第一章●再び、不当な炎上(1)
「むふ、むふふふふふふふふ……!!」
濡れた髪を乾かしながら、かわいらしい容姿とは裏腹な気色の悪い笑い声を浮かべる有栖。
その表情はだらしなくにやけており、鏡に映る自分自身の笑顔を見た彼女は自分自身の気味悪さに
「相互フォロー……! 同じVtuber、しかも同期と相互フォロー……! や、やった……! よくやったよ、私……!!」
つい三十分ほど前、打ち合わせの終わり間際に勇気を振り絞って行動を起こした有栖は、その果てに手に入れられた成果にこれ以上なく満足していた。
自然な流れができていたとはいえ、自分から相手のSNSアカウントをフォローしてしまうなんて……と、引っ込み思案な自分からしてみれば大冒険ともいえる大胆な行動に
羊坂芽衣としての自分を求め、応援してくれるファンは多く存在しているが、零はそういった
ファンの応援もありがたいが、本当の自分を知る同業者からのフォローや、作り上げたサムネイルをほめてもらえたことを喜ぶ有栖は、ほくほく顔のままベッドに飛び込み、足をばたばたとさせる。
「相互フォローからの、コラボ配信……! これはもう、同僚ではなくととと、友達と呼んで差し支えないのでは? むしろ今から、友人と名乗っても大丈夫なのでは? いや駄目だ、落ち着け私! まだ気が早い! 私が勝手に友達だと思ってるだけで、向こうがそう思ってくれているとは限らない! むしろNОである可能性の方が高い!」
情緒が不安定になっているが、この葛藤の中でも有栖からは
そう、同期との関わりができて喜んでいるのは、零だけではない。
有栖もまた、引っ込み思案であがり症な自分を変えるための第一歩を踏み出せたことを、心の底から喜んでいるのだ。
「……いい人、だったなぁ。阿久津さん、私が作ったサムネほめてくれたし、返信も早くて
初対面の時には緊張して上手く話せなかったが、PCのメッセージでの会話であった今回はきちんと自分の意志を零に伝えられたんじゃないかと、有栖は思う。
なんというか、有栖の意志を尊重し、良いと思った部分はほめ、こちらのペースに合わせて動いてくれる面倒見の良さが、零からは感じられていた。
自分のやりたいことを実現するために、しっかりと付き合ってくれている零に感謝しつつ、これから少しずつ彼との距離を詰め、他の同期やVtuberたちとも仲良くなれていけたらなぁ……という淡い期待を抱きながらにへらと笑っていた有栖であったが、はっと気を取り直すと浮ついている自分自身を戒めるように呟きを発する。
「いけない。まだ前準備の段階なんだから、舞い上がるのもいい加減にしなきゃ。浮かれるのは、コラボ配信が上手くいってからだよね」
こんなに嬉しいことがあったのは久々だったから、ついつい浮かれてしまった。
しかし、本番はまだ先の話で、今はまだその準備をしているに過ぎない。ここで浮ついた気分になって、本番で失敗したら、協力してくれる零にも迷惑がかかってしまう。
しっかりと気を引き締め、終わるまで全力で目の前のことに取り組むべきだ。
そう、自分に言い聞かせながらも、まだ少し心を弾ませている彼女は、就寝前の日課であるエゴサーチをすべく、スマートフォンを片手にベッドへむかう。
コラボ配信の告知をしてからそれなりに時間が経ったし、ファンたちも反応を見せてくれている頃だろう。
うきうきとした気分でSNSアプリを開き、通知を確認した有栖であったが……その表情が、みるみるうちに困惑と動揺の色に染まっていく。
「えっ……? なに、これ……?」
蛇道枢とのコラボ配信を告知してから、およそ三十分。
その間に、かなりの量のリプライとダイレクトメッセージが送られてきている。
