第一話 親ガチャ

 死んだら転生して赤ん坊になっていた。


 文字に起こしたらたった十八文字にしかならないが、俺はこの世にも奇妙な現象を体験し、しばらく呆然としていた。

 子宮ってあんな感触なんだ……。

 女のおまん……あそこってあんなに広がるのか……。

 前世では彼女いない歴イコール年齢だったため、女体の神秘に頭が埋め尽くされていた。

 年を取ってから忘れていたが、そういえば俺も男だ。そういうことに興味がないはずがない。

 いやいや、今はそんなことを考えている場合じゃない。

 俺はいったいどうなってしまったのか、それが重要だ。

 しかし、周囲はそんな俺を放っておいてはくれない。何せ、産湯から上がったばかりなのだから。

 足首に何かを取り付けられた。これはネームバンドか?

 ぐあっ、いきなり目に液体をかけられた!

 おい、生まれたばかりの赤子に何をする。

 数々の奇妙な体験を通して混乱する俺は助産師と思しき女性に抱きかかえられた。そして、すぐさま別の女性に渡される。

 看護師に介助されていた時と比べて俺はずいぶんと持ち運びしやすい体になってしまったようだ。

「ほーら、お母さんに抱っこしてもらおうね」

「あぁ……ようやく会えましたね。私の坊や」

 赤ん坊の視力だからか、母親と思しき女性の顔が良く見えない。

 でも、何だろう、これが母親の包容力というのだろうか、この女性に抱かれているとすごく安心してきてばぶぅ。

 ………はっ

 いかんいかん、前世の辛い思い出をすべて忘れて、記憶をリセットしかけていた。

 理由は分からないが前世の記憶を持ったまま人生をやり直せる機会が訪れたのだ、このチャンスを逃すわけにはいかない。

 新しい人生では絶対に熱中できる何かを見つけたい。そのためにも、赤ん坊のころから積極的に動かなければ。

 広告につられて読んだ転生漫画には知識チートというものがあった。

 前世の知識を使って子供の頃から天才と称されるのだ。もしもそこが異世界なら、日本の進んだ技術を利用して発明したりもする。

 とはいえ、ここが異世界という可能性は限りなく低い。というか、おそらく日本だろう。

 さっきから聞こえてくる声がすべて日本語で、このしっかり設備が整った白い部屋は病院に違いない。

 つまり俺は、日本に生まれなおしたのだ。

 母親から引き離された俺は、あれよあれよという間に新生児室へ運ばれた。

 コットン100%のベビー服を着せられ、たくさんの先輩方と共同生活を送る。

 先輩方は俺より数日早く生まれたというのに、泣きわめくばかりで自分の意志を伝えようともしない。その点、俺は一切泣かないので手間がかからないいい子だ。

「吉田さん、この子ぜんぜん泣かないんですよ。大丈夫ですかね」

「そういう子もたまにいるさね。ほら、そんなことよりお着替えお着替え」

 全く泣かないのも心配をかけるらしい。

 母親が来たらたまには泣いてみた方がいいのか?

 

