その場の空気を一言で言い表すのなら凍り付いたという表現が正しい。私の発言に父上は一気に顔を引き攣らせて、グランツ公は少しだけ目を見開かせた。
そして当事者であるユフィリア嬢は何事かと、顔を上げて私に視線を向ける。私はそんなユフィリア嬢に微笑んでから、改めて父上とグランツ公に向き直る。
「私が全力でユフィリア嬢を幸せにしてみせます! どうか許可を!」
「待て待て待て待てィ! 何をとち狂った事を言い出すのだ、お前は!?」
父上が顔色を青くさせながら勢い良く立ち上がって私を睨み付ける。誰がとち狂ってるですか! 至って真面目ですよ、こっちは!
「アニスフィア王女。ユフィリアを求む、というのはどういう意図でございますか?」
グランツ公がいつもの調子に戻りながら問いかけて来る。私はそれに一つ頷く。
「ユフィリア嬢を私の助手としてお招きしたいのです」
「……助手、ですか?」
ユフィリア嬢が困惑しきった様子で首を傾げている。ちょっと可愛い。撫で回したい。私の内心を察したのか、父上の視線が鋭くなった。気を取り直すように私は咳払いをする。
「私が〝魔学〟の提唱者だというのは既にご承知の事かと思いますが、その魔学を研究したり、発表したりする際の助手としてユフィリア嬢が欲しいのです」
「……まさかとは思いますが、アニスフィア王女。貴方は魔学の功績をユフィリアに発表させる事で功績にさせようとするつもりでしょうか?」
「はい! その通りです、グランツ公!」
魔学は私が前世の知識で垣間見たものを再現しようとしたり、その発想を用いて魔法を解明していく私の研究の名前だ。魔法科学だから、略して魔学。私の魔女箒も魔法で空を飛びたいっていう発想から生まれた成果の一つだ。
「魔学は細々とながら、父上が確認をした上で認可したものは世に広められてきました。しかし、魔学は私の事情で公に大きな功績として喧伝する事を控えています」
「魔学は革新的な発想から生まれたもの。そしてその魔学から生まれた魔道具も。それはパレッティア王国へ与える影響が大きすぎた。……そうですね?」
「はい。だから私は魔学の功績が大々的に広められないように父上に進言しました。次の国王は私が良いんじゃないかと、そう言われると面倒になりますから」
アルくんは弟だけど、男児だったから王位継承権はアルくんの方が優先される。だけど私も腐っても王族だから王位継承権を〝持っていた〟。そう、過去の話ね。
ほら、私って魔法が使えないから。王女なのに魔法が使えないから魔学の功績があっても、この国の成り立ちからすると王様として受け入れて貰えないんだよね。
パレッティア王国は簡単に言うと魔法と共に発展してきた国だ。初代国王が精霊と契約し、共に歩んで来た。そして精霊から授けられた魔法で国を興した。
そして貴族が臣下として王と一緒に歩み、パレッティア王国が成立した。だから魔法を使えるって事が王族としてかなり重要視されるんだけど、その王族である私がまさか魔法が使えなかったんだよね。
誰もがそんな私の扱いに困った。私は私で魔法が使えないなら自分が使える魔法を研究しようって決めた。だから私は魔学を研究するって決めた時から王位継承権を捨てたんだよね。だって持ってても余計な諍いしか生まないって思ったから。
最初こそ父上も抵抗してたけど、私も当時はやりすぎなぐらいに突き抜けてみせたので諦められたんだよね。それで無事に私は王家に籍は残しつつも、政務には関わらない名ばかりの王女になった訳なんだけども。
「なのに父上が最近色々と仕事を押し付けるから変に有名になったと思うんですけど」
「逆じゃ、逆! お前が目立つから逆に組み込んだ方が手綱を取れると考えたのだ、考え無しのキテレツ娘が!」
「えー……?」
でもだからって政務の面倒事を私に押し付けるのはズルくない?
