【2nd】コスモス(1)

 9月になった。まだまだ夏の終わりは見えそうにない。彩晴文具の社内は相変わらず冷房を入れて仕事をしている。都会の喧騒のど真ん中。10階建てのビル内にオフィスを構えているが、中小であることには変わりない。

 営業を5年、商品企画を3年、そして今は自社そのものを売り込む「販売促進部」2年目だ。この販売促進というのは営業と違い、自社アピールの意味合いが強い。製品の売り込みよりもハードルは低いと思っていた。要は、会社の知名度を上げることが仕事である。消費者というのは、地元の文房具屋で買ったモノについて、深く考えたりはしない。製造会社のことなんて知ろうともしないのだ。

 だから、とてつもなく奥が深くて難しい仕事である。好きの反対は無関心とはよく言うが、まさにその通りで興味の無い人間ほど引き込むのは難しい。

 それに、やることも多すぎる。外注先と内部の板挟みになることも多く、純粋に時間が足りない。だから残業も増える。早く異動したい。

 ――それで、週1の会議中なのだが。

 3ヶ月後の展示会に向けて、宣伝方法を提案し合っていた。俺たちの会社だけでなく、関東近辺のメーカー各社が集う年1回のイベント。まぁ恒例と言えば恒例だ。

「ポスターとかどうすか?」

 藤原ふじわらという後輩社員がだるそうに言った。入社3年目にしては随分堂々としているが、部署歴でいうと俺よりも上だ。別にどうでもいい。

 販売促進部は俺含めて15人。100人規模の会社にしては少し少ない。営業やら設計やら色んな部署があるせいで少数精鋭状態になっている。巷ではそれをブラックというらしいぞ。

「まぁそれが無難だよな。効果はあるのか知らんが」

 いやそれ一番気にしろよ。ついツッコミそうになったが、ガハハと笑う部長に苦笑いするしかなかった。

 今の時代、やはりSNSだろう。誰かが言うと、周りもそれに賛同した。ポスターと言い出した藤原までもだ。大して考えもしてなかった証拠だろう。3年目にしては適当だな。本当。

「でも、本当に効果ありますかね」

「なんだ新木。若者にはついていけないか?」

「まだ32です、部長」

 身なりを気にしていたのは営業職だった時だけ。あとは基本的に内勤だから、パソコンと睨めっこする機会が急増した。おかげで視力も落ちたし、目つきも悪くなった気がする。

 髪も短くはしているが、前みたく頻繁に切ることもなくなった。そのせいで「老けたね」なんて言われることも多い。

「新木さん、SNSでバズらせるのが一番早いっすよ」

「どうやって?」

「それをみんなで考えるんです!」

 それが出来たら苦労せんわ。この脳筋め。

 第一、体育大学卒業の藤原が何でここに居るのかが分からない。配属するなら営業だろ。足を使わせろ足を。ウチの上層部は何を考えているんだか。

「だけど、新木君の言うことも一理ある。今の時代、SNSを使う企業も多いし。そんなヒットすることも無いでしょう」

 そう言うのは、2個上の山崎やまざきさん。歳のわりにボブヘアがよく似合う。冷静に物事を見ることができる頼りになる先輩だ。この部署での勤務も長い。笑うしか能の無い部長に代わって、俺たちのブレインであった。

「企業色が強くなりすぎると広告と判断されて非表示にされかねない」

「実際、広告じゃないですか」

 それを言うな藤原。

「いや、ま、そうなんだけど。要するに、使うなら長期的にやらないと、ウチらみたいな会社は3ヶ月そこらじゃ浸透しない」

 気軽に出来るが故に、下手に手を出すと大失敗してしまう。それがSNSという存在だ。個人でやる分には良いが、会社の看板を背負っているのなら、慎重に考えないといけない。

「となると、やっぱりポスターかしら」

「でも去年もそうだったな」

「中身を変えれば良いんですよ」

 そう。結局ここに戻ってきてしまう。

 会社の土壌的に、時代の最先端を追ってきたわけじゃない。デジタル・トランスフォーメーション、いわゆるDXが叫ばれている中で、今もこうして出社して、集まって会議をするような会社なのだ。SNSがどうとか分かるはずもない。

「中身を変えるって言ってもなぁ」

 部長が言葉を漏らしたが、それはここに居る全員の意見である。

 ポスターを作るなら、広告代理店に依頼することになるだろう。そこで希望を伝えて先方にデザインをしてもらうのだが、その希望が無いと抽象的になりすぎる。プロに任せるのが一番であるのは分かっているが、最低限のアイデアは必要だろう。

