「申し訳ありません!!」
上官とのあらためての顔合わせ。結蓮は床に跪いて第一声を繰り出した。
誤解したとはいえ上官を投げ飛ばして失神させたなんて免職ものだ。多少のことは恐れない結蓮もさすがに冷や汗をかいていた。
「いいのよぉ。どうせ季ちゃんが変なことしようとしたんでしょー? いきなり押し倒したりとか唇を奪ったりとか。困った人よねえ」
「おいおい。俺の印象がさらに落ちるような噓をつくんじゃねーよ」
上座にある寝椅子に陣取った次官どのが扇子であおぎながら眉をひそめる。格闘した時の名残かそれとも寝癖なのか髪の毛がはねまくっている彼を、結蓮はそっと見つめた。
少しつり目がちで冷たそうに見えるが、端整な面立ちの美丈夫といっていいだろう。半端な長さの髪は結わずにそのまま遊ばせているし、だらしなく着崩した袍がやけにさまになっているあたりも、朝廷の官吏というよりはどこぞの遊び人の公子という感じだ。
(随分お若く見えるけれど……。本当にこの人が次官どのなのかしら)
封陰省次官といえばまぎれもない朝廷の高官の一人なのだが、目の前にいる彼からはとてもそんな威厳は感じられない。見た目も、態度も、口調もだ。
「豊舎人、ほんとに気にしなくていいのよ? あれくらいでぶち切れるような心の狭い男じゃないから。ね、季ちゃん?」
見た目に合わぬ女性じみた言葉遣いでとりなす彼に、湯吞みを傾けていた次官どのがこちらを見る。いやに真剣な顔つきだ。
「当たり前だろ。女の子に足蹴にされるのは俺の趣味だ。もっとやってほしかったのに、博士が邪魔するから」
「いやーん。相変わらず変態ねー」
「…………」
なんだかおかしなところに迷い込んでしまった気がする。
やはり左遷かと思い悩む結蓮をよそに、次官どのは一転して愛想良く笑みを向けてきた。
「ま、そういうことだから、ほんとに気にしないでいいから。お役目熱心な子が来てくれて俺は嬉しいよ、うん!」
上機嫌でうなずくと、それじゃあらためて、と彼は軽く会釈する。
「封陰省次官、橘季隆です。──ははは、まあそんなキツネに騙されたみたいな顔しないで。一月前に任命されたばっかりだけど一応本物だよ。ほら、身分証」
彼の示した玉牌はまさしくそのとおりの位階を表している。結蓮はなおも半信半疑ながら急いで礼をとった。
「──失礼ですが、次官どのは璉国のご出身ですか」
名前の読みが煌と違うことに気付いて訊ねると、彼は少し目を細めて微笑んだ。
「そうだよ。俺だけじゃなくこの書庫づきの封陰官はみんな留学生だ。今は俺たち二人しかいないけどね。で、こちらがその貴重な一人、劉博士。文献の研究や薬品の管理を担当してる」
「よろしくねー」
劉博士が小首をかしげて手を振る。その仕草は本当に可愛らしいのだが、見た目はやはり堂々たる男性だ。
「あー大丈夫、この人ちょっと中身が乙女なだけだから。こんなんだけど可愛い嫁さん持ちだからね。──で、これは俺の従者の翡翠丸」
湯吞みを盆に載せて運んできた少年が、ぺこりと頭をさげる。十四、五歳ほどだろうか、綺麗な顔立ちだがいやに無表情だ。
「以上がこれから君の同僚になる面々だ。って言っても翡翠丸は書庫から出ないし、劉博士は後方支援担当、つまり事務方だから、実質ここで今動けるのは俺だけなんだ。それでなくても封陰省は人手不足で助っ人を呼べない。そこで君に来てもらったってわけなんだよ」
真面目な顔で話を進めつつも、季隆の手は団子を取り分けるのに忙しい。
「あ、この前の任務先でお礼にってもらってさ。君も食べる?」
「……いえ、結構です」
「そう? 甘ったるくて最高に美味いんだけどね~」
「……あの、話を進めてもよろしいでしょうか」
どうにもこののんびりとした雰囲気に慣れず、結蓮は当惑しながら申し出た。軍規でがちがちに縛られていた柚梨軍とは天と地ほども差がある。