私の趣味にも絡む事だから普段は文句も出ないけど。……おっと、話が逸れてしまった。本題に戻さないと。
「私は魔学が広まる分には良いんですけど、表舞台に立つつもりはないです。それならユフィリア嬢と共同研究にして、ユフィリア嬢の功績にしたらどうでしょう?」
「……確かに。婚約破棄の話題を打ち消してしまえるだけの価値はあると思います」
「でしょう? ほら、あとはあれですよ。私、魔法使えませんから。魔法を使える助手が欲しかったんですけど、その点で言えばユフィリア嬢って喉から手が出る程に欲しい人材なんですよ!」
「……私が、ですか?」
「そうだよ! 貴族令嬢としても有能で、武芸にも心得があって、更には使える魔法属性の適性数は歴代一と言っても過言ではないと言われる精霊に愛された寵児! ユフィリア嬢はパレッティア王国の宝といっても過言じゃないんだよ!」
この世界の魔法は精霊からの恩恵とされている。ユフィリア嬢はその魔法を多種多様に扱えるとの事で有名なのだ。
ぶっちゃけ、凄く欲しい。さっきも言ったけど喉から手が出る程に欲しい人材だ。私の個人的な研究だし、私ってこんなんだから一般的な貴族から評判が良くない。
だから助手なんて欲しいと思っても雇えない。そこにユフィリア嬢だよ! 婚約破棄に付け込んでと言えば聞こえは悪いけれど、この旨い話を逃す理由もない。結果的にはユフィリア嬢の為になる訳だし!
「……確かに理に叶ってる話だと、私も思います」
「でしょう! ね? だから父上、いいでしょ?」
「アニスよ。……お前は、私に王位継承権を放棄すると伝えた時の話を覚えているか?」
父上が凄く渋い顔をして腕を組みながら問いかけて来る。その問いかけの内容に何だっけ? と首を傾げたけど、すぐに思い当たる事があって掌の上に拳をぽんと置いた。
「……あぁ、あの例の宣言ですか」
するとグランツ公も気付いたのか、何故か溜息交じりに呟く。父上とグランツ公の様子にユフィリア嬢は戸惑ったように視線を二人の間で彷徨わせている。
「お父様、あの……何のお話ですか?」
「……アニスフィア王女が王位継承権を放棄したいと言い出した時にこう言い放ったのだ。『男性との結婚などごめんです。愛でるなら、私は女性を愛でたいです!』と、な」
グランツ公の言葉にユフィリア嬢が目を見開かせて私の顔を見た。その視線に少しだけ距離を感じてしまう。いや、うん。でも本心だしねぇ。
「だって結婚して子供とか生みたくないし」
「お前という奴はぁぁぁァアアアッ!!」
「ギャァアアアッ!? アイアンクロー痛いッ! 痛いです、父上! 離してください!!」
父上が渾身の叫び声を上げながら私に摑みかかって来る。父上の指が顔に食い込む! しかも持ち上げられて足がつかない! 待って、本気で痛いから!!
