二章 常夜桜③

「あ、あの、八雲さんが失礼なことを言ってしまい、申し訳ございません……。特に人間ぎらいな方でして……」

「ううん、大丈夫よ。……でも、妖も人間を嫌っている方が多いのね」

「それは……人間達によるあやかしりのせいかと」

「妖狩り?」

 初めて聞く言葉に、沙夜は首を傾げる。

「えっと、妖に対処出来る術を備えた人間が、妖をつかまえたり、あやめたりすることです」

「……!」

 沙夜は思わずれそうになった声を出さないようにと、とつに口を両手で押さえた。

 ……だから、妖も人間のことを嫌っているのね……。

 おたがいに嫌い合っている理由を知り、それならば八雲が人間の自分に向けた視線の意味も分かる気がした。

「八雲さんはご家族と共に妖狩りにってから、人間をひどく嫌うようになったそうです。その際に玖遠様に助けられて、腹心となったと聞きました。ここには同じように妖狩りの手からのがれてきた者が多いのです」

「……白雪も、その……人間に、傷付けられたの……?」

 答えを聞くのが怖かったが、沙夜はおそる恐るたずねた。白雪は首を横に振りつつ、ほんの少しはにかんだ。

「私はおなかかせてたおれているところを玖遠様に拾って頂いたのです。その時、頂いた干しがきが最高に美味おいしくて……」

 白雪はこうこつとした表情を浮かべたが、すぐさまわれに返った。

「なので、恩義を受けた以上は返そうと思い、こうしてお仕えすることを決めたのです」

「そういえば先程、真伏さんが玖遠様に助けられた妖は多いって言っていたけれど……。『頭領』というものはみなそうなの?」

「玖遠様はどちらかと言えば、変わっている方ですね。ほかの頭領達の中には妖力の強い妖を引きいて配下にしたり、厳しい上下関係をいている者もいるそうです」

「でも、白雪達と玖遠様とのきよは近いように見えたわ。……玖遠様をただしたっているだけじゃなくて、お互いの接し方に気安さもあるというか」

「それはきっと、玖遠様のひとがらがなせるわざというやつですね! ……玖遠様に自覚は無いようですが、おひとしなところがありまして。弱い立場の妖や困っている妖を見つけるとほうっておけないそうです。なので、そんな玖遠様を慕っている者がつどうこの場所は、かく的性格がおだやかで妖力が弱い妖が多いんです」

 白雪が語る頭領としての玖遠は、沙夜が知っている彼と似ているようでちがうものだ。

 ……ああ、だから彼らは私に害意を向けてこないのね……。

 玖遠はふところが深いだけでなく、弱い立場の者と同じ目線に立っているからこそ、彼らの気持ちにはいりよした心配りが出来るのだろう。

 たとえ、沙夜のことを妖達が快く思っていなくても、「妻」としてむかえられたことに目をつぶってくれているのは玖遠のおかげなのだと改めて思った。だが、それは「沙夜自身」が認められたわけではないと分かっている。

 さきほどの八雲が沙夜へとき捨てるように告げたのは、「人間」である自分が玖遠へと害をなさないかけいかいしているからに違いない。

「……玖遠様は本当に、人望がある方なのね」

「はい、とてもお強くて、たのもしい方ですから」

 笑って答える白雪も、沙夜が知らない頭領としての「玖遠」を知っているのだろう。

 ……どうして、あの方は私を妻にして下さったのかしら……。

 もちろん、実家からげるために手を差しべてくれた玖遠には感謝している。それなのに自分を助けてくれた相手のことを何も知らないのだ。

 だからこそ、少しずつでいいから玖遠について知りたいと思った。

 ……そうしたら、いつか、あの方に返せるかしら。今まで貰ったやさしさやぬくもりに代わる、何かを……。

 今の自分には何もない。けれど、彼の「妻」となったからには、自分も他の妖達のように恩を返すためにくしたいと思った。

 ……私も「妻」として、ここで生活していくなら、それに相応することをしないと。

 でなければ、人間である自分はここに居てはいけない気がしてならなかった。


    ● ● ●


 その日の夜、たたみの上で沙夜は玖遠と向かい合わせに座っていた。

 妖の中には夜の時間帯になるにつれて活発になる者もいるそうだが、人間と同じように夜にねむる者も多いらしい。玖遠はどちらかと言えば、後者だという。

 しんじよで沙夜は玖遠に頼み事をしていた。

「つまり、何か仕事が欲しい、と?」

「はい。不慣れゆえめいわくをかけると思いますが、少しずつ覚えていきますので……」

「そうは言っても、配下の妖達にだんから担当してもらっているからなぁ」

 彼の「妻」として何が出来るだろうと考えた結果、沙夜は他の妖達のように仕事をもらえないかと玖遠にけ合った。

 このしきで共に暮らしている妖達はそれぞれ担当している仕事がある。例えば、守護領域のじゆんかいや部屋のそう、山菜の採取、他にも作物のさいばいといった仕事だ。

「それに君はあの屋敷で、やりたくもないのにずっと無理に働かされていたんだ。……ならば、せめて俺のそばに居る時は、自由に好きなことをしていて欲しいんだよ」

 まぶしいものを見るように、玖遠は目を細めた。

「……何故なぜ、ですか」

「ん?」

「どうして……玖遠様はそんなに、私をづかってくれるのですか。あなたは私を助けるために『妻』として、ここに置いてくれるというのに、私は何も持っていないのです……。あなたに何も返すことが出来ないのに、どうして……」

