三章 襲撃②

 翌朝、再び二台の馬車は走り出した。

 ミスリルは嬉しげに、シャルとアンの間に座った。じようげんで、喋りまくる。

「アン。俺が恩返ししてやれることがあれば、えんりよなく言えよ。けど雑用なんか、言いつけるなよな。もっと立派な恩返しをさせろよ」

「立派な恩返しねぇ。考えるけれど、どうせならばミスリル・リッド・ポッドの能力を使える恩返しを考えた方がいいよね。あなたは、どんな能力があるの?」

 くとミスリルは待ってましたとばかりに、胸を反らす。

「俺の能力か? おどろくなよ。よく聞け。俺はな、ハイランド王国最北のきよだい湖レス湖の湖水! ……のすいてきが、葉っぱについて。その水滴から生まれたんだ」

「水滴から生まれたの? 妖精って、みんな水滴から生まれるの?」

 アンは首をかしげる。するとミスリルは、ちっちっと人差し指を立ててふる。

「アンは、なんにもしらないんだなぁ。妖精はいろんなものから生まれるんだ。草の実や木の実、水滴やあさつゆや、石や宝石。もののエネルギーがぎようしゆくして生まれる。ただエネルギーが凝縮するためには、生き物の視線が必要だ。妖精や人間やけものや鳥や。魚でも、虫でもいい。エネルギーは見つめられることで形になって、それが妖精になるんだ。妖精の寿じゆみようは、生まれる源になったものと、だいたい同じだ」

「で、ミスリル・リッド・ポッドは水滴から生まれて、シャルは何から生まれたの?」

 問われたシャルは、ちろりとこちらを見ただけで、返事をしなかった。

 かわりにミスリルが答えた。

「こいつは、見たところ黒曜石だ。貴石の妖精は、するどいものを作る能力があるんだ。俺は水滴から生まれたからな、水をあやつる。それが俺の能力さ」

「水を!? それはすごいじゃない。見せて」

「おう!」

 ミスリルは両手を胸の前に広げた。

 小さなてのひらをじっと見つめていると、掌のくぼみに水がわき出す。

 その水をミスリルは、まるでねんをこねるように丸めて、ふわりと投げあげた。それがアンの手のこうにぴしゃりと当たってはじけた。わずかだったが、湖水の冷たさを感じる。

「すごい! 水を操れるなら、てつぽうみずおそわれたとき、水の進路を変えられるんじゃない!?」

おそろしいこと言うなよ。できるか、そんなこと」

「じゃあ、なにができるの」

「今、見せただろう」

「え…………。あれだけ?」

「そうだけど……なんか、……文句あるのかよ」

 がっかりして、アンはかたを落とす。ミスリルの能力は、たいしたものじゃないらしい。

 するとシャルが、皮肉たっぷりに言った。

「小鳥に水をやる時には、役に立つな」

「ううう、うるさい!! なんだ、その言いぐさは。俺を鹿にしてるのか。そんな態度は許さないからな。ついでに言っておくが、シャル・フェン・シャル。おまえはアンに対する態度も、改めろ。失礼だ!」

