第二話(2)
「……ふざけんな」
僕は言った。
ドスを利かせたつもりだったけど、声がかすれて変な汗が出た。
「僕にもプライドがあるんだよ。ハイそうですかよろしくお願いします、なんて死んでも言えるか」
「そうかい? 夢の中で君は、まんざらでもない様子だったけど」
うっせーな。
ああその通りだよ、まんざらでもないどころか前のめりだったよ。
そしてフタを開けてみりゃお前みたいなハイスペック女が現れて、キスまでされて、こっちは戸惑ってるなんてもんじゃないよ。小躍りしそうなくらい喜んでる一面があるのは否定しねーよ。
でもな?
こちとら拗らせ100パーセントの思春期ボーイなんだよ。童貞ナメんなコラ。
「何でもお前の思い通りになると思うなよ? お前がやりたい放題やるっていうなら、僕はあくまでも抵抗してやる」
言い切ってやった。
七味唐辛子の小ビンを握りながらじゃ、いまいち様にならないけどな。
「またまたそんな」
天神ユミリは動じない。
十センチのところまで顔を近づけ、ささやいてくる。
「君、この話には乗り気だったじゃないか。凶悪な竜の姿に変化してぼくを排除しようと凄んでみせて、なのにコロッと手のひらを返したじゃないか。ぼくが『恋人を提供する』と提案した途端に、ぐらっと心が揺れ動いたじゃないか。あまつさえ『積極的な女の子がいいなあ』などとリクエストまでしたじゃないか」
「う、うるせーよ。あれはたまたま──」
「ぼくは積極的に行動を起こしたと自負しているし、実際ぼくから君にキスをした。胸も大きいし、美人でもある。恋人にする女として不足はないと思うけど」
「まさか本人が現れるとは思わなかったんだよ! 不気味なペスト医者が美少女転校生に化けて出てきたからこっちは戸惑ってんの!」
「ふふ。美少女だとは認めてくれるんだ? うれしいね」
「ていうか話がウマすぎる! 絶対なんか裏がある! 『こんなカワイイ子と付き合えるなら他のことはどうでもいいか』みたいな気持ちに正直なってるけど、これ絶対おかしい! なんかの罠! どうせマルチ商法かカルト宗教に決まってる、僕は絶対にだまされない!」
「いいさ。疑り深いのも美徳のひとつだ」
つんつん。
天神ユミリが僕のほっぺたをつつく。
「つまり対立構造になるわけだ。ぼくは君をオトそうとする、君はぼくの誘惑に抵抗する──明確でシンプルな構図だね」
「勝手に話を進めんじゃねー。言っとくけどな、僕はあの夢の世界を捨てたわけじゃないぞ? 夢の中で好き勝手やるのは僕の権利だ。世界が病気になるとか滅びるとか知ったことかよ、僕は僕のやりたいようにする。お前の指図は受けない」
「いいね。ツンデレというやつだ」
「ツンデレだとう……!?」
返す返すもこの野郎、だ。
人のことを雑なくくりで定義しやがって。雑だけど反論できねーじゃねーか。確かにこれ、ぜったいに僕がオトされるパターンの流れだよ。実際問題、こんなキレーな女が彼我の距離十センチのところにいるなんて、未来永劫僕の人生にはありえなかったシチュエーションだよ。
ていうかマジで何なんだお前は。自在だとか、世界を治す医者だとか、僕の恋人になるために転校してきたとか、そういう箇条書き風のキャラ設定だけは何度も聞かされたけど。具体的なことは何もわかんねーままだぞ?
お前はどこのどちら様?
何を目的にどんなことをしている何者なんだ?
