二章 ブラディ街道での再会④

 壁の一方に取りつけられた作業台の上には、砂糖菓子を練りあげるための石板や、木べらや、はかり。様々な植物からちゆうしゆつした色粉のびんなどが、整然と並んでいる。

 逆側の壁沿いには、たるが五つ並べられている。

 いつもと変わらない荷台の中だった。

「なにも……ない?」

 おそるおそる、荷台の中に首をっ込み中をのぞいた。その瞬間。

「おい、おまえ!!」

 キンとした声とともに、小さなかげが、作業台の下からぴょんと飛び出してきた。

「きゃあああああああああああああ!!」

 アンは悲鳴をあげながらも、棒きれを思い切りふりいた。

 こちらにまっすぐ飛んできた影に、見事にヒットした。

 ふり抜かれた勢いで、影はそのまま荷台の外へ飛び、火の近くに座っていたシャルの後ろ頭にげきとつした。

 いきなり背後からおそわれたシャルは、まなじりをつりあげてふり向いた。

 激突した後、シャルの背後にぼとりと落ちた小さな影を、彼はわしづかみにする。

「これは、いやがらせか!?」

 アンに向かってるが、アンも混乱して怒鳴り返す。

「知らないわよ!! それが荷台の中にいたのよ」

「これが……?」

 シャルは自分が摑んでいるものに、視線を向けた。そしてまゆをひそめる。

「放せよぉ、このろう!! 俺様をだれだと思ってる!」

 かんだかい声で、その小さな影はこうした。

 首根っこを摑まれてじたばた暴れているのは、ぎんぱつで、可愛らしい少年の姿をしているようせいだ。背に羽は一枚きり。もう一枚の羽はみようなことに、スカーフのように自分の首に巻いている。

「放せぇ!」

「うるさい」

 シャルがぱっと手をはなした。小さな妖精は地面についらくして、ギャッと悲鳴をあげた。

「ちぇっ。乱暴なやつ。俺はデリケートなんだ、もっとやさしくあつかえよ」

 こしをさすりさすり立ちあがる。

 アンはおそる恐る近づいて、ひざまずくと妖精を覗きこむ。

 妖精は、青いひとみのまん丸な目でアンを見あげた。

「あなたが、荷台の中で暴れたのね」

「暴れたわけじゃないぞ。うたたしてたら、せんさいな俺は悪夢を見ちゃって、飛び起きたんだ。飛び起きすぎて、天井にぶつかっちゃっただけだい」

「はぁ……すごい飛び起きかただね……。それにしても、あなた誰? いつ、なんでわたしの馬車に入りこんだの」

「俺は、ミスリル・リッド・ポッド。おまえに恩返しをしに来た」

「恩返し?」

「昨日。おまえは俺を助けた。だから俺は、義理を果たしにきたってわけだ」

 そう言われて、アンはやっと気がついた。

「あっ! あなた! レジントンで妖精かりゆうどがいじめてた、あの子?」

 あの時はどろまみれで、顔かたちがわからなかった。しかしよくよく思い出せば、そのキンキン声には聞き覚えがある。

 妖精が首に巻いている羽は、アンが妖精狩人から取りもどしたものにちがいない。

「そうさ。俺はレジントンの町でおまえの馬車を見つけて、もぐりこんだんだ。それもこれも、恩返しするためだ。すぐにでも、恩返しをしようと思ったんだけどな。俺はあの馬鹿にこき使われて、つかれきってたから。ついつい寝込んじゃって。今まで寝てた。でも、そのおかげで元気になった! これから俺は、おまえにガンガン恩返しをする」

「でもあの時、人間に礼なんか言わないって、言ってなかったっけ?」

「言った。けどおまえに助けられたのは、事実だ。俺は、人間みたいな不人情な生き物にはなりたくないから、いやいやながらも恩返しする。言っとくが、恩は返すが、死んでも礼は言わないぞ。いいなっ!」

 小さな人差し指を、びしりとアンに突きつける。指を突きつけられたアンは、こんわくした。

「えっと……。なんていうか。恩返しを期待して助けたわけじゃないから、恩返しなんかいいわよ。しかも嫌々ながらとか、死んでも礼は言わないとか。感謝されてんだか、されてないんだか、よくわかんないし……」

