【#3】山城桐紗は断らない(1)

 VTuberのアバターが完成するまでの過程は、大きく三つに分けられる。

 どういうキャラなのかの原案を考え、イラストレーターがキャラのデザインを行い、モデラーがアバターを自然に動かすための作業──今回の場合は2Dキャラとして動くようにモデリングを行う。そこまでクリアして、スタートラインに立ったと言える。

 だが、ここで問題が発生する。

 俺はモデリングができない。純粋なイラストの仕事で忙しくてそんなん勉強したことないし、物理演算もできないし、XYZ軸をどうにかしろと言われてもできない。

 よって。ガワを完成させるためにはモデリングができる第三者のスカウトが必須だったし、さらに言うと、その第三者が信頼できる人間であるか、という点も考慮しないとダメ。

 だって、キャラデザ俺だし。ママだし。

 愛娘をどこぞの馬の骨にやれるわけないだろ?


「──というわけで、俺は海ヶ瀬のママになったわけだ」

 海ヶ瀬からの仕事を承諾した、同日の放課後。

 比奈高から歩いて十五分ほどのところにある和風喫茶に、俺と、海ヶ瀬と、もう一人。

 さらりと伸びたベージュのロングヘアに琥珀色の両目。通った鼻筋に、きめ細やかな肌。女性の柔らかな雰囲気と、色々な意味で大人っぽい佇まいが内包した風貌。

 それもあってか、海ヶ瀬と同じくらいには男子から好意を抱かれることが多く、本人の対人コミュニケーション能力も合わさって、女子からも人気を博している彼女。

 生真面目ハイスペックな女子高生──山城桐紗が目の前に座っている。

「要点だけ、もう一度整理させて」

 俺の話を聞き終えた桐紗は、それはもう、わかりやすく怪訝な表情をしていた。

「勝手にデッサンモデルにしたことや、その他不用意な言動がきっかけでアトリエが身バレして、そこから派生して、海ヶ瀬さんからVTuberのキャラデザを描いてって話を請けざるを得なくなった──これで合ってるのよね?」

「だいたいその認識で良い」

「……ママ。海ヶ瀬さんのママ、ね……」

 事の顛末を短くまとめた桐紗は、自分のカップに注がれたほうじ茶ラテを一口含んだ。上品な所作。俺はただ、黙って見ていることしかできない。

「千景。今この瞬間、女の子をデッサンモデルにする行為を禁止にします」

 まあ、判決はそうなるよな。わかっていた、わかっていましたとも……。

「今までのはともかく、海ヶ瀬さんの件は流石に見過ごせないわ。だって勝手にやったわけでしょ? ……お願い。あたし、千景が学校中で嫌われてるところなんて見たくないの」

 いっそ強い言葉で叱責される方が、まだマシだったかもしれない。今の桐紗の瞳に宿っていた感情は怒りではなく、湿っぽいものだった。ごめんって。謝るって。

「うん。私も気を付けた方が良いと思う。独りぼっちって、こたえると思うよ?」

 海ヶ瀬までそんな哀れむような、悲しむような目するなよ……深刻さが増すだろ!

「……でも、驚いたなあ。山城さんって、亜鳥くんがアトリエ先生だって知ってるんだね」

 その後、海ヶ瀬はさりげなく、それでいてごもっともなことに触れた。

 ──悪いようにしないから、桐紗にVTuberの件の話をさせてくれ。

 それだけを海ヶ瀬に伝え、後はほとんど無理矢理連行してきたようなものだったので、ここまでくると当人も、この状況に対しての答えが欲しくなったらしい。俺と桐紗の一連のやり取りを聞いていた海ヶ瀬は、本格的に会話の輪に入ってきた。

「そういうの知ってるくらい、仲が良いってこと?」「ぼちぼち、そうね」「ふうん」

「……」「……」

 会話の輪、散開。三人分の飲み物の湯気がわずかに視界に入って、すぐに見えなくなる。

「はいはいはいはい黙らない! 若いもん同士、ちょっとはうまくやってくれよな」

「お見合いじゃあるまいし、それに、そんなこと言うなら千景が会話回しなさいよ」

「わかった。じゃあ雑談代わりに、オタクに優しいギャルが実在するかの討論を……」

「ごめん、やっぱり千景は黙ってて」

「どっちだよっ」

 ……とはいえ俺も、いきなり打ち解けるのは難しいよな、とは思っていた。

 俺と桐紗は去年も同じクラスだったから、つまりは桐紗も海ヶ瀬とは、俺の知る限りだと深い絡みが無かったということになる。そういう背景もあって、だろうか? どことなく、場にはずっと、面接めいた緊張感が漂っていた。

