第一話(9)
*
夏休みに入った。
平日と休日の境目がなくなると、いよいよ俺と西地野さんが一緒にいる時間は増えた。
午前はまず自習を行う。だが、数日を経て、一緒に勉強をしたほうが早いということになり、俺の自宅で勉強をすることになった。
普段から制服姿ばかり目にしていたので、私服の西地野さんは新鮮だった。イメージ的にワンピースなんかを着ているのかと思いきや、フーディーを合わせたスポーティなシルエットだった。どちらにせよ可愛い。以上。
天川さんは時折ふらりと現れては、我が家の冷蔵庫から勝手に棒アイスを取り出すと、口にくわえたまま、ソファに寝転び、小説三昧だ。いつ勉強しているのか不明だが、成績上位組であることは知っているので俺からは注意の一つもできない。
西地野さんの合流が遅くなった日のことだった。
最近では珍しく、天川さんと二人きりになる。
スカートでソファに寝っ転がっているので目のやり場に困るんだけど――と考えつつも、注意するのもそれはそれで難易度が高い。適当に無視をしていると、天川さんがもぞもぞとし始めた。
これまでの経験上、喉が渇いているはずなので、俺は無言のうちに麦茶をついで、ソファ脇の机に置いた。ジュースばかりだと健康に良くないからな。
天川さんが驚いたように俺を見る。
「よくわかったね。執事じゃん」
「同級生だろ……」
「一家に一台、安藤海斗」
台……。
「せめて人間単位で考えて……」
西地野さんの優しさが恋しい。
俺の疲れを感じたのかは知らないが、天川さんが半身を起こし、こちらを見た。挑発するような表情ではなく、愛想の良い黒猫みたい。人差し指を顎にあてて腕を胸側に寄せた。
「ありがとっ。いつも気にかけてくれる安藤くん、大好きっ」
……ちくしょう。不覚にも滅茶苦茶可愛いと思ってしまった。普段クールな分、攻撃力がやばい。
だが、衝撃が強かった分、反応が遅れたので、ごまかしがきく。チェリーボーイ万歳。
「……そういうことは言わない。誤解されるからね」
「シノとかにね」
「う、うるさいな」
何かと上手だった。
天川さんが唐突に真面目な顔をした。
「で、そういえば、デートに誘ったんだって? とうとう告白するの?」
「ああ、うん。夏にお母さん、亡くなったらしいけど――今の時期に告白してもいいのかな」
そう。俺は決意を固めたのだ。
実は理由がある。
少し前に『人を好きになるタイミング』の話をしたのだけど、それからというもの、なんだか俺と西地野さんの距離感が、おかしいのだ。
悪い話じゃない。なんというか――西地野さんから、グイグイくる気がする。なにかと話しかけてくれたり、普段はしなかったような世間話なんかも多くなった。
最初は一人で悩んでいたが、とうとうわからなくなり、天川さんに相談させてもらった。ついでにイケメンでモテやがるヒカルにも、それとなーく聞いてみた。
二人のリア充の答えは一致した。
『いまだ、押せ』
実は、俺もそう思っていた。
もしも告白にタイミングがあるとするならば、早すぎてもダメだろうが、待ちすぎてもダメな気がする。童貞がなに言ってんだ、と思うかもしれないが、ラブコメを書く為に色んな本を読んだのだ。知識だけなら、むしろ、童貞の俺のほうが持っているともいえるだろう。
天川さんは茶化さなかった。
「大丈夫だよ。むしろ夏が楽しみになるくらいの、良い思い出になると思うよ」
「そうかな」
「うん。夏の日を思い出すたびに、安藤君を思い出すよ」
「それ俺死んでるよね」
「ぷっ」
「おい?」
やっぱり楽しんでるよな?
