二日目:彼女にはまだ名前がない(2)

    (2)


『医者に行くゥ!? おいおい昨日の今日で、マジで言ってんのかよ!?』

 案の定、孝太郎には驚かれた。

「マジで言ってる。ややこしいから詳しくは後で話すけど、非常事態なんだ。ついては、梧桐がいまどんな感じで動いてるか聞きたい」

『あー……』

 言葉を濁すような間が空いて、

『今のところは大丈夫、ぱっと見て人探しとわかるような動きはしてない。けど、だからといって油断していい状況じゃないよ?』

「わかってる。打てる手は打って行く」

『打てる手っていうか、最善手は移動しないことなんだけどさあ……ああもう』

 何かを振り切ったように、孝太郎は勢い込んだ声で、

『せめて、徒歩と電車はやめること。いま車を出すから。詳しい話は道中にでも聞かせてもらうからな』

 言って、一方的に通話を切った。

 ああそうか、車という手もあったな、と宗史は思った。そんな単純なことにも思い至れないほど、自分はいま焦っている。

「……本当、助かるよ、色々と」

 スマートフォンに向けて頭を下げたが、もちろん、プープーという電子音しか返ってこなかった。


    ◇


 かどさき外科病院は、駅からだいぶ離れたビジネス街のはずれにある。

 設備はそろっているし医者の腕が悪いわけでもないが、不便な場所にあるせいか普通の客はあまり寄り付かない──が、普通ではない利用客がそれなりに多い。

 ここでは、客がそうと望めば、傷や病の事情をせんさくせず、記録にも残さずに治療を施してくれるのだ。もちろん、保険は利かないわ正規流通の薬品は使えないわ口止め料も当然発生するわで、請求額は恐ろしくかさむ。しかし、どうしても普通の医者に診せられない事情を抱えた者にとっては、とにかくありがたい場所なのだ。

 俗にいう闇医者だよな、と宗史は軽い気持ちで口にしたことがある。そして、

『失礼なことをお言いでないよ、また同じこと言ったらりだすからね』

 お𠮟りの言葉とともに、不機嫌顔の女医に、思い切りしりを蹴られたものだった。


「今日はまたなんとも、厄介な患者を連れ込んでくれたもんだね」

 その女医は、あきれるような感心するような、微妙な声色でぼやいた。

 こんな話を「厄介」で済ませてくれる。

「ありがとう、助かるよ」

 帽子とサングラス──最低限の変装のつもりだ──の下から、礼を言う。

「ふん」

 鼻を鳴らすと、老女医は髪をかき上げた。

 歳は七十近いはずだ。しかし、ぴんと背筋の伸びた姿勢の良さと、宗史よりも拳ひとつ近く高い長身からは、そんな印象を受けない。その一方で、彫りの深いしわだらけの顔と長い白髪は年相応。童話の中の悪い魔女そのままだ──実際、そう言って泣き出す子供の姿を、宗史は何度か見たことがある。

「あんた自身も、相変わらずひどい顔してるね。ちゃんと寝てるのかい?」

 少なくとも昨晩は一睡もできていない。が、彼女が言っているのは、そういうレベルの顔色の話でもないのだろうと思う。

「最近少々夢見が悪くてね」

「あんたの夢見が良かったことが一度でもあったのかい。そのうち死んじまうよ」

「僕のことはいいんだよ。それより、あの子のことだ」

「わかってるよ」

 老女医が差し出してきた封筒を、受け取る。中を改める。

 一枚の、X線写真が入っている。

「これは……」

 素人しろうとが見ても、はっきりとわかる。その画像は、おかしかった。

 白い影だ。

 色濃いものではない。そこに異常があるはずだと最初からわかっていなければ見落としてしまう程度のものだ。しかし小さなものではない。左の脇腹を中心に、まるで菌糸のように、深く根を張るように広がっている。

 正体不明の異物に、体を大きく、侵食されている。

「X線の吸収率は充実性の臓器に近い。けれど少しだけ違う。だからかろうじてX線写真にも映る。驚きなのは血管や神経だ、ごく一部の毛細血管を除いて、この影の場所を通過しているそれらに何の異常もない。拒絶反応らしきこんせきもなしだ。人工臓器の類型としては、上出来すぎて目を疑うレベルだね」

