第1話「じつは父親が再婚することになりまして……」(1)
あれは、七月に入って間もなくのころだった。
その日、俺と
「今日、駅で外国人に話しかけられたんだ」
また始まったか、と内心でため息をついた。
親父と食事をとりながら話す内容なんて大概どうでもいいことばかり。
ただ、最初から無視するのも気の毒なので、「それでどうした?」と、ちょっとだけ耳を傾けておいた。最低限の親孝行のつもりで。
「俺じゃあ手に負えそうになかったから駅員さんのところに連れてったよ」
「へ〜、それは
「やっぱり英会話教室に通った方がいいかな?」
「たぶんムダ金になるだろうからやめておけ」
親父が仕事帰りに買ってきた
「
「だろ? ──それで、父さん再婚したいんだけど、いいかな?」
「へ〜、再婚ねぇ〜……──ゲホッゲホッ!?」
俺は盛大にむせかえり、慌てて麦茶を口に運んだ。
「──さ、再婚!? はぁっ!?」
「ははははは、いい反応をするなぁ」
「いやいや、流れ流れ! 会話の流れを考えろよ親父!」
第一に、「それで」の使い方が間違っている。第二に、再婚なんて言葉は駅で外国人どうのこうのの話の流れにまかせて言っていいはずがない。
本来ならもっとテンプレ的なやつがあるはず。ほら、「
なおも悪びれもせずけらけらと笑う親父を
俺はたまにこの親父がよくわからないときがある。
今がまさにそれ。
今日のはまだ序の口だが、この親父ときたら年に一度は必ずなにか大きなことをやらかす。
「親父、ちゃんと説明しろ。再婚するってどういうことだ? 本気か?」
「真面目な話、父さんは再婚しようと思ってるんだが、涼太はどう思う?」
「へ〜……。──それって再婚願望?」
「いや、相手はもういるんだ」
「……今日は俺の誕生日でもないのにどういうドッキリ?」
「いやいや、だからドッキリじゃないって」
「あのさ、オオカミ少年の
だからあの女に──と喉元まで出かかった。
離婚の原因は知っている。
オオカミ少年はあの女のほうだった。
親父とそのことについて話したことは一度もない。
今までその話題に触れずに過ごしてきたのだが、よりによってまさか再婚話がここで持ち上がるとは思いもよらなかった。
「父さん、お前にドッキリは何度も仕掛けてきたが噓をついたことは一度もないぞ?」
「いやいや、やることなすこと
「相手は撮影の現場で知り合った人で
親父はよほど再婚相手の容姿を自慢したいらしい。にやつく顔がひたすらうざい。
それよりもまず、よく懲りずに再婚なんてできるものだと呆れる。
「へ〜……。まあいいんじゃないか? で、その人とは付き合ってどれくらいなの?」
「もうかれこれ二年になるなー」
「二年!? いや、再婚よりそっちのほうが驚きだ! 俺に隠れて二年もその人と付き合ってたのかよ!?」
「まあほら、お前、鈍感だし」
「その言い方うぜぇ……。──それで、写真とか持ってないの?」
「それは顔合わせまでのお楽しみだな。あんまり
「出さねぇよ……」
親父はがはははと豪快に笑い、卓上のカレンダーを指差した。
「顔合わせは来週の土曜だ」
「それはまた随分と急な話だな……。今週中に髪切りに行かないと」
「それとお前にもう一つ朗報がある。ふっふっふー……」
「……なんだよ? もったいぶらずに教えろよ?」
すると親父は少し
「なんとお前に兄妹ができるんだ」
「きょ……兄弟!?」
──おわかりいただけただろうか?
