プロローグ
『繰り返します。国家非常事態宣言が発令されました。市民の皆様は、直ちに付近の地下シェルターへ退避して下さい』
―街中に設置されたスピーカーから音声が流れる。
如何なる状況の人でも確実に聞こえるであろう、大音量の読み上げ音声。
その低いトーンの落ち着いた喋り口調は、不気味にさえ感じる。
『繰り返します。〝怪獣〟の襲撃により、国家非常事態宣言・最終フェーズが発令されました。日本国政府及び
音声が、何度も何度も無慈悲な現実を突きつける。
―都市が、燃えている。
無数のビルが薙ぎ倒され、立ち昇る黒煙が空を覆い、衝突して数珠繋ぎとなった車たちが道路を覆う。
皆死んでいる。男も女も大人も子供も老人も若者も、そして俺の家族も。
何千何万という数え切れない人々が血を流して倒れ、こと切れている。少なくとも目に映るのは死者ばかりだ。
地獄か悪夢か、もうそんな言葉しか思い浮かばない凄惨な光景。
これまでの日常が全て終わってしまったと、そう実感するには十分すぎる景色だった。
『ヴゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!』
日本の首都を火の海に変えた、人類の敵。
―怪獣。
推定全長6000メートルはあろうかという途方もない超々巨体に、溶岩のような真っ赤な血管が無数に覗く分厚い黒皮膚。異様に突き出た鰐のような口と鋭い歯。地面を擦る3本の尻尾。背中から伸びる4本の触手にはまるで刃物のような鋭い突起が付いている。
今から僅か8時間前、突如日本近海に現れたコイツは東京へ上陸し、日本の首都を戦場へと変えた。
迎撃に当たった『国境なき
そしてこの戦いで、防衛隊は史上初めて〝壊滅〟した。投入された防衛隊員、その過半数が死亡したからだ。
これまで数多の怪獣を撃退してきた防衛隊が初めて完敗を喫した相手、それがこの黒い怪獣。その迫力に満ちた姿形は、人間など蟻にも等しいと誇示しているかのようである。
『ヴゥオオオアアアアアアアッ!』
巨大な口をバックリと開け、黒い怪獣は赤熱色の熱射ビームを放つ。薙ぎ払うように放たれた熱射ビームは遥か遠方のビル群を焼き尽くし、爆炎の柱を巻き上げる。今の一射だけでも、おそらく数千人の人々が消し炭にされただろう。全てを焦土へと化すその熱射ビームによって、防衛隊も東京も全てが破壊し尽くされたのだ。
「あ……あぁ……!」
そんな黒い怪獣を前に、俺は恐怖に竦んでいた。
できることなら、今すぐにでもこの場から逃げ出したい。しかし崩れたビルの瓦礫に左足を潰され、身動きがとれないのだ。
俺はもう生き残ることをほとんど諦めていたが―今俺の目の前にいる、たった一人の少女は違った。
「アズサ!」
「もう避難してると思ってたのに、まさか最後に会えちゃうなんて……皮肉だね」
防衛隊の強化戦闘服ミョルニル・スーツを着込み、自身の背丈の倍ほどもある巨大な
彼女の名前は
そして同時に―子供の頃から共に育った、俺の幼馴染だ。
「ダメだアズサ! 俺のことは置いて逃げろ!」
「バカ言わないで。命に代えてでも一般市民を守る、それが防衛隊員だって……子供の頃、私とシンが憧れたのはそういう存在だったじゃない」
彼女は笑いながら言う。
額からも血を流して全身ボロボロになった身体で、逃げ遅れた俺を守るように黒い怪獣と相対するアズサ。その状態は俺よりもずっと重傷で、とても戦えるようには見えない。
「お前も酷い怪我してるだろ!? お願いだ、お前だけでも逃げてくれ! 俺は―!」
俺が言い終えるよりも早く、彼女は
「シン、聞いて。私が時間を稼ぐから、少しでも遠くへ逃げるの。ほんの少しでも、ほんのちょっとでもいい。ここから離れて……シンだけは生きてよ」
「アズサ……なに言って……」
「私さ……最後に守れるのがシンで、よかった」
そう言いながら、彼女は俺へと振り向く。
その幼馴染の顔は笑顔で、そして泣いていた。
「ハァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」
刹那、ドワォ!とアズサは地面を蹴り飛ばして跳躍する。
ひと飛びで100メートルは上昇したであろうその動きは力強く軽やかで、美しさすら感じられた。
『ヴゥオオオッ!』
同時に黒い怪獣の触手が彼女目掛けて襲い掛かるが、アズサの大斬刀はそれを容易く両断していく。触手は太さだけで何十メートルもあるはずなのに、彼女がたった一太刀振るえばズシャアッ!と黒い皮膚が斬り裂かれる。
「ミョルニル・スーツ
出力をフルパワーにしたアズサの強化スーツから、白銀色の揺らめく光が放たれる。
アレは怪獣線―またの名をグリフォス線の光。スーツの素材に使われている怪獣の核が限界まで活性化し、漏れ出ている証である。命が、燃えている光だ。
