【2nd】コスモス(2)
「あの……どうして私なんでしょうか」
相変わらず、警戒しているようだ。
それもそうか。アイドルを辞める日にそれを否定した男が言うんだから。これを復帰のきっかけにして欲しいとは思わないが、彼女の美貌を生かさない勿体なさは事実としてある。
「お綺麗だから、という理由では駄目ですか」
「そ、そんなことないですケド……」
目を伏せて恥ずかしがる彼女。可愛い。めちゃめちゃ可愛い。そういうとこが男どもの心をくすぐるんだよな。なぁ藤原。
「可愛いっすね」
「だろ」
彼女に聞こえないようにボソッと呟く。初めて意見が一致した気がした。だが、若者ウケは間違いない。役員の親父たちもイチコロと聞いたから、ある意味これで怖いものなしだ。
「――でも、私を起用すれば迷惑が」
大丈夫。その点もしっかりと稟議書の中に盛り込んだ。
「問題ありません。報道の件は新木から聞きました。グループ脱退の経緯は、弊社のイメージに影響ないと」
「どうして、ですか」
「報道そのものが、事実無根だからです」
ここに来て、元所属事務所のリリースが役に立った。報道した週刊誌もあれ以上のことは深掘りしていないのも大きい。だがまぁ、ドルオタ以外の民衆はそんなに興味があるわけでもないだろう。
なら何故、彼女のことを叩くのかと言われれば、単純に流れに乗ってるだけ。馬鹿な生き物だ。本当に。
「で、でも……」
「桃花さん。アンチは何をしても騒ぎます。ですが、我々はあなたの魅力を黙って捨て置くほど人間出来ていないのです」
こんなことを稟議書には書けなかったが、俺の本心であることには変わりない。それは隣にいる藤原もそうみたいだ。うんうんと頷いている。
「弊社は俗に言う中小企業です。大企業のような知名度も無ければ力もありません」
「……」
「ですから、桃花さんの力を借りたいのです。あなたには、人の目を惹きつける魅力がある」
藤原はこれを公私混同と言うだろうが、それでも良い。事実、目を留めてもらわなければ意味がない。展示会のブースに足を運んでもらうことこそ、俺たちに課せられた使命。その先は営業の仕事だ。
「もちろん人目に付くことで、色々と言われる可能性はあります。誹謗中傷される可能性だって、ゼロではありません」
「………はい」
追い討ちをかけるような藤原の説明に、力無く頷く彼女。おそらく、一番気にしているところだ。それさえなければ、今も俺の手の届かないところに居ただろう。
「ですが、弊社に出来ることはやるつもりです。当社としても、知名度のある方を招いた販促活動は初めてですが、誹謗中傷には毅然とした対応を取らせていただきます」
しかるべき対応をするのは当然だ。公式ホームページにもそのような文言を掲載するし、近年のネット中傷問題はひどい。ユーザー側も多少はわきまえるようになっているといいけど。
だが、うちの上層部にここまで言わせるのだ。彼女が持つ魅力は凄まじい。アイドルを辞めてしまったのが本当に惜しいぐらいに。
でも、密かに嬉しかった。稟議書を上程した時の役員の顔。中小の意地を見せてやろうと躍起になっていた。この会社で働いていて良かったと思ったよ。
「それに、弊社の商品を丁寧に扱ってくれていると新木から聞きました」
「それは……もちろんそうです」
藤原の追撃に彼女は少し驚いていた。あの日、二人きりで会った時のことを思い出しているのだろうか。そんなところまで俺が見ているとは思わなかっただろうか。
いずれにしても、そうやって悩む表情もすごく綺麗だと思った。
「――少しだけ、考えさせてください」
別に今すぐ結論を出して欲しいわけじゃない。俺たちもそのつもりで来た。「構いませんよ」と告げると、彼女はウチのメモ帳をちぎってつらつらと数字を羅列する。
「私の携帯番号です。またご連絡します」
「分かりました」
言いながら受け取る。めどは1週間と告げると、桃ちゃんは小さく頷いた。喫茶店を出て行く様子を眺めながら、ため息を吐いて椅子にもたれた。
「よかったっすね」
「なにがだよ」
