シュガーアップル・フェアリーテイル　銀砂糖師と黒の妖精

四章　医者宿の夜①

　門扉を閉めようとしていたのは、中年の男だった。ひょろりとしていて、髭（ひげ）もじゃで、ぼさぼさの白髪（しらが）交（ま）じりの髪（かみ）をしていた。しかしその顔つきには、知性が感じられる。

「待って、待ってください！　お願い！」

　駆（か）けてくるアンたちの馬車を認めると、扉を半開きにした状態で、男は待ってくれた。

　門前まで来るとアンは馬車を止め、御（ぎよ）者（しや）台（だい）を降りた。

　焦ってはいたが、ちゃんと頭を下げることは忘れなかった。

「こんなに暗くなってから、ごめんなさい。ここに住んでいらっしゃる、お医者様ですか？」

　訊（き）くと、男は頷（うなず）いた。

「そうだよ」

「わたしたち、今夜この先の宿（しゆく）砦（さい）に泊（と）まろうと思っていた、旅の者なんです。けれど荒（こう）野（や）カラスの襲（しゆう）撃（げき）にあって、時間をとられてしまって。とても宿砦まで、たどり着けないんです。お願いです、今夜一晩泊めてください」

　医者宿と呼ばれていても、結局、医者個人の家だ。医者がいやだと言えば、旅人は泊まることが出来ない。

　できるだけちゃんと、相手に自分たちのことを理解してもらえるように努めた。

　医者は、薄（うす）闇（やみ）をすかすようにしてアンの馬車に目を向ける。

「確かに。荒野カラスに襲撃されたようだね。馬車の外（がい）壁（へき）、たくさんつつかれた痕（あと）がある。よく無事に逃（に）げおおせたね」

「彼がいてくれたので。戦士妖精なんです」

　アンは、御者台に座るシャルをふり返った。

　医者もつられてシャルの方を見て、ほうっと声をあげた。

「綺麗な妖精だ。これほどの妖精、なかなかお目にかかれないねぇ。これ戦士妖精？　愛（あい）玩（がん）妖精じゃなくて？」

　医者はふらふらっと御者台に歩み寄ると、シャルを見あげた。しばらくシャルに見とれているようにぽうっとして、動かなくなる。

　辺りがすっかり暗くなっていたし、狼（おおかみ）の遠（とお）吠（ぼ）えが聞こえた。

　アンはしびれを切らしそうになったが、ぐっとこらえていた。しかし。

「妖精が珍（めずら）しいか？　もじゃもじゃ」

　シャルが、うんざりしたように言ってしまった。

　アンは蒼（そう）白（はく）になり、悲鳴をあげそうになる。

　──ひゃぁぁあ──!!　シャルぅぅ──！　なんてことをっっ──!!

　どっと冷や汗（あせ）が吹き出す。

　確かに。この医者の髪の毛も髭も、この上なく、もじゃもじゃだ。正しく、もじゃもじゃだ。

　しかし怒（おこ）らせたら、とんでもないことになる。

　医者は夢から覚めたように、目をしばたたいた。そして照れたように笑うと、アンに向きなおった。

「や、失礼失礼。こんな場所に住んでいると、綺麗なものは珍しくてね。それにしても、大変な目にあったようだ。どうぞ、泊まっていきなさい。お代は一人、六十バイン。それでよければ、二台とも馬車を塀の中にいれていいよ」

