「……ふぅ、やれやれだな」
ごきり、と硬くなった肩を解す。目の前には書類の山、今日の目標であった政務を終えた事で気を張っていた緊張が幾分か解れるようだった。まったく、国王の仕事は日々どんなに頑張っても減る事がないものだな。
「陛下、本日の政務お疲れ様でございました」
「良い、グランツ。そう畏まってくれるな」
私にそう声をかけたのは、この国の代表貴族と言っても過言ではないマゼンタ公爵家の当主であり、パレッティア王国の宰相を務める親友、グランツ・マゼンタ。
そしてグランツに声をかけられた私が、パレッティア王国の現国王、オルファンス・イル・パレッティアである。丁度、国王としての激務に一段落が付いた所だった。
「グランツ、茶を淹れよう。お前も飲んでいけ」
「それではご一緒させて頂きます、陛下」
「固いと言っているのだ、ここからは国王ではなく友として語らせてくれ」
「……承知した、オルファンス」
口調を崩したグランツに私は満足げに頷く。同じく三十代半ばを過ぎたというのにグランツの若々しさは衰えを見せない。
私の方はすっかり白髪などが目立ち、疲労が原因か、年よりも老けて見られるというのに。この差に思わぬ所がない訳ではない。私だってまだ老人と呼ばれる齢ではない。
グランツの実家たるマゼンタ公爵家の歴史は長い。王家の血を継いだマゼンタ公爵家は王家の象徴である白金色と近しい髪の色を受け継ぐ。だが世代を重ねた事によってその色も王家の色とは異なる色合いとなりつつあった。どちらかと言えば白金と言うよりは銀色に近いだろうか。
そして、何よりグランツの特徴はその目だ。赤茶色のその瞳は燃ゆる焰を宿したように圧の強い鋭さで、見る者によっては目を合わせただけで震え上がる。幸か不幸か、この目付きは娘や息子にも受け継がれているようで、なんともわかりやすい親子だと何度思った事か。
「……子は親に似るものだがのぅ」
鈴を鳴らし、王城付の侍女にお茶の用意をさせながら私は溜息と共に呟きを零す。
私の呟きを聞いていたのか、グランツが対面の席に座りながら視線を向けてくる。
「どうした? また子供についてでも頭を悩ませているのか?」
「頭を悩ませなかった事などないわい!」
からかうように僅かに口元を上げて問うたグランツに私は苛立ち混じりに言葉を返す。
グランツの子供、特に娘であるユフィリアは私も実の娘のように可愛く思っている。
息子であるアルガルドの婚約者だからというのもあるのだが、それ以上にそう思ってしまうのは実の娘である、あの〝うつけ者〟の所為だ。
「最近は大人しいが、嵐の前触れではないかと戦々恐々とするばかりだ」
「アニスフィア王女は、それこそ嵐の申し子のような気質があるからな」
「何面白そうに笑ってるんじゃ、私は何も面白くはないぞグランツ」
ノックの後、侍女が一礼と共に部屋に入ってお茶を淹れて去っていく。淹れたばかりのお茶を飲み、一息を吐く。
「あいつももう十七歳だと言うのに、落ち着く気配が見えないのはどうしたものか……」
「落ち着いてしまえば、それはもうアニスフィア王女ではないだろう?」
「止めよ、気が滅入る……」
「致し方あるまい。アニスフィア王女の振る舞いを許したのは我々なのだからな」
グランツが優雅な仕草でお茶を口に運ぶ。グランツの言葉に私は苦虫を嚙み潰したように表情を歪める事しか出来なかった。ストレスの為か、胃のあたりがずしりと重たくなるのを感じる。苦々しく思いながら、私は深々と溜息を吐き出した。
「世の中、何故問題というのは尽きないものなのかのぅ」
私はすっかり四十代どころか、五十代にすら見えかねないと言われる程に老け込んでしまった。王家の証である白金色の髪はくすみ、白髪が目立つようになっている。
顔の皺も気苦労の為か増える一方であり、最近では鏡で自分の姿を見れば気が滅入ってしまうようになってしまった。それだけに国王という重圧と責務は私にとっては負担なのだろう。それなのに容赦もなく面倒事を巻き起こす実の娘を思えば胃が痛くなる。
