Ø4 DEMON HUNT(1)

 ──ところで、悪魔の手を持つ男のうわさを耳にしたことは?

 その男はいつもウインドブレーカーの上下を着て仕事をするという。

 ウインドブレーカーの色はだいたい黒で、白いラインが入っていることが多い。靴は黒か紺のスニーカー。その男はフードを目深にかぶってに現れる。

 だから、ウインドブレーカーの男、と呼ばれることもある。

 今日も男は黒いウインドブレーカーを着用していた。

 夜道を歩く男に目をとめた者はほとんどいない。行き違った通行人の中に、男を記憶している者はまずいないだろう。

 男はとあるビルの前で足を止めた。

 その五階建てのビルは、一目でそれとわかるほど防犯カメラだらけで、いかにも物々しい。通りに面した正面の出入口はどう見ても自動ドアなのに、前に人が立っても開かない仕組みになっていた。

 一分っても、二分経っても、ウインドブレーカーの男は開かずの自動ドアの前から動こうとしない。

 約三分後、ようやく自動ドアが開いて、ジャージ姿でポケットに手を突っこんだ金髪の男が出てきた。

「何だ、てめえ」

 金髪ジャージ男はウインドブレーカーの男を追い払おうとしたのだろう。どうかつして立ち去らなければ、実力行使に踏みきることも辞さないつもりだったに違いない。

「何、黙ってんだ、コラ。てめえ、ここがどこだか知って──」

 しかし、先に暴力に訴えたのはウインドブレーカーの男だった。

 ウインドブレーカーの男が放った一発の右ストレートが、金髪ジャージ男の顎を打ち砕いた。折れた歯が血液と一緒に飛散し、金髪ジャージ男は開いた自動ドアの向こうへと吹っ飛んだ。

 間髪をれず、ウインドブレーカーの男も自動ドアを通り抜けた。数秒後、自動ドアが閉まった。

 金髪ジャージ男がぶちのめされた模様を防犯カメラがとらえていたので、ビル内はたちまち厳戒態勢に移行した。

 そのビルは有名な広域暴力団の二次団体、ほうじようかいの事務所だった。この夜、組長、若頭以下、幹部たちが事務所に集まっていたのは、決して偶然ではない。ウインドブレーカーの男は、狙いすましてこの日時に襲撃を決行したのだ。

 男の名は、もちづきとうすけ

 職業、人殺し。

 その筋では、壊し屋、という異名で知られている。

 最初に玄関ホールで望月を迎え撃ったのは、地元では鬼パイセンとして恐れられている二十代の暴力団員だった。鬼パイセンは空手とボクシングの経験者で、無駄に大声を出したりせず、俊敏なフットワークで望月に肉薄した。無言でいきなり顔面に連打を浴びせ、秒で戦意を喪失させるのが鬼パイセンのやり口だった。

「シッ、シッ……!」

 鬼パイセンのジャブとフックは、ほぼ同時にヒットする。鬼パイセンのコンビネーション、マジパネェ。地元の後輩らが震え上がってそううわさするゆえんだった。壊し屋・望月も、これはけられない。

 避ける必要などなかった。

 望月は鬼パイセンのジャブを右手で、フックを左手で、しっかりと受け止めた。

「──あぎゃっ……!?」

 というか、鬼パイセンは秒で左右の拳を握り潰されてしまった。

 望月がくずおれる鬼パイセンを踏み越えると、玄関ホールに詰め寄せた五名の暴力団員たちは尻込みした。

 下っ端の金髪ジャージ男はともかく、鬼パイセンは若手きっての武闘派で、キレなくてもマジクソヤベェヤツと見なされていた。暴力団員ともあろう者、ブチギレれば人の一人や二人、余裕でバラしてしまえるようでなくてはお話にならない。だが、人間を冷静に殴り殺せるとなると、これはやや特殊だ。

