#1-1_otogiri_tobi/ 花はどうして咲くの(1)
「
校門の前で黒縁
「凝りねえな、あの教師」
バックパックが、ケケッ、と笑う。
「仕事なんだろ」
飛は小声で返した。
あの教員は入学以来、何度となく飛に生活指導を行ってきた。学級担任でも教科担任でもないから、飛はあの教員の名前すら知らない。
「やれ
バクがぶつくさ言っている。飛は無視して校舎に入った。靴箱で靴を履き替える。
「覚えてるか、飛? もう一年以上前か。あの教師があんまり毎朝、髪がどうだとか因縁つけてくるもんだから、おまえ……」
「さあ。忘れた」
「登校するなり朝寝か? 話し相手もいねえし、暇だよな。友だちの一人や二人、作ればいいじゃねえか」
「バクおまえ、うるさい……」
「おいおい気をつけろよ、飛。独り言を言ってるやべえヤツになっちまうぞ」
「っ──」
飛は極限まで声を落として言った。
「……そもそも、周りに聞こえるような声、出してないし」
「いいんじゃねえか、聞こえても。なんかそれきっかけで話しかけられたりするかもな」
「……かえって迷惑だ」
「はぁん。あれか? 友だちがいない孤独な自分、カッコイイとでも思ってんだろ?」
「……思ってない」
「いいや、思ってるね。知ってるか、飛? そういうのな、ナルシシズムっていうんだぜ。日本語で言えば、自己陶酔ってやつだな」
「……勝手に言ってろ」
「おう。じゃ、そうさせてもらうか。黙ってても暇だからな」
「…………」
「言っとくが、おまえが黙ってればそのうちオレも黙るだろ──みたいに考えてるんだとしたら、そいつは大間違いだぜ」
バクが、ケッケッ、と嘲笑する。
「おまえが生きてる限り、オレは黙らねえ。忘れるんじゃねえぞ、飛。おまえとオレは運命共同体。一心同体なんだからな」
忘れないよ。
口には出さずに飛は
忘れたことなんか、ない。
「……まあ。たとえば、
「おい、聞こえてんぞ?」
「……空耳じゃない?」
「オレのどこに耳がついてんだよ」
「……さあ」
「てか、オレの聴覚ってどうなってんだ?」
「……知らないって」
「冷てえな。冷てえやつだな、おまえは。ハートが零下だな。凍るわ」
本当に凍ればいいのに。
「……何の修行だよ」
飛は早食いだ。給食なんか秒で平らげてしまう。秒は言いすぎか。でも、パン以外は胃の中に瞬間移動させるような勢いで一気に食べてしまう。そしてさっさと片づけ、パンを持って教室を出る。給食の主食がパンじゃない、白米や麺類の時は、何も持たずに教室をあとにする。
最初のうちは、担任に「ちょちょちょ
今日はパンの日だった。しかも、バターロールだ。
飛はバクを背負って早足で廊下を歩いた。
「好きだもんな、飛。バターロール」
「は? べつに好きじゃないけど?」
「
「……嫌いじゃないけど。僕は好き嫌い、とくにないし」
廊下は無人だ。中学生たちはまだ教室で行儀よく給食を食べている。それでも念のため、飛は声量を抑えていた。
「飛ィ。おまえは昔っから、ご飯よりパン派なんだよな」
「どっちでもいい派だよ」
「肉より魚派だろ?」
「マジどっちでもいい……」
「んじゃ、きなこと
「それは餡」
「ま、餡か。即答かよ」
「……粉っぽいの苦手だし」
「わかる。いや、わかるかァ! オレを何だと思ってやがる。バックパックだぞ。餡もきなこも食ったことねえわ」
「知らないって……」
「そんな
「それこそ知らないし……」
「腐れ縁ってやつかな。うん」
「あぁ。そんな感じかも」
「腐ってんのかよ、オレらを結ぶ縁。もっといい言い方はねえのか?」
「バクが言ったんだろ」
「そこは訂正しろよ。違うって言っとけ。寂しいだろうが」
「寂しいんだ……」
「ちょっとだけな?」
「またやるつもりかァ?」
バクが
飛は校舎の外壁に据え付けられているパイプに右手の中指と薬指をかけた。正確には、パイプを固定している金具だ。
別の金具や、パイプと外壁の間、外壁の溝に手指や靴の爪先を引っかけて、するするとよじ登ってゆく。
「まったくよォ。馬鹿と煙は何とやら、だぜ……」
