一日目:炎の中(3)

    (3)


 競合組織を無力化したいとき、倫理や道徳を無視するならば、一番確実な方法はなんですか、と。そう聞かれれば、大抵の人はこう答えるだろう。

 その競合組織それ自体を、消してしまえばいいんじゃないか。


 梧桐率いるチームの今回の仕事は、以下のような感じだ。

 まず、モニタ室を無音制圧した。研究施設というものには、当然、事故を防ぐための様々な備えがされている。だから、まずそれらを黙らせる。室内空気組成の変化やら実験動物のケージの異常やらを監視しているシステムは、ここから一通り制御可能。火災報知機やスプリンクラーは市販の制御システムで管理されているのでぜいじやく性は既知、片手間で走らせた偽装カモ系プログラムひとつで眠らせられる。

 棟内の見取り図をもとに、効率的なはシミュレーション済み。どこでどう火の手をあげて、どのように空調を動かせば、どのように火が回っていい感じにすべてを丸焼きにしてくれるかはわかっている。そのために必要な追加燃料は、外から持ち込んで、自然な感じに棟内の各所に配置しておく。

 すべての準備が終わったら、作戦開始だ。

 ガス爆発に見せかけた爆発が起きる。火が燃え上がる。サイレンは鳴らない。スプリンクラーも消火ができない。職員たちは混乱する。出口に殺到しようとする。次の爆発が起こる。何人かの怪我人が出る。パニックが進行する。火が燃え広がる。貴重なデータが、試料が、無慈悲な熱の中に消えていく。

「んんー……いいねえ」

 モニタ室、監視カメラ越しに混乱のただ中にある棟内を眺めながら、中年男が一人しようひげでている。

「やっぱこうでないとな。こちとらジェームズ・ボンドに憧れてスパイ稼業始めてんだ、火の海と爆発を潜り抜けねえと調子が出ねえ」

「ファンに聞かれたら怒られそうな憧れ方してますね」

 薄手の手袋をはめた手でキーボードを軽快にたたきながら、部下の小男が言う。

「怒らせとけって。ファン活動ってのぁ元来自由なもんだろ?」

「その原則も、法律と常識の範囲内でっていう不文律の上にあるんですけどね」

 軽口を交わしている間にも、状況は進行する。

 計算された爆発が、炎が、様々なものを飲み込んでいく。


    ◇


 梧桐のやり口は知っている。事故に見せかけて、ひとつの建物を潰すのだ。

 そのとき、死人の数にはあまりとんちやくしない。生きたければ必死に生き延びろ、届かなければ大人しく死ね、それが彼のスタンスだ。

 もちろん、ただ放置するという話ではない。殺すべき者はきちんと狙って殺す。具体的には、最初からターゲットとして指定されている者と、現場からよけいなものを持ち出そうとする愚か者。そういう連中を見つければ、梧桐は決して逃がさない。


 中から逃げてきた職員と野次馬とで、正面エントランスは混乱のただ中にある。消防車の到着にはまだかかるらしい。

 手近な白衣の男を捕まえる。

「女の子が来なかったか」

「あ、ああ、真倉課長の娘さんが、いま、飛び込んで……」

 大当たりだ。思わず舌打ちする。

「彼女はどこへ向かった」

「たぶん実験室Cだ、父親がそこにいるはずだと」

 最後まで聞かずに、息を大きく吸って、駆けだす。

 背後に静止の声も聞いたが、構わず振り切る。

 エントランスを見渡す。

 サイレンもスプリンクラーも動いていない。なのに、監視カメラは生きている。案の定だ、梧桐はどうやらモニタルームを制圧し、そこからこの災害をコントロールしている。外部から棟内のシステムをハッキングすることも考えたが、まずうまくいかないだろうし、何より時間がかかりすぎる。あきらめる。

 カメラに映らないよう、そして(もしかしたらいるかもしれない)梧桐の手下たちにも見つからないよう、研究棟の奥へと入っていく。

(……くそッ)

 火事場の空気は有毒だ。呼吸は最低限に抑える。

 全身が雨で濡れているのは好都合、しばらくは燃えないだろうし、そでで多少は煙をしのげる。しかしそれを加味しても、活動可能時間はせいぜい五分。その間にすべてを終わらせなければいけない。

(燃えてる)

