#2/嘗てダリアの日々 Oh, Dahlia

#2-3_kawauso/ 呼べない名は(2)

「──くっ……!」

 カワウソはオルバーの右脚で地面を蹴りつけ、その反動で跳び起きた。オルバーの右脚で着地し、自前の左脚で体を支えたが、かなりこころもとない。でも、が何だ。先輩が見ている。今の先輩がカワウソを見ているのかどうか。微妙なところではある。

「デスワーム……!」

 イベが声を張り上げた。人外の名前か。デスワーム。なかなかいいネーミングセンスをしている。デスワームことサナダムシ人外は、そんなあるじの期待に応えようとしたのだろう。瞬時におおかみおんなと化した先輩に絡みつこうとしたが、無意味だった。

 狼の、ガルムの皮をかぶったドール先輩は、控えめに言ってもやばい。

 速いというか鋭くて、荒々しいほど力強い。

 容赦なく凶暴で、残酷なまでに野蛮だ。

 先輩は後方宙返りでもしそうな勢いでった。そうしてデスワームをかわしただけでは終わらない。次の瞬間には前屈して、デスワームにかぶりついた。ひとみで触覚めいた先端部を含む半分くらいを、さらにもう一噛み、二噛みして、残りも平らげた。

「あぁっ……」

 イベがくずおれた。

 人外が消えて、主が平気だなんてこと、ありえるのか。

 ついさっきイベが発した問いだ。彼は身をもってその答えを知ることになった。

 人外を失うと、主はショック状態に陥る。精神活動レベルの極端な低下、あるいは停止。感覚の鈍麻、もしくは。最悪、こんすいのような状態に陥り、長期間にわたって、それどころか一生涯、回復しないこともある。

「た、食べっ……」

 ユキはイベに引きずりこまれるようなかつこうで尻餅をついた。

「──オーメン、来て……!」

 苦し紛れか。アーメンの間違い? そうではないようだ。いったいどこに隠れていたのだろう。二十センチくらいの白いものがバラバラと降ってきた。これは、人形? ドール先輩のDHOLEじゃなくて、DOLLのほうなのか。ただの人形であるはずがない。人形のような人外だ。はりの上かどこかに身を潜めていたらしい、何体どころか何十体もの白い人形が降り注いでくる。数が多い。オーメン。すべてユキの人外なのか。

「めずらしいタイプだな……!?」

 カワウソはオルバーの右脚で地面を蹴って跳び下がった。オルバーと一体化している右脚以外はほとんど使い物にならないので、退避することくらいしかできない。悔しいが、割りきるしかない。せめて先輩を邪魔しないことだ。

 あとは先輩に任せておけばいい。

 ガルムの皮を被った先輩は、オーメンとやらを物ともしないでユキに迫る。

 あの白い人形はさして危険そうに見えない。とはいえ、能あるたかが爪を隠しているのかもしれない。白い人形が全部ユキの人外なのであれば、一切合切片づけなければならない、という可能性もある。だとしたら、これは手間だ。

 先輩は手っとり早い方法を採った。人外を放っておいて、あるじを始末する。人外を失った主は無事ではいられない。ごくまれな例外を除いて、主を失った人外は存在することすらできない。人外を排除できないのなら、主をどうにかしてしまえばいい。

 もっとも、人外は主が気を失ったくらいではびくともしない。ならば、どうしたらいいのか。

 簡単だ。

 主が死ねば、人外は消滅する。

 つまり、主を──人間を、殺さないといけない。

 幸いなことに、カワウソはまだ自分の手で人を死に至らしめたことがない。どうしてもやらなければならない時は、むろんやる。そのつもりではいる。でも、本当にできるのか。ためらわずにやれるだろうか。

 先輩は違う。カワウソのような未熟者、甘ちゃんじゃない。必要ならやる。先輩はカワウソができないことを楽々とやってのける。

 実際、カワウソはの当たりにした。人びとに危害を加える、恐ろしい、放置できない人外を処理するために、先輩はその主を、人間を、カワウソの目の前であやめた。

 またやろうとしている。先輩はユキを殺すだろう。

「先輩……!」

 カワウソは先輩を止めようとしたわけではなかった。先輩だってやりたくてやっているわけじゃない。仕事だからだ。任務を遂行するため、やむをえず、やるべきことをやる。カワウソは先輩を思いとどまらせようとしたのではない。警戒をうながしたのだ。

 車。何者かが白いミニバンの運転席から降りた。黒い革ジャンに同じく黒い細身のパンツ。黒いキャップをかぶってひげを生やしている。ずいぶん痩せていて、を思わせる男だ。イベやユキよりとしかさだろう。三十前後か。ユキがイベに『ヒデヨシさんは?』といていた。ヒデヨシ。あの蜘蛛男がヒデヨシか。