 新生児室での生活は思っていた以上に忙しなかった。

 体重や身長を測られたり、肛門に体温計をぶっ刺されたり、頭囲や胸囲を測られたり、心音や心拍を確認されたり、医者に体の隅々まで診察されたり。

 前世で入院していた頃よりもいろいろな項目を確認された気がする。

 そんな四日間を経て、ついに俺は母親と共に退院することとなった。

「さぁ、一緒にお家へ帰りましょう」

 とても幸せそうにこちらをのぞき込む母親。

 とりあえず家族サービスとして笑顔を向けてみよう。

 ……だめだ、ぜんぜん表情筋が仕事をしない。全身の筋肉がそうなのだが、思うように動けないのだ。赤子なのだから当然か。

 そんな赤子の小さな変化も、母親は見逃さないらしい。

「あら、今この子笑いました。お父さんに会えると分かって喜んでいるのかしら」

 そう、ずっと疑問だったことがある。

 俺が生まれてから一度も父親に会っていないのだ。

 俺はずっと新生児室にいたし、寝ている間に来たのかもしれないが、我が子が生まれたなら真っ先に駆け付けるものではないのだろうか。

 母親の退院日にも迎えに来ず、ずいぶんと薄情な父親だと思う。

「お父さんはね、私たちのためにお仕事を一生懸命頑張っているのです。ぶっきらぼうだけど優しい人なのよ」

 はぁ、仕事人間なのかね。

 だからといって、こんなに綺麗な奥さんと生まれたばかりの赤ん坊を放って仕事を優先するとはどういうことか。

 童貞のまま死んだ俺には全く気持ちが理解できない。

 バスと徒歩でたどり着いた先にあったのは、歴史を感じる趣深い家……といえば聞こえはいいが、端的に言ってボロい。

 築百年は超えているのではないだろうか。

 平屋建ての日本家屋で、敷地だけは結構広い。

 しかし、庭の手入れが行き届いておらず、自然の奔放さに負けてしまっているようだ。建物も応急修理した跡が目立ち、俺の生まれた家が現在どんな状況にあるのか嫌でも分かってしまった。

「ここが今日からあなたの住む家ですよ」

「ぁぅ(不安しかないんですけど)」

 美人なお母様を見た時、今世の俺は富裕層の家に生まれたのかと思った。

 だから、前世より貧しそうな家を見て余計に失望してしまった。

 お金がないということはいろいろと制約が生まれてしまうということ。新しいことやお金のかかるジャンルに挑戦できないということだ。親の経済状況は子の育成環境に大きくかかわってくるのだから。

「お父さんはまだ帰ってきていませんね。先に寝室へ行きましょうか」

 外側はみすぼらしい家だが、内側は思っていたよりも綺麗だった。

 玄関回りや廊下など、汚れやすい場所にもほとんどゴミが落ちていなかった。

 間違いなく母親が頑張っているおかげだろう。

 内装は完全に古き良き日本家屋で、多くの部屋において障子と畳が現役で仕事している。

「ここで良い子にしていてくださいね。お母さんは荷物を片付けてきますから」

 奥まったところにある寝室と思しき部屋で俺は寝かせられた。

 一人になったことで改めて現状を整理できる。

「うぅぅぅ(思った以上に大きい家だ。税金高そうだな)」

 外観から想像した限りでは没落した名家といったところだった。

 昔は権勢を誇っていたが、時代の波に呑まれてしまった感じである。

 だが、曲がりなりにも名家であった頃の建物を維持できているということは、それくらいの稼ぎはあるのかもしれない。

「うぅぁぁ(なら、これから俺がすべきことは将来に向けて特訓することだな)」

 憂いが消えたことで、俺は早速行動に移すことにした。

 もちろん、その目的は何かの道で有名人になること。

 その道はまだ見つかっていないが、何をするにも体は資本である。あの時少し読んだ漫画にも幼少期からの努力で周りと差をつけるような展開があった。

 満足に動かない体を意識して動かし、少しでも成長できるように頑張り───いつのまにか寝ていた。

「ぇぇぅ(い、いつの間に俺は寝ていたんだ。赤ん坊の身体はこんなにも貧弱だったのか)」

 赤ん坊は一日の大半を寝て過ごす。

 知識としては知っていたが、こんなに眠くなるとは思わなかった。

 半開きになった口を閉じ、大人としてなんとか威厳を取り戻す。

 そういえば母親はどこにいるのかとあたりを見まわそうとして、ぜんぜん首が動かないことを思い出した。

「ぁぁぁぁ(不便だ。運動とか言って全然動けないし。意味があるのかこれは。おや、あれはなんだ?)」

 目と首を最大限動かすと、辛うじて天井以外のものが見えた。

 それは畳の上をノロノロ動いている。現在部屋の中にいるのは自分だけのはず。

 つまり、あれは……。

「おんぎゃぁぁぁ(ネズミか?! ゴキブリか?! おい父親、赤ん坊が過ごす部屋の管理くらいしっかりしろ!)」

 赤ん坊である俺は無力だ。

 害虫を退治することも、害獣を外へ追い出すことも出来ない。

 そのうえ、赤ん坊は免疫力がとんでもなく低いと聞く。大人にとっては大したことのない病原菌も、赤ん坊にとっては致命的なものになりかねない。

 こうなったらもう仕方がない。恥も外聞も捨てて、母親に助けてもらおう。

「はーいお母さんが来ましたよ。もう起きてたのね。お腹でも空いたのかしら」

 盛大に泣きわめいた結果、エプロンで手を拭きながら母親が駆けつけてくれた。

 助かる、早くあの危険生物を排除してください!

