第1章 刻の怪獣 (3)
「―――さい―――ください――」
誰かの声が聞こえる。
たぶんまだ若い女性の声だろう。
「―くださいって―――起きてくださいってば―」
この声……なんだろう、どこかで聞いたことがあるような、ないような……。
それにしても、無性に眠い。まるで瞼が鉄のシャッターになったみたいに。
だからできれば、このまま寝させといてほしいなぁ……なんて―。
「このっ、起きろって言ってるじゃないですかッ!」
次の瞬間、バチーン!と爽快な音を立てて俺は頬を引っぱたかれる。
その音と痛みで、シャッター化した俺の両瞼は一発で全開となった。
「はぶぅ!? な、なにすんだ―!?」
「この寝坊助、ようやく起きましたね!」
どうやら俺は今まで気絶していたらしく、それをご丁寧にビンタで起こしてくれたらしい。急いでるのかもしれんが、せめてもう少し優しく……。
「走れますか!? 走れますよね!? すぐ逃げますよ!」
そう叫んで俺の胸ぐらを掴むのは、赤髪をツインテールに結んだ可愛らしい少女。背丈は160センチより少し高いくらいで、年齢は16歳前後ってとこだろう。整った顔立ちは控え目に言って美少女だが、八の字を逆さにしたようなムッとした眉と吊り上がった目つきがどこか生意気そうに見える。
……っていうか、この子いやに健康的な顔してるな。服装もまるで終焉後以前みたいに小綺麗で―。
いや待て、この子の顔―見覚えがあるぞ……? 確か随分と昔に、一度会ったような……。
それに、なんだろう、どこか漠然とした違和感が……。
―ていうか、え? 逃げる?
「……? 逃げるって、なんで……」
「はぁ!? そんなの見ればわかるで―ッ!」
赤髪の少女が言いかけると、どこからともなくビー!ビー!という警報音が聞こえてくる。
『市民の皆様にお伝えします。只今、区内に設置された怪獣線計測器によってグリフォス線が検出されました。推定グリフォス線出力は8000。高い脅威が予想されます。市民の皆様は、速やかに付近の地下シェルターへ退避して下さい。繰り返します―』
―俺は耳を疑った。
この聞く度に背筋が凍る、低いトーンの落ち着いた喋り口調。間違いない、これは街中に設置されたスピーカーから鳴るアナウンス。怪獣線計測器が高出力グリフォス線をキャッチした合図だ。
しかしこれは日本が滅亡した時点で鳴らなくなったはず。事実、俺はもう10年来聞いていない。
それがどうして―。
いや、それよりも―アナウンスが流れたってことは―。
『ギ……ギギ……!』
赤髪の少女の背後から、ギチギチというなにかが蠢く音が聞こえてくる。
「ヤバッ……!」
彼女は血相を変えて振り向く。
それによって、彼女の身体で遮られていた物が俺の目へと飛び込んできた。
―岩のようにゴツゴツとした外骨格を持ち、鎌のように鋭利な6本足を動かし、クワガタのように飛び出した口元のハサミをギチギチと鳴らす、全長5メートルほどの昆虫のような生命体の姿。
「か―――怪獣ッ―!!!」
『ギギ―ッ!』
昆虫のような怪獣は前足を掲げ、俺たち目掛け振り下ろしてくる。もしマトモにあんな物を受けたら、2人揃って串刺しになってしまうだろう。
「危ないッ!」
俺と赤髪の少女は反射的に身体を動かし、間一髪で怪獣の一撃を回避。
だが避けたからといって危険が去ったワケではない。昆虫のような怪獣は引き続き俺たちへ狙いを定め、ジリジリと詰め寄ってくる。
―俺はこの怪獣を知っている。コイツは通称〝兵隊蟲の怪獣〟。1体だけならそれほどの脅威ではないが、常に群れで行動し軍隊の兵士のように統率の取れた動きで獲物を襲う厄介な習性を持っている。過去には防衛隊が5000匹を超える大群を討伐したこともあったっけ。
つまり―コイツが1体いるということは―。
『ギギ……!』
『ギ……ギ……!』
『ギギギ……!』
俺たちを襲った個体の後ろから、ワラワラと湧いてくる兵隊蟲の怪獣。ひい、ふう、みい―ざっと見回しただけでも、100体以上はいるだろう。
赤髪の少女は冷や汗を垂らし、
「こ、これは……絶体絶命ってやつでしょうか……?」
「クソッ、銃、俺の銃はどこだ!?」
俺はついさっきまで持っていたはずの突撃銃を探す。大群を相手に銃1丁で立ち向かえるワケもないが、あんなオンボロでもないよりずっとマシだ。しかし、周囲にそれらしき物は落ちていない。
「銃って……防衛隊員でもない貴方が、銃なんて持ってるワケないじゃないですか! 寝惚けないでくださいよ!」
「いや、そりゃ俺は防衛隊員じゃないが……っていうか、防衛隊なんてとっくの昔に壊滅しただろうが!」
「だから寝惚けないでくださいってば! ―って、来た!」
俺たちがどうにも嚙み合わない会話をしている間にも、兵隊蟲の怪獣は一斉に俺たちへ向かってくる。
ドドドド!という地鳴りを鳴らしながら、津波の如く襲い来る怪獣たち。今更走って逃げてもすぐ追い付かれるのは明白。
俺は死を覚悟したが――その刹那、大群の中心に何かが落ちてくる。
そして―爆発。まるで隕石かミサイルでも落下してきたのかと思えるほどの大爆発で、十数匹の兵隊蟲の怪獣がバラバラに吹っ飛んだ。その衝撃は凄まじく、発生した衝撃波の余波が離れた場所の俺まで伝わってくる。
――あれ?