「お前は王族としての心構えや責務を塵芥のように扱いおって……!」
「痛い痛い! だ、だって……! 魔法も使えない私の血を王家の血として残すのは……本末転倒じゃないですか……! 私、間違ってない!」
「大間違いじゃ、たわけ者! お前の魔学は評価には値するが、結婚まで嫌と抜かすな!」
「言質取りましたもん! 結果を出したら一生結婚しなくていいって! アイタタッ! 父上、顔が変形する! 変形しちゃう……!」
「あの頃の私の胃痛に比べれば何倍もマシだわ!」
ぺい、と投げ捨てるように父上が私を解放した。あー、痛かった。潰されるかと思った。
確かにあの宣言をした時は阿鼻叫喚の地獄絵図になっちゃって、流石にちょっと反省はした。でも、本心だからいつかバレるだろうし。だから先回りして芽を潰しただけだし。
それで私の噂が広まって、私が〝同性が好き〟って話が出回ってるんだよね。
女の子が好きなのは否定しないんだけどね! 別に男の人も嫌いって訳じゃないんだけど、恋愛とか婚約とか結婚とかが絡むと途端に受け付けなくなるだけで。
「……アニスフィア王女。一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「何でしょうか。グランツ公?」
「ユフィリアを助手として望むのは、助手という文字通りだけの意味でしょうか?」
グランツ公が視線を逸らすことなく真っ直ぐに見つめて来る。その私を見透かそうとするような目に、ここまで来るといっそ慣れてきてしまった。
「んー。いえ、確かに貴族令嬢としても魔法使いとしても魅力で助手として望んでいますが、はっきり言いますと……」
「言いますと?」
「ユフィリア嬢は私の好みです!」
「もう頼むから黙ってくれんか、アニス!」
「お断りします!」
「腹立たしい表情をしおってからに……!」
今度は顔面を摑まれないようにグランツ公達のソファーの後ろ側に逃げ込む。するとユフィリア嬢と視線がばっちり合って、ユフィリア嬢が少し距離を取った。
ちょっとショック。まぁ、仕方ないよね。私も噂の否定はしてないし。ただ、それだと勧誘に困るのでフォローしないと。
「あー、その。同意がない相手には手を出さないというか、誰でも良いって訳じゃないよ? 私も別に遊び人って訳でもないからそういう心配はしなくていいから。ユフィリア嬢と仲良くなりたい理由はいっぱいあるんだ」
「……私と、ですか?」
「だってアルくんの婚約者だから迂闊にお茶にも誘えないし! 正直に言ってこの状況は良くないけど、私としては歓迎してるんだよ! ユフィリア嬢も災難だったと思うけど、ねぇ、どうかな? 私と一緒に魔学を研究してみない?」
「……私だと都合が良いからですか?」
どこか自嘲気味に僅かに口の端を上げて視線を逸らすユフィリア嬢。いきなり婚約破棄を突きつけられて、落ち込む気持ちもわかるんだけどなあ。
「確かにそうだって言えばそうだ。でも、違うって言う事も出来る」
「……?」
「ユフィリア嬢が決めていいよ、貴方が選びたい理由を。ユフィリア嬢が辛くて苦しそうで助けたいから。この言葉を信じても良いし、別の理由だって構わない」
私の言葉にユフィリア嬢が目を見開く。私はユフィリア嬢の頰に手を伸ばして頰を撫でる。頰に手を添えた手で、ユフィリア嬢を私の方へと顔を向けさせる。距離が近づくけれど、そのせいで尚更、ユフィリア嬢の美貌を確認してしまう。
ユフィリア嬢を遠目で見かけた時は、無表情か、絵に描いたようなお手本そのままのような微笑を浮かべている所ばかりだった。でも、今の彼女は素の感情を隠す余裕がないのか困惑や不安で瞳を濡らしている。
「私が信じられないなら、ユフィリア嬢が私にとって都合が良いからだって諦めても良いよ。それも否定しないから。もし、いつか助けたいという言葉が信じられるようになったら信じてくれればいいからさ」
労るようにユフィリア嬢の頭を撫でながら、私は言葉を続ける。どうか少しでもユフィリア嬢が抱える重みや痛みが楽になるようにと思いながら。
「別に信じて貰うのなんて後からでも良い。だからユフィリア嬢は好きな理由で、選びたい理由で私の所に来てくれるといいなって思ってる」
私の言葉にユフィリア嬢はただ呆けたように私を見ている。まるで迷子のように、どうしていいかわからないといった様子で。
「ユフィリア」
そんなユフィリア嬢の視線を奪ったのはグランツ公だった。ユフィリア嬢の隣に座っていた彼は、ユフィリア嬢を挟んで向こう側にいる。
能面のように思える無表情でユフィリア嬢を見つめていたグランツ公は、ゆっくり息を吐き出すように告げた。
「……すまなかったな」