「こいつを助けた? おせつかい焼きだな、かかし」

 シャルはあきれたように言った。

「だって見殺しにするなんて、出来ないじゃない。えっと、あなた、ミスリルだったっけ?」

「俺はミスリル・リッド・ポッドだ。略すな!」

「あっ、ご、ごめん。ミスリル・リッド・ポッド。とにかく、恩返しは必要ないから」

「そうはいくか。恩を返させろ!」

 あまりの尊大さに、アンはどっとろうを感じる。

「わたし、今まで妖精とほとんどせつしよくしたことなかったから……。妖精って、もっとけなげで、いじらしいのだと思ってたけど。全然違うじゃない。あなたにしろシャルにしろ、キャシーにしろ。なんでこう、えらそうなわけ?」

「さあ、恩を返させろよ!」

「でも、本当にそんな必要ないし」

「必要ない? ふざけるな! 俺はごくの底までついて行っても、恩は返させてもらう」

「地獄ってなに!? なんかこわい! 恩返しかふくしゆうか、わけわかんない! なんでわたしがおどかされなきゃならないの!?」

「とにかく、恩返しさせろ。恩返しするまで、つきまとってやる」

「わかった! わかったから!! じゃあ、恩返しをお願いする! え~と、え~と」

 アンはぐるりと周囲を見回して、ぽんと手を打った。

「そうだ! それじゃ恩返しに、馬車のしやじくに油を差してくれる?」

「馬鹿にするな! 命を助けられた恩返しに、そんなショボいことをさせる気か!? もっとすごい恩返しを考えろ!!」

「すごい恩返しって……なに」

 頭をかかえたアンに、ひんやりした表情でシャルが問う。

だまらせるために、くびり殺すか? おまえが命じれば、やるぞ」

 あまりにもミスリルがうるさいので、シャルは本気とも冗談ともつかない冷めた口調だ。

 それを聞いて、ミスリルがもうはんげきする。

「おまえ!! 同じ妖精のくせになんてこと言うんだ。ふん。おまえ、黒曜石か。俺がすいてきだからって、馬鹿にしてるのか? おいおい、人間のむすめ

「アンよ」

「アン。おまえが使えきしているこいつは、妖精殺しだ。妖精狩人にやったみたいに、こいつに一発おいしてやれっ!」

「て……なんで命令してるの? あなたが」

「だから、くびり殺そう」

 妙にきっぱりと提案したシャルに、アンはうめく。

「せっかく助けたのに、馬鹿なこと言わないでよ。とにかく、ね。あなたは自由なんだから、好きなところに行って、幸せに暮らしてほしいんだけど」

「好きなところへ行けだと!? 俺を追いはらう気か!? いかないからな、俺は!」

「そういう意味じゃないんだけど……。……なんか、疲れた……。わたし、もう寝たい……」

 わめくミスリルとの会話は、延々と平行線をたどりそうだった。

 アンはぐったりして、ミスリルに背を向けてたくをすると、毛布にくるまった。

「シャルごめん。砂糖は、明日の夜にでも作る。待たせるおびに、とびきりれいに作るから。砂糖菓子を食べたかったら、わたしが寝込んでるからって、羽をぬすまないでね」

 シャルが砂糖菓子でつられるかどうかは別として、そんなもので予防線を張るのは、なんだか情けない気がした。

 しかし実際問題。彼に羽を取り戻され、いなくなられては困るのだから仕方ない。

る盗らないの前に……、ねむれないと思うぞ」

 シャルはゆううつそうにつぶやいた。

「おい、おまえら!! おい、寝るな、寝るな──!!」

 耳に突きさるミスリルの声に、アンは両手で耳をふさいだ。

「もしかして今夜、寝かしてもらえないのかなぁ~……」

 自分の善行を、つくづくやんだ。


   ◆  ◆  ◆


「やいやいやい! おまえまで寝るな!! 仲間だろうが」

「おまえみたいにうるさい仲間なら、いらない」

 ね回るミスリル・リッド・ポッドにうんざりし、シャルはため息混じりに横になった。