「おい」
声を掛けられた。
目の前のヤブ医者からではない。
後ろを振り返る。内心で僕は「げっ」と声をあげる。
「ジロー、テメー。どういうつもりだコラァ」
そこに立っていたのはヤンキーだった。
僕をいつもパシリに使っている同級生。夢の中では僕にパシられてたやつ。
「今日はカレーパンとフルーツオレだって言っただろうが、ああん? 何こんなところでのほほんとうどん食ってやがんだオイ」
ポニーテールを揺らしてガンをつけてくる。
僕は「あ、うん……」と目をそらしながら、コイツ無駄に度胸あるなと感心する。食堂にいる誰もが天神ユミリを遠巻きに眺めている中、真っ向勝負で特攻してくるとは。転校生が初登場した朝の教室では、目をまん丸にして口をぽかんと開けてたくせに。
「オラァ、さっさと買ってこいやコラジローテメー」
「あ、いやうん。でも僕、うどん食べてるし……」
「んなモン後だ後。早くしねーと購買閉まっちまうだろコラ」
「あ、うん。でも」
隣をチラリと見やる。
転校生はほくそ笑みながら、黙って成り行きを見守っている。
「まさか邪魔しねえよな?」
ヤンキーがガンをつけた。
僕じゃなくて天神ユミリにだ。またしても感心する。僕なんて、このヤブ医者と正面切って目を合わせるのも気が引けるのに。ヤンキーってある意味すごい生き物だ、怖い物知らずというか何というか。
「つーか何だテメー、人のパシリを勝手に連れ回しやがって」
ヤンキーはさらに凄んでみせる。
「それでいてあいさつもなければワビのひとつもないってか? どこのどなた様か知らねーけどよ、そいつは筋が通らねえってモンじゃねーのかコラ」
「ふむ」とユミリ。「つまり君は、佐藤ジローくんの所有権を主張している?」
「そう言ってんだよ」
ヤンキーがドスを利かせる。
天神ユミリはまた「ふむ」と思わせぶりに鼻を鳴らして、
「思ったより早い。悪い影響が出ているのかもしれないね」
「……ああん? 何の話だコラ」
「こっちの話だよ。それで、君のクレームを受けてのぼくの答えだけど」
天神ユミリはニコリと笑った。
そしてキスをした。相手は僕だ。朝に続いて二度目。
でも朝の時とはちがう。めちゃめちゃベロチューだ。てらてらぬらぬら光る舌が、ひとつの独立した生き物みたいにうねり、くねり、口の中を隅から隅まで蹂躙していく。
脳髄を直接ゆさぶる犯し方。
網膜の裏側に無数のフラッシュが焚かれ、心臓が動きを止める。
「だけど悪いね」
透明な糸を引いてくちびるを解放し、天神ユミリはにこりと笑い、目をまん丸にして口をぽかんと開けているヤンキーに向けて言う。
「彼はもうぼくのモノなんだ。他を当たってくれるかな?」
ぽかんとしているのはヤンキーだけじゃない。
食堂にいる全員が、そして誰より僕、佐藤ジローが。魂が抜けたみたいになっている。
いやいや。
待って待って。
一度ならず二度までも。キスて。今度はほとんど全校生徒の前で。しかもベロチューかよ。やばいやばい、背中のぞくぞくが半端ない、座ってても腰が抜けた。正直興奮しました性的に。ていうかキスってこんな気軽にできるモノだっけ? 昨日までの僕、女子とまともに会話するのさえ数ヶ月に一度レベルだったのに。
「て」
ヤンキーがようやく口を開く。
開いたはいいが、まるで酸欠の金魚みたい。
「て、ててめっ、てめ、こ、おまっ」
「重ねて言うが、佐藤ジローはぼくのモノだ。どうしてもというのであれば、同じようにして奪い返すんだね」
言い放つ。
その姿のふてぶてしいこと。
尊大の一歩手前、自信と確信に充ち満ちた、それはまさしく強者のありかた。生存競争のピラミッドにおける明らかな頂点。
「──覚えてやがれ」
清々しいほど定番の捨てゼリフを残して、ヤンキーが踵を返す。
勝負あり。いや、端から勝負になってなかったのか。耳まで赤くなっていたヤンキーにむしろ同情したくなる。
「先が思いやられるな」
一方の天神ユミリは。
ついさっきの出来事なんてきれいさっぱり忘れました、という顔で、
「ジローくん、この程度のキスで舞い上がっていては身が持たないよ? 遠くない将来、もっとすごいことをする予定なんだからね。今のうちに刺激には慣れておいた方がいい。何ならもう一回、ここでしておこうか?」
やらねーよ!
即座に拒否して、僕は伸びたうどんをかき込むのだった。
端から勝負にならない、という意味ではヤンキーと変わらない。初めて出くわした時以来、僕は『世界を治す医者』を自称するこの女に振り回され続けている。