第一話(8)
*
告白――相手に自分の本当の気持ちを伝えること。
特別な行為だ。決意を要し、勇気を求められ、なんなら運だって必要とする――そんな告白を俺は実行するという。まるで他人事のように話をしているが、事実、自分の決意が信じられなかった。
告白? まじですんの? また傷つくかもしれないのに? ――でも、西地野さんとの時間が積み重なるたびに、それをしなければ、俺の体の中に溜まった何かが爆発してしまいそうだった。
ガス抜き、という言葉があるが、実際、そういうことと同義なんだろう。俺は、告白をしなければならない。でなければ、ガス爆発を起こす。
梅雨が明けた七月。
夏休み前の暑い毎日の中でも、西地野さんは薄手のフーディ―を着用していた。嬉しいことに俺と一緒にいるときにフードは被っていないが、やはり図書室で別々に行動をしているときに、ふと、その後ろ姿を見ると、頭を覆っている姿が認められた。
最近、わかってきたこと――おそらく西地野さんは、自分の容姿に対して、他人に何かを言われたくないのだ。仕方ないかもしれないが、西地野さんには好奇の目が向きやすい。それでも黙ってくれていればいいが、聞きたくない言葉ほどポッと耳に入ってきてしまう。
俺にも覚えがある。たとえば、自分の好きな小説への批判を聞きたくない気持ち。
ケチをつける奴がいるのはわかる。でもそれは俺の耳には入れないでくれ、と思う。もしそんなことを聞いてしまったら、俺も傷つくし、そんなことを言う相手を嫌いになってしまう――それどころか、相手に悪意を覚える自分にも幻滅してしまう。
回避方法はいくつか思いつく。たとえば『見せない・聞かない』。西地野さんは見せないことを選んでいる。ちなみに俺は『聞かない』という方法を取っている。だから一人で行動するときは十中八九イヤホンをつけている。
ここ数か月は、西地野さんと行動をしているから、イヤホンで耳をふさぐことが少なくなった。だって、本当に大事にしたい、西地野さんの声が聞こえなくなるから。
西地野さんも同じ――だと思う。勝手に信じてもいる。フードを被らないのは、俺や天川さんと同じ景色を見たいからだ、と。一人のときにフードを被るのは、俺がイヤホンをつけて世界と自分とを断絶することと同じなのだ、と。
出会った頃を思い出す。
西地野さんに勝手に親近感を抱き、恥ずかしさを覚えた――あながち間違いではなかったのかもしれない。
*
図書室から帰宅し、自宅での作業に着手した。もちろん西地野さんと二人だ。当初こそ緊張の毎日だったけれど、今では日常へと進化した。
「あ、そうだ、安藤さん。この前の商店街の会長さんから、感謝のお手紙が届いてましたよ」
「ああ……俺が、池の掃除したときの……」
あれは大変だった。うちの生徒だか知らないが、商店街脇の公園の池に、高校生がゴミを捨てていくという話を知った俺たちは、掃除を申し出たのだ。
校内ボランティアを募ったが応募はゼロ。「わたしが、池に入って、ごみをさらいます」と、今にもスカートをまくり上げそうだった西地野さんを止めて、結局、俺がすべてを成し遂げたのだった。鯉が足の間をぬるっと通過した感触は、今でも忘れられない。
げんなりとしていたのが、バレたのだろうか。
ふふ、と西地野さんが笑った。
西地野さんには、時折こういうことがある。思い出し笑いというやつ。本人曰く「わたしは、どうも鈍感なところがありまして……事が済んでから、色々と頭の中で繰り返し考えていると、面白いこととか、新発見であることとかに、気が付くんです」とのことだった。
以前の俺なら戸惑っただろうが、今では生活音と同等に受け入れられていた。第一、今の笑いの意味を聞いたとしても、池の中でへっぴり腰だった俺の説明が始まるだけだろうし……。
明日の天気を尋ねるみたいに、西地野さんが言った。
「そういえば……安藤さん。一つ、聞いてもいいですか」
「ん? ジュース? お菓子はチョコしかなかったかも」
「違いますっ。わたしはそんなに子供っぽいでしょうか……」
ちょっと拗ねてしまったみたいだ。たしかに子供に対する対応みたいだったか。でも、ジュース欲しいときはいつも冷蔵庫のほうをちらちら見るし。お菓子のときも同じだし。
「いやいや……いやいや?」
「フォローになってません!」
「ごめんなさい」
「許してほしければ、ジュースをください。アップルです」