「助っ人……と仰いましたが、封陰省とは無縁の柚梨軍から私が選ばれたのはなぜなのでしょう? それに、封陰省は大きな官府のはずです。人手不足といっても一人も余裕がないものですか? 一体、私がここへ呼ばれたのはどういう理由があるのです?」
回りくどいことは言ってほしくなかった。左遷なら左遷で理由が知りたいし、そうだとしたらそれなりに心を決めて務めを果たさなければならない。失礼ながらこの部署は、表の官界からすべり落ちた人の落ち着き先のような──そんなうらぶれた印象があるのだ。
ふふっ、と季隆が笑みをこぼす。少しつり目がちなせいか、本人にその気はないのだろうがちょっと意地悪な笑顔に見えた。
「不満そうだね」
結蓮は軽く拳を握る。彼自身には不満も恨みもないが、不本意なのは事実だった。
「……私の職務は太子殿下の近衛です。それを離れることについてはまったく納得していませんから」
「ふーん。真面目なんだな。──おっと、そんな怖い顔しないで。褒め言葉だ」
軽く手をあげて制すと、季隆は竹串を皿に置いた。
「質問に答えるよ。まず一つ目。君は太子殿下のご命令で妖怪退治に出てるだろ? それも一定の成果をあげてる。ま、借金もすごいみたいだけど──その豪腕を見込んでってとこだね」
言いながら彼は劉博士に手で合図を出す。彼がすばやく巻物を広げた。
「二つ目。封陰省は確かに大きな官府だし、所属の術師も大勢いる。ただし、今はほぼ全員がとある任務についていて出払ってるんだ」
「そんなに大規模な任務が?」
「うん。実は──」
季隆は深刻な顔で言いかけ、ふいにがくっとうなだれた。
「ちょ……劉博士、代わりに説明してやって。久々に真面目なことしゃべったら疲れたわ」
「もう、どんだけひ弱なのよっ」
寝椅子にだらりともたれこむ季隆を見て結蓮は目を見開いたが、劉博士は慣れているのか「しょうがないわねえ」と言って後を継いだ。
「任務っていうのは、皇后陛下の快癒祈願のことなの」
はっと結蓮は息を吞む。その話は先ほど演習場で耳にしたばかりだ。
「実はね、これはただの快癒祈願じゃないの。皇后陛下の結界を解く術式なのよ。封陰省が施した結界の中で傷を癒しておられたんだけど、その結界を解く期日が迫ってきてね」
それは公式に発表されているものとはまったく異なる告白だった。皇后は五年前から療養中ということに表向きはなっている。
「驚かないのね。知ってたの?」
意外そうな顔で訊かれ、結蓮は首を振る。
「いえ……でもそういうことではないかと想像していました。あのお怪我は療養したくらいで癒せるものではありませんから。特殊な術でもかけなければ……」
──一度は冥府へ下りかけた人の魂を、この世に留めることはできなかっただろう。
「……そうか。君も五年前の現場にいたんだもんな」
黙っていた季隆がふいにつぶやいた。ちらりと彼を見た劉博士が、気を取り直したように続ける。
「じゃあ話は早いわね。皇后陛下の結界を解く術式は大がかりな上に難しいものなの。長官をはじめ封陰省の術師が大勢駆り出されてるのよ。そのうえ、所属術師の二割を占めてる留学生が次々に故国へ帰ってしまったの」
「何かあったのですか?」
「国に変事ありって報せが来たんだけど、詳細はわからないわ。で、残ったのはわたしたちだけってわけ。なのに大変なことがわかってねえ、困ってたのよ」
「つまり……、皇后さまの快癒祈願で手薄になる封陰省において、別の任務をお手伝いするわけですね。どういった任務でしょうか」
妖怪退治の実績を見込まれてということは、そういう類の任務だろうか。
広げた巻物を劉博士の指がトントンと叩く。
「つい最近だけど、禁軍の武器庫で盗難騒ぎがあったの。盗まれたのは四本の太刀、名だたる宝刀名刀よ。犯人はまだ捕まってないわ。ところが」
自分が三度目の婚礼で休暇を取っている間にそんなことがあったのかと驚く結蓮に、彼は表情を変えずに続けた。
