1.ゴーストハウス(28回目)(6)

 音が止んだ。

 ゲームセンターを出た直後のように、耳が寂しさを訴えた。

 要望に応えて、また、音があった。ゲームの道具たちが姿を隠す音だった。せりあがった壁は床に戻り、六かける三、十八個の丸鋸も天井に戻ってゆく。戻らなかったのは、鍵の受け渡しのため幽鬼ユウキが取り外した壁の一部だけだった。三角形の部屋は、六角形に戻り、壁に寄りかかっていた幽鬼ユウキはそのまま倒れた。

 もう一人倒れた。

 壁の向こうにいた、金子キンコだった。

 身を起こし、幽鬼ユウキ金子キンコに目をやる。うつ伏せに倒れた姿勢のまま、彼女は小刻みにふるえていた。たぶん、泣いていた。声を出しているのか、息を吐いているのか、はたまた痙攣しているのか判別のつきにくい行為を一定のリズムで繰り返していた。丸鋸がかすったのだろう、メイド服のあちこちと、その綺麗なブロンドの一部に損傷があった。

 また、彼女には、

 壁の近くに、落ちていた。それがさっきのからくりだった。金子キンコは、自分の手首を切断したのだ。手錠から逃れるのに、これ以上なくわかりやすい方法である。

 もちろん、人間の体はプラモデルではないのだから、切断しようと思ってすぐにできるものではない。それを実行したのは、金子キンコではなくあの手錠のほうだった。手錠には、レバーの上下とともに締め付けの増減する機能があった。上に行けば強く、下に行けば弱く。いちばん上にまで行けば手首を食いちぎるだろうと幽鬼ユウキは推測していた。それこそが、このゲームの用意した模範解答だったのだ。ほかのプレイヤーが指先だけで鍵を狙う中、勇気を持って片手を切り、全力で鍵をつかみに行った人間が生還する。そういうことなのだ。犠牲をいとわない心を求めるゲームだったのだ。

 無傷の生還を諦めたから、だから、金子キンコは生き延びた。

 その体がふるえているのは、きっと、痛みのためではなかった。

「ごめんなさい」

 小さくそう言ったのが、至近距離にいた幽鬼ユウキの耳に届いた。一回ではなく、不定期に、気持ちの高まるたびそれを吐き出しているようだった。

 青井アオイのお株を奪う、小さな声だった。

 その青井アオイはといえば、金子キンコの隣の部屋──に相当する領域に〈あった〉。

「なん……ですか? 〈あれ〉」

 桃乃モモノの声がした。彼女と、紅野ベニヤが、お互い身を寄せるようにして立っていた。どちらにも、三日三晩不休で働かされたかのような色濃い疲れがあった。

「なんで、?」

 恐怖でも、嫌悪でもなく、困惑を多く含んだ声だった。

 原因は、青井アオイのありさまに求めることができた。三つの丸鋸で全身を破壊された彼女は、周囲に、生々しい赤色を撒き散らしては。まだ色の鮮やかな肉をさらしてはいなかったし、鉄臭い匂い、はらわたに残した糞便の臭いを放ってもいなかった。

 そこにはただ、もこもことした白いものがあるばかりだった。

 それは、まるで、綿の飛び出たぬいぐるみの様相だった。

 そうか、と幽鬼ユウキは思った。見るのはこれが初めてなのだ。黒糖コクトーのときは、損壊があまりなかったから。「〈防腐処理〉」と解説を入れる。

「人が観るものだからね……。生々しくなりすぎないよう、こういう工夫をするんだよ。このゲームで死んだ人間は、こうなる」

「手早すぎませんか」紅野ベニヤが言った。会話をすることで、少しでも冷静さを取り戻したいという調子だった。「血肉をぬぐって、綿をばらまいて、臭い消しまでして生々しさを完全に消す。工作する時間なんてせいぜい数秒しかなかったのに」