手ごたえとしては半々だ。けれど藤原はお気楽にもそんなことを言ってくる。まだまだだな、なんて思っていた俺に彼は続けた。
「電話番号ゲットしたじゃないですか」
瞬間、心臓が止まったかと思った。全身が硬直して、固まっていた間の空気を取り戻すがごとく「ぶはぁ」と息を吐いた。
そうだ。これは桃ちゃんの、俺がずっと推していた彼女の電話番号、彼女の個人情報である。血液が沸騰していく感覚を覚えながら、愛想笑いにもならないニヤケ顔を後輩に見られてしまう。
「新木さんって分かりやすいですよね」
「うるせ。コーヒー代奢らないぞ」
藤原は「またまたぁ」と笑っている。脅しにもならなかったようだが、俺の煩悩を誤魔化すのには、丁度いい冗談であった。
☆ ★ ☆ ★
1週間が経とうとしている。今日は返答の日。早ければ早いに越したことはないが、気長に待てばいい――というわけにはいかないのが現実だ。
午前中には連絡が無いまま昼休みを迎えた。一応催促しようかと考えていた時、会社の携帯が鳴った。気が引けて登録していない番号が画面に表示される。そのままタバコ休憩するつもりだったから、喫煙室に入って通話ボタンを押した。
「もしもし、新木ですが」
つい仕事のトーンで話す。けれど、なぜか桃花愛未はクスクス笑っている。
『お疲れ様ですっ』
「あ、ありがとうございます……?」
なんだろう。よく分からない恥ずかしさがあった。先週バリバリの仕事モードで会っているというのに。二人きりというのがそうさせているのだろうか。
『今、一人ですか?』
「ええ。会社の喫煙室です」
『そうですかぁ』
それはそうと、早速本題に入りたいんだが――先に口を開いたのは彼女だった。
『普段はあんな雰囲気なんですね』
「まぁ……30越えたおっさんです」
『すごく素敵だと思いますよぉ』
ドキッとした。心臓を針で刺された感じだ。握手会の時に言われたのとは、次元が違う。言わせたわけじゃないから。
俺に気がある、わけではない。それは確実に言える。きっと握手会の癖が抜けないのだ。変な期待をするのはやめておこう。咳払いをして誤魔化した。
「――それで、ポスターの件。決まりましたか?」
問いかけると、彼女は何故かムスッとした。
『お仕事モードですかぁ?』
砂糖を直接口に入れたような甘い声だった。何を言っているのかよく分からんが。仕事に決まっているだろう。
「いや仕事ですから……」
『お昼休みじゃないのぉ?』
――嫌な予感がした。なんとなく。
タバコに火を付けようとしていた手を止めて、耳をすましてみる。
……うん。呑んでいるなコイツ。ぷはーっ、なんてCMみたいなリアクションすら聞こえる。隠す気もないのか。
「桃ちゃん。あなた――」
『へーきですぅ……なんでもないですぅ……』
俺が指摘する前に、彼女は否定する。伝わるようにため息を吐く。前にブログでも書いていた気がするな。酒が弱いのに飲むのは好きって。本当1回ぐらいしか言ってなかったから記憶から消えていたよ。
いやでも昼から呑むかね。仕事の返答をほったらかして泥酔するかね普通。社会人なら取引中止になってもおかしくない態度だぞ。
「……なんで呑んでいるんです?」
『んー……呑みたかったの』
「先に電話してからでいいでしょ? 分かる?」
『わかんなーい』
駄目だ。話にならん。今日が約束の期日だということすら分かっていない。だが電話してきたということは、分かっているのか? 頭がおかしくなりそうだ。
とにかく、盛大なため息を吐くしかなかった。今の彼女に正常な判断を求めるのは無理がある。酔った勢いで「やる」「やらない」を言われても、困るのは俺たちなのだ。
「酔いを覚ましてから連絡ください」
『切っちゃうの?』
「切ります」
『えへへ。意気地なし』
「なんでですか……」
俺としても、彼女は重要な取引先である。仕事モードで電話したら酔っ払いが出てきやがった。その時点で切ってしまいたいぐらいだったのに、ここまで相手をしていることを褒めて欲しい。
だけど……うん。正直に言うのなら、酔っている彼女はめちゃめちゃ可愛い。可愛い。可愛さの権化。俺だけに見せてくれる顔、って気がして何故かテンションが上がる。