「――有名人を起用するとか」

 山崎さんが言う。目を引くのは確かだ。だが、問題はある。

「予算があるのを忘れるなよ。有名人なんて呼べばここに居る全員の給料が無くなる」

「部長が肩代わりすればいいじゃないですか」

「それで賄えるといいけどな」

 切なくなるから、そんなことを言わないで欲しい。会社と社員に挟まれた立場は大変だと思う。だからと言って笑ってばかり居るのもどうかと思います。はい。

 予算という存在は、どこの企業にも共通する。宣伝のためなら好き勝手出来るというわけでもない。お金をかけた分だけ、それに見合った利益を出さなければ会社は成り立たない。

 投資の額に対して、利益を高く出すのが一番良い。費用対効果、いわゆるコストパフォーマンスが良い手段を模索する会議でもあった。

 その点でいくと、有名人のポスター起用はリスクがある。まずはギャラ。そして広告代理店への依頼、印刷費用、撮影代なども含めると、結構な投資になる。

 そもそも、誰もが知る有名人がウチらみたいな中小企業のポスターを飾ってくれる画が浮かばない。よくて、その辺の小さな事務所に所属しているモデルだろう。

 安いギャラでポスターのメインを飾ってくれる有名人なんて探しても――。

「どうした新木。固まって」

「あ、あぁいえ……」

 。彼女が今何をしているのかは知らないが、フリーランスであるなら、もしかして。安く引き受けてくれるのではないか。

 いやでもなぁ……。変なレッテルを貼られた人間を起用するのもそれこそリスクがある。しかもその相手が俺なわけだし。いくら事務所側が否定したとしても、報道の事実を蒸し返すことにもなるだろう。そうなれば、身バレの可能性だってあり得る。

「良い案でもあるの?」

 山崎さんはひどく察しが良い。俺が言いづらいと思ったらしく、そんな時はいつも助け舟を出してくれる。だけど、今だけは良い迷惑だった。

 ここで「無い」と言えば話は振り出しに戻る。行っては帰ってきての繰り返しで、永遠にゴール出来ないスゴロクをしているみたいだ。人はこうして思考を止めるのだ。虚しいことに、大事な時に限って。

「まぁ……無いこともないですけど」

 見切り発車とはこのことだ。良い案でも何でもない。ただの思いつき。それをさぞ思いついたかのように言ってみただけであったが、思いのほか同僚の食いつきがよかった。


☆ ★ ☆ ★




『部長、実は――』

 社会人になって最初に学んだ「報連相」をこんな形で発揮しなきゃいけないなんて。どうせ通らないだろうと思っていただけに衝撃だ。

 会議が終わった後、部長だけには報道のことを伝えた。そして、その写真に写っていたのが自分であることも。すると彼は、その日一番笑って見せた。

『めちゃくちゃ面白いな。今年一番笑った』

 笑い事ではないと思ったが、説教されるよりは100倍良い。本当に熱愛があったわけじゃないし、事務所側も否定しているのだ。一応、事態は落ち着いている事を伝えた。彼もそれは理解したようで『気にしないでいいんじゃない?』と言ってくれた。

「にしても、本当にアポ取れたんすね」

「俺の連絡網を舐めるなよ? 藤原」

 結論から言うと、桃花愛未を起用する方針で纏まった。販売促進部で稟議書を作成して、各部署の承認を得た後、取締役会で起用が認められた。

 無論、これはあくまでも社内だけの話。「起用しても良いですよ」と公認されただけだ。肝心の本人との交渉は、立案者である俺と、付き添いの藤原に託された。

 普通に考えて、炎上商法だと誤解されると思った。だから本気にしていなかったんだが。役員の親父たちがメロメロらしい。そんなんで良いのかよこの会社。

「――にしてもよく通りましたね。あの稟議書」

「作った本人の前で言うか?」

 良い加減な稟議書なら、真面目な内容でも普通にケチが付く。だからそれなりに力を入れなきゃいけないんだが、今回は中々にしんどかった。

 熱愛疑惑が直接的な原因じゃないにしても、グループ脱退の経緯は人によってはマイナス印象がある。それを減点と受け取られない理由を探すのに困ったのだ。

 ただ、俺は彼女がウチのユーザーであることを知っていた。二度もその場面に遭遇していれば、十分に稟議書へ盛り込めた。信頼性の担保も重要だった。彼女のブログ等で写真に文具が写り込んだこと、俺が偶然彼女の買い物に遭遇した事実も添えて。製品を大切に扱ってくれていると知った彼らは、案の定上機嫌だったという。