天川さんは笑いながらも、申し訳なさそうに言った。
「ごめん、ごめん。お詫びに助言してあげる――とにかくシノはさ、恋愛音痴なんだと思うよ。だから強い衝撃を与えないと、まず正常にならないわけだ。直接、がつん! と遠回りせずに思いをぶつけることが一番、大事ってこと」
「な、なるほど?」
天川さんは麦茶を飲み干した。唇についた液体を舌先で舐めると、「じゃあ練習してみようか」と言う。
「練習? なんの?」
「とにかくシノに告白する練習してみよってこと――じゃあ、はい、どうぞ。思いを口にして?」
「いや、無理だろ」
どんな罰ゲームだよ。
だが天川さんは本気のようだった。ぐっと両の拳を握る。やけに演技くさい。
「ダメ! そんなんじゃ成功しないよ! 衝動的に、思ったことを伝えてみて!」
熱意に圧された。
そもそも美人なので、グイッと寄ってこられると、鼓動が早くなり、思考が乱れる。
「ええ? っと、あの――好きでした! 黙ってて、すみません! 付き合ってください!」
アホみたいな台詞を真顔で口にしてしまった。じわじわと恥ずかしさが込み上げてきた。
ぷるぷると震えながら半泣きしている男子高校生はこちらです。
天川さんは、真面目な顔をして頷く。若干、西地野さんっぽく、すまし顔な気がした。
「……はい、わたしも安藤くんが好きです――いや、待って、ごめん、我慢できない……! ま、まさか本当に言うなんて、さすが、安藤くん……面白すぎ!」
腹の底から大笑いしていた。涙まで流している。とんでもない人に相談をしてしまったものだと後悔したが、彼女のおかげで先に進めてもいるのだ。感謝こそすれ、文句はない。
ガチャリと玄関ドアが開く音。遠くから聞こえる声。
『おじゃまします、西地野です――』
「面白いから、シノにも言ってこよ!」
「鬼! 悪魔! 新刊あるよ!」
「お、まいどあり~。とってこよ~」
というわけで。
告白だ。
人生二度目の、告白だ――。
*
約束のときはやってきた、なんでもない一日だった。
花火大会とか、夏祭りとか、いくらだってイベントはあると思うのだけど、俺が西地野さんをデート――という名のイベントに誘ったのは夏休み中のなんでもない一日だった。
「あ、あのさ! もしも西地野さんが良ければだけど、横浜、とか、興味ない? なんか雑誌に色々載ってて、行ってみたいなーって」
さりげなく誘おうとしたら、そういうことになってしまったのだ。先行き不安だが、仕方ない。あと雑誌に載っていたのは『告白スポット特集』としてである。失言だ。
「あ、はい……これって、あの……わかりました」
デート、とは言えなかった。
ただ、一緒に出掛けようということにしただけだ。
それでも西地野さんは焦っていた。俺も焦っていた。二人で焦るだけだった。
人生で初めてのデートだった。集団デートっぽいことを中学時代にしたことはあったが、女子と二人きりで遊びに出かけたのは初めてだった。
様々な失敗をした。散々なんてものではなかった。
迷子らしき子供を助けていたら、三十分前に到着するはずが三分遅刻した。海辺の綺麗なレストランで昼食を取る際に水をこぼした。中華街で買い食いをしていたら、肉まんを取り落とした。そのショックで観覧車に乗るときも、公園を散歩するときも、動きがガチガチになってしまってエスコートどころではなかった。夕食も一緒に食べたが、緊張から味がしなかった上に、財布を席に忘れて、慌てて戻った。成功率が上がるらしい告白スポットで思いを伝えようとしたが人が多すぎて断念し急遽予定を変えた。それから最後に――三日三晩考えた告白の言葉をすべて忘れた。いいところなんて何一つなかった。でも、必死だったのは間違いない。
咄嗟に出てきた言葉は、天川さんと交わした、あのときの練習の成果だろうか。
「西地野さんのこと、ずっと好きだった。手伝い始めた理由は、それなんだ。嘘をついてたみたいで、本当にごめん。でも……、西地野さんのことを助けたいと思った気持ちは本当だ。もしよかったら、これからも手伝わせてほしいとも思う」
「……あ、はい、ありがとうございます――あの、わ、わたしも」
そのときの西地野さんの表情も、仕草も、声音も――俺は死ぬまで忘れないだろう。記憶が消えたとしても、走馬灯の中で見つけられるに違いない。
「実は、わたしも安藤さんのこと、好きになっていたのに――伝えるのがなんだか怖くて、隠してました。だから、嘘つきはお互い様です。安藤さんのことは責められません」
これは、まさか――情けない確認をした。
「付き合って、もらえるってこと……?」
「……はい、わたしからも、お願いしたいです」
好き。
西地野さんは――俺のことが好き。
なんてことだろうか。信じきれていない自分がいた。
吐きそうだったが、なんとしても耐える。一つだけ、伝えておきたいことがあったから。
彼女の人生に『嘘』なんて言葉はまるで似合わないと思ったのだ。二度と口にさせたくなかったし、口にさせてしまった自分を情けなく思った。
「これからはお互い、嘘をつかないようにしよう」
「……はい! 本当の気持ちを伝え合いましょう!」
嬉しそうに微笑む西地野さんを見て、正解を見つけた気がした。