「しかし、その気苦労ももう少し楽になるのではないか?」
「む……。それはアルガルドとユフィリアの事か?」
「間もなくあの子達も卒業だろう。今後、本格的に次期国王と次期王妃として立って貰う事が増える。そうすれば自分達で他を導く機会も増える」
「……そうすんなりと行ってくれると良いのだがな」
「……例の噂を気にしているのか?」
私のぼやきにグランツは目を細めながら問いかけてくる。私は返事をするように頷く。
「ユフィリアにも確認は取ったが……アルガルドの奴め、男爵令嬢を囲うのは良いのだが節度というものを持って貰わなければ困るな」
「学院内部の情報は入りにくいが、それでも耳に入る程だからな。つまりはそれだけ表に出てしまっているという事に他ならん」
例の噂というのは、アルガルドがとある男爵令嬢を囲い込んでいるという話だ。ユフィリアが見咎め、何度も注意をしているという話は噂好きの貴族達の間では広まっている。
貴族学院はその性質上、どうしても閉鎖的で外部に情報が広がる事が少ない。それでもアルガルドの噂がここまで届くという事は、それだけ騒がれているという事でもある。それを思えば胃がじくじくと痛むばかりである。
「……すまん、グランツ。王家が無理を言って叶えた婚約だったのだが……」
「婚約者の心を繫ぎ止めるのもまたユフィリアの務めだ。アルガルド王子も節度を持って貰うというのはご尤もだが、これも良い薬となる事を祈るしかない」
グランツは淡々と答えているが、それはこの男が職務に忠実なだけであって愛情がないという訳ではない。むしろ愛するが故に次期王妃として立つ事になるだろうユフィリアに厳しい教育を施している。
表向き、パレッティア王国は平和そのものだ。だが、目が届きにくい所で多くの問題を抱えている。将来を思えば、アルガルドだけでこの国を支えて行くのに不安を感じた私は婚約者として、幼少の頃から才能の片鱗を見せていたユフィリアを婚約者として望んだ。
しかし、どうにもあの二人が互いに想い合っているような関係には見えない。どちらにも義務以上の感情はないように見える。別に貴族の婚約ではそれも珍しい事ではない。
だが、そんな二人に不安を感じていた時にこの噂だ。流石に私も頭を抱えたものだ。
「しかし、ユフィリアがどうにかすると言ったのだろう?」
「それは、そうだが……王家が望んだ婚姻とはいえ、ユフィリアにだけ負担を強いるならば婚約を白紙にするしかあるまい」
簡単に頷く事が出来る訳ではないが、ユフィリアが望むなら婚約を白紙にする事も考えるしかない。元より婚約を望んだのは王家側なのだから、王家側の不始末を尻拭いさせたままというのは筋が通らない。
故にユフィリアに婚約破棄をするかどうか尋ねた事がある。それでもユフィリアが自分に任せて欲しいと言った。結局、私はユフィリアの厚意に甘えてしまった事になるのだが上手く行っているのだろうか……?
そんな不安を感じた瞬間だった。突如、部屋の扉が勢い良くノックされたのだった。
「国王陛下! 火急の報せにございます!」
「火急の報せだと……? 何があった!」
「アニスフィア王女が、例の飛行用魔道具を使って王城へ訪問されました! 陛下に謁見を求めるとの事です!」
「何をやらかした、あの馬鹿娘は!?」
思わず声を荒らげて叫んでしまった。何故、あの娘は大人しくする事が出来ない……!
「それで、その……」
「その、何だ!? 間を開けるのは止めい、疾く報告せよ!」
「失礼致しました! アニスフィア王女なのですが、何故かユフィリア・マゼンタ公爵令嬢を同伴させており、状況を見るからに……誘拐してきたものと思われます!」
その報告を受けて私は目を回して一瞬、意識が遠退いてしまった。なんとか気を取り直そうと首を左右に振る。それでも湧き上がる憤りは収まらず、声に出てしまう。
「……何をやっとるんじゃ、あのじゃじゃ馬娘ェッ! 今すぐここに連れて来させよ!!」