 解説を、半ば聞き流す。そこに新しい情報はない。

「僕が聞きたいのは、摘出できるかだ」

「そりゃ無理だね」

 即答された。

「その写真を見りゃわかるだろ。そんだけ広範囲の肉と内臓をえぐられて生きていける人間なんていないし、常識的な医学で命をつなげられるレベルでもない。そもそも、今は安定していても、いつまで続くかはわからない。明日あしたにも全身が溶けてドロドロのスライムになったっておかしくない」

「そこをなんとか」

「あたしにすがるよりか、神様でも拝んだほうがなんぼかマシだよ」

 軽く手を振る。

「だいたい、肉片に人格が宿ってるって話からして確かじゃないんだ。この白いのをきっかけに新しい人格が生まれただけだったりしたら、摘出したところで新しい人格はそのまま残るだろうよ」

 それは……もちろん、そうだろう。

「なあ」

 女医は少し声を落として、

「冗談抜きの親切心で言うけどね。ここから先は、後ろ盾なしじゃ危険すぎる」

 反論しかけた宗史を手のひらで制し、

「まさか本当に、なんの背景もない一個人のままで、企業の抗争に真正面から茶々を入れる気かい。自分のやってることの危険も理解できない馬鹿は長生きできない。だいたい、あんたのキャラじゃないだろう」

 それは、本来確かに、その通りだ。

「研究施設を運営していた勢力に頼るか、襲撃したほうの勢力に引き渡すか。そのどっちも嫌なら、信用できそうな別の組織を見つけて身を寄せるか。少なくとも、あんた個人が匿い続けていたところで状況は進展しないんだよ」

 まったくもってその通りなのだが、

「状況が状況だ。沙希未ちゃんの救出を優先してくれそうな組織のアテはないよ」

「だったら、あの子を手放すべきだ」

 ああ、まったく。

 昨日の孝太郎に引き続き、ほぼ同じような内容の正論だ。

 わかってる。誰がどう考えたって、その結論になるのが当たり前なのだ。自分はその当たり前ができていないから、こうして度々指摘されているのだ。


 どうして自分は、こんな人生を送っているのだろう。

 宗史は、時々そんなことを考える。

 答えは、わかりきっている。

 最初からこんな人間だったわけではないのだ。六年前の自分は、平凡な大学生だった。困っているひとを助けるのは正しいことだと信じ、そのように行動していた。

 

 人生を転がり落ちた先で侵入やら窃盗やらの技術を身に付け、その技術を活かすことを生業なりわいとし、太陽に背を向け薄闇をいずりながら。

 いっそ、顔と名前を変えて別の人生を生きるべきかもしれない。そう、何度も考えた。人に勧められもした。しかし、決心ができなかった。とっくに失われたはずの江間宗史の人生のざんに、しがみついてしまった。まだ自分には、自分としてできることが何かあるのではないかと。そして、だから、

 ……どうして自分は、こんな人生を送っているのだろう、と。今日も繰り返す。


「あたしはね、あんたの今の生き方はギリギリ及第点だと思ってる。『自主的に助けを求めてきた相手だけを、対価を受け取りながら助ける』、これは、あんたが生きていくのに大事な線引きだよ。そんくらいは縛らないと、あんたみたいな不器用にこの人生は辛すぎる」

「……そうかもね」

 同じような言葉を、繰り返すことしかできない。

「過去の失敗から、何も学ばない。僕は馬鹿だよ……それでもやっぱり、ここで見捨てるっていうのは、無理なんだ」

 そんなことを言って、あいまいに笑うことしか。

かんぺきに、僕のエゴだ。いつも付き合わせて、悪いとは思ってるよ」

「…………」

 女医は、しばらく無言でじっとこちらの目を見ていたが、

「ま、そうだろーね。ならばこの話はここまでとしてだ」

 軽く言い放ち、手をたたいた。

 そんなところまで、孝太郎と同じだ。指摘をする。忠告をする。そのうえで、最終的には、意志を尊重してくれる。

「あれに関してあたしから言えることは、ふたつだけだよ。あの子は肉体的には健康体の人間だ、ほぼ普通の人間相手だと思って食う着る寝るを世話してやんな」

「ほぼ?」

 肩を落としたまま、力無く尋ねる。

「まったく同じ代謝というわけではなさそうだからね。自身の本質を留めたまま人間の細胞に擬態している、そこにも多少のエネルギーは使うだろう。だからまぁ、ちょいと多めに食事を欲しがるだろうな」

