三章 襲撃③
──この中には、巣に
けれどこれが生き抜くために必要なことだとすれば、これからは、こんな出来事に対する気持ちの折り合いをつける方法を、見つけなければならないのだろう。
いやなことや怖いことから、アンの目をふさいで守ってくれるエマは、もういないのだから。
しばらくすると馬も落ち着きを取り戻し、
ようやく御者台に、腰を落ち着ける。
しかしアンは空を見あげて、
「まずいわね」
太陽が半分まで、山の
荒野カラスの
このままでは、日が沈むまでに
「一難去って、また一難だわ」
「どうする。荷台の中で、夜明かしするか?」
シャルはいち早く、危険に気がついたらしい。御者台のとなりに座ると、そう言った。
「そうなったら、シャルに
「任せろ! 俺が寝ずの番をしてやるぞ! 今度こそ、俺の出番だ!」
アンとシャルのあいだから、ミスリルが「はいはいは~い」と、手をあげる。
アンは苦笑した。
「どうしようもなければ、お願いするけど。ちょっと、待って」
荷台の下から地図を引っ張り出すと、地図に
四日目の宿と決めていた宿砦は、まだ先。
しかし宿砦の手前。アンたちが今いる場所から少し先に、宿砦とは別の書き込みがあった。
医者宿とある。
ジョナスも馬車を並べると、不安げに空を見る。
「アン。もうすぐ、暗くなる。宿砦まで、とにかく走るしかないかもね」
「暗くなるとすぐに、
告げると手早く地図を片づけた。ジョナスが首を
「医者宿って、なんだい?」
「名前のとおり、お医者さんの家よ。へんぴな場所で開業しているお医者さんが、旅人を
馬に
太陽は
東からわき出してくる暗い空に、
もっと速くと、馬に鞭を当てる。しかし、アンの馬は年寄りだ。乱暴に扱いたくなかった。
エマならば、馬の呼吸から馬の
「もっと速く……、無理かな? でも、どうしよう。ママだったら、ちゃんとやれるのに」
前を見すえながら、思わず
シャルがちらりとアンを見やる。
「その母親は? どこにいる」
質問が、胸にずきりとした痛みをあたえた。それをねじ伏せるように、アンは無理に
「ママは死んだの。言ってなかったかな」
無表情なシャルの顔に、わずかに
「銀砂糖師だったママは、半月前に死んだ。わたしとママは、ずっと国中を旅してたから、わたしには故郷なんてないの。身寄りもママ以外いない。ママが死んじゃって、さて生活どうしようかなって考えて、わたしは銀砂糖師になることに決めたの。秋の終わりにルイストンで
シャルは
アンは続ける。余計なことを考えないように、迫り来る闇に視線をすえて。先を急ぐことだけを考えようとして、口を動かす。
「冬に
まくし立てるように、一気に陽気な口調で
今年の砂糖菓子品評会に間にあいたい理由。
今年、銀砂糖師になりたい理由。
それは最高と認められた自分の
たったそれだけの理由だった。
感傷的だと、自分でもわかっている。
けれど必死だった。今はそれだけが、アンの望みだった。
目の前にある、なにか。エマのためにできる、なにか。それにすがって走り続けていなければ、足もとが次々に
なにかを
その目に心を
「ものから生まれるなら、
心の中に、ふっと
急がなくてはいけないという焦りが、
胸の中で、からからと風が
「ママとかいると、いなくなったとき大変。心臓が無くなったみたいな気持ちになる。最初からいなければ、こんな気持ち知らなくてすむ」
呟くように言った。するとシャルが、静かに
「一人で生まれても、別れがないわけじゃない。
それだけ言うと、シャルは
アンの心の中にあるのと近い感情が、シャルの中にある。
しかしその沈黙が、いたたまれない。
これ以上言葉を続ければ、自分の中でせき止めている感情があふれそうだ。
アンが必死でせき止めている感情は、どうしようもない
アンは前だけを見つめ続けた。
◆ ◆ ◆
──それで、母親がいないのか。
かたくなに前だけを見つめるアンの横顔に視線を向けながら、シャルは
アンが無意識に孤独を
彼女は、ひとりぼっちだ。やせっぽちの十五歳の女の子が、たった一人なのだ。あまりにも
暗闇が体にしみこむような、
砂糖菓子品評会に出て銀砂糖師になれば、孤独でなくなるとでもアンは思っているのだろうか。
それとも、そうやって目の前のぎりぎりの目標を追っていなければ、彼女自身が崩れてしまうのだろうか。
おそらく、後者だろう。
──そうであるなら、追えばいい。
思い出すのは、羽をもぎ取られたときの痛み。そしてその後の、様々な出来事。
羽をなくしたことよりも、苦しかった
──リズ……。
あの時シャルも自らを支えるために、目の前のぎりぎりのものに向かって走り続けた。
そうしていれば、なにも考えずにすんだ。
その間は、幸せではなかったが、不幸でもなかった。
崩れてしまうのであれば、追わせてやりたい。たとえ相手が人間でも、同じ思いを知る者として、そう感じた。
ミスリルは心配そうに、黙ってアンを見つめていた。
その時。
「あっ! 見て、
空全体が
形も大きさも
門の中。石組みの
石の塀に取りつけられた分厚い
「待って!」