第一章●初手、大炎上(2)

 VirtualYouTuber事務所【CRE8】。

 およそ一年前に星野薫子を代表として立ち上げられたこの事務所は、半年の準備期間を経てから満をして活動を開始した。

 一期生となる所属タレントの数は事務所名にある通り八名。

 それぞれが星座をモチーフとしてデザインされた美少女たちは、歌にざつだんえんにゲームにと、それぞれの得意分野を活かした配信であっという間にファンの心をわしづかみにしてみせた。

 それから半年の間、【CRE8】は非常に安定した活動を続けている。

 企業案件もそれなりにこなし、いくつかプチえんじよう程度は経験したものの大きなバッシングを受けるような出来事もなく、ファンや視聴者から飽きられることのないようにさまざまな活動やイベントを企画し、それを成功させてきた。

 そんなしんしんえいのVtuber事務所が満を持して二期生の募集とデビューを告知した際には、箱し(※特定の一人ではなく、事務所所属メンバーやグループ全体を応援すること)ファンの熱は最大級の盛り上がりを見せたものだ。

 新たに募集されるタレントの数は五名。

 黄道十二星座プラスへびつかい座という、最もメジャーな星座をモチーフとしたキャラクターのデザインが発表されたのだが、そこで波乱が起きた。

 その五名のキャラクターの内の一名、へびつかい座をモチーフとしたキャラクター『蛇道 枢』の性別が男だと明記されていたからだ。

 これまでにデビューした【CRE8】のタレントたちは全員女性。

 二期生のタレントも彼を除けば全員が女性である。

 箱推しファンは皆、【CRE8】は女性Vtuberのみを所属させる、言わば女性アイドルグループとしての活動に方針を向けていると思っていた。

 そんな中にいきなり男性タレントの存在が発表されたのだ、ファンのどうようもある意味では当然のことだろう。

 十二名の美少女の中に、一人だけ男が放り込まれる。

 女性タレントだけしか所属しないだろうと思っていた事務所の中に、異性である男が彼女たちと同じタレントとして活動するようになるのだ。

 自分の推しである女性Vtuberが同業者とはいえど男と密接に関わるということに難色を示すファンの数は多く、それが日常的になるとなれば彼らの反発は大いに予想できるものであった。

 だが、外側キヤラクターの性別は男でも、それに声を当てるたましい(=配信者本人)の性別が女であるならば問題はないだろうと、まさか本当に【CRE8】が男性タレントを所属させるとは思っていなかった(というより、信じ込もうとしていた)ファンたちがそう自分自身に言い聞かせることによって、その波乱は一応の終息を見せたのだが――

『……あ、配信始まってる? ん、んんっ……! どうも皆さん、はじめまして。この度、【CRE8】の二期生Vtuberとしてデビューすることになった、蛇道枢です』

 ――そんな、当たりさわりのない第一声を発した枢こと零の声を聞いたしゆんかん、ファンたちは大きなしつぼうと怒りにられることとなった。

 その声はどこからどう聞いても男のものとしか思えず、蛇道枢の魂となる人物が男性であるということがめいかくになったからだ。

 元々、蛇道枢のデビューは前々からのそうどうのこともあり、Vtuberかいわいからは大きな注目を集めていた。

 【CRE8】のファンだけでなく、他事務所や個人勢などのVtuberファンたちが見守る中でしようげきてき(零本人はそうとは思っていなかった)なデビューを果たしてしまった蛇道枢は、初配信からしつと怒りの炎を燃え上がらせた【CRE8】所属Vtuberファンからのせいだいなブーイングを受けるになってしまったのである。

 ガチ恋勢、ユニコーン(が処女を好む性質から転じて相手に過度な「純潔」「ていしゆく」を求める人たちのこと)と呼ばれる熱狂的なファンを中心に、【CRE8】のためを思ってという正義厨やただ騒ぎを楽しみたいという無責任なVtuberファンたちが加わり、更にそこにV界隈全体のアンチも加わることで、わずか一日もたずして蛇道枢の引退を求めるづよいアンチ集団がけつせいされてしまった。

 各種SNSや配信のコメント欄は常に地獄。更には枢だけでなく他のVtuberの配信でもアンチたちが枢の名前を出して引退を求めたことで、推しの配信を荒らされたファンたちが激怒。

 こんなことになるのならばげんきようはいじょすべきだという意見が【CRE8】のファン界隈に広がっていき、一過性の炎上で収まるかと思われた蛇道枢に対するバッシングは、デビューから二週間経った今でも続いている。

 だがしかし、そんな状況でも事務所に所属するバーチャルタレントとして活動を止めるわけにはいかない零は、蛇道枢として山のように浴びせられるぞうごんに耐えながら、毎日の配信を行っていた。

 しようを起こしたわけでもないのに史上るいを見ない大炎上をかましている蛇道枢の存在に興味を覚えた者や、この逆境にも負けずに活動を続ける姿勢を感心した者がファンになってくれたという良いニュースもあるが、彼らの声が零に届かなくなるくらいのアンチコメントが寄せられるというのが、蛇道枢の配信の現状だ。