「あ、ありがとうございます！」

　アンは冷や汗を拭（ふ）き拭き、ほっとして、深く頭を下げた。

　塀の中に馬車を入れると、そこにはすでにもう一台、先客の馬車が入れられていた。

　先客の馬車は、塗（ぬ）りが上等なのが一目でわかった。古びてはいたが、重（じゆう）厚（こう）な造りだ。

　その馬車と自分の馬車を並べたジョナスは、アンの傍（そば）に来ると、小さな声で訊いた。

「見てよ、アン。この馬車、格式が高いよね。先客は身分のある人なのかな？　そうだったら、緊（きん）張（ちよう）する」

「お行（ぎよう）儀（ぎ）良くしないといけないかもね。特にシャルには、口を慎（つつし）んでもらいたいけど……」

　家の戸口に向かいながら、アンは、となりを歩くシャルを厳しい顔で見あげた。

「シャル。さっきは、心臓が止まるかと思ったわよ。もじゃもじゃなんて言って」

　するとぴょんぴょんと、アンについて来ていたミスリルが、非難の声をあげる。

「そうだそうだ。あいつは、『もじゃもじゃ』よりも、『ひょろひょろ』と呼ぶべきだ！」

「そうよそうよ。『もじゃもじゃ』より『ひょろひょろ』！……って、ちが──う!!」

　アンは二人の妖（よう）精（せい）に向かって怒（ど）鳴（な）った。

「『もじゃもじゃ』も『ひょろひょろ』も、良くないってばっ！　怒らせたら、どうするの。たたき出されるわよ！」

　するとシャルが、平然と言う。

「あんなことで、怒るような人間じゃない。見ればわかる。妖精市場で、散々いろんな人間に悪態をついたから、自信がある」

「そんな変な自信、いらないから！　とにかくお願い。悪態つくのはやめて」

「長年の癖（くせ）だから、やめる自信はない」

　きっぱり言われると、もう仕方ないとアンは肩（かた）を落とした。

　シャルが何かを言ってだれかを怒らせたら、アンが全力で頭をさげて、謝るしかなさそうだ。

　扉を開き、家の中に踏（ふ）みこんだ。

　扉を入ると、しきりのない広い部屋になっていた。

　一方の壁（かべ）際（ぎわ）に薬戸（と）棚（だな）と、治（ち）療（りよう）用らしき木製のベッドが置かれていた。逆の壁際には、素材もデザインもばらばらのテーブルセットが三つ置かれている。診（しん）療（りよう）室と食堂を兼（か）ねているようだ。

　先客の姿は見えなかった。割り当てられた部屋で、休んでいるのかもしれない。

　医者はアンたちを、奥にある扉に導いた。

　扉の向こうは、扉と垂直になった廊（ろう）下（か）だった。廊下の一方の端（はし）には、台所らしき部屋。もう一方は、浴室らしき部屋だ。

　廊下の左右には扉が三つずつ並んでいて、それらが客室に当てられている部屋らしい。

　アンとジョナスは、一部屋ずつを割り当てられた。

　アンの割り当てられた部屋には、ベッドが二つ。小さな窓に、清潔なカーテンがかけられていた。簡素ではあったが、居（い）心地（ごこち）が良さそうだった。

「荷物を置いて少し休んだら、食堂においで。簡単なスープなら、出してあげられるから」

　医者はそう告げると、食堂へ帰って行った。

　もとより、置くほどの荷物も持ち合わせていない。それよりもアンのお腹（なか）は、ぐうぐう鳴っていた。ジョナスも同様らしく、アンの部屋にやってきて空腹を訴（うつた）えた。

　アンたちはいくらもしないうちに、のこのこと食堂に顔を出した。

　食堂では、医者がテーブルの一つに大（おお）鍋（なべ）を置き、陶（とう）器（き）の皿にスープをよそっていた。

　医者がスープを準備しているのとは別のテーブルに、二人の青年が座っている。

　ジョナスが、アンに囁（ささや）く。

「あれが、先客だよね。それほど、たいした身なりじゃないけど」

　二人の青年は向かい合わせで、カード遊びをしている。

　一人は背の高い、がっちりとした体（たい）軀（く）の青年。おさまりの悪そうな茶色の髪を、ぞんざいに整えている。身につけているシャツもズボンも上（うわ）衣（ぎ）も、華（か）美（び）ではないが、仕立ては良さそうだ。しかし、仕立ての良い衣服にも包み隠（かく）せない野性味のようなものが、茶の瞳（ひとみ）にちらちらと見える。

　もう一人は、変わった風（ふう）貌（ぼう）の青年だった。引きしまった筋肉質の体に、褐（かつ）色（しよく）の肌（はだ）。真っ白な髪の毛。灰色がかった瞳。しなやかな、猫（ねこ）科の猛（もう）獣（じゆう）を思わせる。おそらく大陸にある王国からやってきたのだろう。革（かわ）製（せい）のズボンとベストを身につけており、傍（かたわ）らに、ゆるやかな弧（こ）を描（えが）く剣（けん）を置いている。