機動力を重視したスーツの力を極限まで解放した速度。その動きはもはや目で追えず、黒い怪獣へ刻む
そんな彼女の必死の戦いを見て、俺は逃げ出すことなどできなかった。幼馴染の少女が命懸けで戦っているのに、自分だけ逃げるだなんて―。
なんの力も持たない、防衛隊員にすらなれなかった俺にできることなどなにもない、そう理解していたとしても。
「これが音速を超えた一撃ッ! イッッッケェェェエエエエエエエエッ!!!」
アズサが黒い怪獣の頭部目掛け、全開速度で衝突するように大斬刀を振り下ろす。
瞬時に超巨大な怪獣の頭が圧壊するように弾け飛び、その有り余る衝撃の余波は周囲のビルまで薙ぎ倒して離れた場所の俺まで伝わってくる。頭部だけで人の体積の何千倍もあるであろう大質量の塊を、たったの一撃で粉砕したのだ。
凄い―凄すぎる―。
アズサの強さは、これまでTVやネットの中継で何度も見てきた。そして幼馴染であるからこそ、彼女は身体動作という点において天才であり超人であると昔から知っていた。だからこそエリート部隊に入れたことも。
それでもここまでの本気は見たことがない。
そして現に、彼女はたった今黒い怪獣の脳天を砕いてみせた。
いくら超巨大な怪獣と言えど、こうなってしまえば―。俺がアズサの勝利を信じた、その直後だった。
―つい数秒前に木端微塵になった黒い怪獣の頭が、みるみる再生していく。グジュルグジュルという肉が蠢く不快な音を奏でながら、あの大きな口が蘇っていく。
それだけじゃない、斬り落とした触手もすぐに生えてきて元通りになる。
「なん……だよ……それ……」
俺は唖然とする。
触手はともかく頭を破壊されて無事な怪獣など、いや瞬時に再生できる怪獣などいない。
いないはずだった。そんな個体はこれまで観測されたことがない。
こんな―こんなのって―。
黒い怪獣が復活した様を見たアズサは遂に肉体が限界を迎え、全身の力が抜けるように地面に座り込む。「あ~あ……やっぱりダメかぁ……」と口を動かした彼女は俺を見ると、
「シン……逃げ―」
そう呟いたように見えた―瞬間、黒い怪獣の喉奥が赤く光る。
黒い怪獣はそのまま赤熱色の熱射ビームを放ち――アズサの身体は、眩い光の中へと沈んでいった。
すぐに黒い怪獣はビームの射出を止めるが、超高音の熱線が通った後には何も残ってはいなかった。ビルも、車も、コンクリートの地面も―そして彼女の影さえも。なにもかもが、跡形もなく。
「ア……アズサ……アズサアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」
俺は喉が裂けそうなほどに叫喚する。
―見てしまった。この目で。
幼馴染の死を。大事な人の最期を。最強の防衛隊員の敗北を。
きっと彼女が見てほしくなかったであろう、惨たらしい終わりの瞬間を。
悲鳴のような血の混じった声で彼女の名を叫んでも、応えてくれる者はいない。
アズサは―死んだのだ―。
『…………』
黒い怪獣は絶叫する俺を一瞬だけ見ると、まるで興味をなくしたかのように超巨体を反転させて移動を始める。
殺す価値もない―まるでそう言われているような気分だった。
アズサを殺し、東京を焼け野原にしておいて、俺は見逃されたのだ。
「そ……そうかよ……俺はお前の餌にもならないってか……。は……ははは……!」
ただ惨めだった。ただどうしようもなく悔しかった。
俺は痛む左足を引きずり、ユラリと立ち上がる。
「よくも……よくも俺から全てを奪ったな……俺の家族も……アズサも……!」
俺は両手の拳をギチッと握り締める。両手からボタボタと血が垂れるが、痛みすら感じない。
「許さねぇ……お前だけは許さねぇぞ……! いつか必ず、アズサたちの仇を取ってやる……ッ! お前だけは許さねぇ……お前だけは、絶対にッ!!!」
超巨体を這わせながら去って行く黒い怪獣に、怨嗟を叫ぶ。
東京が壊滅したこの日。俺、蘭堂シンは〝復讐〟を誓った。
いつか必ず――必ず、あの怪獣を殺すと。
―2042年、6月13日、東京壊滅。
人類史上最悪の災禍をもたらした黒い怪獣は、その不死身の肉体と全てを破壊していく暴虐ぶりから、いつしか〝破壊の怪獣〟という名で人々に呼ばれることになる。
破壊の怪獣は東京での出来事から僅か2ヵ月で日本中の主要都市を全て蹂躙し、日本政府と防衛隊は完全に瓦解。日本という国は消滅。
以後も破壊の怪獣は世界中に現れ、国家という国家を破滅へ追いやった。その間も人類は徹底抗戦し、あらゆる大量破壊兵器を投入したが、その全てが無意味だった。
東京壊滅から1年、地球上の人類は90パーセントが死滅。
そして2年後―世界は、滅亡した。