 ――で、とある喫茶店に俺たちは居た。

 どうやって彼女を呼び出したかというと。あの日居合わせた仲埜さんにダメ元で当たってみたのだ。桃ちゃんの裏アカであるブルーローズにメッセージを送ることも考えた。むしろそうするのが一番早いと思ったが、ビジネスの世界、どこでそのつながりが生きてくるか分からない。それに、仲埜さんと彼女は純粋に仲が良い。ナカノ書房で一度見ただけとはいえ、桃ちゃんにとって仲埜さんは味方のはずだ。今の彼女には背中を押してくれる人が多いに越したことはない。

 俺の予感は的中。仲埜さんが丁寧に説明してくれたようでスムーズに事が進んだ。

「でも本当に来るんですかね」

「待つのが嫌なら帰っていいぞ」

「新木さーんー。そんなこと言わないでくださいよぉー」

 それより、なんでよりによってコイツなんだよ。体育会系とは思えない生ぬるい声が腹立つ。頼んだばかりのホットコーヒーも一瞬で冷めてしまいそうなほど。

 部長いわく「良い経験になるから」とのことだったが、別の機会にして欲しい。ここは山崎さんのような頼れる先輩に同行して欲しかった。

「そもそも、新木さんはファンなんですよね? 公私混同じゃないんですか?」

「仕事なんて私のためだから良いんだよ」

「随分乱暴な考え方っすね……」

「引くな。悲しくなる」

 いつも使う喫茶店であったが、待ち合わせには良い場所だ。幸い、俺たち以外に客は居ないし。モダンな雰囲気が純喫茶を思わせる。実際そうなのかは考えたこともない。

 コーヒーの苦味が口に広がっていく。タバコを吸いたくなる感情をグッと堪える。イマドキ珍しい全席喫煙可能という神のような世界。タバコを吸っているタイミングで彼女が入ってきたら最悪だ。印象も悪い。

 二人並んで待っているもんだから、まるで合コンでもするように見える。恥ずかしいから早く来て欲しいのが本音だ。約束の時間まであと5分を切った時、店のドアが開いた。一人の女性。確信した。

「こちらです!」

 手を挙げて促す。藤原が少し驚いていたが、彼女は俺の言葉に従うようにやって来た。俺たちの席の前に立って、それこそ困惑の顔をしている。

 黒のバケットハットに眼鏡を掛けているが、確かに桃ちゃんだ。久々に会えた喜びで頭がクラクラする。社会人の皮を被るが、全身を覆い切れていない気がした。

「お忙しい中、本当にありがとうございます。彩晴文具・販売促進部の新木と申します。こちらは同僚の藤原です」

「よろしくお願いいたします」

 二人で名刺を彼女に手渡す。藤原が砕けすぎた態度にならないか心配していたが、どうやら顧客へのマナーは身につけているらしい。一安心だ。

 立ち話も何だから、と座るよう促す。彼女が椅子に腰掛けるのを見て俺たちも腰を落とした。マスターにコーヒーを1杯お願いして、一つ咳払いをする。

「今日は来てくださりありがとうございます」

「いえ……」

 仲埜さんを通して、簡単に用件を伝えただけだ。

 俺だけじゃなく、もう一人社員が居たことに困惑しているようだった。

「良い天気で良かったです。雨の中来ていただくのは大変でしょうから」

 藤原、導入としては良い線だ。やはりお前は営業に行くべきだ。早く俺たちの部署から消えてくれ。これは出て行けというわけじゃない。背中を押しているだけだ。

「……雨は好きなんです。ちゃぷちゃぷと鳴る足音が心地良くて」

「趣があって良いですよね」

 いや、俺は藤原が趣という言葉を知っていた事実に驚いている。

 だがまぁ、それはおいておいて。藤原を連れてきて良かったと初めて思った。部長の言う「良い経験」にはなったのではなかろうか。

「――。本題なんですが」

 幸い、俺たち以外に客は居ない。マスターとは顔馴染みだし、誰かに漏らすようなことはしないと約束してくれた。ありがたい。

「弊社では、3ヶ月後の展示会に向けてポスター制作を計画しております」

「……はい」

「そこで、あなたにモデルをお願いしたいのです」

 現在の彼女は、どこにも所属していないフリーランス。言い換えれば無職である。脱退してからの経緯は聞いていないが、事務所等を介さず済むのは俺たちからすれば都合が良い。

 それは予算的な意味でもそうだが、何より本人の意志で決まること。裏方に操られることなく、やりたいかやりたくないかを判断基準にしてもらえる。これはファンであった俺個人の願いでもあった。

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