「ぼちぼちって感じはしないけどね。もしかして、特別な関係か何かなのかな」

「たぶんそう、部分的に、そうかもしれないわね」

「アキネー○ーかよ」

「あたしには」俺のツッコミには一切反応せず、桐紗は腕組みをした。

「今日言われてすんなり今日決められるような話には到底思えないんだけど、千景はどうしてやる気になったの? もちろん義務感とか謝罪の気持ちとか、そういうのもあるんでしょうけど……でも、それだけとは思えないわ」

 ……桐紗の指摘は基本的に鋭いので、毎度のことながら俺は、答えるまでに少しだけ時間を要してしまう。無視するには、あまりにも真っ直ぐすぎるし。

「あ、そこは私も気になるかな。思ったより、すんなり請けてくれたしね」

「……興味本位で聞きたいんだけど、千景が断ってたらどうするつもりだったの?」

「請けてくれるまで永遠にお願いする気でいたけど、それがどうかした?」

「……海ヶ瀬さんが本当はどういう人なのか、それだけでよくわかったわ」

「ふふっ。さて、どうだろね」

 ……よし、まとまった。とにかく、とっかかりの話題としては申し分なさそうだ。

「理由は色々だ。海ヶ瀬が思ったよりも本気だったり、アトリエじゃないとダメだっていう点を推されたからだったり、他には……もしも海ヶ瀬がVTuberとして人気になったら、俺にも明確に得があるからな」

「名前を売れるって言いたいのかしら」

「ああ。アトリエのイラストを今以上に色んな人に見てもらえるかもしれない。自分のイラストで、誰かを幸せな気持ちにできるかもしれない。そう考えたら、いてもたってもいられない」

 わざとらしいまでに瞳を輝かせてみせる俺とは対照的に、桐紗の目は濁っていた。

「そういうのいいから、本当は?」

「神絵師として、VTuberのデザインというホットコンテンツに触れないのは有り得ないだろうが……というか、大手事務所からずっと誘いを待ってたんだけど、一向に来なかったんだよ……どうしてなんだろうな」

「アトリエ先生の描くイラストがちょっとえっちすぎるからじゃない?」

「ド直球ストレートやめろ」俺も薄々思ってたからこそ、余計に効くんだよ。

「……あたしずっと思ってたんだけど、その『神絵師』ってワード使うのやめたら? 『IQ200』とか『理論上最強』とかと一緒で、強い言葉すぎて幼稚に聞こえるのよね」

 い、いいじゃん別に。それに見合うだけ頑張ってんだよ、桐紗ならわかるだろ。

「ま、千景がやる気になった理由はわかったわ……それで? あたしをこの場に呼んだ理由、ちゃんとあるんでしょ?」

 腕組みして、憮然とした表情で、でもその割に、桐紗は俺の発言を促してくれる。

 桐紗は賢いし、何より勘が良い。この場に自分が呼ばれた理由が単なる談笑ではないことは既に察しているはずだし、そのうえで自分はどうするべきかというところに考えを巡らせているはず。さながら、今朝の屋上での俺のように。

 だからこそ──俺が今から頼むことも、桐紗なら、冷静に受け止めてくれるはずだ。

「桐紗、いや『きりひめ』──お前には、今回の一件でモデリング担当をお願いしたい」

「……やっぱり、そうなるわよね」

「………………えっ?」

 言われた桐紗本人よりも、隣で聞いていた海ヶ瀬の方が驚いていたと思う。

 それもそうだろう。何の前触れもなく、業界ではアトリエと並び立つレベルで著名なイラストレーターの名前を出されたんだから。


 ◆きりひめは、日本のイラストレーター・VTuber。誕生日は四月五日。山形県出身。代表作は和風ラブコメライトノベル『冥刀恋客』や異世界系RPG『リリカ・マギサ』。昨今はVTuber『シリウス・ラヴ・ベリルポッピン』のキャラクターデザインを行ったうえで自身もVTuberとして活動するなど、VTuber事業にも精力的に携わっている。好きな食べ物はラーメン。推しているVTuberは、前述のシリウスちゃん。