「──現場から業焰の残滓が発見されたのよ」
ぎくり、と胸が大きく鳴った気がした。
「業焰……。それは、あの業焰ですか」
「そう。五年前、後宮を襲撃したあの業焰よ」
結蓮は愕然とした。思わず膝で拳を握る。そうしなければ震えてしまいそうだった。
それは、あってはならない大事件だった。
本来宮城には悪鬼妖怪の侵入を防ぐため強力な結界が張られている。だが、それは突如として現れた。
居合わせた女官らの命を奪い、皇后と太子に重傷を負わせたのは、業焰と呼ばれる妖怪だった。身丈は大柄な成人男性ほど。虎に似た頭部と毛並みの長い猿のような体軀を持ち、人のように知略を用い、炎を操るといわれている。
封陰省の者は誰一人として襲撃を察知することができず、そればかりか現場に駆けつけてもこなかった。最初に助けに現れたのは、当時他部署の官吏をしていた現・封陰省長官の相京。彼の働きで業焰は退散し、皇后と太子は一命を取り留めたと言われている。
ただ、それが事実と少し違うことを結蓮は知っている。その時現場にいたからだ。
真っ先に駆けつけ、妖怪と対峙して戦ったのは別の人だった。術によって業焰の片腕を焼き切り、それがきっかけで、かの妖怪は退散したのだ。
だが命の恩人であるその人が一体何者なのかは結蓮にもわからない。なにぶん当時は混乱の極致にあったし、後で自分なりに調べてみたが結局行方はつかめなかった。
気づけば一緒にいた人たちは皆、血溜まりの中に伏しており、結蓮だけが大した怪我もなく無事だった。一族の人々はそんな娘を気味悪がり、祖父は外に出してくれなくなったのだが、それはまた別の話だ。
「……それは、確かなのですか」
震えそうになるのを堪えて声を押し出す。この五年の間、もっとも恐れ、もっとも再会を焦がれた相手と言ってもいいかもしれない──憎い仇が現れた。
「業焰が残していった片腕と武器庫に残っていた痕跡の気配が一致したし、間違いないわ」
「では、皇城にいるのですか? 業焰が、本当に」
「たぶん片腕を取り戻しにきたんでしょう。なくした身体の一部を奪い返そうとするのは妖怪の本能だからね。おそらくこれまでは結界のせいで侵入できなかったんでしょうけど、今は入り込めているということは、隠形してるんでしょうね」
「隠形……」
「人の皮をかぶるか、もしくは人に乗り移ってるってこと」
結蓮は息を吞んだ。朝廷には何千何万という人がいる。その中にまぎれ込まれたら捜し出すのは不可能に近い。
「ですが、なぜ今になって? この五年、業焰はまるで気配を見せなかったはずです」
「皇后陛下の快癒祈願に乗じてってところでしょうね。業焰の片腕も結界に封じられているから。痕跡は他の場所でも見つかってるし、あちこち捜しまわってるようね」
眉をひそめた劉博士の言葉に、さぁっと血の気が引いていく。
彼は明言しなかったが、業焰の目的は腕だけではあるまい。五年前と同じように太子の命を狙っているはずだ。龍神の末裔である琮成は、妖怪にとってもっとも甘美な獲物でもあるのだから。──それが皇城を自由に動き回っていたなんて。
(業焰がいる。この皇城に……!)
知っていれば、指名されなくとも名乗りをあげたことだろう。大好きな皇后と太子を傷つけ、仲良しだった女官たちの命を奪った妖怪を、今度こそこの手で屠ってみせる。
「わかりました。微力ながらお手伝いさせていただきます」
自分が選ばれた理由がようやくわかって胸が熱くざわめいていた。
出向の理由は妖怪退治。──望むところだ。
思い詰めた顔で宣言した結蓮を、寝椅子でごろごろしていた季隆が何か言いたそうにじっと見つめる。が、結蓮が気付く前に彼は笑顔になって身体を起こした。
「助かるよ。これからは俺たち二人で動くことになるから。よろしくね、お嬢ちゃん」
(……お嬢ちゃん?)