 目に映るもののすべてが、いや、五感に届くすべてが、嫌な記憶を刺激する。出来ることなら二度と近づきたくなかった地獄に、いま自分は、わざわざ飛び込んでいる。

 なんでそんな愚かなことを、と自身を責める心がある。早くここから逃げるんだ、と自分を急き立てる心がある。それらを意志で黙らせながら、奥へ進む。

 姿勢を低く保ち、障害物に足をとられないように、それでいてそれらの陰に身を隠しながら、滑るように、駆けるように、奥へ、奥へ。

 実験室Cを探せ。


    ◇


「ん、まただ」

 モニタ前の小男が、指を止めた。

「どうした」

「外から飛び込んだやつがいます。今度は若い男。近所の英雄志願かな」

「あー」

 梧桐は天を仰いだ。

「やめてくれよなー。危ないのは見てわかれよなー。死ぬじゃんそういうやつ。俺が殺したみたいになっちゃうじゃん。火は危ないって義務教育で習わんかったんかね?」

「自分から死ににきただけってのは同意しますけど、それとは別に、我々が殺した事実に変わりはないと思いますけどね。裁判所もそう言いますよ」

「いやいや、事実とか法律とかどうでもよくてさ。気分って大事じゃん。悪いのはあいつ、だから俺は悪くなくて正しい、そう言い張れているうちは心がハッピー」

「世間でよく聞く主張ですけど、発想のレベルからもうクズの極みですからねそれ」


    ◇


 二階最奥に、目当ての実験室Cはあった。防火扉の類が片っ端から開け放たれているおかげで、そこまでの道を遮られることはなかった。

 扉の陰から、中を確認する。

「な……?」

 肺の中の空気が貴重だと理解していながら、声が漏れた。

 、という言葉が一瞬頭に浮かんだ。

 床に。

 壁に。

 天井に。

 それらをつなぐ空間に。

 炎に照らされ、薄紅色の何かが広がっている。

 すぐに目についたそれは繊維状に細く伸び切っていたが、よく見れば床や壁に張り付いているのは布地のように薄く広がったもの。そして、塊のような何かもいくつか転がって見える。正体は不明だが、おそらくはこの塊の形状が本来の姿で、そして、薄く細く伸びているのはそれが変形したものなのだろう。

 粘菌、だろうか。もしくはそれに近い何らかの生物、なのだろう。

 この場所で研究されていた、画期的で革新的な研究とやらの対象。

 炎から逃げるように、生き延びたいのだと訴えるように、それらは我が身を広げ、伸ばしているのだ。しかしその端から炎にあぶられ、少しずつ、灰になっていく。

「……くっ」

 異様な光景に見入っている場合ではない。目的を思い出し、部屋へと踏み込む。

 すぐに、見つけた。

 机の陰、倒壊した棚の下敷きになるようにして、白衣の男が倒れている。その胸元にすがりつくように、真倉沙希未が動かずにいる。駆け寄る。

「沙希未ちゃん」

 呼びかけると、わずかに身じろぎしてみせた。

 男の首筋に指を当てる。どうこうのぞき込む。

 死んでいる。

 ネームプレートの名前を確認する。真倉けん

 思い出す。六年前、沙希未の家庭教師をやっていたころに何度か見た顔だ。柔和で、いかにも家族思いといったよき父親だった。心臓に持病があるとかで、ドーナツをおいしそうに食べては妻や娘に𠮟られていた。発作を起こして逃げ遅れたのだろうか。宗史は一瞬だけ目を閉じて、その死を悼む。

「沙希未ちゃん」

 父親を亡くしたばかりの娘に、再び呼びかける。

 反応はない。

 怪我をしていると気づいた。脇腹の辺りが赤く汚れている。

 傷の程度を詳しく確認したいが、今ここでは、その時間すらない。動こうとしない沙希未を強引に抱き上げる。

 息が苦しい。炎の勢いが増している。来た道を引き返している時間はない。ここは二階だが、ほとんどの窓は封鎖されていて開かない。

 どうにかして脱出路を探さなければいけない。

(…………ちっ)

 視界の隅に、小さく赤い光を放つ、動作中の監視カメラが見えた。


    ◇


「あれ……」

 小男が首を傾ける。

「今度はどうした」

「さっき入ってきた男、見つからないんですよ。ほとんどカメラに映らない」

 いくつかのモニタを、順番に指さす。

「まあどっかで力尽きてるとは思うんですけど、だとしても、走り回ってる姿がちょっとくらい見えてもいいはずなんですよね。なのに、エントランスでちょっと全身が見えたくらいで、あとはもうまったく気配もなくて」