「はい、わかりました、会長」
「まだ立候補前です」
「わかりました、未来の会長」
「もうっ」
ぷくうと膨れる西地野さん。めちゃ天使。
俺にも、これくらいの軽口を叩けるくらいにはなったのだ。まあ、平日は毎日一緒にいるし。問題解決もそれなりにこなしてきたから。親友と言うより、仲間といった感じの結束力ができたのだろうと思う。
「で、質問ってなに?」
コップに入ったジュースを受け取ると、西地野さんは、明日の献立を尋ねるみたいに言った。
「あ、はい。えっと――安藤さんは、人を好きになったことがありますか?」
「……っ?」
座りかけの椅子に、尾てい骨を思い切りぶつけた。
なんとか取り繕って、答える。
「まあ、それなりには」
キミが好きなんだ――と言えるのは、漫画の中の話。俺には無理だ。
なんでそんなことを聞いてくるのか、と心臓をバクバクとさせて説明を待つ。
「昨日、綺羅ちゃんから聞かれたんです――『人を好きになるって、どういうことかな?』って。わたし、そのときはなんとなく流してしまったんですけど、なんだか後から気になってしまって。昨日から考えていたんですけど……納得できる答えが見つからなかったものですから」
「……なるほどね。それで、俺に尋ねてみたと」
うん。
絶対に相談相手を間違えているね。
「はい。なぜか安藤さんに聞きたくなってしまいました。どうしてでしょうか?」
西地野さんは、はにかんだ。めちゃかわいい――じゃなくて。
どうしてもなにも、俺が聞きたいよ。天川さんに質問を返したほうが近道じゃないだろうか。意味がわからなかったが、確かめる術もない。なにより西地野さんが理由をわかっていないみたいだし。
それに、ちょっと――ちょっとだけ気になる。西地野さんのコイバナ……!
「すみません、いきなり変な話をしてしまって。やめましょう、この話題は」
「いや! 気にしないで!」
「え、あ、はい――……安藤さん、どうかしました?」
「全然?」
「そうですか……? ならいいですけど……?」
いけないぞ。西地野さんに疑われてはならない。ジュースをさらに注いで気を逸らせよう。西地野さんのご機嫌取りは意外と簡単なのだ。
「ほら、ジュースどうぞ。もっと飲んでいいからね?」
「子供扱いしないでくださいっ」
「ごめんなさい」
失敗じゃん! ぷくうとか膨れちゃったじゃん! かわいいな! じゃないよ、アホ!――とにかく冷静になるんだ、海斗。これがゲームだとしても選択肢は間違えられないし、そもそも現実における選択肢は自ら作成しなければならない。
さあ、どうする。
かつてないほどに頭脳が高速回転している。問題はなんだ――人を好きになる、とはどういうことか。好きになる……好きになる……待てよ? 考えなくても、答えは俺の中にあるんじゃないのか? だって目の前に、好きな人が座っているのだから。
俺は自然と、西地野さんを両の目で捉えていた。どこかよくわかってなさそうな、西地野さんが座っている。まるで告白をしているかのように緊張しながら口を開いた。
「……人を好きになるというのは『寝ても覚めても、その人のことしか考えられない』っていう状態を指すんじゃないかな」
朝に目が覚めても、夜に目を瞑っても――それこそ夢の中にだって出てきてほしいと願うこと。それが『人を好きになる』ということなんじゃないだろうか。ずっと一緒にいたいと思える人が、好きということなんじゃないだろうか。俺は西地野さんを、そう思っている。
「寝ても覚めても、ですか」
「そう。いつだって、どんなときだって、その人のことを考えてしまって、時間があっという間に過ぎていく――それが好きになるってことだと思う」
「なるほど……興味深いですね……」
わかっているのか、わかっていないのか――西地野さんは、まるで勉強をするかのように『ふむふむ』と頷いている。板書でもしかねない勢いだが、つまるところまだ身についてはおらず、言葉が響いていないような感触があった。
なんだか告白を失敗したかのような大ダメージを食らってしまう、俺。
消沈。
焦燥。
思わず口が滑る。普段なら絶対にできない質問だった。
「西地野さんは、好きな人とか、いないの?」
「……いないです」
ジ・エンド。
まあ、期待してなかったけどね! 俺の名前が出てくるとか、期待してなかったけどね!