「はぁ……」

 うなずいてから、いちおう尋ねてみる。

「夜な夜な出歩いて人間を食べるとか、そういう展開?」

「ホラー映画の発想が80年代だね。あんたいくつだい」

 今時は昔の映画もネット配信で見られるから、映画の上映年代と観る人の世代とが一致するとは限らないんだ……とせきずい反射で反論しかけたが、飲み込む。古い映画を好んで観た事実は変わらないし、そもそも話が脱線する。

「まぁ、必要栄養素だけの話をするなら、わざわざ人間をどうこうしなきゃならん事情はないはずだ。消化に使うのが人間の胃である以上、効率も悪い。むろん、絶対ありえないとは言わんがね」

 それはそうだろう。正体不明のものに関する仮説に、保証などできるはずがない。むしろ、それっぽい仮説を立てられているというだけでも驚くくらいだ。

「……もうひとつは?」

「ん?」

「言えることはふたつだけ、って言ったろ。もうひとつのほうは何さ」

「ああ、そいつはだね」

 扉の開く音がした。

 顔をあげて、そちらを見た。看護師の制服を着た女性が一人と、手を引かれるようにしておずおずと歩いてくる、ワンピース姿の女性がもう一人──

(──え)

「真っ裸にジャージなんつう変質者スタイルで、年頃の女を連れまわすなって話だよ。職務質問くらったらどうするつもりだい」

「私の私服、サイズぴったりでした」

 看護師服のほうの女性が、どこか誇らしげに胸を張りつつ言う。

「着替えも見つくろって、あとで届けます。ええと、代金は請求していいんだよねおばあちゃん?」

「ああ、そこの色男が全部持ってくれる」

「はーい。じゃあ張り切って揃えます」

 むん、と気合いのポーズを決める……が、その姿は宗史の目に入っていない。

 宗史はもう一人のほうの女性を、ぼんやりと見ている。


 一言でいえば、それは可愛らしい装いだった。

 涼し気な薄いブルーのワンピース。上にライムグリーンのカーディガンを羽織っている。軽やかな色の組み合わせが、どこか透き通ったそのの雰囲気をそのまま包み込んでいる。

 飾り立てられたごうしやな美しさ、のようなものはない。全体的に、素朴なものだ。しかし、先ほどまでのジャージ姿はもちろん飾り気とは無縁だったし、昨日再会した時の服装もラフなものだった。そのどちらよりも、どことなく幼げなセンスでまとめられた今のこの姿のほうが、彼女には似合っている。

 目立たない子という装いをはぎ取られたいまの容姿は、普通に可愛らしい。

 そう。似合って──いる、のは間違いない、のだけれど。


「ん、なんだい。れてんのかい」

「いや、そういうのじゃなくて」

 宗史は、わずかに引きつった顔を女医に向けて、

「なんていうか、これは、完全に女の子みたいじゃないか」

「実際に女の子だろう」

「それは、確かに、そうなんだけど」

 戸惑いが、ある。

 この娘の体は沙希未のもので、その容姿は実際に、人間の娘そのものなのだ。

 血に汚れていた時はもちろん、ジャージ姿の時も、非常事態の装いだという認識があったから意識せずに済んでいた。だから、ちょっとそれらしく着替えただけで、こうして違和感を抱かされるはめになる。

 中身は得体の知れない化け物なのだという意識が、薄れそうになる。

「気分がすっきりしないってのはわかるけどね。あれが人間じゃないってことには、あんまりこだわんないほうがいい」

 口を寄せ、密やかな小声で、見透かしたようなことを言われた。

「自我が薄いぶん、素直な子なんだ。キプロス島の王様の話じゃないけどね、身近にいるあんたが化け物を求め続けていれば、いずれ本物の化け物になりかねない。他ならない、あんたの望みに応えようとしてね」

 ギリシャ神話にいわく、キプロス島の王ピュグマリオンは、自ら彫刻した女性像に恋をし、人として接した。そのしんな姿を見た女神が、像を本物の人間に変えたという。

 もちろん、伝説それ自体は伝説にすぎない、が、ひとがひとに望む姿が対象者のパフォーマンスを変えるという現象は実際にあり、教育心理学用語としての王の名で呼ばれている。

「……わかったよ」

 惑いをためいきとして吐き出す。

「着替え、ありがとう。よく似合ってる」

「ん、まあ、ギリギリ及第点かね」

 言って、女医は肩をすくめる。

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