「おまえのほうが、失礼だ」

 シャルが冷たく言い返す。

「俺のどこが失礼だ」

「全部」

「なんだとぉ!?」

 言い合う二人の妖精を横目で見て、アンは断言した。

けんしなくても、だいじようよ。二人とも同じくらい、失礼だから」

 アンは順調に、きよかせいだ。

 今夜。旅の四日目の宿泊地に決めた宿しゆくさいとうちやくできれば、ブラディ街道を四百キャロン進んだことになる。ブラディ街道の全長千二百キャロンの、三分の一だ。

 太陽はじよじよかたむき、山のかがやくオレンジに色づく。

 今夜も、おそらく問題なく宿砦に到着できるだろう。そう思っていた矢先だった。

 きようれつしやこうが荷台の背を押すようにしていたが、ふいにそれがくもった。

 シャルが空を見あげ、まゆをひそめる。ミスリルもつられたように上を見て、顔色を変える。

「おい、シャル・フェン・シャル。こいつは……」

 ミスリルが深刻な声を出すので、アンは首を傾げた。

「なに? どうしたの」

 それと同時に、後ろをついてきていたジョナスが馬車の速度をあげ、アンの馬車とぎよしやだいを並べた。

「ねぇ、アン。アン! 上。見て」

 おびえたジョナスの表情で、やっとアンは異変に気がついた。

 ジョナスが指さした上空に目をやる。

 ぎょっとなった。空が黒い。

 先刻からの光がさえぎられていたので、雲が出てきたのだろうと思っていた。

 しかし太陽の光を遮っていたのは、雲ではなかった。

 何百羽という、こうカラスの群れだった。黒い大きな鳥が群れをなし、鳴き声一つたてずに、彼らを追うように飛んでいる。

「これは……しゆうげき……」

 うわさに聞いたことがある。荒野カラスは、にくをあさるそう屋だ。だがそのえさとなる屍肉がない場合、群れをなして生き物を襲撃し、殺してうことがあるという。

 これに襲われれば、まず助からないといわれる。

 彼らは鋭いくちばしで、最初に生き物の目玉をねらってくる。動きをふうじて、それから肉をえぐる。荷台の中にげ込んでもだ。彼らには、がある。荷台のてんじよういたしんぼうづよくつつき、穴を空けてしんにゆうしてくる。

 空をめる、真っ黒い鳥の群れにおののいた。

 この大群に襲われれば、命がない。アンたちの手にはおえない。

 アンはシャルを見やった。今回こそ、命じる必要がある。こちらも命がかかっているのだ。「羽をつぶされたくなければ、荒野カラスから自分たちを守れ」。そう命じるべき時だ。しかし。

「シャル、お願い」

 ついつい、言いかけた。が、「お願い」の言葉に、シャルの目がちらりと光る。「また、お友達ごっこをする気か?」そう、無言でなじられたように感じた。

 それを受けて、アンはかくした。

「シャル。命令するわ。荒野カラスから、わたしたちを守って。わたしはあなたの羽をにぎってる。意味は、わかってるよね」

 そう命じたが、不安をぬぐえなかった。

 シャルの羽を握りつぶすようなひどい真似まねを、自分はやりたくないと思っている。それをシャルにかされれば、彼は命令に従ってくれないだろう。

 案の定。シャルの目がおもしろがるように細まる。

「いやだ」と言われれば、アンはどうすればいいのだろうか。むなもとから羽を引っ張り出して、引きくふりでもするしかないのだろうか。

 しかしシャルはうなずいた。そして、

「馬車を止めろ」

 ひとこと言い置くと、御者台を飛び降りた。あわてて馬車を止め、飛び降りたシャルをふり返る。光を集めたけんを掌に出現させながら、彼は背中しに素っ気なく言った。

「荷台の中にかくれてろ」

 ──従ってくれた? どうして。

 荒野カラスたちが、急停車した彼らに向かって降下してきた。

「アン!」

 ジョナスも馬車を止めて、そうはくな顔で空を見る。

「ジョナスも荷台の中に入って! 早く!」

 その声に、ジョナスは転げるように荷台の中に逃げ込んだ。

「そうか! これが恩返しってもんだ。俺も鳥どもを追いはらってやるぞ!」

 ミスリルははたと手を打って立ちあがり、ぜんやる気でうでまくりした。

 アンは蒼白になった。

「無理無理無理! 死んでも無理だから、来て!」

「無理とはなんだ! 俺の恩返しに、けちをつけ……わぁ!」

 しのごの言うミスリルの首根っこをひっつかみ、御者台から飛び降り、荷台に飛びこむ。

「出ていかないでよ。恩返しするために死んだら、わたしが助けた意味がない」

 荷台のゆかに座り、ぎゅっとミスリルをきしめる。

「お、俺は、恩返し……を。……する……」

 抱きしめられたミスリルの声は先細りし、そのほおは徐々に赤くなる。ついにはちんもくした。

 アンは外の物音に耳を傾けた。

 今まで沈黙していた荒野カラスが、ときの声をあげるように、いつせいにギャアギャアと鳴く。

 その声が頭上からどっと降ってくるような感覚に襲われ、アンは思わず両手で耳をふさいだ。

 どかどかと、荷台に荒野カラスが体当たりをする音としんどうがきた。

 悲鳴をかみ殺すだけでせいいつぱいだった。

 ──助けて。……シャル!

