1.ゴーストハウス(28回目)(7)

 一本道の突き当たりには小部屋があった。

 扉がふたつ並んでいた。左のほうはすでに開け放たれており、奥には、小部屋というにもやや足りない、シャワールームより大きいか小さいかというスペースがあった。それは部屋というよりおそらく──

「エレベーターかな」

 左の扉に近づき、幽鬼ユウキは言った。

「素直に解釈するなら、これに乗れってことなんだろうけど……」

 幽鬼ユウキは、エレベーターの、扉と箱の隙間に目を向けた。考えうるいちばん単純な罠は、この隙間からギロチンが飛び出してきて、通ろうとした者を縦にざっくり二分割といったところだ。幽鬼ユウキは、頭のカチューシャを外し、隙間にそっと通してみた。なにも起こらない。無生物には反応しないのかもしれないので今度は左腕を通してみた。なにもない。幽鬼ユウキは足を前へ、ロングスカートをふわりとさせつつエレベーターに入った。なにもなかった。エレベーター内部も調べたが、カミソリの一本さえ出てくることはなかった。そもそもが山場は越えたという読みだったので、順当な結果ではあったが、それでも、幽鬼ユウキはふうと一息つく。

 外の三人に〈いけるぜ〉と幽鬼ユウキはサインを出した。続々、乗り込んできた。二人目の金子キンコ、三人目の紅野ベニヤまではなにもなかったのだが、最後の一人──桃乃モモノが乗り込んだとき、それは起こった。

 エレベーターが、ブザーを発したのだ。

「う」

 強いて文字にするなら〈う〉だろう。そういう声を誰かが出した。ブザーの理由は明らかだった。四人は、揃ってエレベーターの壁面、パネルの上部に取り付けられた液晶の表示に目を向けた。

 こうあった。

 積載、百五十キログラム。

「…………」

 その意味を。

 どの深度までメイドさんたちが理解していたか、顔を見ただけでは、判断がつかない。「……あー」と幽鬼ユウキは、機先を制して声を出す。

「とりあえず、降りよう。に」

 メイドさんたちはうなずいた。

 体を縦にして横一列に並び、せーので横歩きするという形でエレベーターの外に出た。おのおの小部屋の好きなところに身を置いて、そして、「百五十というと」と切り出したのは紅野ベニヤだった。

「ちょうど、三人分ですよね」

「そうなるね」

 そうなるねとは言ったものの、内心勘弁してほしいなと幽鬼ユウキは思っていた。一人分を五十キロと勘定しているのだろうが、きりのいい数字だからそこに設定したのだろうが、いや、本当に、勘弁してほしい。

「しかもあれ、液晶に表示されてたしね……。人数に合わせて書き換えてるんだと思う。六人で来てたら、二百五十キロってことになってたはずだよ」

「二人ずつ乗っていけばいい……ですよね?」桃乃モモノが言った。全身で肯定を求めていた。「その、三人しか乗れないんだったら。二かける二で問題ないですよね?」

「残念だけど」紅野ベニヤが答えた。「おそらく、一回しか動かない」

「なんでそんなこと」

「はっきり書いてある。〈one time only〉と」

 紅野ベニヤはエレベーターの横を指差した。中学生レベルの英単語が三つ並んでいた。

〈one time only〉。

 学のない幽鬼ユウキでも、これぐらいは読める。──〈一回きり〉だ。

「このエレベーターは三人用なんだ」

「……あの。それって、その……」

 桃乃モモノは言葉を飲み込んだ。

 その視線は、エレベーターではなく、そういえばあったもう片方の扉へと向いていた。

 ガラス戸だった。すりガラスでも網入りでもない普通のガラスなので、室内の様子がよく見えた。サウナ室のような、階段状の床を持つ部屋だった。たぶん、本当にサウナだった。白と黒しかないこの建物にしては珍しいことに、暖色系の光で内部が満たされていたからだ。

 しかしサウナうんぬんよりも目を引くのはその壁だった。そこは、大小よりどりみどり、バラエティ豊かな武器で埋め尽くされていた。ファンタジーに登場する武器屋さん。そういうものを想像していただければ事足りる。刀剣、鈍器、投擲物、長物。爆発物や銃器がないだけまだましと考えるべきか。側面に〈2トン〉と書かれたハンマーなんてものもあって、部屋の風景に、すがりつきたくなるような冗談味を与えていた。

 しかし、現実だ。

 四人のメイドさん。三人しか乗れないエレベーター。争いを勧める武器の数々。

 それらのことから推測されるこのゲームのルールとは──。

「──そうじゃない」

 幽鬼ユウキは首を振った。

「早合点しちゃだめだ。確かにエレベーターには三人分しか乗れない。だけど、それはなにも、一人置いていくってことじゃない。置いていくのはでいいんだ」

「……?」紅野ベニヤは訝しげにした。「どういう意味です?」

「つまり、その……」直接的な表現はさすがにはばかられた。幽鬼ユウキは、問題のサウナ室を親指で指した。「四人で、ちょっとずつ。んだよ」


        (15/23)


