二章 ブラディ街道での再会③

 アンは馬車を止めた。するとジョナスがとなりに馬車を並べ、止まった。

 二人が見あげるのは、旅の二日目、アンが寝場所に決めた宿しゆくさいだった。

「これが宿砦か。僕は今夜、はじめて使うよ」

「宿砦にまるのが、はじめて? じゃあ昨日の夜は、どうしたの?」

「実は今日の昼までは、護衛がいたんだ。ノックスベリー村のはずれで、あらっぽい仕事をしている男がいて、そいつに護衛をたのんだ。だから昨日の夜は、道のわきに馬車を止めて荷台の中で寝た。護衛が一晩守ってくれたけど」

「けど?」

「僕が荷台のどこにお金をかくしてるか、見られちゃったみたいで。今日の昼前に僕にけんきつけて、お金を取ってげていったよ」

 そう言ったジョナスは、わりにけろりとしている。度胸がいいのか、脳天気なのか。

 アンはがくりとかたを落とした。

「気の毒だったけれど……それはガードが、甘すぎない?」

「まあ、そうだね。でも結果良ければ、すべて良しだよ。命は助かったしね。そのおかげで、アンにめぐり合えたんだし」

 旅に対する危機感は、まるでないらしい。

 いつしよについてくるつもりならば、危機感を持ってもらわなければ困るのに。

「ジョナス。今夜ここに泊まったら、明日、引き返してね」

「僕は自分の行きたいところに、行ってるんだよ。君に、ついて来てるわけじゃないから」

「あ~の~ね~。ジョナス」

「さ、行こう」

 ジョナスはウインクすると、馬に鞭を当てた。アンは額をおさえた。

「ああ……頭が痛い……」

 二台の馬車を宿砦の中に乗り入れ、門のてつを閉めた。

 宿砦にはいると、ジョナスはえんりよするようにかべぎわに馬車を寄せた。そしてすぐに、箱形の荷台の中に入ってしまった。その中でねむるつもりらしい。アンの馬車に近寄らないのは、アンにくっついてきているのではないという、彼なりの主張だろう。

 アンは馬車の脇で、火をいた。そしてなべに水とかんそう肉と野菜の切れはしを入れ、簡単なスープを作った。できあがると、ジョナスの馬車をちらりと見る。

 秋とはいえ、夜になると気温は下がる。温かいものを、アンたちだけ食べるのも気が引けた。

 木のわんにスープを入れると、ジョナスの馬車の荷台に近寄った。

 荷台背後にある両開きのとびらを、軽くたたく。

「ジョナス。わたしよ。開けて」

 中でなにやらごそごそと音がして、ほどなく扉が開いた。

「なにかようでしょうか?」

 扉を開いたのは、てのひらくらいの大きさの、ようせいの少女だった。一枚だけの羽をけんめいに動かして、扉の取っ手にすがりついている。

 妖精の少女は、アンダー家で使えきされていた労働妖精のキャシーだ。燃えるような赤毛だ。つんと上を向いた鼻をさらに上に向け、りぎみの大きな目がアンをにらむ。

「キャシー!? あなた、ジョナスに連れてこられてたの?」

「わたしはもともと、ジョナス様専用の労働妖精ですもの。当然です」

「そうなの? で、そのジョナスは?」

「お休みになっていらっしゃいます」

「じゃあこのスープだけわたしておく。目が覚めたら食べてって、伝えてくれる?」

 アンが差しだした椀を見て、キャシーは口の端で笑った。

「こんなまつなもの。ジョナス様はおそらく、口になさいませんよ」

 それは高貴な者に仕える使用人が、主人のこうをかさにきて、他人を見下す態度にそっくりだった。アンはまゆをひそめる。

「おうちじゃそうかもしれないけど、旅では、こんなものでもありがたいの」

 キャシーはいやそうな顔をしたが、ふわりとゆかに降りると、両手を差しだした。

 片羽を取られた妖精は、飛べない。空中にとどまることも無理なのだから、キャシーは床に降りて椀を受け取るしかない。

 アンはかがみ込んで、椀を渡す。

 キャシーにとって椀は、たらいのような大きさだ。抱え込んで、顔をゆがめる。

けものあぶらくさい。妖精のわたしでも、いやだわ」

「あ~そ~。ごめんね。いらないおせつかいで!」

 アンはぷんぷんしながら火のそばに帰ると、乱暴に鍋の中をかき回した。

 シャルはほのおを見つめながら、ぼんやりと座っていた。

 椀を手に取り、シャルの分のスープをいだ。そしてその椀を、無言でシャルに突き出した。

 目の前のスープをまじまじ見つめて、シャルは不思議そうにアンの顔を見る。

「これは……? どうしろと?」

 アンはキッと、シャルを睨む。

「わたしが『お口をあ~ん』して、シャルの手でスープを食べさせてもらいたいから、これを渡すんだと思う!? シャルが食べる分に、決まってるでしょう!? こんなもの渡そうとして、悪かった!? あなたも、獣の脂くさいびんぼうスープなんてお口に合わない!?」