 馬が怯えどうようしているらしく、荷台が激しくれる。

 荒野カラスの鳴き声は、荷台を包むように襲ってくる。

 体がふるえるのを、おさえられなかった。縮こまって、動けずにいた。

 するとミスリルの小さな手が、そっとアンの頰にれた。

こわがるなよ、アン。大丈夫だ。シャル・フェン・シャルは黒曜石だ。俺たちとはちがう。傷つかないし、こわれない。ようせいの中でも、とびきり強い」

 かなりの時間がってから、ようやく、馬車にげきとつしてくるしようげきの数が減った気がした。みみざわりな鳥の声が減る。少しずつ、外が静かになってきた。

 完全なせいじやくもどった。アンとミスリルは、顔を見合わせた。

「終わったのかしら」

「さあ……わかんないけど」

 アンは顔をあげ、ミスリルを床に置くと、立ちあがった。おそるおそるとびらを開いた。

 たん。目の前をどさりと、黒いものが落下した。

「わっ!!」

 しりもちをついて、後ずさる。

 荷台の屋根からすべり落ち、ステップの上にったのは荒野カラスの死体だった。それをかくにんすると、目を前方に向けた。

 開いた扉の向こうに見えたのは、真っ黒なかいどう

 街道は黒いもうきつめたように、カラスのがいで埋まっていた。

 その真っ黒なじゆうたんの上で、白い頰に血しぶきを浴びて、シャルがたたずんでいた。

「……シャル」

 呼ぶと彼は、アンに視線を向けた。

 ぞっとするような、それでいてうっとりするような、するどい目をしていた。その姿は、黒曜石からぎ出したやいばそのもの。

 手にある剣をふってしようめつさせると、シャルは無造作に、頰の血をぬぐった。そしてゆっくりと、黒い絨毯をんでこちらにやってくる。

 へたり込んでいるアンを見ると、馬鹿にするようにくすりと笑った。

こしけたか」

「ち、違うわよ」

 断固否定して立ちあがろうとしたが、足に力が入らずによろけた。

 あやうく荷台から転げ落ちそうになったところを、シャルが抱き留めた。

 そのひように、風になびいたシャルの羽が、ふわりとアンの頰に触れた。その絹よりもなめらかなかんしよくに、ぞくりとした甘いものが背を走る。

 見あげると、黒いひとみがアンを見ていた。思わず、見とれる。

 吸いこまれそうな黒。なんてれいなんだろうと、改めて思う。見つめられると、こちらの体がけてしまいそうなほどのいろつや

「どうした、かかし。サービスをごしよもうか?」

 甘い声で意地悪な質問をささやかれ、かっとなる。

だれが!!」

 あわてて身をはなし、シャルに背を向ける。

「とにかく、あ、ありがとう。助けてくれて」

 頰が赤らんでいるのを、さとられていなければいいと思った。


   ◆  ◆  ◆


「すごい数。これにおそわれていたら、確実に命がなかったわね」

 ドレスのすそをつまんで、こうカラスの死体をまたぎながら、アンはぎよしやだいへ向かっていく。ジョナスも荷台から降りてくると、アンのとなりに並んだ。

「ほんとうに、助かったね。アン。君がシャルを使えきしてるおかげだよ」

 言われるとアンは、ちらりとシャルをふり返って、困ったような表情をした。

「え……うん。まあね」

 再び歩き出したアンの後ろ姿を見て、シャルはしようした。

 アンはシャルを使役しようと、精一杯強がって彼に命じた。

 しかし。彼女の命令には、使役者のれいこくさがない。シャルの羽を握りつぶすとおどしても、彼女がそれを実行できないことが、シャルにはわかっていた。

 だがシャルは、アンたちを守った。命じられたから従ったわけではない。アンが荒野カラスにつつき殺されれば、彼女が握っているシャルの羽も危うい。

 だからアンを守ったにすぎない。

 自分の命令の弱さと、それをシャルに見透かされていることに、アンは気がついている。自分の命令でシャルが動いていないことを、彼女は感づいている。

 その辺りのかんは、良いらしい。

 ──俺の羽をいているんだ。しっかりしろ、かかし。

 アンは使役者というよりは、お荷物だ。シャルの羽を抱き込んで離さないから、けしてりやくあつかえない。そばを離れられない。

 シャルにしてみれば、かぎをなくして開けることができない、生きた宝箱を連れて歩いているようなものだ。

 こんなたよりないむすめが、どうしてたった一人旅をしているのか。不思議だった。

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