一章 『陰の実力者』チュートリアル開始!(3)
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かつて、これほどの差を感じたことはあっただろうか。漆黒の刀によって幾度も体を斬られながら、オルバは思った。
アルファと名乗るエルフと戦ったときも、ブシン祭で王女と戦い敗れたときも、これほどの差を感じたことはなかった。あるとすれば……子供の頃、まだ剣を握って間もない頃に、師と
今感じている差は、まさにそのときのものだった。
決して強そうには見えない少年だった。少なくともアルファと戦ったときのような威圧感はない。例えるなら自然。構えも、魔力も、剣筋も、何もかもが自然。腕力も、速さも、特筆すべきものはない。いや、必要ない。ただ純粋な技量によって、その剣は完成していた。オルバとの絶望的なまでの魔力差を、ただ技量によって
だからこそ感じる、圧倒的なまでの敗北感。
オルバがまだ立っているのも、まだ生きているのも、彼がそう決めたからだ。彼が望むのなら、オルバの命などこの瞬間
今のオルバは体を斬られても致命傷でなければ再生する。もちろん限界はあるし、副作用も強い。しかし、多量の血を流し、肉を裂かれ骨を断たれれば、回復まで時間がかかる。
だが、それほどの危機に陥ってもまだ、オルバは生きていた。
否、生かされていた。
オルバは問うた。
「なぜ……?」
なぜ、生かされている。
なぜ、敵対する。
なぜ、それほどの強さがある。
だから、なぜ。
漆黒に身を包んだ少年は、ただオルバを見下ろしていた。
「陰に潜み、陰を狩る。我らはただそのために在る」
深く、どこか
オルバはそれだけで、この漆黒の少年の在り方を理解した。
「貴様、あれに
世界には法では裁けない者がいる。オルバはそれを知っているし、自身もその末端にいると思っている。
利権、特権階級、そして裏の顔。法の光は世界の端まで届かない。
オルバはその恩恵を得ながらも、さらなる上位者に踏みにじられ、砕かれた。
だからオルバは力を求め……そして破れた。
「たとえ貴様が、貴様らが、どれほど強くとも勝てはしない。世界の闇は……貴様が考えるより
だからこそ、オルバは言った。
忠告ではない、願いだ。この少年もぶざまに破れ、全てを失い、絶望すればいい、そうあってほしいと願った。そして、それが裏切られることを恐れた。つまらない嫉妬と
「ならば潜ろう、どこまでも」
少年の声には気負いもなく、気迫もない。ただ絶対の自信と、揺るぎない覚悟を感じた。
「容易くほざくな」
認められない。
絶対に認められない。
それはかつてオルバが目指し、砕かれたものだから。
そしてこの瞬間、オルバは最後の一線を越える覚悟を決めた。彼は
この世界の闇を。
オルバの
これまでの暴れ惑う魔力は息を潜め、さらに濃密に圧縮された魔力が肉体に内包された。血管が破裂し血を噴き、筋肉が裂け、骨が折れ、しかし瞬時に修復する。人間の限界を超え、その身に
教団はこれを『覚醒』と呼んでいた。
こうなれば最後、もう元に戻る術はない。しかし……代わりに絶大な力を得る。
「アアアアァァァァァァァァァァアッ!!」
獣のような
そして鈍い音が鳴ったのと、漆黒の少年が吹き飛ばされたのは同時だった。
少年はそのまま壁を蹴り、体勢を整えて着地する。
が、オルバの剣は立て続けに少年を吹き飛ばした。
「遅い、軽い、
オルバの追撃が
音が鳴り、少年が吹き飛ぶ。
オルバの斬撃はただひたすらに速く、重く、無慈悲だ。
圧倒的な暴力。
虎が
そのはずだった。
「っ!?」
オルバの胸から血が噴いた。いつの間にか、そこには浅くない刀傷があった。オルバは一瞬動きを止め、しかし即座に少年を吹き飛ばす。
「効かぬ、効かぬぞぉぉぉぉ!!」
オルバの傷は肉を裂かれ骨にまで達したはずだ。しかし、傷は泡立ち、一瞬にして再生を始める。
「これが力だ!! これが強さだッ!!」
オルバが加速する。
血を噴きながら、空気を斬り裂き戦うその様は、
漆黒と朱。
二つはぶつかり、漆黒が吹き飛び、朱が血を噴く。
その攻防は目には追えない。
ただ、朱い残像と、漆黒が吹き飛ぶその様だけが、そこで何かが起こっていることを知らせるのだ。
しかしそれも、長くは続かない。両者の差は明らかで、いずれ漆黒が壊されることは容易に予想できた。
絶対に負けるはずのない勝負だった。何度も剣を薙ぎ、圧倒的な力をもって漆黒を
なのに、なぜ。
なぜ漆黒の少年は、変わらぬ姿で立っているのだ……?
「なぜだ……なぜ届かぬ……?」
漆黒はまるで変わらなかった。魔力などほとんど使わず、体もほとんど動かさず、ただ流れに任せてオルバに飛ばされ続けた。さながら激流に落ちた葉のように。
しかし流されるだけでなく、オルバの勢いを利用し、的確に刃を刺した。無駄なこと、余計なことはしない。ただ自然に、あるがままに。
「醜いな」
漆黒が言った。その瞳は全てを見透かすかのように、オルバを見据えていた。
「何がわかる……貴様に何がわかるッッ!!」
オルバが
そして剣に、肉体に、全ての魔力を注ぎ込み、
たとえ命が朽ちようとも、漆黒を絶つ。
その一撃はまさしく、オルバの人生最大の一撃となった。
が。
「遊びは終わりだ」
ただ、両断された。
漆黒の刀は無人の野を行くが
オルバの剣も、膨大な魔力も、鍛え抜いた肉体も、全て
漆黒の剣は、魔力も、腕力も、速さもなく、ただ純粋な技量によって完成されていると、オルバは考えていた。
だが違った。
「何だ、これは……」
それは、全てを絶ち斬る一刀。
オルバはそれが、己の剣を斬り、魔力を斬り、肉を斬り、骨を斬り、通り抜けていくのを、極限の中で確かに見た。
その一刀には濃密な魔力があった、絶大な力があった、圧倒的な速さがあった。そして、何よりも……技量があった。
これが、これこそが完成形。
漆黒は何もかも全てを持っていたのだ。
ただ、使わなかっただけ。その力全てを出したその一刀に断てぬものはなかった。
「これほど……か……」
血が噴き出た。
上半身が落ち、遅れて下半身が倒れた。上下に分かれたオルバの肉体はそれでもなお再生しようとするが、オルバの体は既に壊れていた。腐り朽ちていく肉体は、辺りに黒い染みを広げる。
漆黒が見下ろし、オルバが見上げる。
オルバは漆黒と剣を交えて全てを理解した。剣を見ればその人となりはわかる。漆黒の剣は真面目で愚直な凡人の剣。血の
何も知らない子供だと思った。だが違った。彼は、全てを知った上で戦う道を選んだのだ。
無力。
オルバの人生は無力であった。何かを
だが、この漆黒の少年なら……。
「ミリ……ア…………」
オルバは青い宝石の入った短剣に手を伸ばし、目を閉じた。
薄れゆく意識の中でオルバの脳裏に浮かんだのは、かつて亡くした最愛の娘の