 鬼パイセンはその手の男だった。実は鬼パイセン、八年前に半グレを一人リンチの末に殺害している。身代わりとして、地元の後輩が少年院に送致された。

 暴力団員たちの中で一人、勇気を振りしぼって進みでたのは、その後輩だった。

「て、てンめえ……! よくも……!」

 後輩は少年院を出ると髪を伸ばし、鬼パイセンに誘われてほうじようかいに入った。義理堅くて肝が据わっているロン毛後輩は、鬼パイセンやその上役の暴力団員たちに可愛かわいがられていた。男を見せろ、というのが鬼パイセンの口癖で、ロン毛後輩もよくしていた。

「うぉりゃっ……!」

 男を見せるために、ロン毛後輩はもちづきめがけて跳んだ。しかし、ロン毛後輩こんしんの飛び蹴りはさくれつしなかった。望月がロン毛後輩の右足首を無造作につかんだのだ。

「──はぅあっ……!?」

 ロン毛後輩の右足首は、炎天下で溶けかけたアイスキャンディーのようにもろかったのか。瞬時に骨まで握り潰されてしまった。

 残る四名の暴力団員は完全に浮き足立って、イエエェ、ヒイィッ、アァーイィッ、ヌァハッ、といったような奇声を口々に発した。彼らも逃げられるのなら逃げたかっただろうに、壊し屋・望月がそれを許さなかった。

 望月は暴力団員たちの右肩、左肩、首、そして頭部を、次々と握り潰した。望月にかかれば、人体などゆで卵同然だった。

 絶命して無惨な死体になる暴力団員もいれば、死にかけて血の海でもがく暴力団員もいた。あっという間だった。玄関ホールはびきようかんちまたと化した。

 全身返り血まみれの望月がエレベーターへと向かう。血染めの手でボタンを押した。

 もう一度、押す。

 反応がない。

 望月は非常階段へと足を延ばした。扉は閉まっている。施錠されていようと悪魔の手を持つ壊し屋には関係ない。ノブを引きちぎるようにもいで、そのへんに放る。望月は扉を開け、非常階段を上がりはじめた。

 報情会の暴力団員たちにとって、この非常階段が主戦場となった。

 もっとも、三階から非常階段になだれこんだ暴力団員七名は、いずれも望月に頭や首を握り潰された。物の十秒ほどで全滅した。

 そこから望月は足を速めた。最上階の五階まで駆け上がると、ちょうど扉が開いた。

 ほうじようかい事務所の五階では、組長らが高級な寿、天ぷら、すき焼きなどを囲み、酒を酌み交わしつつ、上位団体の内紛に関する重要な意見交換を行っていた。一般社会シヤバより刑務所暮らしのほうが長い歴戦のつわものたちも、護衛として五階にいた。

 護衛の筆頭は通称・マサカリのマサ。若かりし頃、マサカリで敵対組織の組長を斬殺したことがある。五十の坂を越え、毛髪が寂しくなった頭をげるようになっても、ときにはマサカリを持ち歩いてちらつかせる、凶暴きわまりない男だった。

 このときも当然、マサはマサカリを手に先頭を切って非常階段に躍りこんだ。

「──すぇあ……!」

 マサにしてみれば、扉を開けたらそこにもちづきがいた。出会い頭でも、即座にマサカリを振り上げ、すぐさま望月にたたきこもうとした瞬発力とどうもうさは、やはり尋常ではない。

 しかし望月の悪魔の手は、蚊やはえでも払いのけるようにマサのマサカリをはたき落とした。マサの右手はしっかりとマサカリを握っていたのに。そのせいで、マサの右腕もマサカリごと持っていかれてしまった。

「おぶっ……!?」

 望月に禿とくとうわしづかみにされなければ、マサは階段を転げ落ちていただろう。そうならずにすんだ。その代わりに、と言っては何だが、マサカリのマサは悪魔の手で頭を握り潰され、即死した。

 望月が非常階段から五階の廊下へと足を踏み入れると、護衛の暴力団員三名がぼうぜんしつしていた。彼らは勇んでマサカリのマサに続こうとしていたのだ。けれども、すっかりばなをくじかれていた。

 彼らは三人とも、不良少年時代から数々の修羅場をくぐり抜けてきた。目につく悪そうな者は皆、敵か味方だった。恐喝、窃盗、強盗、傷害、詐欺、密売、等々、犯罪のエキスパートである悪党のエリートたちが、恐怖よりもきようがくに支配されていた。

