突然のグランツ公の謝罪に私でさえも目を見開いてしまった。父上も目を見開いているし、何より反応が凄かったのはユフィリア嬢だった。何を言われたのか理解が出来ないという表情でグランツ公を見上げる。
「お父様?」
「ユフィリア。お前は次期王妃として、マゼンタ公爵家の令嬢として恥じないように努力をしてくれた。だが、最初にお前にそうであれと望んだのは私だったのだろう」
言葉を選ぶように、ゆっくりと。確かに何かを伝えようとグランツ公は言葉を重ねる。その姿は公爵というより、不器用な父親のように私には見えた。普段の鋭さを隠れさせて後悔を滲ませたような表情と声色で続ける。
「私が望んだ事にお前が応えてくれるならば、私は背を押す事こそが正しいと。厳格な父として、マゼンタ公爵家を背負う者として接する事を良しとした」
「……何を、何を仰ってるのですか!?」
「私は、それが間違いだったのかもしれないと感じている」
ユフィリア嬢は信じられない、と言うように身を乗り出した。そのまま取り乱しながら首を左右に振る。その瞳には怯えにも似た、動揺の色が浮かび上がっている。
「今の私があるのはお父様の教育の賜物です! そこに後悔などございません! ましてやお父様が間違いなどと、そのような事もございません! 全て至らぬ私がいけなかったのです! 公爵令嬢として、次期王妃として至らないばかりに家の名に泥を塗ってしまった愚かな娘です!」
「愚か者など私の娘にはいない」
ユフィリア嬢の悲痛なまでの叫びを一刀両断で切り捨ててしまうような強い否定の言葉だった。私も吃驚したけれど、ユフィリア嬢はもっと驚いたようで肩を跳ねさせた。ユフィリア嬢はグランツ公の言葉に小刻みに体を震わせている。
ぱくぱくと開閉する口は何かを言いたげだけど、言葉にする事は出来ないようだ。言葉をなくしたユフィリア嬢を真っ直ぐに見つめてグランツ公は続ける。
「お前は私の期待によく応えた。それは最早、応えすぎる程に、望んだままに。……今はそこにお前の意志があったのかと疑ってしまう。もしそうならば、それは私の咎なのだ」
淡々とそう告げるグランツ公の姿は、普段の威厳からは想像も出来ない姿だった。とてもじゃないけど、あの筆頭貴族と言われたマゼンタ公爵家のグランツ公の言葉だとは思えない。それでも、その言葉は確かにグランツ公が紡ぎ出した本心だったのだと私は思う。それでも、ユフィリア嬢は受け入れられないとばかりに悲痛に叫んだ。
「何を言うのですか……? お止めくださいませ、お父様。そのように仰らないでください。そんな事を言われたらどうして良いか、私にはわからなくなってしまいます!」
「そうだ。お前にはわからないのだ。自分が苦しい時は、助けを求めても良いという事を」
グランツ公が表情を崩した。僅かな変化だったけれど、だからこそ困ったように苦笑しているのがわかってしまった。グランツ公の伸びた手がユフィリア嬢の頭を撫でた。頭を撫でられて信じられないという表情でユフィリア嬢はグランツ公を見据える。
「まるで幼子だな、ユフィ」
不慣れだけれども、ユフィリア嬢を労るような手付きでグランツ公は頭を撫で続ける。まるで普通の親子がそうするように。
「お前の心は成長を止めてしまっていたのだな。苦しい時には苦しい、辛い時には辛いと、そう教える事も出来ないままにお前は大きくなっていた。お前は小さなユフィのままなのだな。私は、ただお前に外面を装う事しか教えられなかった」
グランツ公の言葉にユフィリア嬢の顔が勢い良く歪んだ。それは泣きそうな、それでいて怒りを隠せないような、一言では言い表せない表情に変わっていく。
「お止めください、お父様。幾らご自身の事とはいえ、お父様を卑下する言葉など聞きたくありません……! 咎められるべきは不出来な私なのです!」
そのユフィリア嬢の叫びが、どれだけ彼女がグランツ公を慕っているのかを示している。その告白は間違いだと、間違っているのは自分だと。そうでなければおかしいと言うように。けれど、そんなユフィリア嬢の訴えにグランツ公は苦笑を深めた。
「お前が不出来ならば、私もまた不出来なのだろう。親としても、人としてもな。将来、国を背負うだろうお前を想像し、大いなる期待を私は寄せていた。同時に待ち受けるだろう苦難を退けられるようにと己を律し、お前に厳しく接して来た。だが、それは鎧を纏わせるだけでお前自身という中身を鍛えるには至ってはいなかった。情けない話だ」