その大半は初めてのコラボを行おうとする羊坂芽衣への
【やめて! あんな奴とコラボしないで! 芽衣ちゃんが汚れる!!】
【初コラボ相手が蛇道枢とか、マジ最悪……】
【大丈夫? 事務所に命令されてない? あんな奴の
「なに、これ……? どういうこと……?」
送られてきたファンからの声の中に、芽衣を気遣いつつ枢を
コラボ配信の告知ツイートに対するリプライでも十分に
蛇道枢の殺害をほのめかす内容や、勝手な
ごくり、と、ファンたちからの予想外の反応に緊張と恐怖を
もしかしたら、自分は零が巻き込まれている炎上を舐めていたのかもしれない――と、普段とは違うファンの様子からひしひしとその恐ろしさを実感し始めた彼女は、はっとなってスマートフォンを操作し、蛇道枢のSNSアカウントへと飛ぶ。
そして、そこで繰り広げられている光景を目の当たりにして、意識が遠くなるほどの不快感を覚えた。
【炎上してる身分でなに芽衣ちゃんと絡んでるんだよ、死ね】
【相互フォローとか何の見せつけ? お前と事務所が芽衣ちゃんを脅してフォローさせたのはみんなわかってるからね?】
【好感度稼ぎ、乙! もう手遅れだからとっとと引退してくれよな~、頼むよ~!!】
「酷い、酷いよ……!!」
ファンたちの態度は自分とは真逆の
そして、彼に暴言を浴びせているアカウントの中に見知ったファンの名前があることに気が付いた有栖は、知らず知らずのうちにスマートフォンを握る手をぶるぶると震わせていた。
【コラボなんてやめろ。ついでにCRE8からも抜けろ】
【お前と芽衣ちゃんの絡みなんて誰も求めてない。炎上に巻き込もうとするんじゃない!】
【なんでもいいから早く引退して? 芽衣ちゃんもこんな役目を押し付けられて迷惑してるだろうからさ】
……吐き気が、してきた。
普段、自分に優しく接して、応援や励ましの言葉を送ってくれるファンの中に、こんな酷いことを言う人がいると知った有栖の心が急速に不安定になっていく。
ダイレクトメッセージを開けば、蛇道枢とのコラボは今後の活動の不利益にしかならないから事務所に逆らってでも止めろという声や、圧力をかけられているのならそれも
浮かれていた気持ちが、前に進んでいる実感が、急速に
再び、デビューした時と同じかそれ以上の炎上に見舞われている蛇道枢の、零のアカウントを目にした有栖は、自身の中にある嫌な思い出と共に猛烈な吐き気が込み上げてくることを感じていた。
「うっ、ぐっ……ん、うぅ……っ!!」
表と裏で使い分ける、二つの顔。
寄ってたかって、たった一人の相手に手の届かないところから石を投げつけるいじめ行為。
そして……あなたのためを思って、という善意の裏に隠れた、自分の欲求を押し付ける精神。
その一つ一つに嫌な思い出を抱える有栖は、それでも必死に踏ん張って自分を強く持とうとした。
ベッドサイドにあった水を飲み干し、不快感をも飲み込んだ彼女は、意気を荒げながら自分に言い聞かせるようにして、呟く。
「大丈夫……! 私は、やる。これは、私がやりたいことだから……!!」
事務所に、薫子に命令されたわけじゃない。零に脅されて無理に強要されたわけでもない。
これは入江有栖が望んだ、有栖自身の意志による行動だと、だから、この配信を成功させるために努力しているのだと、自分の意志を再確認した有栖は、そこでSNSの巡回を止め、ベッドに潜り込んだ。
今、外野の意見に耳を貸すのは止めた方が良い。自分も零も不快な思いをするだけだ。
当日に配信を見て、楽しんで、色々不安はあったけどやってよかったと思ってくれる人がいてくれればいいのだと、そう自分に言い聞かせて気持ちを強く持った有栖は、明日からもコラボ配信に向けての準備を進めていこうと硬く心に誓う。
……だが――