この感じ、なんだかどこかで―?
「な……なにが……」
「…………
少女の声。
煙の中から立ち上がる人影。
高らかに持ち上げられる大きな剣。
―知っている。俺はあの姿を知っている。あの武器を知っている。
防衛隊の隊員のみが着用を許される強化戦闘服ミョルニル・スーツ。
持ち主の背丈の倍ほどもある巨大な対怪獣用大斬刀。
それらで武装した、可憐な銀髪の少女―。
「……了解。コードネーム〝クレイモア・レイヴン〟、これより救助と殲滅を開始する」
見紛うものか。忘れるものか。
日本で最も多くの怪獣を殺した〝最強の防衛隊員〟。
かつて俺の命を救い、代わりに自らの命を散らした恩人。
そして同時に―子供の頃から共に育った、俺の幼馴染。
「ア――アズサ――ッ!」
「ハァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」
號ッ!と彼女は大斬刀を振り抜く。
ひと振りで、ひと薙ぎで、全長5メートルある兵隊蟲の怪獣たちがまとめて斬り裂かれる。100匹以上いたはずの大群が、彼女が大斬刀を振るう度に一気に数を減らしていく。怪獣たちの視点で見たなら、これほど恐ろしい殺戮ショーもないはずだ。
「あ、あの人は……『ホワイト・レイヴン』部隊のエース〝クレイモア・レイヴン〟! あの強さ、間違いない……本物です……!」
俺の隣で彼女の戦いぶりを見ていた赤髪の少女は、興奮を抑えられないといった様子で目を輝かせる。その瞳に宿るのは憧憬と尊敬。かつて俺が防衛隊員に憧れていたように、きっとこの子もアズサに強く憧れているのだろう。
もっとも、彼女に限らずアズサを見れば誰でも同じ反応をするはずだ。防衛隊日本支部において最強であり防衛の象徴でもあるエリート部隊『ホワイト・レイヴン』。その隊員は人々にとって英雄であり、超が付くほどの有名人なのだから。
その部隊名に使われるカラス《レイヴン》は神の使いや太陽の化身とさえ言われる八咫烏から取られたものであるが、同じくアズサのコードネームにも入る〝レイヴン〟は最強の部隊である『ホワイト・レイヴン』の中で最も戦果を上げた者だけが名乗ることを許される。
故に彼女は〝最強の防衛隊員〟。日本で最も多くの怪獣を殺した英雄の中の英雄。
そんな人物を間近で見られたら、大抵の人は興奮を覚えるものだ。おまけにアズサはグラビアモデル顔負けの容姿とプロポーションをしていることもあって、若い人々からは特に熱烈な人気があったからな。
だが喜びを露わにする赤髪の少女とは対照的に、俺はただただ驚愕し茫然としていた。
「アズサ……どうして生きて……?」
そう、アズサは死んだはずだ。あの時確かに俺を救って、破壊の怪獣に殺された。それがどうして―。
いや、それだけじゃない。彼女が死んで既に10年が経過しているのに、見た目が全く変化していない。17歳ぐらいの容姿のままだ。
同時に、俺はさっきまで感じていた違和感の正体にようやく気付く。
風景だ。周囲の風景―つまり俺たちを囲む街並みやビル群があまりにも綺麗すぎる。破壊の怪獣に蹂躙などされなかったかのように、倒壊したり上半分が消し飛んだ建物が一切見当たらない。
まるで、俺が少年期を過ごした10年前の東京のようだ。
「これは……なにがどうなってんだ……?」
不意に、俺は顔を左に向ける。視線の先にはビルの鏡ガラスがあり、そこに映り込んだ自分の姿を見てさらに驚かされる。
―若返っている。明らかに。そして服装もさっきまで着ていたボロボロの衣服ではなく、終焉後の前に持っていた懐かしいパーカーだ。
―10年前と同じ姿で現れたアズサ。
―10年前と同じ姿をしている俺。
そして―10年前のように破壊されていない街並み。
まさか、まさかこれは――。
「
「こちらB中隊第7小隊! 俺たちはクレイモア・レイヴンへ加勢するぞ! 1匹も逃がすな! 10ミリ
そんな声と共に、バババン!と甲高く響く突撃銃の銃声。それと同じくしてミョルニル・スーツを着た戦士たちが怪獣へ向かっていく。
『国境なき防衛同盟』―防衛隊という通称で呼ばれる、怪獣と戦うために組織された対怪獣戦のプロフェッショナルたち。怪獣と戦うための専用装備に身を包み、勇猛果敢に戦いを挑んでいく姿は、かつて俺の憧れだった。
そんな、かつて破壊の怪獣に滅ぼされた憧れが、今こうして再び戦っている。真新しい突撃銃を持ち、俺が夢見た姿のままで、人類防衛のために死力を尽くしてくれている。
死線を超えて戦う彼らを見て、俺はほとんど確信を持つ。
パーカーのポケットに入っていたスマートフォンを取り出し、画面を起動。そして思い出すようにおぼつかない手つきで操作し、カレンダーで今日の日付を確認。
―〝2041年、5月23日、午後3時30分〟
それが、表示された日時だった。