 玖遠から次々とわたされるものはどれも温かくて、優しくて、けれど自分にはみのないものばかりだ。だからこそ、なおに彼のこうを受け取っていいのか、まどってしまう。

「それは違うよ、沙夜。……俺はすでにたくさんのものを君からもらっている」

 夜の空気にゆっくりとけていったのは、ここよいこわだった。

「……どんなに自分がつらくても、自分以外のだれかのために優しさをあたえることが出来るのは、なみたいていのことではないよ。それは沙夜だけの強みだ。……俺はね、君のその優しさに救われたことがあるんだ」

「私が、玖遠様を……?」

 しかし、玖遠を手助けするようなことをした覚えはないため、首をかしげてしまう。

「他者を気遣うことを教えてくれたのも君だ。それまでの俺は自分のことばかり考えて生きて来たからしようげきを受けたくらいだよ。でも、そのおかげで頭領としての俺がいるんだ」

 それに、と玖遠は言葉を付け加えた。

「君とこうやって言葉をわす穏やかな時間は、何よりもかけがえのないものだと思っている。この時間は俺にとって、かてとなるものだ。……沙夜はどうかな?」

「……私も、玖遠様とお話しする時間はとても好きです」

「中々、うれしいことを言ってくれるね。……君が共に過ごす時間を好きだと言ってくれたように、俺にとってもすでに自分の一部となって切りはなせなくなっているんだよ。……つまり、それ程に気に入っているってこと」

 気付けば、ひざの上に置いていた手に、玖遠の手が重ねられている。沙夜が顔を上げれば、こつん、と玖遠と自分の額が軽く重なる音がした。

「君が救いを求め、そして俺はその手助けが出来る力を持っている。……ならば、手を差し伸べるのは当然のことだ。だって、俺は自分の一部を失いたくはないからね」

 沙夜のきようぐうを知り、同情で付き合っているわけではなかったのか。それよりも、自分との時間が彼にとっての一部だと言われたことが、どうしようもなく嬉しいと思った。

「でも……。何か、出来ることはありませんか。玖遠様の『妻』である以上、私も何かをしなければ……」

あせらなくてもいいんだよ」

 玖遠は右手で、沙夜のひだりほおへとそっとれた。

「やらなければならないこと、ではなくて……君がやりたいと思うことをこれから見つけていくといい」

「やりたいこと……?」

「何でも良いんだ。……知らなかった花の名を知ったり、食べたことがないものを味わったり、見たかった美しい景色をながめたり。少しずつ、小さな欲を作っていけばいい。……俺はね、そんな小さな欲を君と共有したいと思ったんだ」

 開け放したしとみから入ってくる月明かりが玖遠の顔を照らした。そこには沙夜をいつくしむような優しいみがあった。

 それでも沙夜は玖遠が何故こんな表情を自分に向けてくれるのか、分からなかった。

「要するに君が好きなものを知りたいってことだよ」

「私の……好きな、もの……」

 好きなものなんて、ない。いや、分からないのだ、自分のことなのに。

 そんな沙夜の様子に気付いたのか、玖遠は頬に触れていた右手で、こぼれ落ちていた沙夜のかみすくうように指先にからめていく。

「ゆっくりでいいからおたがいに知っていこう。……今まで二人で築いたものに重ねるように新しく、好きなことを見つけていこう。それが、俺が君へと望むことだ」

「……」

 気を張らなくていいのだと、言ってくれているようだった。

 ……望まれているならば、私も……少しだけ、声を上げてもいいのかしら。

 今も心の奥からよみがえってくるのは、かつて父に告げられた言葉。

『──お前は何も望んではならない。お前の望みは誰かを不幸にするものだ』

 その言葉を思い出すたびに、ずきりと胸が痛む。

 けれど、今だけは違う。玖遠が望んでくれるならば、彼と共に好きなものを見つけてもいいのでは、とほんの少しだけしばりをゆるめることが出来た気がして、沙夜は顔を上げた。

「……それなら、あの……玖遠様といつしよに……外を歩いてみたい、です」

 かなうなら、いつもかべしに玖遠が教えてくれる世界を彼と共に見たいと思っていた。

 うかがうように玖遠を見上げれば、彼は沙夜の小さな望みの内容が意外だったのか、少しだけ目を丸くし、やがてやわらかな笑みをかべた。

「もちろん、いいとも。それなら今度、一緒に屋敷の周辺を散策しようか。色んな草花を沙夜に教えてあげるよ」

 玖遠は否定することなく、うなずいてくれた。それが何だか心地よくて、胸の奥に新たな熱が生まれた気がした。ああ、そうだった、と沙夜はやっと気付けた。思い出したのは、実家で玖遠と秘密のおうを重ねていた時のことだ。

 ……この方が私のことを知りたいとおつしやってくれたように、私も……玖遠様が「好き」なものを一つずつ知っていきたいと確かに思っていたのに。

 それはきっと、自覚していなかった小さな欲だ。何故なら、玖遠が一番好きな花を教えてくれた時、自分にだけ彼の秘密を明かしてくれたようで嬉しかったのだから。

「……楽しみに、しています」

 髪に絡められた玖遠の指先に手でそっと触れつつ答えれば、彼は嬉しそうに破顔した。



  ◆ ◆ ◆


続きは本編でお楽しみください。

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