「ああ、いや。工夫っていうのはそういう意味じゃなくて……」幽鬼ユウキは首を振る。「ごめん、言葉が悪かった。〈防腐処理〉は、死後じゃなくて、最初からされてるんだよ」

 桃乃モモノ紅野ベニヤも、わかりかねるという顔をした。幽鬼ユウキは言葉をさらに付け足す。「私も詳しくないんだけど……例えばあの白いのは、全部、もともとは青井アオイさんの血液だった。空気に触れたらあっという間に固まるようになってるんだ。だから、怪我をしても止血はしなくていい。それと……臭いがしないのは、それも元から。私たちも体臭はしなくなってるはずだよ。あと、遺体を放置してても、肉が腐ることはない。防腐剤かなにかを練り込んであるんだと思う」

 二人の顔がみるみる色をなくした。不調にさせたことは申し訳ないが、しかし、伝えたいことは伝わったようである。「都市伝説じゃないんですよ」と紅野ベニヤが言葉をつなぐ。

「そんな、添加物ばっかり食べた死体が腐りにくいみたいな……その、つまり私たちは……されているということですか?」

「うん。ここに運ばれてる間にね。だから、献血とか絶対行っちゃだめだよ。ゲームのあとに言われると思うけれど」

 今度こそ、紅野ベニヤは完全に黙った。

 そのまま、血の気が引いて倒れるのではないかという勢いだった。それはさすがになかったが、力なくうなだれて、比較的ダメージの少なかったらしい桃乃モモノがその背中をさすった。立場が逆転していた。

 幽鬼ユウキは、金子キンコに向き直った。体勢は変わっていなかった。うつ伏せで、泣き崩れている。不定期の〈ごめんなさい〉もいまだ継続中。その右手首には〈防腐処理〉の成果が出ていた。綿もこもことして、右手首の血を止めていた。

「言わないほうがいい」幽鬼ユウキは忠告した。

「思うのはいいけど、声には出さないほうがいい。出したら弱くなるから」

 金子キンコに反応はなかった。

 心中お察しするというところだ。親の借金をすすんで引き受けるほど〈ずれた〉責任感の持ち主、感情はひとしおだろう。肉体的にも精神的にも、当ゲームでいちばん損なわれたのはこの娘といえた。その責任のいくらかは舵取りを誤った幽鬼ユウキにあるので、申し訳なく思う気持ちがかなりの強度、存在したが、幽鬼ユウキはそれを意識的に制御していた。自分の行動のせいでまずいことが起こったとしても、ゲーム中はそれに対して無責任な態度でいる。はるか昔に、そう決めた。だから黒糖コクトーが死んだときにもなにも言わなかったし、金子キンコに対しても、たとえ本人から謝罪を要求されたとしても突っぱねるつもりでいる。それがルールだ。この世界で一分一秒長生きする鉄則なのだ。

 彼女にも、そうであってほしいと、思う。

 だが、金子キンコを心変わりさせるような気のきいた言葉は思いつかなかった。幽鬼ユウキは扉に向かい、案の定〈開〉に変わっていたそれを開き、横につけた。そして、メイドさんたちが、自発的に先に進もうと言ってくれるのを待った。


        (13/23)


 扉の先は一本道だった。

 メイドさんたちは、無言で進んだ。誰も、なにも、しゃべらなかった。さっきの廊下と同じだが、その詳細は違っていた。さっきの沈黙は、言うなれば、〈覚悟〉だった。気合を十分肉体の中にとどめていたから、だから、しゃべらなかったのだ。今回のこれはこの上なくわかりやすい〈絶望〉だった。とんでもないことになった、こんなところ来なきゃよかったとたっぷり後悔しつつも、ここまでやった以上行くしかないという、消極的な前進。惰性の足取りだった。