「仕事とはいえ、これではねぇ……」

 望月が口を開いた。ややハスキーだが張りがあって、よく通る声だった。望月の趣味は一人カラオケで、いちげんの客として入ったスナックで自慢の喉を披露することもあった。

「つまらんよ、あまりにも」

 望月はそう言うと、右手の人差し指と中指を自分のほうへ曲げてみせた。

 人間をやすやすと破壊する悪魔の手は、とくに大きくも小さくもない。厚みもごく普通だ。しいて言えば、指がやや太めだろうか。

「くそっ……!」

 暴力団員の一人が、ベルトに挟んでいた自動拳銃を引き抜いた。その暴力団員は趣味と実益を兼ねて海外で射撃訓練を積み、実銃の発砲経験は豊富だった。おかげで射撃の動作はきわめてスムースだった。

 M1911A1、通称コルトガバメントの安全装置を解除し、両手でしっかりとグリップを握って肘を伸ばす。視線の高さに合わせて拳銃を構え、もちづきを狙ってリアサイトのくぼみにフロントサイトを合わせる。右手の人差し指を引き金に掛けて引く。

 銃口から銃弾が放たれ、銃声が鳴る。暴力団員から望月までの距離はわずか五メートルほど。銃弾の初速は時速約九百キロ、秒速にしておよそ二百五十メートルだ。とてもかわせるものではない。外れてくれることを神に祈るしかない。

 望月は祈りをささげたのか。否だ。

 神に祈る必要などない。悪魔の手が銃弾を握り止めるだろう。事実、そうなった。

「──なっ……!? なぁっ……!」

 暴力団員はぶったまげて絶叫しながらも、さらに引き金を引いた。M1911の装弾数は七発だ。すぐに全弾撃ち尽くした。弾が出なくなった。

 望月が両手を開いてみせる。

 右手から四発、左手から三発のひしゃげた銃弾がこぼれ落ちた。

「ちくしょう……!」

 別の暴力団員が望月に突進する。手には。こうなったら体ごとぶつかっていって、望月の土手っ腹にこのをぶっ刺してやれ。思いきりはよかった。しかし、望月はを右手で、その暴力団員の頭を左手で、あっさり握り潰してしまった。

「甘いなぁ、きみたち」

 望月は発砲した暴力団員と残りの暴力団員の頭部を続けざまに握り砕いた。

「……これはどうも、フラストレーションだねぇ」

 血染めの悪魔の手を握ったり開いたりしながら、壊し屋が廊下を歩いてゆく。ドアがあると開けて中をのぞいた。三つ目のドアを開けたら、ソファーに囲まれたテーブルの上に、寿おけ、天ぷらなどを載せた皿、酒瓶、グラス類が並んでいた。立派な応接室だ。サイドボードなどの家具はどれも高級品で、壁に絵画や書が飾られている。室内に人影はない。

 応接室の奥に鉄扉がある。

 望月はソファーに腰を下ろした。未使用の割り箸を手にとる。割り箸を割って、イクラの軍艦巻き、中トロと平目の握りを、素早く口に放りこんだ。

「……ん。いまいち」

 望月は割り箸を握り潰して立ち上がった。鉄扉に歩み寄る。

ほうじようかいのイワタリ会長ぉー」

 右手で鉄扉をたたく。人間の頭蓋を軽々と破裂させ、銃弾を防いでもびくともしない悪魔の手だ。叩かれるたびにとんでもない音を立てて鉄扉が凹む。

「マシラカワ若頭ぁー。クナザワ副会長ぉー。ヌマハマ本部長ぉー。中にいらっしゃるんでしょおぉー。ねぇー。出てきなさいよぉー」

 もちづきは両手で鉄扉をたたきはじめた。

「この建物、防音がしっかりしているから、ご近所さんが通報する可能性は低いでしょうしねぇー! かといって、あなたがたが警察を呼ぶわけにもいかんでしょぉー! 天下のほうじようかいが、警察に助けてもらうわけにはねぇー! でも、立て籠もろうったって無駄ぁー。無駄ぁー。無駄ぁー! 無駄なんですよぉー! おぉーい! あっ……」

