣探しを、都の明鈴に頼む必要があるかもしれない。ああ、奴等の使っていた武器も確認しておかないと。【西冬】の物だとしたら……。

そんなことを思いながら、白馬の首を撫で「ありがとうな」と礼を言っていると、味方騎兵が猛然と近づいて来た。数は精々五十騎、といったところだ。

先頭は――

「若っ!」

「爺、絶好の良い機だった。お前等もありがとう」

『はっ!』

 味方の騎兵は後ろに枝を引き摺っていた。先程の砂煙の正体はこいつだったのだ。

 稚拙な策だが……親父殿の名声に感謝だな。

 恥ずかしさを紛らわすように、爺達へ命じる。

「俺達も白玲達の所へ合流するぞ。間に合えば――武勲の稼ぎ時だ」


 廃砦に到着すると、既に戦闘は終結していた。

 白馬を何故だか俺へ尊敬の視線を向けて来るテイへと託し、奥へ。

すると――長い銀髪の少女が石に腰かけ、俯いていた。少し離れた場所では、朝霞がオロオロしている。軽鎧が血で汚れているので、かなりの数を倒したようだ。

 俺は女官へ目配せして下がらせると、努めて普段通りの口調で白玲に話しかけた。

「よっ。怪我はないか?」

「……ありません。みんなが――……守ってくれたので」

「そっか」

 周囲には死体こそ転がっていないものの、壁や地面には血痕がこびりついている。

 初陣がこんな激戦じゃ、落ち込むのも当然だ。

 俺は片膝をつき、少女の手を固く握りしめられた手を握り、名を呼んだ。

「白玲」

 顔を上げた蒼の双眸には涙の痕。

 あれだけの激戦だったにも拘わらず、戦死者は数名に留まった。

成し遂げたのは兵達の奮戦。そして――この少女の力。

 こいつには武の才があるのだろう。指揮官としての才も。

 ――……だけど、少し優し過ぎる。

「暗い顔をしてたら、兵達が気を病んじまうぞ? お前はよくやったよ」

 途端、見る見る内に大粒の涙が溜まっていく。

 そして、俺の胸に両拳を叩きつけてきた。

「でもっ! ……でも、だったら、私はこの気持ちをどうすれば…………どうすれば、いいんですかっ!」

「……お前は本当に変な所で阿呆だなぁ」

「…………何ですって」

 涙を拭いながら、俺を睨んでくる。

 俺は懐から白布を取り出して少女の目元を拭ってやり、片目を瞑った。


「その為に俺がいるんだろ? 違うか?」


 白玲は大きな瞳を瞬かせ、

「……はぁ。貴方って本当に……」

 白布で顔を覆い、空を見上げた。陽は傾き、夜の足音が聞こえ始めている。

 早く戻らないと親父殿が心配するな――白玲が座ったまま、左手を伸ばして来た。

「――手」

「ん?」

 訳が分からないまま、立ち上がる。

 騒がしい音と共に白馬が廃城の中へとやって来た、主を見て、嬉しそうに尻尾を揺らす。

 少女は髪をおろすと、ほんの微かに甘えを潜ませた顔で俺に要求。

「……足が震えていて、馬に乗れそうにありません。敬陽まで貴方が送ってください。勝手に私の馬を乗り回したんですから、それくらいしてくれますよね?」

「……えーっと」

「貴方を武官に、と父上へ訴えても?」

「うぐっ!」

 急所中の急所をつかれ、俺は胸を押さえた。

 ほんの少しの間、懊悩し――俺は白玲を抱きかかえ、白馬に乗せ、後ろに跨った。

「…………これで、良いか?」

「よろしい、です。……隻影」

「?」

「…………来てくれて、ありがとう…………」

 胸に顔を埋め、小さく呟くと、銀髪の少女は安心しきった様子で寝息を零し始めた。

 俺は白玲の顔についた汚れを優しく拭きとってやりながら、考え込む。

 ――あり得ない玄帝国の先行偵察。率いていたのはいる筈のない『赤狼』。

 これを知った親父殿はどうするのか。

「近い内に臨京へ戻ることになるかもな……」


 俺は眠っている少女は落ちないよう抱きかかえ、南方の空を見上げたのだった。

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