「お父様……!」
イヤイヤと駄々をこねるようにユフィリア嬢が首を左右に振る。首を振った勢いでユフィリア嬢の瞳からは涙が零れ落ちていく。
ユフィリア嬢が首を振った事で払われたグランツ公の手は、今度はユフィリア嬢の涙を拭うように触れた。まるで壊れ物に触れるように。
「私が許そう。王から望まれた婚約だとしても、お前が降りたいと思うならば私が叶えてみせよう」
「……ッ!」
「だから教えて欲しい、ユフィ。……王妃になるのは辛いか?」
グランツ公の問いかけにユフィリア嬢が唇を嚙み切らんばかりに歯を立てた。しかし、傷を負う前にユフィリア嬢はゆっくりと力を抜いた。まるで張り詰めていた糸が切れてしまったかのように。そしてその両手で顔を覆い隠してしまう。
「……申し訳ありません、お父様。もう、私には無理です……」
ユフィリア嬢は引き攣りそうな程に張り詰めた息を吐き出して、消え入りそうな言葉を紡ぐ。それは今にも泣き出してしまいそうな声だった。そんなユフィリア嬢の言葉を受け止めたグランツ公は静かに頷く。
「そうか……わかった。よく話してくれた」
「……はい。もっと私はお父様を頼るべきでした。親の七光りなどと言われては次期王妃に相応しくないと、そう思っていたのです」
「その心がけは大事だ。だが、時として人を上手く扱うのも良き貴族の務めだ」
「……はい」
小さく頷いたユフィリア嬢に、グランツ公も安堵するように息を零した。そしてグランツ公はユフィリア嬢の肩に手を置いて告げた。
「ユフィ、私からもアニスフィア王女の下に行くのを勧める。だが決めるのはお前だ」
「え……?」
「この状況では要らぬ詮索を受けてしまう事は間違いないだろう。そんな中でお前が見つかればどうなるのか、想像するのは容易い事だ」
今の状況でユフィリア嬢が人前に出れば、それはもう騒ぎにしかならない。良くて質問攻めにされるか、悪くて誹謗中傷の的になるだろうと思う。言ってしまえば一大スキャンダルな訳だし、騒がれない方がおかしい。
「……それで何故、アニスフィア王女の下へ行くのが良いと?」
力なく顔を上げたユフィリア嬢に真剣な表情に顔を引き締めたグランツ公がちらり、と一瞬だけ私に視線を向けてから続ける。
「アニスフィア王女の住まいである離宮は王宮の敷地内ではあるが、離れに建っている事は知っているだろう。我が屋敷よりも人目に付きにくい。ましてや王宮敷地内での事だ。何かあれば私も駆けつけやすく、身を隠すのに適している。更にアニスフィア王女の提案の一件もある。私はそう悪い話だとは思っていない」
「お父様……」
「お前は今日までよく頑張った。一度、公爵令嬢としてでも、次期王妃としてでもない、そんな時間がお前には必要なのだろう。アニスフィア王女殿下はお前の肩書きを求めてはいないのだからな」
「まぁ、それはそうですけど」
私がユフィリア嬢を望んでるのはユフィリア嬢個人の資質を見込んでの事だし。グランツ公は私の呟きが聞こえていたのか、ユフィリア嬢に見せるように大きく頷いてみせる。
グランツ公の顔に浮かんでいたのは、やはり父親としての顔だった。娘であるユフィリア嬢の幸せを願う、たった一人の父親の姿だ。
「今後の人生、お前がどう歩むのか少し私から離れて考えてみなさい。ユフィ」
「しかし、それでは家に迷惑を……」
「この程度で揺らぐ私でも、公爵家でもない。お前は私が信用出来ないのか?」
父親としての顔を公爵としての顔に切り替えてグランツ公はユフィリア嬢に問いかけた。一瞬、息を吞んだユフィリア嬢はそっと首を左右に振る。
「……いえ、そのような事は」
「であれば、あとはお前の気持ち次第だが……今のお前に決めよと言っても酷だな」
ユフィリア嬢から視線を外して、グランツ公が私に視線を移す。私はグランツ公の視線を受けて頷いてみせた。
「どの道、事の真相を詳らかにはしなければならない。その間に余計な横槍を入れられるのも癪だ。故にアニスフィア王女、暫しユフィを預かって頂けないでしょうか? アニスフィア王女の申し出を受けるかどうかは、その間でも、後でも構わないでしょう?」
「えぇ、むしろ私は喜んで!」
やった! 思わず小躍りしそうな程に喜びを込めてグランツ公に返事をしてしまった。