「ななな、なんだと!? なんだと──!?」

「恩返し? おまえは鹿か。相手は人間だ。羽を取られたときの痛みを忘れたか」

 羽は妖精の体の中で、最もびんかんな場所だ。それをむしり取られたときの痛みは、手足を引きかれたのと同様の痛みだ。

 その痛みをあたえられただけでも、人間という生き物をにくむにはじゆうぶんだ。

 しかしミスリルは、へんと鼻を鳴らす。

「なに言ってやがる、痛い思いを忘れるもんか。だから俺は、人間に礼なんか死んでもいわないぞ。けど俺の羽を取ったのは、アンじゃない。アンは俺の羽を、取り戻してくれたんだ。人間でもようせいでも、悪い奴は悪い。いい奴はいいんだ。だから俺は、いい奴には恩返しをする。だからアンにも恩返しするんだ! 恩返しさせろさせろさせろ!」

 なにやらくつせつした思いはあるらしいが、とにかくアンに、心から感謝しているのはわかる。

 しかしなにしろ、そうぞうしい。

「うるさい!」

 手をあげて、飛びあがったしゆんかんのミスリルを、ぱしりとたたき落とした。

 ギャッと悲鳴をあげて墜落したミスリルは、今度はまゆをつりあげ、さらに興奮してぴょんぴょんシャルの頭の周りを跳ねる。

「暴力反対!! この妖精殺し! 仲間殺しー!!」

 片羽を取られた妖精は飛べなくなる。しかし残った羽の羽ばたきとちようやくの力で、人間の頭くらいは軽々飛びえる。

 ミスリルはその跳躍力を生かして、ざわりに、跳ね回ってくれる。

 騒々しさが増したので、これ以上手を出さないほうがけんめいだとさとる。

 横になって耳をふさぐアンは、めいわくそうにぎゅっとまゆをよせている。

 アンはこの妖精、ミスリル・リッド・ポッドを助けたらしい。

 呆れるほど甘いむすめだ。彼女は、シャルに対しても甘い。

 アンは自分よりも先に、シャルにスープをきゆうした。さらに、砂糖菓子を作ってやろうとまで言った。まるで人間に対するように接してくる。

 そのうえアンは、シャルに対して厳然とした命令を下さない。彼女の命令は、お願いの域を出ない。彼女が羽を傷つけたくないと思っているのが、ありありとわかってしまう。シャルを使役するという、決然とした意志が感じられない。

 命じられるのと、お願いされるのは違う。

 だから正直、まどう。従うべきか、無視するべきか。

 命じられてもいないのに、従うのはごうはらだ。しかしアンは、シャルの羽を持っている。アンがきゆうにおちいり、シャルの羽にがいがおよんでも困る。

 迷ったすえ、とうぞくは追い払ってやった。

 けして、アンの命令に従ったわけではなかった。従うには、彼女は甘すぎる。

 なぜアンはこれほど、甘いのか。もしかして、さびしいのだろうか。夢の中で母親を求めていた娘だ。一人旅が、寂しくないわけはない。だから妖精たちに対してさえ、甘い顔をするのだろうか。自分のどくやしてくれる相手を、無意識に求めているのだろうか。

 今夜はミスリルも喚いているし、アンから羽を盗むチャンスはなさそうだ。

 ──まあ、かまわない。

 命じられることがほとんど無いのだから、気楽だ。おろおろするアンを見て、笑っていればいいだけなのだ。ほんとうに、甘い小娘。

 ──かかしの作る砂糖菓子は、さぞ甘いだろう。

 ふと、そんなことを思う。

関連書籍

  • 銀砂糖師と黒の妖精 シュガ-アップル・フェアリ-テイル

    銀砂糖師と黒の妖精 シュガ-アップル・フェアリ-テイル

    三川みり/あき

    BookWalkerで購入する
  • 銀砂糖師と深紅の夜明け シュガーアップル・フェアリーテイル

    銀砂糖師と深紅の夜明け シュガーアップル・フェアリーテイル

    三川みり/あき

    BookWalkerで購入する
Close