俺と親父の認識はこのときもうすでにずれていた。
筆談だったら起こり得ないような同音異義的に発生した認識のずれ。
そう。
俺はてっきり男兄弟ができるものだと勘違いしてしまったのだ。
一人っ子で育った俺は、以前から兄弟というものにちょっとばかり憧れを抱いていた。
そのせいもあって、『きょうだい』というワードに過剰反応。
結果、すっかり舞い上がってしまい、そして──
「お前の一つ下で高一だから、お前が兄貴になるな〜」
「やった! ナイス再婚だぜ親父!」
「あそう? じゃあいいんだな? 本当に再婚しちゃうけど?」
「もちろんだ! 兄弟かぁ〜……楽しみだなぁー!」
──このとき重大な見落としがあったことに気付かなかったのだ。
もしここで親父が「妹だ」と言ってくれていたら……いや、恨み言はよそう。
もしここで俺が弟か妹かを
まあ、『きょうだい』ができるかできないかは関係なく、親父の再婚には口を出さないつもりではいたのだが。
* * *
補足しておくと、リアルな兄弟関係は面倒臭いという認識はそれなりにある。
特に兄弟同士の年齢が近いと、弟は兄を同列に見て育つため、兄が持っているものはなんでも欲しがる傾向にあるそうだ。
さらに、弟は兄に負けられないというプレッシャーで勝負事や順番にこだわるらしい。これが兄弟
歴史的に見ても、兄弟同士の骨肉の争いは国を巻き込んだ戦争になることもある。
目指すとするなら、
そんなことを考えながら、俺は顔合わせの店に向かっていた。
親父はなにか急な仕事が入ったからというので仕事場から直接向かうらしい。こんな大事な日だというのに映画美術の仕事もなかなかに大変のようだ。
仕方なく、俺は時間通りに指定されていた場所に向かっていた。ただ、足取りは重かった。
先に着いて向こうの家族と一緒になったらかなりバツが悪い。考えただけで緊張する。
「こういうときこそ親同伴で向かうべきだろ……」
不満たらたらに歩いていると、道の先でスマホを片手にうろうろと行ったり来たりを繰り返している人影があった。
思わず目がいってしまったのは、その服装が特徴的だったから。
夏だというのにダボっとしたパーカー姿で、割とタイトなジーンズを
その背格好から中学生くらいだろうか。
それとなく俺はそばを通り過ぎた。
しかし、ポツリと「どうしよう」と困っているような声が聞こえてきた。
遅れる口実ができた。
「──君、どうしたの?」
人助けをしていたのなら顔合わせに遅れても大義名分が立つだろう。
そんな打算的な考えで声をかけた。
少年は「え?」と振り返る。
だが、次の瞬間、俺は息を
男子にしては長髪、セミショートといったところだろうか。
その鬱陶しそうな前髪の下から
長い
そして血色の良い柔らかそうな唇。
──彼は、同性でも思わず
声をかけた途端に気まずくなった。
「あの、なんですか……?」
少年が
「あ、ああ……いや、なんでもない」
「そうですか。では失礼しま──」
「あ、ちょっと待った!」
「はい? 僕に、なにか用ですか?」
今度は警戒しているのか、俺から少し距離をとる。
慌てて俺は笑顔を作る。胡散臭いことこの上ないが、それでもまだマシだろう。
「なにか困ってるんじゃないかと思ってね」
「たしかに困ってはいますけど……」
あなたには関係ないですよね? と言いたそうな顔をしている。
ふと少年の手元を見ると、握られたスマホの地図アプリがくるくると動いていた。
「もしかして、道に迷ったの?」
「ま、まあ……」
「それで、これからどこに行くの?」
「僕がどこに行くか、あなたに関係あるんですか?」
「ないけど、もしかすると道案内できるんじゃないかって思って」
「もしかして、ナンパですか?」
「……は?」
一瞬戸惑った。
たしかにジェンダーレスが叫ばれて久しい昨今、男が男に声をかけるパターンだってあるし、おかしくはないだろう。
しかし、俺が興味があるのは女の子であって、少年をナンパしたりはしない。というかナンパ自体しないし、俺にそんな度胸はない。
この少年は容姿が
「悪いけど君には一ミリも興味はないから安心して」
「その言い方はなんだか引っかかるものがありますね……」
「あっそ。困ってないなら先に行くから──」
「あ、ちょっと待ってください!」
引き止められて振り返ると、少年は両腕を胸の前でがっちり組んで俺を
「……なに?」
「ほ、本当に道案内だけですか?」
「それだけのつもりで最初から声をかけてるんだけど?」
「だったら声をかけられてあげます……」
生意気なやつだな、とは思った。言い方も、言い回しも、面白いほど
ただまあ、顔立ちも身長もやはり中学生。声変わりすらしていないところを加味して、ここは年上としての度量の広さを見せておこう。そのほうが将来この子のためになる……かもしれない。
「で、どこに行きたいの?」
「えっと……この『洋風ダイニング・カノン』ってお店に……」
俺は思わず目を見開いた。
「おっと、奇遇だな」
「え?」
「俺も今、その店に向かってる途中だったんだよ」
行き先が重なるとはなんたる偶然。残念なことに相手は美女ではないし、遅れる口実を作りたかっただけなのだが、これはこれで仕方がないか。
「……やっぱりナンパですか?」
「違うって。本当に用事があるの」
「そうですか……」
「じゃあ一緒に行こうか」
「とか言って、へ、変な場所に連れて行こうとしてませんか?」
「心配なら俺の後ろを離れて歩けばいいよ。俺は勝手に行くから。じゃあ──」
俺が歩き出してしばらくすると、後ろから靴音が駆け寄ってきた。
街頭のショーウィンドウに反射して、俺のすぐ後ろに少年がついてくるのが見える。
彼は緊張のためか店に向かうあいだ終始無言だった。
一方の俺はというと、彼の前を歩きながら思わずにやけてしまうのを我慢していた。
なんだ、可愛いところあるじゃないか。
そうして俺はその少年を背後に感じながら目的地まで向かった。