 また、例の合体を四人は取りやめていた。理由は、わからなかった。右腕にくっつくべきメイドさんがいなくなってしまったからか、それともさっきの部屋で、みなの関係にひびが入ってしまったからなのか。顔のいい女らにひっつかれて緊張していた幽鬼ユウキであるが、離れられたら離れられたでこれはなんとも寂しかった。

 合体なしとはいえ経験者である幽鬼ユウキが先行しているのは変わらず、その左後ろで金子キンコが、それこそ青井アオイの魂を受け継いだかのような暗い面持ちでとぼとぼ歩き、右後ろで桃乃モモノ紅野ベニヤが、やっぱり君らできてたんだなという具合に、手をつなぎ体をひっつけて歩いていた。

「まあ、なんだな。これで峠は越したってところかな」

 ひどく重苦しいムードだった。払拭するべく、口を開いた。

「参加者六人のゲームなんだ。あれよりでかい試練はもうないと思っていい。今の人数から考えても、あとは消化試合みたいなもんだよ、たぶん」

 嘘ではなかった。ゲームの生還率は平均して七割前後に設定されている。六人中二人が死亡というと、すでに七割を切っているわけだから、やる気満々の障害はもう出てこないはずである。あったとしてもせいぜいひとつ、それも犠牲を強いるようなものではないはずだ。が、メイドさんらの表情はどうにもすぐれなかった。

「あー、あと、あれだ、その右手のことなら大丈夫だよ」

 短くなった金子キンコの右腕を見て、幽鬼ユウキは言う。

「〈防腐処理〉でくっつきやすくなってるから。ゲームが終わったら、ちゃんと治してもらえるよ」

 意外に思われるかもしれないが、このゲームは医療的なバックアップを完備している。もちろん闇医者なのであるが、ゲームによる負傷は可能な限り治してもらえる。〈防腐処理〉の存在のため、その〈可能〉な範囲というのは通常よりもかなり広い。手足の切断ぐらいならまず完治する。髪や皮膚や歯や爪なんかもまあなんとかなる。時には臓器でさえも、どこのルートから持ってくるのか知らないが用意してもらえる。それは治療というよりかは〈修復〉とでも呼ぶべき手際で、命さえつないでおけば、だいたいは元通りにしてもらえると考えていい。

 だから金子キンコの右手は治るのだが、しかし、それでも彼女は暗い顔だった。

 どうしたものか。幽鬼ユウキは途方に暮れる。ゲームは二十八回目の彼女だが、〈こうなった〉初心者を立ち直らせるすべは体得していなかった。初心者を率いるのは、初めての経験だったからだ。

 二十八回のキャリアの中でも、このゲームは相当のイレギュラーだった。考えてみれば、そもそも、このゲームはおかしい。プレイヤーの熟練度に偏りが大きすぎるのだ。これでは、幽鬼ユウキがゲームを支配するに決まっているだろう。面白くもなんともない。初心者を騙る〈狼〉でもいるのなら話は別だが、これまで見た限り、幽鬼ユウキの観察眼を信用する限り、メイドさんたちの中にそのような人物はいない。

 ゲームとプレイヤーのマッチングなんていつもうまくいくものではないし、事実、人数合わせのスカウト組たる桃乃モモノがいるぐらいなのだから、今回はたまたまプレイヤーのバランスが悪かったということで一応の説明はつく。が、しかし、考えないではいられない。もし仮に、この配置が意図的なものだったとすれば。幽鬼ユウキが盤面を支配し、全員手をつないでクリアを目指す、それを前提に作られたゲームなのだとすれば──。

「…………」

 それに思考を向けたため、幽鬼ユウキの口からも、言葉は失われた。

 四人は一本道を進み続けた。額縁に入れられた絵画、動物の剥製、五段重ねのチェストなどなど、お屋敷らしい調度品がいくつか見受けられたが、どんな罠があるかわかったものではないのですべて無視した。

〈そこ〉に至るまで、ついぞ、会話はなかった。


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