傷心をごまかすように、ふっと視線を向けると、西地野さんの顔が真っ赤だった。
恥ずかしいならそもそもこんな話をしなきゃいいのに、と微笑ましくなってしまう。
俺は単純だ。好きな人が困っていれば手を差し伸べたくなる。
だから、これは他意のない本音の助言だった。
「ずっと一緒にいたいと思える人がわからなくても、たとえば、ずっと一緒にいられる人なら、現在進行形で、見つかるんじゃない? 家族だって、そういうものなんだろうし」
「ずっと一緒にいられる……ですか?」
「そう。だって家族は、好きだから一緒にいるっていうよりも、一緒にいられるのは、好きだからっていうか、そういう逆説的な感じあるでしょ。それが結果的に好きってことじゃないかな。だから、西地野さんが好きな人は、ずっと一緒にいられる人ってこと」
「……、……」
なぜか沈黙する西地野さん。
よくわからないので、言葉を待っていた。
同時に考える。また、なにか失言してしまったのだろうか――あれ、ちょっと待てよ? 俺、思い違いをしていないか?
家族愛というテーマを利用して、恋心を説明している気持ちになっていた。まるで小説の書き方を教えるぐらいの気楽さだった。
でも、違う。
だって、この話は家族というよりも――俺と西地野さんの話に聞こえなくもない。俺のこと、どう思う? なんて聞いているように聞こえなくもない。
ま、まずい……。
「あ、いや、そういうことじゃなくて……!」
動くところはすべて稼働させて、否定の異を示した。
西地野さんはポカンとしていた。思い出し笑いをするときみたいに、過ぎ去った記憶を頭の中でもう一度展開し、丁寧に反芻しながら、大事な感情を見つけているみたいだった。
まるで立ち上がりの悪いパソコンみたいに固まっていた西地野さんだが、緑の目だけは俺を捉えて離さなかった。
そして、言う。
「……わたしが、安藤さんを……好き?」
視線が、合う。
無言。
流れ星が落ちてきたような衝撃が、お互いの間に発生した。
「い、いや、家族の話! 家族ね!」
「安藤さんと、家族になる……?」
勘違いが暴走していた。
「いや、とにかく――」
顔が一気に熱くなる。呼吸が上手くできない。小刻みに首を振っているつもりだったが、もしかすると体が震えているのかもしれなかった。
「――『俺』の話とは、言ってないから……!」
詭弁のようだった。ただ、誤解のないように言わせてもらえば、実際に固有名詞を口にしたわけではないので、苦し紛れの台詞は真実でもあった。
「あ、……え?」
今度は、西地野さんが顔を赤くする番だった。
真っ白な顔が、バーン! と大爆発。
「うぅ……」
翡翠色の目が揺れながら、下に落ちていき――沈黙の中で、もそもそとフードを被ると、とうとう顔も伏せられた。
闇に差し込む月明りのような、まっすぐで銀色に輝く髪が、二人の間にさらりと垂れる。
布団を被るみたいにフードの端を引っ張った西地野さんは、まるで雷におびえる女の子のようにも見えたし、サンタクロースの正体を暴いてやろうと深夜まで起きている子供のようにも見えた。
で、一言。
「……安藤さんの、いじわる」
「なんで?」
いや、本当はぜんぶわかってる。悪いのは俺だ。人生、ラブコメ漫画のようにはいかないのだ。
とりあえず滅茶苦茶謝ったおかげか、関係は破綻しなかった。
フードの奥からぼそぼそ声。
「許してあげます――けど、今度の日曜日に、付き合ってください」
「それって……」
まさか、デートの誘い? もしかして、雨降って地固まった?
西地野さんの声は、幾分かはずんでいた。
「別の地区の池の掃除をしたいんです」
「あ、はい、よろこんで」
デスヨネー。所詮、俺の役目などこんなところが関の山だろう。
西地野さんは悪戯が成功したみたいに微笑む。
「……ふふっ」
「いや……はは」
つられて、俺も笑ってしまった。着飾ることのない、裸の感情をぶつけ合うような、くすぐったい感覚。
どう考えても、スマートな会話じゃなかった。
でも、なぜだろうか――西地野さんと俺との間に流れる空気は心地よかった。