結蓮は訝しげに彼を見た。先ほど名乗ったのに、彼は聞いていなかったのだろうか。
「あの、橘次官。私の名は豊結蓮と──」
「あ、そうそう、外回りの時は橘次官って呼ぶの禁止ね。いろいろやりづらいから」
「……承知しました。ではなんとお呼びすればよろしいですか?」
「好きに呼んでいいよ。季隆でも季さまでも季ちゃんでも」
「……」
上官相手にそんな軽い呼び方をしてもいいものだろうか。柚梨軍なら即除籍なのだが……と悩んでいると、劉博士が苦笑しながら割って入ってきた。
「やりづらいでしょーこの人。つい最近まで山に籠もって修行してたから浮世離れしてんのよねー。おかげで煌ことばにも慣れてなくて、たまにちんぴらみたいなしゃべり方するけど、気にしないでやってね」
「修行……そうなのですか」
「こら、誰がちんぴらだ」
不満げに突っ込む季隆を結蓮は感心して見た。そういえば次官に任命されたのも一月前だと言っていた。
「それに、璉国ではごく親しい者同士しか名を呼ばないっていう習慣があるそうなの。家族や恋人や友人とか……。まだその癖が抜けないみたいなのよ」
「なるほど……」
結蓮は今日会ったばかりだ。最初から劉博士たちと同じ扱いをされるはずがない。
「煌と真逆ですね。煌では自分が認めた相手なら誰であろうと名を呼びますし」
「ええ。国が違えば文化も違うというわけねー。あっ、安心して。ごらんの通りのお調子者だけど腕は確かだから。これでも故国に帰れば呪禁の大家の御曹司なの」
「御曹司? どういう意味ですか?」
煌では聞かない表現に結蓮が首をかしげると、劉博士も同じようにして思案する。
「そうねえ……若様とか、お坊ちゃまとか、そういう感じかしら」
「やめてくれ。いい歳してそんな呼ばれ方されたら恥ずかしくて街を歩けねーよ」
くずした煌ことばでぼやくように言った季隆は、片手には扇子、片手には棒状の菓子をつまんでいる。そんな行儀の悪いことをしながらも彼の所作は不思議と優雅だった。生まれながらにしみついたものらしい。なるほど、若様と呼ばれるにふさわしい人のようだ。
「では私は、御曹司どのとお呼びします」
かしこまって申し出ると、その場が静まりかえった。
最初に噴き出したのは劉博士だった。翡翠丸も無表情のまま口を押さえている。季隆はといえば微妙な笑顔だ。
「……えーと。皮肉、じゃないよな? 真面目すぎて天然なの? それともやっぱり上官いじめ?」
「は?」
怪訝な顔の結蓮と見比べてくすくす笑いながら、劉博士が季隆を肘でつつく。
「ちょうどいいじゃない。『お嬢ちゃん』に『お坊ちゃま』で」
「……俺はそういう意味で言ってるんじゃないんだけどな……」
髪をかきあげつつ季隆がぼやく。なんだか少しがっかりしたような、複雑そうな顔だ。
結蓮は不思議に思ったが、何気なく話を続けた。
「留学生組は、この書庫付きの方で全員ですか?」
一瞬、奇妙な間が流れた。
劉博士が気まずげな顔をしたのに気づき、結蓮は首をかしげる。
「あの……?」
「お嬢ちゃん」
突然、季隆が立ち上がった。そのまま長袍の裾をひるがえして足早に書庫を出ていく。
「大変なこと思い出した。今すぐつきあってくれ」
「……! はっ!」
この緊迫感はただごとではない。さっそく捜査かと、結蓮は気を引き締めて彼を追った。
◆
国都桃霞は、皇宮から都の大門までを貫く玉天大街と呼ばれる大通りを軸にして、碁盤の目のように大路小路が走っている。小路で区切られた居住区を〝同〟といい、同職種の店が固まって街ができていた。それとは別に、月に二度の市が開かれ、城外からも人が集まり賑わいを見せる。
