第二話(3)

       †


 天神ユミリについてわかっているのはひとつだけ。

 それは僕が、天神ユミリについて何もわかっていない、ということ。


「当たり前じゃないかそんなの」

 ゼリー飲料をちゅーちゅー吸いながら彼女は言う。

「ぼくと君は出会ったばかりだ。出会い方が特殊だったからろくに会話も交わしてない。おまけに本当の意味で顔を合わせたのは今日が初めて。いくら自在を自称するぼくだって、この状況ではお互いを深く知りようがないさ」

 放課後。

 自宅からそこそこ離れたところにある公園。

 昼休みの後も怒濤のごとく様々なことが起きて(天神ユミリを台風の目として、本当に色んなことが起きた──委員長との小競り合い、教師との対決。意外にもギャルから気に入られて連絡先を交換したり、驚天動地なことに文芸部員の方から話しかけられたり、まあとにかく色々なこと。ここでは省略)、これ以上のトラブルはかなわん、と逃げるように下校し、そして今現在。

 僕はブランコに乗っている。

 ただ乗ってるんじゃない。二人乗りだ。

 木製のブランコ板に座った僕の、そのまたさらに上に。天神ユミリが乗っているのだ。

「……重いんだが?」

「胸の大きさのぶんだけ重い、ということだね」

 しれっと返してくる。

「なんだよこれ。青春か? 僕らはいま青春をしてるのか?」

「青春だとも。体重だけでなく、柔肌のぬくもりを存分に堪能してくれ」

 柔肌のぬくもりて。

 なんかおっさん臭い言い回し。

「ちなみにこの体勢だと、君の股間が反応した場合はすぐさまぼくの知るところとなる。辛抱たまらなくなった場合は遠慮なく申告してくれ。対処するから」

 対処って。

 何をどうするってんだよ。

「そりゃもちろん、ナニをあれこれするに決まってるじゃないか。君は卑猥な言葉をぼくの口から言わせたいのかい? ひどいセクハラだね」

 いやどっちが?

 どう考えてもセクハラ被害者は僕の方では?

「嫌ならやめるさ」

 振り返りながら彼女は笑う。

「だけど今のぼくたちに必要なのは、積極的にコミュニケーションを取ることだろう? だってぼくたちは恋人同士なんだから」

 それだ。

 そこが本当にわからない。

 夢の中に夜ごと現れて、僕の夢を破壊していった謎のペスト医者が、僕の恋人を名乗って現実に現れた。

 なんかもう、色々なことがありすぎて驚くのに疲れてしまったし、今のこの状況って僕のシケた人生からすれば奇跡なんだから、黙って受け入れてしまえばハッピーな気もするんだけど。

 でもやっぱり。

 これだけはハッキリさせておかなきゃならない。

 他のどんなことよりも優先して僕は知りたい。

 なぜ僕と恋人になるだなんて言い出すんだ?

 妥協と計算の産物か? それとも気まぐれで遊んでいるだけか?

「理由はシンプルだよ」

 脚を揺らしながら彼女は言う。

「それがお互いにとってベスト、Win−Winの方法だと考えたからさ。君は世界にとっての病であり、ぼくは君という病を治したい。君を治すには君のルサンチマンを解決するのが近道だ。君のルサンチマンが女性への欲求に根ざしているのは明らかだから、まずは君に女を知ってもらいたい」

「それで何でご本人の登場なんだよ」

「君が世界の病だと知っているのはぼくだけで、君の秘められた力を知っているのもぼくだけ、君の問題を把握しているのもぼくだけだからさ。何よりぼくは君に興味があった。これも言ったはずだよ、ぼくは君を好ましく思っていると」

「僕のことなんて何も知らないだろ? ほとんど初対面だし、ヒエラルキー最下層だし、自分で言うのもなんだがチンケなクソガキだぞ僕は」

「君への評価を下すのはぼくだ。君の主観は関係ない」

「不公平だ。僕はお前のことを知らなすぎる」

 ブランコが前後に動き出す。

 つるべ落としに日が暮れていく。あかね色の空の向こうにカラスが翼を広げて飛んでいるのが見える。ダウンジャケットを羽織った背中から冷気が忍び寄る一方で、太ももは汗ばむほど熱い。熱い理由はもちろん、ヤブ医者が尻を乗せているせいだ。

「お前だって僕のことを大して知らないだろうけど、それにしたって立場に差がありすぎる。少なくともお前は僕の夢に入ってこれるし、不意打ちで同じクラスに転校してくることだってできる」