 自分のスマホできりひめについて調べていた海ヶ瀬の手が、ようやく止まった。

「山城さんが、あの、きりひめさんなの?」

「ああ。アトリエ知ってるなら、その辺の有名イラストレーターも押さえてるよな?」

「う、うん。VTuberやってるってのも知ってるし、Pixevのランキングできりひめ先生のイラスト、何回も見たことあるし……でも、本当に?」

 困惑している様子の海ヶ瀬。ぱちぱちと、瞬きの回数が目に見えて多くなっている。

「……少し時間をちょうだい」

 だが、桐紗がおもむろに取り出したルーズリーフと鉛筆を使って三分程度で描き上げたイラストと、右下に描かれたきりひめのサインを見て、その疑念は解消されたようだった。

「ほ、本物だ。この繊細な絵柄に、丁寧な影の落とし方……なにより描くの早っ」

「俺もやろうと思えばこのくらいでいけるぞ」

「どうして張り合ってくるのよ……それで? 他になにか証明してみせろって言われたらするけど。希望はある?」

「い、いや、もう大丈夫、信じたから……というか、ねえ亜鳥くんっ」

 驚きのあまりかなんなのか知らないが、海ヶ瀬はずいと俺の方に顔を近づけてくる。

「きりひめさんのこと、バラしたらダメじゃん! だいたい山城さんも、怒らないの?」

「あら、どうして?」

「だって、その……私が信用できるかどうかなんて、まだわからないじゃんっ」

「あまりにも正論だが、それ言い出すとアトリエはどうなんだってならないか?」

「アトリエ先生はいいの、しょうがないの。計画のための、最小限の犠牲ってやつだよ」

 なんだそのトロッコ問題みたいな……ただ、俺の場合は勝手にモデルにしたわけだし、文句を言えないのが辛い。くそ、だったらしょうがないのか?

「その点は大丈夫よ。あたしと千景は、そういう約束をした関係だから」

「……約束?」

「お互いに何か問題があったり困ったりした時は協力し合う。アトリエときりひめは、そういう関係なの。だからまあ、そこだけ切り取れば特別っちゃ特別ね」

 そうよね?的な視線を受け、俺は無言で一度だけ、うんと頷いてやった。

 この場に二人もいるせいで勘違いされそうだが、高校生の段階から第一線で商業の仕事を行っているようなイラストレーターは本当に珍しい。少なくとも、アトリエがTmitterでフォローしている人間の中だときりひめ一人だったし、五年近くの俺の活動期間の中でそういった人をTmitter上で観測したことすら、片手で数えるほどしかない。

 ……だから、だろうか。

 桐紗から直接、相互扶助の提案をされた時、俺はすんなり受け入れた。

 きりひめが信用できる人間であることはそれまでの交流で既にわかっていたし、何より俺自身、一人で全てに対応し続けることに、どこかで限界を感じていたからだ。

「信用できる仕事先と、切った方がよさ気な仕事先の情報共有。どこの税理士事務所に税金周りのこと頼んでるかの相談とか、インターネット上で揉めたときの第三者的アドバイスとか……協力して助かったことを考え出すと、キリが無いな」

「……振り返ると、イラストレーターが被る厄介事、あたしたち二人でだいたい網羅した気がするわね」

「た、確かに……古くは『アトリエ、コミケの差し入れに盗聴器仕込まれる』事件まで遡るし、直近だと『きりひめ、粘着アンチに法的措置事件』とかもあるし……はあ」

「ねえ。その二つの事件、結局どうなったの?」

「前者は今後、湿布とかテーピングみたいな消耗品以外は受け取らずにお返しさせてもらうってことになって、後者は色々あって示談になったが、それがどうかしたか……?」

「そ、そうなんだ。大変だったんだね、色々」

「ああ、まあな……」「ええ、まあね……」

 俺も桐紗もげんなりとしてしまう。なんなら最後にはハモっていた。光あるところには必ず影ができる。完全に煌びやかで清潔な世界なんて、どこにもないってこったな……。

「二人はいつ頃からそういう関係なの?」

 具合の悪くなっていた俺たちとは違い、海ヶ瀬はフラットな態度のまま、自分の気になる部分に対してメスを入れ続けてくる。

「アトリエが活動し始めて一年くらいしてから交流持って、そっからだから……四年くらいか? ただ、協力関係結んだのは一年前くらいだし、リアルで会ったのもそれくらいだ」

 あの時は流石にビビった。出版社の集まりに顔出したら同じクラスの女子がいて、しかも、そいつがきりひめだって……通話でのやり取りで聞く声と普段の声が違いすぎて、全然ピンとこなかった。そりゃVTuberできるわってくらいには、感心したもんだ。

「……へえ、そうなんだ。それなら、うん、了解」

 さっきからずっと、海ヶ瀬は俺たちの関係について聞き続けていたが……この様子だとすんなり納得はせずとも、飲み込むくらいはしてくれたようだった。

「しつこく聞いてごめんね。それじゃ、ほんとにこれが最後──きりひめ先生にモデリングを頼むってのは、どうして? それに、そもそもできるの?」

 どうもそこまでは調べていないようだったので、俺が本人の代わりに説明する。

「できる。きりひめは自らのキャラデザからモデリングまで何もかもを自分で賄っているし、キャラデザを担当したVのモデリングもやってる。名前は──」「シリウスちゃんね」

 聞いてもいないのに、割り込むように桐紗が答えてきた。

 名前が出たついでだ。俺はスマホでシリウスちゃんのNowTubeチャンネルやら何やらを調べて、その中から直近のアーカイブを再生した。

 ……アーカイブが生成されたのがになっている点に思うところはあったが、それに関してはすぐに頭の隅っこに追いやる。

 今は、どうでもいい話だ。

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