 イベもユキも人外使いだが、ヒデヨシはそうじゃない。そんなことがあるだろうか。まあ考えづらい。

 人外。

 あれがヒデヨシの人外なのか。

 ヒデヨシに続いて、一応は人型だが、球形に近い、ぶよぶよの肉塊が白いミニバンから出てきた。あの肉塊も後部座席にいたのか。開けっ放しのスライドドアから、どろりとこぼれ落ちた。そんな現れ方だった。

 異様な見た目だし、大きい。背丈はさほどでもないが、それでも並の成人男性くらいの上背はある。幅と厚みは並じゃない。太りすぎてベッドから起きられなくなった男の映像をテレビで見たことがある。あれよりひどい。

 先輩が肉塊とヒデヨシに気づいたのと、ぶよよんっと肉塊が跳ね上がったのと、どちらが早かっただろう。

 ヒデヨシは手に何か黒い物体を持っていた。車から降りてすぐ、それを構えた。何かというか、あれは拳銃だ。

 先輩はヒデヨシの拳銃に気を取られた。カワウソだって同じだ。

 人外には慣れている。動物で言えば、ライオンやヒグマのような人外とも渡りあってきた。でも、人外は銃を使わない。ここは日本だ。人外のあるじが銃火器で武装しているケースもまずない。カワウソはこれまで一度も銃を向けられたことがなかった。先輩はどうなのか。わからないが、少なくともカワウソと組んでからはないはずだ。先輩といえども、銃が目に入れば緊張しないわけがない。

 ヒデヨシは銃把を片手で握り、銃身を横向きに寝かせていた。だいぶかつこうをつけた構え方だ。訓練を受けたプロじゃない。素人丸出しだ。あの拳銃、本物なのか。モデルガンかもしれない。ありうる。ここは日本なわけだし。ルートを知っていれば金次第で手に入れられるが、そこらで買えるものじゃない。はったりなんじゃないのか。

 ヒデヨシが引き金を引いた。

「ばぁんっ!」

 銃声じゃない。口だ。

 ヒデヨシは口で言った。銃声をて声を出した。

 当然、先輩は被弾しなかった。ふざけた真似を。カワウソはかっとなった。ヒデヨシがすぐそこにいたら殴っているところだ。でも、本当にただの悪ふざけだったのか。

「──っ……」

 カワウソは言葉を失った。肉塊だ。

 先輩めがけて、あの肉塊が落下してきた。信じられない。空中で短時間のうちに肥大化したとでも言うのか。さっきよりも明らかに大きい。大きいにも程がある。なんて巨大な肉塊だろう。それにしても、先輩らしくない。

 あの先輩がかわせなかったなんて。

 拳銃のせいか。拳銃を意識させられたせいで、反応が遅れた。まんまとけんせいされた。

 肉塊が完全に先輩を押し潰した。

 見えなくなった。

 先輩が。

 肉塊の下敷きになってしまった。

 助けないと。先輩を助けないといけない。カワウソはオルバーの右脚でコンクリートの地面を蹴ろうとした。かつだった。カワウソはその時までまったく気づいていなかった。オーメン、ユキの人外、白い人形どもだ。押し寄せてくる。カワウソに群がってきた。

「ぁっ……!」

 白い人形どもはオルバーの右脚ではなく、生身の左脚に、腰に、両腕に飛びついてきた。オーメンはあっという間にカワウソを引きずり倒した。

「うぁはははっ」

 かんさわる笑い声が響いた。ヒデヨシ。男が来る。というか、すでに来ている。ほおのこけたひげづらがカワウソを見下ろした。銃口をカワウソに向ける。頭に。眉間あたりに。銃身を寝かせたあの構え方だ。

「イベの人外を食いやがって。拷問はやめだ。そもそも俺らはサリヴァンが掲げる理想に魂をささげた戦士だからな。組織の犬は敵だ。敵は殺す。おまえも死ね」

 違う。モデルガンじゃない。実銃だ。撃たれる。あの構えでも距離が距離だ。さすがに外さないだろう。これは当たる。しかも、ヒデヨシは銃把を握る右手に左手を添えた。そうしてから引き金を引いた。

