プロローグ
俺は、何者かになりたかった。
小説家、音楽家、芸能人、野球選手、どんなものでもなんでも良い。
ただ、それらの道のプロ、一芸に秀でた有名人になってみたかった。
だが悲しいことに、俺には目指したい道を見つけることは出来なかった。
熱意がなければその道で大成することは出来ない。実際、俺はどれにも熱中することができず、成長の壁にぶつかるたびに楽な方へ逃げてしまった。
それならそれでやりようはあったはずだ。
今にして思えば、もっといろいろなジャンルにチャレンジするべきだったのだろう。自分が興味を持てる道を見つけられるように。
しかし、俺は積極的に未知へ突っ込んでいけるようなアクティブな人間ではないのだ。
人生を捧げたいと思えるような、何かを見つけたかった。
残念ながら現実はそんな夢物語のようには出来ていない。
日々を生きていくのに精いっぱいで、お金を稼ぐために寿命をすり減らして、気が付いたらたくさんの可能性が潰えていた。
もう、この歳で何かを始めて有名人になることは難しい。
一人寂しく病院のベッドで寝ている俺には初めの一歩を踏み出す力さえ残っておらず、唯一の暇つぶしとしてPCの画面を眺めることくらいしかできない。
「異世界転生か……はは……」
漫画の広告に書かれているその文字を見て俺は力なく笑う。
そんなものがあるのなら、次はもっとアクティブに動こう。
新しいことに挑戦しよう。何も恐れない強い心を持とう。振られたって良い、可愛い女の子に告白してみようじゃないか。やらない後悔よりやって後悔、上等だ。
文字通り、死んで出直せるというのだから。
まぁ、そんなことが現実に起こるはずがない。
末期がんという死の宣告を受けた俺は、既に死神の鎌を首に添えられているのだから。
俺は諦めと共に、何者にもなれなかった臆病者として、人生に幕を下ろした。
◇◇◇
そんなことが現実に起こったなら、俺は頑張れる。そう言ったよな。
なら、これはその第一歩だ。
俺は今、人生の岐路に立っている。正確には赤ちゃん用の布団に仰向けで寝転がっているのだが。
「ぇぁ」
言葉にならない声で気合いを入れた俺は、口元によじ登る小さな人型を意識する。
そいつは乳幼児である俺の顔と比較しても遥かに小さい半透明な未知の生物だ。
前世では一度も見たことのない不思議生物だし、正直この世界が本当に日本なのかも分かっていない。こいつを積極的に取り込んで本当に良いのか、もしかしたら体を乗っ取られたりするんじゃないのか、そんな不安がよぎる。
しかし、俺は一度死んだ身。
安全策をとって長生きしても、どうせ何者にもなれず凡夫として死んでしまうに違いない。
それくらいなら、直感でしかないが僅かな可能性に期待して、大博打を打ってやろうじゃないか。
「ぇぁぁぁぅ(やらない後悔よりやって後悔する方がいい)」
覚悟を決めた俺は口を出来る限り大きく開いた。
すると、口元によじ登っていた半透明の人型が突如現れた大穴の中へ入り込んでくる。
「ぅっぇぁぅ(喰ってやる)」
転生して乳幼児となった俺より遥かに小さいそれは、これまで俺の口へ入り込もうとした不思議生物の中で最も大きい。つまり、こいつを喰えば俺の仮説が証明されるだろう。
物理的な感触はないが、何か異物が口の中に入った気がする。それを歯のない口で噛み潰し、飲み込むよう努める。少しでも安全に自分の身体へ取り込むため、異物を無力化しなければ。
傍から見れば口をもごもごさせる赤ん坊がいるようにしか見えまい。しかし、俺は今戦っているのだ。この意味不明な生物との生存競争、そして、凡夫として終わる恐怖と。
──妖怪のなりそこないを喰えば陰陽師として力を得られるかもしれない。
そんな、非現実的な夢物語の如き可能性に向かって、俺は一歩踏み出した。
かつて夢見た何者かに───世界最強の陰陽師となるために。