 とつぜんつっかかってきたアンに、シャルがおどろいたような顔をした。

「いきなり、なんだ? 頭に火でもついたみたいだ」

「どうせかかし頭ですから! よく燃えるでしょう!」

 シャルはこらえきれなくなったように、少しだけ笑った。そしてやわらかい表情で、差し出された椀に手をばす。

「大火事らしい」

「火もつくわよ。こんな貧乏スープは、砂糖店のあと息子むすこ様のお口には合いませんって、妖精に言われたわ。あなたも、こんな貧乏スープはいや!?」

「スープがいやだったわけじゃない。ただ……驚いた」

 シャルはスープを受け取ると、両手で椀を包みこむようにする。

「驚いた? なにに? もしかして、あまりにも、まずそうだったとか……」

「自分より先に、俺にスープをあたえたのに、驚いた」

「どうして? きゆうしている人間が、自分以外の人に先にスープを渡すのは、当然でしょう? マナーよ、マナー。はい、スプーン」

 スープをすくうためのスプーンを渡そうとしたが、シャルの手の中にある椀が、すでに半分の量にまで減っていることに気がついた。

「シャル、あなた口つけてないよね。もしかして、お椀に穴が空いてる?」

「食べた」

「食べた!? どうやって!?」

「俺たちは、口から食べない。手をかざしたり、れたりして、吸収する」

 シャルの手にある椀を見ていると、スープの液面がわずかにゆらゆらとれながら、じよじよにかさを減らしている。それは急速に蒸発しているように見える。

「味、するの?」

 その様子をまじまじ見つめて、思わず、アンはいた。

「しない。食べ物を食べても、味は感じない」

「妖精って、そうなの!? そんなの、何食べても楽しくないじゃない。ぜんぜん、どんなものも味を感じないの?」

「一つだけ。味を感じるものはある」

「なに?」

「銀砂糖だ。……甘い」

 なにかを思い出したように、シャルは目をせた。その表情がひどくさみしげだった。なにかつらい思い出でもあるのだろう。

 この口の悪い妖精は、市場に売り出されるまでの間、どんなことを体験したのだろうか。

 想像すると、心が痛んだ。

 自然の中で生まれ、気ままに暮らしていたのに、突然追い立てられられ、そして売られる。どんな気持ちがするだろうか。アンだったら、うらみでり固まってしまいそうだ。

「銀砂糖は好き? きらい?」

「嫌いじゃない」

「じゃあ、砂糖菓子作ってあげる。わたし、砂糖菓子職人の端くれなのよ」

「おまえが?」

 シャルはさんくさそうに、横目でアンを見やる。アンはちょっと胸を張った。

「聞いて驚きなさいよ。わたしのママは銀砂糖師なの。むすめのわたしは、よちよち歩きの時から、銀砂糖をねんがわりにして遊んだんだから。自分で言うのもなんだけど、うではかなりのもんよ。シャルに似合う、月光草の形を作ろうか」

 味のない食事なんて、楽しいはずはない。そう思うと、作ってあげたくなった。

 もしシャルが恨みで凝り固まっているとしたら、優しい甘みの砂糖菓子は、少しなりとも彼の心をやわらかくしてあげられるかもしれない。

 まどいが、シャルの顔にかぶ。困ったようなその表情が、少し可愛かわいく思えた。

 アンは微笑ほほえんで立ちあがり、自分の馬車の後ろに回った。そして後方の、両開きの扉に手をかけたしゆんかんだった。

 どかん! と、馬車の中で、なにかがはずしようげきひびき、車体が大きく揺れた。

 とつに飛び退いたアンは、悲鳴をあげた。

「シャル!」

 シャルのかたわらに飛んで帰り、彼のそでつかむ。

「な、なにか、荷台の中にいるみたい! 見て。見てよ、お願い」

 するとシャルは、ちろりとアンを見る。

「命令か?」

「め、命令?」

「見に行かなければ、俺の羽を引きくか?」

「そんなこと思ってないけど、でも」

「じゃあ、自分でやれ」

「あああ、あなたって!!」

「羽を引き裂く」とおどすえげつなさがいやで、アンは容易に命令ができない。

 シャルはアンのそんな思考もかして、「命じろ」と言っている。鹿にしたような表情からも、それは明らかだ。とことん、なまける気だ。

 いつしゆんでも彼を可愛いと思った自分が、馬鹿だった。

 アンはかっと頭に来たが、そのいかりのおかげできようしんが目減りした。

「いいわ! 見てやろうじゃない!」

 アンとて母親と二人、だてに十五年も王国中を旅していたわけではない。

 そんじょそこらの十五歳の娘よりは、度胸があるつもりだ。

 たき火用の棒きれをとりあげると、荷台のとびらの前に立った。

 棒きれを片手で構える。そっと扉を開く。

 荷台の中は、静かだった。

 箱形の荷台の中は、人が立ち歩けるほどてんじようが高い。かべの両側面、天井に近い場所に、横長の明かり取りの窓がある。今夜は月が明るかったので、明かり取りの窓から月光がしこみ、荷台の中をうすぼんやりと照らしていた。

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