 明らかに空気が凍った。

「うろ覚えだけど……確か、片腕につき五パーセント弱」

〈それ〉については過去のゲームで聞いたことがあった。幽鬼ユウキは、記憶を探る。

「片脚につき二十パーセント弱。水分量が全体重の六十パーセントぐらいで、しぼれるのができて十パーセントぐらいだからかけ算して六パーセント。手足を切ることを考えると、少し負けて五パーセントかな……。髪は意外と重さがなくて百グラム程度。あと、忘れちゃいけないのがこのメイド服だ。数キログラムあるだろうから、人として恥ずかしくない範囲で減らしていこう」

「冗談でしょう」桃乃モモノが言った。その顔は、今日いちばんの青さだった。「え……冗談ですよね? 冗談だって言ってください」

「切るのは私がやるよ」幽鬼ユウキが答えた。「心得はある。どの部位も一撃で落とすと約束する」

「そんなこと言われましても!」

 いい声で桃乃モモノは鳴いた。たちまち、その場に崩れ落ちた。「〈防腐処理〉があるから心配いらない」と幽鬼ユウキはそのつむじに声をかける。

「よっぽどまずい切り方をしない限り、またくっつくよ」

「くっつかなきゃ困りますって……」

 言ったのは紅野ベニヤだった。壁に背をつけていた。

「……穏便に済ます方法はないんですか? さっきの部屋でもおっしゃっていた、裏ルートというのは」

「もちろん探す。でも、今のうちに覚悟は決めておいてほしい」

「五十ってことは、ひとり頭十二キロぐらいですよね?」食い下がる桃乃モモノ。「ボクサーって試合前に二十キロぐらい減量するじゃないですか。それと同じノリで、なんとか……」

「ああいうのって一ヶ月ぐらいかけて減らすもんだからね……。ここでやるには、時間が足りない」

 それがとどめだった。空間から、声は失われた。

 ──まずいかもしれん。

 そう、幽鬼ユウキは思った。

 肉体の一部を置いていく、といっても、あくまで一時的なことだ。〈防腐処理〉がなされているためゲーム終了後には元通りくっつくし、同じく〈防腐処理〉のために失血死の心配もない。さっきの六角形の部屋や鍵探しに比べれば、はるかに安全なゲームといえた。

 しかし幽鬼ユウキの思った以上にみなの反応は厳しかった。このゲームへの熟練度からくる、見解の相違だった。自分自身の体を〈手札〉として扱う、いざとなれば破棄することの可能な〈駒〉とみなすやり方に、彼女たちは慣れていないのだ。〈防腐処理〉のことだってついさっき聞いたばかりである。まだ、その効果を信用しきれてないというのもあるだろう。

 自分の体を切り落とすことへの、忌避。

 それは、ひょっとしたら、殺人への忌避を上回るかもしれない。誰か一人ぶっ殺して三人で脱出する。そういう考えに至るメイドさんが出てきてもおかしくはなかった。幽鬼ユウキは、さりげなく、メイド服のポケットの中で拳を握る。もしそういうことになってしまったら、誰かが誰かに襲いかかるということが現実の光景になったら、幽鬼ユウキも、拳を使わないといけない。桃乃モモノ紅野ベニヤ金子キンコ、三人へ均等に視線を飛ばした。両足が、動き出すそのときを見逃さない。ここが正念場であると幽鬼ユウキは腹をくくった。注意力を惜しみなく投じ、絶えず三者を監視する──。

「私が」

 しかし。

 彼女の言葉に、それははかなくも崩れた。

「私が残ります。みなさんは、先に行ってください」


        (16/23)


 三人とも固まった。

 桃乃モモノ紅野ベニヤ、百戦錬磨の幽鬼ユウキでさえも、不覚、あっけに取られた。三人が三人とも硬直し、その小部屋の時間は、確かに一瞬、止まった。

 間隙にねじ込むかのごとく金子キンコは走り出した。

 金色のツインテールがはらりと揺れた。

「……! 待っ──」

 いち早く復帰した幽鬼ユウキが言う。

 だが手遅れだった。なにせ小部屋なのだ。一メートル二メートルの話なのだ。金子キンコがサウナへ入るのを阻むことはできなかった。扉が閉まる。一瞬遅れてガラス戸の取っ手をつかむが、それさえも手遅れで幽鬼ユウキの全力をもってしても動かない。施錠されたのか、あるいはを噛まされたのか。どちらにせよ意味するところは同一だった。

 ガラス戸のガラス部分を幽鬼ユウキはどんどんと叩いた。だがむなしい。言葉の届く届かない以前、そもそも音が伝わっていない様子だった。金子キンコがこちらによこした反応といえば、ひどく疲れた瞳による一瞥だけだった。そして、すぐ、転んだのか座ったのかわからない動作でその場に尻をつき、膝を抱えた。