 俺が必死の身振り手振りで伝えようとするも、母親は分かってくれなかった。

 いや、その大きなおっぱいはいつ見ても魅力的ですが、そういうことじゃなくて。

「お腹が空いたわけじゃないのですか? おむつも……大丈夫そう。どうしたのですか、お母さんがいなくて寂しかったのですか~」

 そう言ってあやすように俺を上下に揺らす母親。

 ダメだ、ぜんぜん伝わってない。回転しながらあやそうとする母親の位置取りによって、たまたま先ほど危険生物を見つけた向きに視線が通った。

「うぎゃぁ!(いる!やっぱりいる! なんか変なの居る!)」

「どうしたの、ご機嫌斜めですね。子育ては難しいわ」

 いや、ようやく危険生物の姿が見えたけど、あれ、そもそも生物なのか?!

 なんか半透明に透けてるんですけど?!

 それはもの〇け姫に出てくる森の精霊のような、デフォルメされたマスコットのような、輪郭が曖昧な人ならざるものだった。

 ヒトどころか既存の生物ですらない。

 あれは……なんだ? 幽霊? 精霊?

「よ~しよし、怖いものなんてありませんよ。お母さんがここにいますからね」

「ぁぅ(あれに気づいてない? そもそも見えていないのか?)」

 どう考えてもあんな不思議生物が部屋の中に居たら気づく。

 しかし、母親は全く気付いた様子がない。

 もしかしたらあれは、赤子にしか見えない類のあやかしとか、そういうものなのではないだろうか。

 赤ん坊は大人には見えない世界が見えているという話はよく聞く。イマジナリーフレンドとかいう存在も、実はこいつらのことなのでは?

 俺が未知の体験に困惑していると、泣き声を上げなくなったからか布団の上に戻されてしまった。

「お母さんは家事をしなければなりません。すぐ近くにいるから大丈夫ですよ。良い子で待っていてくださいね」

 いや、いや、え、ちょっと、こいつと一緒に居て大丈夫なの俺?

 転生して早々不思議生物に殺されたりしない?

 不安に囚われた俺を置いて、頼りの母親は部屋から出て行ってしまった。

 家事をしてくれているのだから仕方ないとはいえ、かなり怖い状況で放置されてしまったことに……。

「あぅ(見えない)」

 あの不思議生物はゆっくり移動しているらしく、俺の位置からは見えなくなっていた。

 しばらく周囲を警戒していたが、やがて泣き疲れたせいか再び眠気が襲う。

 うぅ……大丈夫だよな。日本で一度は大人まで成長したんだし、俺も忘れているだけで、赤ん坊の頃にあの不思議生物と微笑ましい交流をしていたのかもしれない。

 話してみれば意外といい奴だったりして。

 そんな俺の予想は、口の中に感じた違和感によって否定された。

「あぎゃぁ(ナニコレ?! 何か、何かが口の中に!)」

 夢も見ないような深い眠りが一瞬で覚醒に導かれた。

 その原因は生まれてこの方一度も経験したことのない異物によるものだった。

 柔らかいような、固いような、そもそも固形物とも液体とも違うふわっとした何かが口内に感じられた。

 まだ歯も生えそろっていない口を必死に動かし、その異物を吐き出そうとするが、必要な筋肉がまだ発達していないのか、反射的におっぱいを吸う動きになってしまう。

 くそう、吐き出したいのに内側に取り込む動きしか出来ねぇ!