「ぼくは自在だからね。すべてとは言わないが、君のことはそれなりに知ってしまっているのさ」

「不公平だ」

「うんその通り」

「なんとかしろ」

「もちろんそのつもりさ。曲がりなりにも恋人になるんだ、情報の開示は前提条件だよね──とはいえ何もかもお見せする、というわけにはいかない。女には少しばかり謎があった方が魅力的だからね」

「男だって、謎があった方が魅力的なはずだ」

「君はカワイイな」

「馬鹿にしてんのか?」

「ほめてるんだよ。……でもそうだね、君が言うように公平を期するためにも、あらかじめこれだけは伝えておこう」

 ぎぃこ。

 ぎぃこ。

 ブランコの鎖がきしむ音が、ひどく乾いて聞こえる。

 公園には他に人影がない──というより、周囲に人の気配がない。普段はもうちょっと人通りがあるはずだけど、僕ら以外は誰もいない。ちょっと不自然なくらいに。

「ぼく自身が君と恋人になろうとするのには、目的がある」

「目的? どんな?」

「いずれ話す。今は言わない。明確な目的があることを教えたのは、打算があると伝えた方がまだしも君が納得してくれそうだからさ──ぼくは君に力を貸してもらいたいんだ。これは君にしかできないことだ」

「力を貸す? 僕が? どうやって?」

「それはまだ秘密」

 ウインクしてきた。

 ご丁寧に、人差し指でくちびるを押さえながら。

「……話にならねー」

 ベタであざといその仕草がクリティカルに可愛くて、正直ドキリとしたのだけど。今は苛立ちの方が先に立つ。

「状況が変わってねーよ。僕はお前のことが何もわからない。そんなに難しいこと要求してないだろ? お前が何者なのか教えろ、って言ってるだけだ。それでも言えないってことは、何かやましいことがあるのか? 隠さなきゃ都合の悪い事情でもあるのかよ?」

「隠しごとのない女なんて、いつも素っ裸でいる女と同じだろう? 服を着ているからこそ脱がせたいと思うし、中身を見たい、本質を知りたい、と思うんじゃないかな?」

「ごたくはいい。教えろ。お前は何者なのか」

「元よりそのつもりさ。ところでジローくん、ちょっと時間をもらえるかい?」

「時間?」

 こんな夕方から?

 一体何をするってんだ。ウチはオカンが口やかましいから、そこそこ早い時間に帰宅しないと後が面倒なんだけど。

「言葉で説明するより実際に見た方が早いと思ってね」

 いやだから。

 何が? 何の話をしてる?

「とりあえず君のお母さまに電話を掛けてくれるかい?」

 いやいや。

 マジで何なの? どゆこと?

「もしもしお電話代わりました。天神ユミリと申します」

 掛けさせられた。

 スマホを耳に当てて、ヤブ医者は快活な様子でウチのオカンと会話している。ブランコで僕の太ももに座ったまま。

「ジローくんにはいつもお世話になっております。実はですね、ジローくんとは恋人同士としてお付き合いをしておりまして。ええ正式に」

 いやいやいやいや!

 ちょ、おま、それ言うの!?

 オカンに知られたら面倒なことになるに決まってるじゃん!

 ていうかどこにも『正式』要素がないんですが!? わりと一方的に交際宣言されて、めちゃくちゃ一方的にキスされてるだけなんですが!?

「ところでお母さま、今日は折り入ってひとつお願いがありまして。ジローくんを一晩お貸しいただきたいのですが。ええもちろん、責任をもって朝までにはお返しします。悪いようにはしません。……貸していただける? ご理解が早くて助かります」

 いや貸すなよ!?

 ていうか朝まではダメだろ! それと僕の意見も聞けよ! 正体不明の女に息子が誘拐されたらどうすんだ!?

「話がついたよ」

 スマホを僕に返しながら、ヤブ医者は満足げだ。

「快く君を貸していただいた。柔軟性のある素晴らしいお母さまだね」

「普通に無責任なだけだろ……あのババア、テキトーなことフカしやがって」

「ぼくを信頼の置ける相手だと判断してくれたし、息子である君を根っこのところで信頼しているからだよ。短い会話だったけど、お母さまの人柄は十分に伝わってきた。ジローくん、君は恵まれている」

「あーもーわかったわかった。それで? これからどうすんだよ? 朝まで時間をもらうって、いったい何をするつもりなのよ?」

「ぼくを知ってもらうのさ」

「お前を知るぅ?」

 なんだそりゃ?

 確かにお前のことを教えろ、とは言ったけど。それって朝まで時間が掛かるようなことか? 身の上話ならここで話せば済むだろ?

 ……ん?

 いや待てよ?