 必死だった。カワウソはありったけの力を振りしぼって首を左に曲げた。

 極限状態でも目をつぶって観念しなかった自分を褒めてやりたい。生き抜こうとした自分自身がちょっとだけ誇らしい。

 カワウソは頭の右側面に、ガッ、という強い衝撃を覚えた。右目がやけに熱かった。でも、直撃じゃない。銃弾は当たらなかった。それは間違いない。

「あぁ!? てめぇ……!」

 ヒデヨシはブチキレて、すぐさま次弾を発射しようとした。今度こそだめかもしれない。撃たれていたら、おそらくカワウソは致命傷を負っていた。頭を撃ち抜かれて即死していたかもしれない。

「──ぅうああああああああぁぁぁ……!」

 獣じみたほうこうだった。それでもカワウソにはわかった。先輩だ。カワウソが聞き違えるはずがない。先輩の声だ。

「何っ……」

 ヒデヨシが横を向いた。銃を引っこめたわけじゃないが、銃口がカワウソからそれた。

「オルバァァーッ……!」

 カワウソは思いきり目を見開いた。何をどうしようとか、どうすればとか、一切考えなかった。すべてオルバーに任せた。

 右脚と一体化しているオルバーがカワウソの体をね上げ、白い人形ども、オーメンを振り払って、ついでにヒデヨシを吹っ飛ばした。

 カワウソはぐるぐる回った。縦でも横でもない。空中で斜めに回転した。回転しながら、肉塊人外を担ぎ上げているガルムの皮をかぶった先輩、おおかみおんな、ドール先輩の勇姿を、ちらっとだが視界に収めた。

 カワウソはコンクリートの地面に落下して転がった。先輩がヒデヨシに向かって肉塊人外を投げつける。ヒデヨシは横っ跳びしてぎりぎりのところで肉塊人外をよけた。あるじが自分の人外で圧死したら笑えるのに。ヒデヨシは起き上がるのもそこそこに怒鳴った。

「行けぇ、ファットマン……!」

 人外の名前か。ファットマン。

 ファットマンがぼよよんっと弾んで、ふたたび先輩に襲いかかる。先輩は逃げずに立ち向かった。ファットマンに取りすがって、食らいつく。先輩とファットマンはもつれ合い、転げ回った。

 先輩が肉塊を食いちぎる。肉塊人外から力任せに肉を引っがす。出血はしない。肉が飛び散り、肉がげ、陥没しても、そこからまた肉が出てくる。肉だ。あの肉塊人外はまさしく肉のかたまりなのだ。そうはいっても、肉塊人外は嫌がっている。身を、肉をよじって先輩を突き放そうとしているが、できない。先輩がさせない。

 先輩が優勢だ。

 だからといって、手をこまねいて決着がつくのを待っているわけにはいかない。悪いな、オルバー。あと一踏ん張りだ。カワウソはオルバーの右脚に頑張ってもらって立ち上がった。痛くてろくに力が入らない生身の左脚をしつする。骨とか、折れていそうだ。どうでもいい。腹は決まっていた。

 カワウソはオルバーの右脚をフル回転させて駆けた。

 殺す。

 ヒデヨシを。

 これからカワウソは人を殺す。

 人殺しだろうが何だろうが、任務だ。やらないと。それ以上に、少しでも先輩の力にならないと。カワウソは汚れ仕事を先輩任せにしない後輩でありたい。先輩には世話になりっぱなしだ。でも、ずっとこのままではいられない。先輩の重い荷物を一緒に背負わせてもらえる後輩にならないといけない。

 ヒデヨシは片膝立ちで先輩とファットマンの格闘を見守っていた。自覚はなかったが、カワウソは気負いすぎて何かたけびのような声を上げてしまったのだろう。おかげで気づかれた。

「──ぁっ!?」

 ヒデヨシは即座に撃ってきた。銃をカワウソに向けて何発も連続でぶっ放した。腹を、バットか何かで土手っ腹を、どん、と強打されたかように感じてカワウソはよろめいたが、止まりはしなかった。走りつづけようとした。体勢がまるで安定しなくて、思うようには走れない。それがどうした。もともとまんしんそうで不安定だ。続けて左腕も撃たれた。大丈夫だ。カワウソはそう思うことにした。腕ならいい。