バクにからかわれても、飛はかまわない。あっという間に三階建ての屋上に達して、今日は悪くなかった、と思う。迷ったり詰まったりすることが一度もなく、スムースだった。登るルートがよかったのかもしれない。
実は校舎内からも屋上に出られる。もっとも、たぶん防犯と危険防止のためだろう。屋上の出入口は施錠されている。
鍵を手に入れなければ、こうやって登らないと屋上には上がれない。
ここまでして屋上に上がる者は、飛が知る範囲では誰もいない。飛だけだ。
屋上は平べったい。コンクリート打ちっぱなしだ。外周の部分に低い立ち上がり壁がある。パラペット、というらしい。
飛はバクを下ろして
「うめえか、飛?」
「……べつに。普通だけど?」
「素直にうまいって言やあいいだろうに。ひねくれてやがんな、おまえは」
「あぁ、うまい、うまい、うまい、うまい、うまい、うまい、うまい、うまい、うまい」
「何回も言うんじゃねえよ。なんか
「だから普通なんだって」
「コッペパンとバターロールだったらどっちがいい?」
「バターロール」
「ほらな?」
「……何が、ほらな、なんだよ」
「説明が必要か?」
飛が通う中学校の校舎はコの字形をしていて、
昼食時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。昼休みが始まって、中庭に面している教室棟の廊下に次々と生徒たちが出てきた。
十人に一人くらい、もっと少ないだろうか、頭や肩の上に奇妙なものを乗っけた生徒がたまにいる。
見かけても、飛はいちいち、何だあれ、と首をひねったりはしない。
たとえば、二階の廊下を三人の女子生徒が連れ立って歩いている。名前までは覚えていないが、三人とも飛と同じ二年三組の生徒だ。
そのうちの一人、真ん中の女子生徒の背中に、コウモリのような、あるいはモモンガにも似た生き物がしがみついている。
彼女がああいう変わったペットを飼っていて、溺愛するあまり学校に連れてきている、という可能性もないとは言いきれない。
ただし、飛があの生き物を目撃したのはこれが初めてじゃない。教室でも見た。というか、あの生き物はいつも彼女にひっついている。
それなのに、教師だろうと生徒だろうと、誰もあの生き物のことを話題にしない。
どうやら、彼女自身、あの生き物の存在に気づいていないようだ。
「変だよな」
飛はぽつりと
「あ?」
バクが即座に返した。
「何が変なんだよ」
「いや、べつに」
「べつに、じゃねえだろ。変だって言ったじゃねえか。はっきり言ったぞ。完全に聞こえたからな。で? 何が変だって?」
「……まあ、しいて言えば、バクかな」
「ハァ? オレのどこが変なんだ」
「自覚ないの?」
「きみ!」
「え──」
作業着姿の男性が飛を見上げている。この学校の用務員だ。
「……僕?」
飛が自分を指さしてみせると、用務員は「きみだよ!」叫んだ。
「どう考えてもきみでしょ! だって、きみ以外にいないじゃない!」
「あぁ……まあ、そっすね」
「そっすね、じゃないよ……!」
彼はたいていの教員より若そうだ。顔の造り自体がそうなのかもしれないが、いつも笑顔で無駄に愛想がいい。校内で顔を合わせるたびに挨拶してきて、鬱陶しいから飛は無視しているのに、それでも懲りずに声をかけてくる。
「あのね、
「合鍵なんて持ってないけど」
「だよね! 勝手に合鍵とか作ったりしてたら、大問題だからね! とにかく、すぐに下りて!」
「飛び降りろってこと?」
「そんなわけないでしょ!? 違うよ、絶対、違うからね!? ああもういいや、
用務員は校舎に向かって走りだした。職員室に寄って鍵を持ってくるか何かして、階段経由で屋上に来るつもりなのだろう。
「どうすんだ、飛ィ?」
バクが半笑いで尋ねてきた。
「どうするも何も──」
飛はバクを担ぎ上げた。
「待たないよ。めんどくさいし」
「だよな」
「わりと気に入ってたんだけどな、ここ……」
飛はため息をつくと、パラペットをまたいだ。飛が外壁伝いに中庭に下りるのに、所要時間はせいぜい十秒。当然、用務員が屋上に到着する頃、飛はそこにいない。