「ああああああ!(入っちゃう、入っちゃうよ~)」

 気味の悪い食感に身体が拒絶反応を示す。

 しかし、既にその異物は喉の奥まで入っており、どうしようもないところまで侵入されてしまった。

 そして、この段階に至ってこの異物の正体に気が付いた。

 これは、さっき見つけた不思議生物であると。

 あいつが半開きになった俺の口の中に入ったのだと、そんな確信があった。

「あぶぅ(これ、消化できるの? 俺の身体大丈夫?!)」

 再び泣き出した俺の声が届いたのだろう、母親がこちらへ向かってくる足音が聞こえてくる。

「そろそろご飯の時間ですね。はい、おっぱいですよ」

 いや、今はそんなことしてる場合じゃ───あぁ、悲しきかな授乳は本能で支配されているのです。口が勝手にピクピク動いて母乳を吸っちゃう。

 これって、さっき飲み込んだ不思議生物と母乳のちゃんぽんですよね。

 転生してから俺の人生どうなってんの?!

 母乳を吸いながら白目になっているだろう俺は、腹の中で暴れている不思議生物の存在を感じていた。

 物理的に胃の中を殴られているわけではない。

 なんというか、じわじわこちらを侵食してくるような、そんな感じがするのだ。

 やっぱり、身体を乗っ取る形のあやかしだったのかもしれない。

 負けて堪るかぁ! せっかく転生という二度目のチャンスを手に入れたのだ、生まれて早々死ぬなんて認めん!

 赤ん坊ながら全力で浸食に抗ってみる。とはいえ、霊的な力を操ったりできないので、ただただ気合いを入れてみた。

「うふふ、そんなに必死に吸って、よほどお腹が空いていたのですね」

 お母様、ご迷惑をおかけしております。決して巨乳に吸い付きたいわけではないのです。

 母乳で栄養補給しようと体が勝手に……。

 ものすごく長い間戦っていたような気がするが、それは錯覚だったのだろう。

 気合いを入れて抵抗していた強い浸食がいつしか弱まり、お腹の中の違和感がなくなってきた。

 同じタイミングで授乳が終わったと判断したのだろう、お母様が俺の背中を叩く。

「けぷ」

 口から可愛らしいげっぷが出てきた。

 これにて消化完了。

 あの異物も母乳と共に消化できた気がする。

「お腹もいっぱいになったし、横になりましょうね。そういえば吐いて窒息するから注意、でしたっけ」

 お母様が俺の隣で横になり、あやしてくれる。

 正直、大人の精神を持つ俺はこういう赤ん坊扱いが気に入らなかった。というか、受け入れがたかった。

 しかし、先ほどの戦いを通して実感した。母親は、母乳は、偉大なのだと。

 母乳で摂取したエネルギーは間違いなく不思議生物討伐に役立った。あの力がなければ不思議生物に身体を乗っ取られていたかもしれない。

 どこか他人の様な気がしていた母親に対して、俺は家族の愛情を感じていた。これはもう、お母様と呼ぶほかあるまいて。

「おやすみなさい、私の坊や」

 愛情にあふれた言葉をかけ、その場をそっと後にするお母様。

 俺は襖の閉まる音と共に目を開けた。

 ちょっとだけ眠気を感じているが、それよりも気になることがあって眠れなかった。

「ぁぁ(なにこれ、このゾワゾワする感覚なに?)」

 小さな体の中を、前世で感じたことのない不思議な感覚が駆け巡る。

 心臓が一番強く、血液と共に全身を巡るように流れている。

 間違いない、これはあの不思議生物を取り込んだことで手に入れたんだ。

 これがいったい何を意味しているのかは分からないが、悪いものではないという確信だけはあった。このゾワゾワが体を巡る度に活力が湧くような、そんな感じがする。

「えぇう(結局、あいつは何だったんだ? って、またいるぅ!)」

 ようやく不思議生物が部屋からいなくなったと安心したら、再び俺の布団の脇にあいつがいた。よくよく見てみれば少しだけ形が違う。目や口と思しき形が違うし、手足が随分とアンバランスだ。

 なんとなくだが、さっきのやつより弱そうな気がする。

「あぅ(これって、天丼というやつか。また眠くなってきたんだけど、あいつどう考えても俺の口に入ってくるつもりだよな!)」

 前世の死に際は歳を取り、病に倒れて感情の起伏も小さくなっていた。

 それが生まれ変わってから驚きの連続だ。本当に新しい体になったのだなと、変なところで実感が湧いてきた。

「あぎゃぁぁぁ」

 いつのまにか寝ていた。口に入られた。呑みこんじゃった。

 お母様、ヘルプミーーー!

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