「はぁん?」

 梧桐はあごでる。

「それはあれか。カメラの死角を縫って動いてるってぇのか」

「考えすぎかもですけど。入口近くでブッ倒れてそれっきり説も、あります」

「そうか。まあ、そうだろうが」

 梧桐は数秒ほど押し黙る。

「巻き戻せるか。エントランスで、そいつがちょっと映った画像とやら」

「それはまあ。気になりますか」

「気にするさ。仕事ってのはな、大胆にそれでいて繊細にってのが重要なんだ」

「それっぽく聞こえますけど、純度百パーの戯言ですよねそれ」

 モニタのひとつの時間が止まり、さかのぼり、そして問題の画像を映して止まる。

「こいつか」

「こいつです」

 画質は悪い。研究棟に飛び込もうとしている人物がいることはわかるが、その詳細がわかるほどの特徴は読みとれない。

「静止画だとわからんな。少し動かしてくれ」

 梧桐の目が、まばたきもせずに、画像の中の人物を追う。

 指示通り、切り取られた数秒の時間が、モニタの中で繰り返し表示される。

「なんかわかりました?」

「いや……ただ、なんというかな」

 梧桐は頭をき、

「どこかで見た奴な気がするんだが、思い出せん」

「ということはご同業?」

「ありうるな。あー、どこで見たんだったか……」

 別のモニタを。

 人影がひとつ、横切っていく。

「あ」

「おう」

 画像が巻き戻される。再生される。先のエントランスの映像とは比べ物にならない鮮明さで、その人物の姿が映し出される。

 男。二十代半ば、若い女を抱きかかえ、しっかりした足取りで通路を進んでいる。

 顔は見えない。角度的には見えていてもおかしくないのだが、しっかりと隠している。

「気づかれてますね、カメラ」

「かつ、ここで見てる俺らのことを知ってる動きだな」

 感心したように梧桐はつぶやき、そして、凶悪に唇をゆがめる。

「つまりはまあ──どこのどちらさんかは知らねぇが、俺らの仕事を邪魔しに来た敵ってぇのは確定だ」


    ◇


 大雨に体を打たれながら、肺一杯に外の空気を吸い込む。

 脳に急に酸素を送り込んだせいで、一瞬だけ、ひどい眩暈めまいに襲われる。ふらつきそうになった足元を、どうにか立て直す。

 脱出には成功した。

 しかも好都合なことに、ここはエントランスとは反対方向であり、辺りに人の目はない。今なら、静かにこの場を離れることができるだろう。

 服の上から、沙希未の体に触れる。違和感は小さい。出血こそ派手に見えたが、脇腹の傷はどうやら小さかったらしい。とはいえもちろん、放置はできない。ここに至り、いまだに応急手当すらできない状況だということが、ひたすらにもどかしい。


 さすがに気づかれているはずだ、と思う。


 最後までカメラの死角だけを選んで動くことはできなかった。封鎖されていなかった休憩フロアの窓をたたき割り、そこから脱出するためには、どうしてもカメラのひとつに身をさらす必要があった。いちおう顔は隠したものの、ある意味ではだからこそ、素人しろうとではない何者かが入り込んでいるという情報を与えてしまった。

 急いで逃げなければいけない。

 雨が強い味方となってくれた。逃走者の姿を隠し、音をかき消してくれる。人目を避けながら、沙希未を抱えたまま、研究棟から距離をとる。

 物陰で、スマートフォンを取り出す。

 いかに防水機能がついていても、れたタッチパネルは思うように機能してくれない。どうにかこうにか、苦労して『おしゃべり屋』を呼び出す。

『なにやってんのさ江間サン、マジ正気!?』

 どこで何をしているのか、すべてお見通しであるらしい。いきなり𠮟られた。

「あー……そうだな、正気そいつはちょっと自信ないかな」

『ああもう、生きてる!? 無事!?』

「今のところはなんとか。ただ、一時間後はわからない。梧桐に感づかれた」

 電話の向こうから、絶句の気配が伝わってくる。

「なので、頼みがあるんだけど──」

『あああもう、しょおおがねえなこの人は!』

 何かが吹っ切れたような、いや、無理矢理吹っ切ったような大声。

『そこからなら、ああ、深路の三丁目方面に移動してくれ。ちょうど、しばらく使ってないセーフハウスがある、いったんそこに身を隠して様子を見ること、いいね!?』

 ほぼ同時、マンションの住所と外観、さらにはかぎの保管場所のデータが送られてくる。

「助かる。非常に助かる。それで、助かるついでにひとつ聞きたいんだけど」

『何!?』

「そこ、女の子も連れ込んでいいか?」

『…………』

 たっぷりと沈黙の時間を挟んでから、

『え、マジで、何?』

 低いトーンで、尋ね返された。

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