たまが──」

 ヒデヨシが引き金を引いても弾が発射されなくなった。その直後だった。ようやくだ。カワウソはとうとうヒデヨシをつかまえた。

 右手でヒデヨシの首をつかみ、そのまま地面に押し倒す。違うな。

 こいつを殺さないと。

 だったら生身の右手じゃなくて、オルバーの出番だ。

「ッッッ……」

 ヒデヨシが何か言おうとしている。首が絞まっていて何も言えない。いいさ。いい。

 死ね。

 このまま体重をかけよう。喉を潰してやる。おまえは、死ね。

 死ねよ。

 殺してやるつもりだったのに、何が起こったのだろう。

 ──ゴッ。

 そんな大きな音をカワウソは聞いた。ヒデヨシじゃない。別の何かがカワウソを突き飛ばしたのか。ひょっとして、殴られたのだろうか。

 カワウソは地べたにいつくばっていた。それとも寝転んでいるのか。自分があおけになっているのか、うつ伏せなのかすら判然としない。

 誰か、いる。

 すぐ近くに立っている。

 大きな男だ。

 長靴を履いて、グローブみたいな手をしている。

 その巨漢はマスクをつけていた。歯がしの口が描かれているマスクだ。

 坊主頭なのか。帽子をかぶっているのだろうか。

 うつろな瞳がカワウソを見下ろしている。

「……サリヴァンの──」

 誰かの声がした。ヒデヨシか。ヒデヨシが言ったのかもしれない。サリヴァン。

 サリヴァン

 ──の、何だって?

 マスク男が片足を上げた。どうやら、長靴の底でカワウソを踏みつけようとしているらしい。痛そうだな。痛い、ではすまないか。マスク男に踏まれるとしたらカワウソだ。それなのに、なぜかごとのようにカワウソは感じていた。気が遠くなりかけている。

 終わりか。

 こんな終わり方かよ。先輩、ごめん。

 謝ったら、怒られるかな。いちいち謝るなって。でも、ごめんなさい。本当に──

「んがああああああぁぁぁぁぁぁっ……!」

 先輩。

 なんで先輩の声が。

 もちろん、先輩だからだ。

 先輩がすっ飛んできて、マスク男をぶっ飛ばしてくれたのだ。

 頼りない後輩がピンチに陥ると、いつも必ず助けに来てくれる。それが先輩だ。

「誰の許しをえて……! かわいい後輩ボコってんだ、このクソどもがあぁぁ……!」

 いざとなると敵の前に立ちはだかって後輩を背にかばい、堂々とたんを切ってみせる。特定事案対策室実働部隊のエース。ダリア4のドール。ガルムの皮をかぶった先輩。おぞましくも美しいおおかみおんな。どうよ。すごいでしょ、おれの先輩。かっこいいでしょ。誰よりもかっこいいんだよ。

 カワウソは笑った。笑っているつもりだ。声は出ない。痛いのか何なのか。体が動かない。物もあまり見えない。やばいかも。これ、死ぬんじゃ? カワウソは死にかけているのかもしれない。それでも笑いたかった。せめて笑って死にたい。

 笑っている場合じゃない。笑ってなんかいられない状況だということを、カワウソは理解していなかった。

 ──なんで?

 先輩は急にガルムの皮を脱いだ。

 どうして?

 ガルムはカワウソを持ち上げて背負った。

 何してんの、こいつ?

「あとは頼んだ」

 先輩にそう声をかけられた。小さな声で、平板な口調だった。先輩はカワウソを見なかった。でも、カワウソへの言葉だった。それはわかった。

 頼む?

 

 何なんだよ、それ。

 どういうこと?

 ガルムが走りだした。どうもガルムはカワウソをこの廃工場から運び出そうとしているようだ。何してんの。何してくれてんだよ。やめろ。カワウソは抵抗しようとした。やめてくれよ。下ろせ。だめだって、ガルム。なんで、こんな。力ずくでもガルムを止めたい。できるならやっている。ところが、カワウソは生死の境をさまよっていた。あたりは暗い。これは夜の闇なのか。それとも、すでに自分が意識を失っているのか。闇の中で先輩の名を呼んだ。何回も、何回も、何回も、何回も、繰り返し何回も先輩の名を呼んだ。

 カワウソは先輩の本名を知っていた。

 とう

 いたずらのつもりで先輩を本名で呼んでみたことがある。瞳子さん。そう呼びかけたら、先輩は事もなげに、何だよ、はいざきいつ、と返してきた。なんで平然としてるかなぁ。抗議すると、先輩に鼻で笑われた。だってべつにあたしの名前だもん。呼ばれたって何とも思わないよ。

 先輩。

 ドール先輩。

 志摩瞳子先輩。

 瞳子さん。

 不意にカワウソは闇のただなかに投げだされた。

 カワウソを背負っていたはずのガルムがどこにもいなかった。ここはどこなのだろう。見当もつかない。ただ、冷たい草むらのようだ。近くに川が流れているのか。かすかに水音が聞こえる。カワウソは一人だった。

 ガルムがいない。

 突然、消えてしまった。

 先輩の人外、ガルムが、跡形もなく消滅した。

 そのことが何を意味するのか。カワウソにはわからない。

 今は理解できなくていい。

 認めたくない。

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