 とうとう鉄扉が耐えきれなくなり、あちら側に倒れた。

 望月はため息をついてその部屋に踏みこんだ。広さは六じようほどで、防犯カメラの映像を確認できるディスプレー、金庫、冷蔵庫などもある。隅で身を寄せ合う四人は、いずれもアルマーニやイヴサンローランといった高級なスーツを身につけ、髪やひげをきっちりと整えていた。四人とも拳銃を手にしているが、望月に銃口を向けた者は一人もいない。男たちはただただ震えていた。

「なな、なんっ、何なんっ、だっ、貴様っ……」

 白髪で一番としかさの男が口角に白い唾をめて言った。

 望月はウインドブレーカーのフードを外した。壊し屋のヘアスタイルは七三分けだった。お堅い企業の部長か課長あたりを思わせる顔立ちだ。

「六年前、あなたがたは共謀して、アテガワ・ミツルという男を拷問の末、殺させた。覚えがあるでしょう」

「……アテガワ?」

 年嵩の男が、四人中もっとも若い五十絡みの男とくばせを交わした。五十絡みの男は心当たりがあるようだ。

「うちのショバ荒らしてたシャバゾウです。本職でもねえのに、さんざん好き勝手やりやがって。いいかげん示しがつかねえってんで、バラして例のプラントで処理した……」

「ああ、あのガキか! アテガワ……たしかにそんな名だったな、言われてみれば……」

「じつは、そのアテガワ・ミツル氏の親御さんからの依頼でしてねぇ」

 望月は音もなく五十絡みの男に肉薄し、悪魔の手で頭を握り潰した。

「ひどく手のかかる暴れん坊だったようですが、それでも親にとっては目の中に入れても痛くない最愛の息子だったんでしょうなぁ。八方手を尽くして死の真相を突き止め、何がなんでもかたきを討ちたいとのことで──」

「……ヌ、ヌマハマァ!」

 年嵩の男が叫び、あとの二人がようやく望月に銃口を向けた。二人はほぼ同時に発砲した。どちらの銃弾も、吸いこまれるようにして悪魔の手に収まった。望月はそのまま銃弾ごと、左右の手で二人の頭を一つずつ握り潰した。

「楽しそうな仕事以外は受けたくないんですが、五億積まれたので断りきれず。あてがわみつ氏のお父上は、たいそうな資産家だったんですなぁ。ごぞんでしたか、イワタリ会長?」

「……ご、ごおっ、ごっ、五億……」

 白髪のイワタリ会長はへたりこんだ。この期に及んで逃げようとしているのか。両足で床を蹴っているが、イワタリ会長の後ろは壁だ。後退する余地すらない。

「たっ、たのっ、頼む、かかかっ、金なら出す……!」

「ふむ?」

「ご、五億五千万! いや、六億! 六億払う! だから、助けてくれ! 殺すな!」

「なるほどぉ」

 もちづきは右手をのばしてイワタリ会長の白髪頭をつかんだ。握り潰す前に、壊し屋はイワタリ会長の顔面を自分のほうへと引き寄せた。

めないでいただきたい。金次第で転ぶ殺し屋は二流以下ですよ?」

「じゅっ──」

 イワタリ会長は最後に何を言おうとしたのか。言い終える前に、悪魔の手が白髪頭を握り潰してしまった。

 望月は両手をぶらぶらと振った。手指についた血やのう漿しようなどが飛び散った。

「五百億なら考えんでもないですが。五十億でも悩むかな」

 望月は笑いながら部屋を出た。

「冗談。冗談ですよ。冗談……」

 応接室のドアが開いていて、戸口に若い男が立っていた。タクティカルベストを着ている以外は、そのへんにいる若者と変わらない風体だ。

 いや、そのへんにいる若者は銃を構えていたりはしないだろう。

 しかも、拳銃ではない。短機関銃だ。

 望月は目をみはった。

「おぅ……」

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