一章 『陰の実力者』チュートリアル開始!(3)

   ◆


 かつて、これほどの差を感じたことはあっただろうか。漆黒の刀によって幾度も体を斬られながら、オルバは思った。

 アルファと名乗るエルフと戦ったときも、ブシン祭で王女と戦い敗れたときも、これほどの差を感じたことはなかった。あるとすれば……子供の頃、まだ剣を握って間もない頃に、師とたいしたときぐらいか。子供と大人、達人と素人、勝負にすらならない。

 今感じている差は、まさにそのときのものだった。

 決して強そうには見えない少年だった。少なくともアルファと戦ったときのような威圧感はない。例えるなら自然。構えも、魔力も、剣筋も、何もかもが自然。腕力も、速さも、特筆すべきものはない。いや、必要ない。ただ純粋な技量によって、その剣は完成していた。オルバとの絶望的なまでの魔力差を、ただ技量によってくつがえしているのだ。

 だからこそ感じる、圧倒的なまでの敗北感。

 オルバがまだ立っているのも、まだ生きているのも、彼がそう決めたからだ。彼が望むのなら、オルバの命などこの瞬間ついえる。

 今のオルバは体を斬られても致命傷でなければ再生する。もちろん限界はあるし、副作用も強い。しかし、多量の血を流し、肉を裂かれ骨を断たれれば、回復まで時間がかかる。

 だが、それほどの危機に陥ってもまだ、オルバは生きていた。


 否、生かされていた。


 オルバは問うた。

「なぜ……?」

 なぜ、生かされている。

 なぜ、敵対する。

 なぜ、それほどの強さがある。

 だから、なぜ。

 漆黒に身を包んだ少年は、ただオルバを見下ろしていた。

「陰に潜み、陰を狩る。我らはただそのために在る」

 深く、どこかかなしみを帯びた声だった。

 オルバはそれだけで、この漆黒の少年の在り方を理解した。

「貴様、あれにあらがう気か……」

 世界には法では裁けない者がいる。オルバはそれを知っているし、自身もその末端にいると思っている。

 利権、特権階級、そして裏の顔。法の光は世界の端まで届かない。

 オルバはその恩恵を得ながらも、さらなる上位者に踏みにじられ、砕かれた。

 だからオルバは力を求め……そして破れた。

「たとえ貴様が、貴様らが、どれほど強くとも勝てはしない。世界の闇は……貴様が考えるよりはるかに深い」

 だからこそ、オルバは言った。

 忠告ではない、願いだ。この少年もぶざまに破れ、全てを失い、絶望すればいい、そうあってほしいと願った。そして、それが裏切られることを恐れた。つまらない嫉妬とせんぼう

「ならば潜ろう、どこまでも」

 少年の声には気負いもなく、気迫もない。ただ絶対の自信と、揺るぎない覚悟を感じた。

「容易くほざくな」

 認められない。

 絶対に認められない。

 それはかつてオルバが目指し、砕かれたものだから。

 そしてこの瞬間、オルバは最後の一線を越える覚悟を決めた。彼はふところから錠剤を取り出すと、その全てを飲み込んだ。オルバはもう、自身が生き残れないことを悟っている。ならばせめて、この命を使って、教えてやろうではないか。


 この世界の闇を。


 オルバのまとう気配が変わった。

 これまでの暴れ惑う魔力は息を潜め、さらに濃密に圧縮された魔力が肉体に内包された。血管が破裂し血を噴き、筋肉が裂け、骨が折れ、しかし瞬時に修復する。人間の限界を超え、その身にばくだいな魔力を宿す。