 籠城の姿勢だった。

「え……な、なんですか?」おろおろとそう言ったのは、桃乃モモノ。「なにが起こったんですか、今?」

「……見ての通りだよ。金子キンコが、脱出を諦めた」

 扉の前で、幽鬼ユウキは頭を抱えた。言いながらも幽鬼ユウキの心は急速に冷えていった。それすなわち、この状況が〈やばい〉ものであるということにほかならない。

「自己犠牲。ヒロイズム。初心者の死因のひとつだ」

 それは、パニックの一形態である。

 自分以外の誰も信用できなくなって、寝室にひとり閉じこもって、翌朝に無惨な姿で発見される臆病者というのがミステリーにはしばしば登場するものである。今回のケースは、その逆だ。勢い余った勇敢さ。極限状況への酩酊からくる命の放棄。これまでに何度も見てきた。ゲームも終盤に差し掛かった頃、度重なる〈演出〉に心をやられたプレイヤーは、その場の雰囲気に任せて身を投げてしまうのだ。たかが責任感や罪悪感で死ねるのだ。

 私のせいで青井アオイさんは逝った。

 あがないのため、私も逝かなければならない。

 幽鬼ユウキはしつこくガラスを叩いた。破れる。そう考えていた。この扉は、別に、ゲームの進行上必要な仕切りではないからだ。絶対に破壊できないということはないはずだった。だが、少なくとも、素手では壊れないということが手がじんじんしたためにわかった。道具がいる。目の前のサウナ室の武器がどれもこれも聖剣に見えた。とはいえ手に入らないのだから仕方ない、幽鬼ユウキは踵を返して小部屋を出ようとする。

 が、その手をつかまれた。

 振り向いた。桃乃モモノだった。

「あの……その」

 なにかを訴える目つきだった。

 見れば、やや奥にいた紅野ベニヤも、同じ目をしていた。

 幽鬼ユウキは、思わず笑みが漏れてしまった。

 その目は確かに語っていた。

 ──いいじゃないですか。死んでくれるっていうんだからほっとけば。

 ──このまま三人で脱出しちゃいましょうよ。

「なに?」

 でも、幽鬼ユウキはあえて聞いた。

 桃乃モモノも、紅野ベニヤも、言葉に詰まっていた。

 幽鬼ユウキがおのずから察するのを待っているのだ。たまらない高揚を幽鬼ユウキは覚えた。こんなにもかわいらしいメイドさん二名が、頭の中で、そういうことを考えているという事実が、なんだかとてもいやらしいことのように感じられたのだ。二人のことを卑しいとか残忍だとか非難する感情は幽鬼ユウキにはなく、ただ、かわいいなという思いだけがあった。──あまり考えたくないことではあるが──こういったエクスタシーを感じるために、幽鬼ユウキは、このゲームを続けているのかもしれなかった。

 視界の端で動くものが見えた。

 目を移した。金子キンコが、壁から、一本のナイフを取り外しているところだった。まさか幽鬼ユウキに渡してくれるわけもないだろう、自分で使うため取り外したのだ。そして、使用先となるものは、彼女のいる空間にひとつしか存在しなかった。──金子キンコ自身だ。自分自身に刺す。それ以外の目的は考えられなかった。

 自殺する気だ。

 そうなれば、いくらなんでも彼女を置いていくしかなくなるだろう。幽鬼ユウキたちがもたもたやっているのを見た金子キンコなりの発破だ。幽鬼ユウキは目をむいた。だが、幸いなことに、ナイフをがたがたふるわせる左手が向かった先はもう片方の肘だった。愛らしさを幽鬼ユウキは覚えた。そこでは、たとえ〈防腐処理〉がなかったとしても死ねない。

 とはいえ金子キンコがああいう行動に出た以上、余裕はなかった。幽鬼ユウキ桃乃モモノに向き直り、そして、

桃乃モモノさん、考えてみて」

 殺し文句を口にした。

「このまま金子キンコが死んだら────」

 言葉にすれば、二言三言だった。

 それを聞いて、桃乃モモノ、のみならず紅野ベニヤの表情も変わった。そう。この状況、金子キンコを死なせてはならない理由が、倫理的なものや精神衛生上のものではないはっきりとした理由が、ひとつあった。ここで金子キンコに死なれたら幽鬼ユウキらはたいそう困るのだ。全滅──とまでは言わないが、〈防腐処理〉でも治らない怪我が発生する恐れがある。その理由を幽鬼ユウキは告げたのだ。

 桃乃モモノの手から、力が抜けた。

「行っていい?」

 ばっちり目を合わせて幽鬼ユウキは言った。

 桃乃モモノは、横の移動が禁じられていたので仕方なくそうなりましたというふうに、首を、縦に振った。


        (17/23)


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試し読みは以上です。


続きは2022年11月25日(金)発売

『死亡遊戯で飯を食う。』でお楽しみください!


※本ページ内の文章は制作中のものです。製品版と一部異なる場合があります。

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