『言葉で説明するより実際に』とか言ってたよなコイツ。

 でもってコイツに言わせると、僕らは恋人同士ということになるらしくて。今もこうしてブランコで二人乗りして、僕の股間にこの女の尻が重なっている状態で。

 そろそろ夕方から夜になる時間で。

 なおかつ今から朝まで僕を借りるとな?

 ……。

 …………。

 ………………。

 えっ!?

 そ、それってまさか!?

「ジローくん。君はえっちだなあ」

 くつくつくつ。

 ヤブ医者が肩を震わせて笑う。

「そしてやっぱりカワイイね。考えてることが手に取るようにわかる」

 おい何だよその反応?

 ていうかそれしか考えられないだろこの流れなら。初顔合わせでキスしてきて、二度目にはベロチューしてくるようなヤツだぞお前は。

「うんうんそうだよね、そういう流れになりそうなものだよね。君がそういう目でぼくを見ていることがよーくわかった。というわけで君はえっちだ。まったく、とんだ色欲小僧がいたものさ」

「お前にだけは言われたくないよ……じゃあ何だ? そういう流れじゃないんなら、一体どういう流れなんだ? 朝まで時間を掛けて何をするつもりなんだ?」

「ナイトツアー」

 ぎぃこ、ぎぃこ。

 天神ユミリが両脚に力を入れる。

 前後に揺れるブランコの速度が、脚を振るたびに上がっていく。

「場所によっては太陽が出ている時間だろうけどね。まあでも君の主観的には夜の出来事、一晩を通しての大旅行グレートジヤーニーになるはずだ」

「言ってることがわからん。街にでも繰り出すってことか? クラブにでも行って一晩中踊り明かすとか? うわ勘弁してくれよ、そういう陽キャでリア充な感じのやつを僕みたいなのが楽しめるわけないだろ」

「そういうデートも悪くないね。でもあいにく今日はちがう」

 ぎぃこ、ぎぃこ、ぎぃこ。

 ブランコの速度がさらに上がる。

 僕の苛立ちも最高潮だ。

 いまだにわからないんだよ。天神ユミリという濁流に呑み込まれちまった僕は、いったい何をどうするべきなんだ? 流されるだけ流されるままでいいのか?

 ぎぃこ、ぎぃこ、ぎぃこ。

 ぎぃこ、ぎぃこ、ぎぃこ。

 ブランコの速度がさらにさらに上がる。

 ……おいおい。

 なにこれ。けっこう本気で漕いでる?

 二人乗りでやるブランコのスピードじゃないのでは? ていうか、怖っ! 風切り音がビュンビュンいってるんですけど!? え、このまま跳躍してブランコジャンプの世界記録でも作ろうってのか!?

 天神ユミリの正体は、ブランコ競技の世界的アスリートだった!?

 いやいや。そんな馬鹿な展開あるわけ──


「じゃ、行こうか」


 鎖を握りしめている僕の右手。

 その手を取って、天神ユミリは高々と跳んだ。

 いや飛翔んだ。

 ブランコの勢いに任せての大跳躍──

 羽が生えているかのように、体重が存在しないかのように。

 

 

 

 

 


「は? え? ……は?」


 地上の光景があっという間に遠ざかる。

 見慣れた街がジオラマに、ミニチュアに変わり、明かりが灯り始めた家やマンションやオフィスビルが、まるでバケツいっぱいのビー玉をぶちまけたような景色に変わり、ついには満天の星の写し絵となる。

 僕は空にいる。

 天神ユミリに手を引かれて、重力のくびきから逃れている。

「しっかり手を握って。舌を噛まないようにね」

「……いや。待て。待って。何コレ。どうなってる? 何が起きてんの?」

「このまま少しばかり旅に出るから、ちょっと付き合ってもらうよジローくん。なあに大したことはない、ぼくにとってはいつもの巡回業務だ。大丈夫、安全については保証する。何があっても全力で君を守るから安心して」

「……空、飛んでる?」

「飛んでるね」

「……夢?」

「現実さ」

 ヤブ医者がウインクする。

 今さらの気付きだけど、この女にはこういう芝居がかった仕草がよく似合う。

「案ずるより産むが易し、百聞は一見にしかず。ぼくのことを知ってもらうには、実際に見てもらう方が早い──さあ出発だ」


 びゅん、と。

 あるいは、がくん、と。

 目の前の景色が揺れた。

 外宇宙からやってきて地球を通過するニュートリノ並みの速度で、夕闇に沈む夜景が流れていく。時速百キロとか二百キロとか、そういう世界じゃない。1000パーセント音速は超えていたし、この世に存在するどんな乗り物よりも、それは──天神ユミリの飛翔は、速かったと思う。

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