 初配信以降、常に低評価が高評価を上回り、コメント欄は文字通りの地獄

 同期たちが数万人のチャンネル登録者を得て、中には収益化の認可が下りたタレントもいる中、蛇道枢のチャンネル登録者の数はわずか三千名というありさま

 実績もなく、魅力もなく、存在そのものを望まれてもいない蛇道枢の存在はむしろ悪影響にしかならないと、彼を燃やすアンチたちはSNSでしたり顔で語り続けている。

 『CRE8のみ子』などという不名誉なあだ名を付けられ、日に日に立場が悪くなっていく状況ではあるが……そのちゆうにあるはずの零は、意外なまでに落ち着いた状態で活動を続けていた。


「おーおー、今日もご苦労なことで……」

 仕事用スマートフォンを手に、SNSに送られてくるコメントを眺めた零が他人事のように呟く。

 『とっとと消えろ』『推しと関わったら殺す』などといった刺激的なメッセージを確認することにもすでに慣れて何も感じなくなってしまっていた彼は、一通りの確認を終えてからスマホをキッチンに置くと、コンロに置いてあるカレーの入った鍋のふたを開け、鼻歌交じりに中身をかき混ぜていった。

「ふんふん、ふふんふ~ん……」

 焦げ付いた感じもなく、出来上がりは上々。

 一晩置いたから味も良い感じに熟成されているだろうと思いながら、一人で食べるにはずいぶんと量の多いそれの仕上げにかかる。

 用意されている皿は二人分。

 一つは勿論零のものであり、もう一つはそろそろこの部屋を訪れる薫子のために用意したものだ。

 ここは、【CRE8】に所属するスタッフに用意された社員寮。

 さほど大きな建物ではないが、なかなかに設備の揃ったマンションが社員たちのために割り当てられている。

 料理のためのキッチンや風呂トイレ等の水回り、更には防音室も用意されているということもあって、Vtuberタレントの中にはこの寮で生活を送る者も少なくはないらしい。

 らしい、というのは零が未だに自分以外のVtuberと顔を合わせていないことにいんし、うわさは聞いているが実際に見たことはないので断定できていないからである……という情報はまあ、今はどうでもいいだろう。

 とにかく、零は【CRE8】事務所の近くにあるこの寮に住んでいて、今は打ち合わせがてら昼食をとりに来る薫子を部屋で待っているという状況だ。

 忙しい日々を送る彼女のためにと栄養のある昼食を用意している零であったが、調理中にふと『カレーをランチで食べた薫子が文字通りのカレー臭を漂わせることになったらマズいかもしれないな』というねんいだく。

 だが、もうここまで用意してしまったし、彼女もカレーは好物なのだから別に構わないだろうと、一種の開き直りと共に昼食の準備を進めていると、部屋のチャイムがピンポンという軽快な音を鳴らして来客を告げた。

「はいは~い、今出ますよ~」

 コンロの火を止め、ばたばたと玄関へと向かう零。

 なんだか夫の帰りを待っている専業主婦のようだなと思い、このまま炎上が収まらなかったら薫子の家で主夫として雇ってもらうことも検討しようかな――などと考えつつ玄関のドアを開けた彼は、そこに立っているであろう薫子へと声をかけたのだが……?

「早かったっすね。薫子さんが時間通りに来ることなんて、めつに、ない……?」

「あ、あの、ど、どうも……」

 遅刻魔である薫子が約束の時間よりも早く部屋に来るだなんて奇跡だとからかいの文句を口にした零は、返ってきた声が明らかに彼女のものでないことに気付いて眉をひそめる。

 よくよくドアの向こう側を見てみれば、そこには小学生か中学生くらいとしか思えない、身長の低い女の子が立っているではないか。

 おどおどとした様子を見せるその少女は、長めの前髪で目を隠しているため感情と表情が読み取りにくい。

 しかし、その声と雰囲気から彼女が緊張していることは明らかで、初対面の零とどう話せばいいのかがわからなくて困っている様子だ。

「……どちら様で? 【CRE8】のスタッフさん?」

「あ! ひゃ、ひゃいっ! そうでしゅ! じゃなくて、そうです!」

 びくんっ、と小動物のように体を跳ね上げ、噛み噛みの口調で零の質問に答える少女。

 社員寮にいるのだからほぼ間違いなく事務所のスタッフなのだろうとはわかっていたが、問題はその続きの言葉が彼女の口から出てこないところだ。

 何の用で零の部屋に来たのか、少女自身の名前は何なのか、そういった話を何もせず、ただびくびくとしているだけの彼女にいぶかな視線を向けていると……。

「お待たせ~! おっ、ありも今来たところ? ナイスタイミングじゃん!」

「しゃ、社長……!」

 少女の背後から姿を現した薫子が、いつも通りの陽気な声を出しながら自分たちへと話しかけてきた。

 有栖、と呼ばれた少女が驚きとあんを入り混ぜた声を漏らす中、視線を零へと向けた薫子は玄関の向こう側から漂ってくるカレーの臭いに鼻をひくひくさせると笑みを浮かべながら言う。

「とりあえず、中に入らせてくれない? 私、もうお腹ぺこぺこでさ~! つもる話はご飯食べながらする、ってことで!」

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