そんな私を見て、父上が頭痛を堪えるような表情を浮かべて呟く。
「……アニス。頼むから余計な事だけはしでかしてくれるなよ」
「本当に失礼ですね、父上!」
「普段のお前ほどではないわッ!」
思わず父上の言葉に抗議すると、父上に疲れ切ったように肩を落とされた。解せぬ。
ユフィリア嬢もグランツ公にここまで言われれば否定する気もないのか、どこか不安げに私を見つめている。私はそんなユフィリア嬢に苦笑を浮かべながら手を差し出す。
「ユフィリア嬢、短い間になるかもしれないけれどよろしくね?」
「……はい。アニスフィア王女」
「アニスでいいよ。その代わり、私もユフィって呼んで良い?」
「え? か、構いませんが……」
「やった! じゃあ改めてよろしく! ユフィ!」
おずおずと差し出された手を握って、軽く上下に振りながら私はにこやかに笑ってみせた。困ったように眉を下げながらもユフィも笑ってくれた。
いつか、この笑みが心の底からの笑みになってくれればいいなと。私はそう願わずにはいられなかった。
* * *
「……本当にこれで良かったのか? グランツ」
話が纏まり、退室していったアニスとユフィリアを見送った後の話だ。私はグランツにそう問いかけた。グランツは何も言わず、二人が去った扉を見つめている。
「これが最善だろう。ユフィが今後、表立って動くには婚約破棄を宣言された影響は大きすぎるからな」
「本当に最善か? あのアニスだぞ? 本当に大丈夫なのか?」
「そんなに信用がならないか?」
ならない、とは言い切れずに口を閉ざす。実際、アニスの発想に助けられた事も多い。破天荒で型破りな欠点こそあるが、それでも補って余りあるものがアニスにはあるのだ。それを素直に認めるのが癪なのは、普段の行いのせいなのだが。
思わず眉間に力がこもって皺が寄るのを自覚する。眉間を指で揉みほぐしながら深々と溜息を吐く。
「万が一、ユフィが手籠めにされるならば、それはそれで悪くはあるまい」
「グランツ!?」
「可能性の話だ。それにアニスフィア王女にユフィをつけておく事に意味はある」
「何だと?」
グランツの言葉に一瞬、意図が読み切れずに目を細めてグランツを見てしまう。グランツの視線が私に合い、視線が交わされる。
「事と次第によっては、アルガルド王子には降りて貰わなければならんからな」
「…………まさか」
私はグランツの顔を見据えながら呟きを零してしまう。友である彼の考えを想像するのは容易い。しかし、その浮かんだ想像をまさか、と否定してしまうのはそれだけ突拍子もない事だと私には思えたからだ。
驚く私を尻目に、グランツはいつもと変わらない表情のまま、しかし瞳には決然とした光を宿していて。それが何よりもグランツの固い意志を表していた。
「必要であれば私は動くぞ、オルファンス。たとえアニスフィア王女が拒否しようともな」
はっきりと言い切ったグランツの言葉に、私はようやく反応をする事が出来た。それも濃い苦笑交じりのものにはなってしまったが。
グランツが想像している事が実現してしまような事があれば、あのうつけ者である娘はどんな顔をするだろうか。そんな想像をすれば容易くアニスフィアの反応が思い浮かんだ。
「……あやつは泣いて嫌がるだろうなぁ」
「だからこそ、今のうちに餌を与えおくのだよ。首輪とも言うがな」
「猛獣扱いか」
「むしろ珍獣では?」
「違いない」
あれでも一応、この国の王女ではあるが、その扱いに関しては同意するばかりだ。
肩を竦めて友との会話に応じていると、自然と肩の力が抜けてきた。面倒な話が転がり込んで来てしまったが、この問題を放置する訳にもいかない。事と次第によっては、グランツが想像している未来が実現してしまう事になるのだろう。
それはアニスにとっては望ましくない事なのは想像に難く無い。アルガルドが降りるという事。そしてそれがアニスにとって何を意味するのか。それを想像すれば何とも言えない表情になってしまう。
そんな私の表情を見て、グランツも私が何を思っているのかを察しているだろう。それでもグランツは、私に笑うような口調で告げた。
「──私は見てみたいのだよ。あのアニスフィア王女が〝国王〟になる姿というのをな」
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