──封陰省を出てから一鐘後。
東市の真ん中で、結蓮は両手に大根と蕪が山盛り入った籠を抱えて呆然としていた。
あたりではあちらこちらで壮絶なる戦いが繰り広げられている。
「あっ、ちょっ、その葱は俺が先に目をつけてたんだけど!」
「フハハハ! 甘いね、若いの! ここは弱肉強食の世界! でかい獲物が欲しけりゃ早いもの勝ちなのさ!」
「くそっ……! 強すぎる……やっぱりおばちゃんには勝てない!」
戦いに敗れた季隆が悔しげに葱の束を籠に入れる。彼の持つ籠ももう満杯だ。しかし戦意を喪失したわけではないらしく、きりっと次の目的地に目を向ける。
「よし、んじゃ次は芋だ。量り売りなんだけど一人当たりの数量が決まってるんだ。君も加勢してくれ」
「……あの、御曹司どの」
「やばい、もう始まる! 急げ、お嬢ちゃん!」
「あの、すみません! お訊ねしたいことがあるのですが」
駆け出そうとした季隆を結蓮は無理やり引き留めた。この状況が一体なんなのか、いまだに理解できていないのだ。
「大変なことって……、まさかこの市のことなのですか?」
やけに深刻な様子で駆けつけたかと思えば、そこに広がっていたのは見渡す限りの菜っ葉や根菜の山々。そして殺気だった目をした城下の主婦の集団だった。季隆が慣れた様子でそこに参戦してしまったため、結蓮は荷物持ちとして問答無用で連れ回されてしまったのである。
何を今さら、という顔つきで彼は振》》り返った。
「そうだけど、それがどうかした?」
「業焰捜しの任務ではないのですか?」
「それはそれ、これはこれだ。月に二回の大安売りなんだよ。これを見逃すなんて人生損してる。この催しがどれだけ俺の生活を支えてるのか君にわかるか?」
そんなに切々と訴えられても困ってしまう。
「大家の若様なのでしょう? どうして大安売りに繰り出す必要が」
「生まれは大家でも、今は独立してるからね。日々の食い扶持は自分で稼がなきゃ……って、うわ、始まった! 行くぞお嬢ちゃん!」
話の途中にもかかわらず季隆は芋争奪戦に飛び込んでいってしまった。
仕方なく自分もそちらに向かいながら、結蓮は失望のようなものを感じて唇をかむ。
(やっぱり、この人も封陰省の人だったということなのかしら……)
少なくともこれまでは、若くして次官にまでのぼっている彼のことを敬う気持ちがあった。だが朝廷を揺るがした大妖怪が再び現れたというこの非常時に、自分の食べ物優先なのかと思うと腹だたしくなってくる。
(浮世離れしていると劉博士どのは仰っていたけれど、そういう問題じゃないわ。……これだから嫌いなのよ。封陰省というのは──)
苦い過去を思い出し悔しさをかみしめながらも、結蓮は芋争奪戦に勝利して籠に詰め込んだ。
「いやー、危なかった。なんとか品切れ前に間に合ったよ。協力してくれてありがとね、お嬢ちゃん」
季隆もほくほくした様子で籠に盛った芋を持ち帰ってきた。木陰で待っていた結蓮は一つため息をつくと、まっすぐ彼を見据えた。
「まさか、本当にこれだけのために私を連れ出したのですか?」
上官がこんな調子なら、せめて自分がしっかり動かなければ。もう遠慮してはいられない。
冷たさを帯びた声と視線に気づいたのか、季隆が軽く目を細めてこちらを見る。
「これも大事な仕事なんだけどな。──でもま、実を言うと、みんなの前じゃできない話をしたかったんだ」
「何か個人的なお話ですか?」
「うん。すごく個人的」
「……? なんなのです?」
眉をひそめる結蓮に、季隆はにっこり笑って告げた。
「俺と結婚してください」
──どさっ、と結蓮の手から籠が落ちた。