ここでようやく、タバコに火を付けた。向こうが酒を飲んでいるのだ。これぐらいは良いだろうと開き直る。昼休みの喫煙室なのに、誰も入ってこないのが都合良かった。
「答えは決まりましたか?」
呆れつつ再度問いかけてみるが、ヘラヘラしてばかりで話が進まない。
『………分かんないの』
「はぁ……何がですか」
『あなたの心が。お酒飲んでも分かんない』
酔うと可愛いが、面倒なタイプらしい。
心が分かんないと言われても、そりゃそうだろう。俺だって平日の昼間から酒に溺れる君の心が分からない。
タバコの煙を吐くと、しゃっくりをする彼女の声が聞こえる。弱いのに飲み過ぎだ、と言うのは余計なお世話な気がした。
『ねぇ。どうして私なの?』
「何がさ?」
『他に可愛い子はいっぱい居るよ』
まるで駄々をこねる子どものようだ。
悩んでいるように見えて、そうではない。心の中では答えが決まっている。なのに、それを俺に言わせようとする。ずるい女であるが、何故だかひどく愛おしくすら思えた。
「居るかもしれませんね」
『む』
「冗談です。居ませんよ」
揶揄ってみると、分かりやすい反応をした。可笑しかった。ついクスクスと笑い返してしまう。
彼女がダメだったら、そもそもこの案は頓挫する。だから、彼女以外の有名人を起用することもないのだ。そう考えると、俺の言葉には嘘はないわけで。
吐いては消えていく、タバコの煙が虚しく見える。
「新木さんの企みは分かってるのっ! もう傷つきたくないのに」
それは本音であろう。彼女に限らず、傷つくのが怖くない人間は居ない。ベクトルは違えど、その気持ちはよく分かる。怒られるだけで胸が痛むのだ。言葉の刃は、人を殺すことが出来る。
でもその言葉は、彼女の心を映し出していた。丸裸の、彼女の心を。
「やってみたいんですよね」
『』
俺がそう言うと、彼女は言葉を探しているように思えた。必死になって、否定する言葉を酔った頭で考えている。
「自分に嘘をつくのは、辛いですよ」
『う、嘘はついてないもん』
「ふっ。そうですか」
『あーっ! いまバカにしたー!』
「ははっ。してないですよ」
酔うと幼児退行する彼女はおいておいて、やはり可愛いのには変わらない。怒らなきゃいけないのに、つい口元が緩んでしまう。今の俺はひどく気持ち悪い顔をしている気がした。鏡が無くて良かった。
タバコを押しつける。昼休みはまだ長い。このまま出ても良い。だけど、二人きりの会話を邪魔されたくない気持ちも僅かながらにあった。
「酔ってるあなたに決断は求めません」
『………怖いって言ったら笑う?』
「笑いません」
『どうして?』
「簡単ですよ」
心に傷を負ったことで、きっとトラウマになっているのだろう。それを取り除くことは出来ないけれど、背中を押すことは出来る。いや、俺はそうすることしか出来ない。
アルコールのせいで泣き出しそうになっている彼女のことを、俺はずっと見てきた。応援してきた。
「あなたのファンだからです」
だから、笑うわけがない。ファン対応が良い彼女が、アイドルを辞める決断をしたのにも相当な勇気がいったと思う。自身に汚名を着せてまで。
またその舞台に引き戻してしまう。それは承知の上だ。ただ一つ言えるのは、彼女はきっと悔いが残っている。このまま一般社会に溶け込んでしまうと、きっと。良くないことが起こりそうな気がした。
『――ばか。新木さんのばか』
「随分な言い様ですね」
『傷つくのは怖い。でも――』
彼女はそう言ったけど、明日朝イチで連絡し直すと告げた。酔っている人に正常な判断は出来ないから。
翌日、電話をかけると凄い勢いで謝られた。何を言ったのかすら覚えていないというが、どこか頭はスッキリしたと笑っていた。
紆余曲折あったが、桃花愛未のポスター起用が決まった。とんでもない嵐を巻き起こす、そういう予感は、割と当たるモノだ。
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