 教団はこれを『覚醒』と呼んでいた。

 こうなれば最後、もう元に戻る術はない。しかし……代わりに絶大な力を得る。

「アアアアァァァァァァァァァァアッ!!」

 獣のようなたけびとともに、オルバの姿がかき消えた。

 そして鈍い音が鳴ったのと、漆黒の少年が吹き飛ばされたのは同時だった。

 少年はそのまま壁を蹴り、体勢を整えて着地する。

 が、オルバの剣は立て続けに少年を吹き飛ばした。

「遅い、軽い、もろい! これが現実だっ!」

 オルバの追撃がうなる。

 音が鳴り、少年が吹き飛ぶ。

 オルバの斬撃はただひたすらに速く、重く、無慈悲だ。

 圧倒的な暴力。

 虎がウサギを殺すのに、小細工などいらない。ただ、力を振るえばいい。抗うことなどできはしない。漆黒の少年はただ一方的に壊される。

 そのはずだった。

「っ!?」

 オルバの胸から血が噴いた。いつの間にか、そこには浅くない刀傷があった。オルバは一瞬動きを止め、しかし即座に少年を吹き飛ばす。

「効かぬ、効かぬぞぉぉぉぉ!!」

 オルバの傷は肉を裂かれ骨にまで達したはずだ。しかし、傷は泡立ち、一瞬にして再生を始める。

「これが力だ!! これが強さだッ!!」

 オルバが加速する。

 血を噴きながら、空気を斬り裂き戦うその様は、あかせんこうのようだった。

 漆黒と朱。

 二つはぶつかり、漆黒が吹き飛び、朱が血を噴く。

 その攻防は目には追えない。

 ただ、朱い残像と、漆黒が吹き飛ぶその様だけが、そこで何かが起こっていることを知らせるのだ。

 しかしそれも、長くは続かない。両者の差は明らかで、いずれ漆黒が壊されることは容易に予想できた。

 絶対に負けるはずのない勝負だった。何度も剣を薙ぎ、圧倒的な力をもって漆黒をじゅうりんした。

 なのに、なぜ。

 なぜ漆黒の少年は、変わらぬ姿で立っているのだ……?

「なぜだ……なぜ届かぬ……?」

 漆黒はまるで変わらなかった。魔力などほとんど使わず、体もほとんど動かさず、ただ流れに任せてオルバに飛ばされ続けた。さながら激流に落ちた葉のように。

 しかし流されるだけでなく、オルバの勢いを利用し、的確に刃を刺した。無駄なこと、余計なことはしない。ただ自然に、あるがままに。

「醜いな」

 漆黒が言った。その瞳は全てを見透かすかのように、オルバを見据えていた。

「何がわかる……貴様に何がわかるッッ!!」

 オルバがえた。

 そして剣に、肉体に、全ての魔力を注ぎ込み、ほうこうとともに薙ぎ払う。

 たとえ命が朽ちようとも、漆黒を絶つ。

 その一撃はまさしく、オルバの人生最大の一撃となった。

 が。

「遊びは終わりだ」

 ただ、両断された。

 漆黒の刀は無人の野を行くがごとく、何の抵抗もなく振り抜かれた。

 オルバの剣も、膨大な魔力も、鍛え抜いた肉体も、全てまとめてただ一刀の下に両断された。

 漆黒の剣は、魔力も、腕力も、速さもなく、ただ純粋な技量によって完成されていると、オルバは考えていた。

 だが違った。

「何だ、これは……」

 それは、全てを絶ち斬る一刀。

 オルバはそれが、己の剣を斬り、魔力を斬り、肉を斬り、骨を斬り、通り抜けていくのを、極限の中で確かに見た。

 その一刀には濃密な魔力があった、絶大な力があった、圧倒的な速さがあった。そして、何よりも……技量があった。


 これが、これこそが完成形。


 漆黒は何もかも全てを持っていたのだ。

 ただ、使わなかっただけ。その力全てを出したその一刀に断てぬものはなかった。

「これほど……か……」

 血が噴き出た。

 上半身が落ち、遅れて下半身が倒れた。上下に分かれたオルバの肉体はそれでもなお再生しようとするが、オルバの体は既に壊れていた。腐り朽ちていく肉体は、辺りに黒い染みを広げる。

 漆黒が見下ろし、オルバが見上げる。

 オルバは漆黒と剣を交えて全てを理解した。剣を見ればその人となりはわかる。漆黒の剣は真面目で愚直な凡人の剣。血のにじむほどの努力の末勝ち取った剣だ。

 何も知らない子供だと思った。だが違った。彼は、全てを知った上で戦う道を選んだのだ。

 無力。

 オルバの人生は無力であった。何かをそうとし、何も為せなかった。

 だが、この漆黒の少年なら……。

「ミリ……ア…………」

 オルバは青い宝石の入った短剣に手を伸ばし、目を閉じた。

 薄れゆく意識の中でオルバの脳裏に浮かんだのは、かつて亡くした最愛の娘の微笑ほほえみだった。

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