第二章
数日後、俊はネロと共に、『骨の塔』を後にした。
移動用の超巨大な魔獣の胎内に、俊達は入る。獣の中は、高級な馬車のように改造がほどこされていた。体内に、毛が生えている。更に、その肉は椅子の形をとっていた。
それに腰かけ、俊達は更なる地獄の深層へと向かった。揺られながら、俊は思わず呟く。
「なんだか、ネコバスみたいだな」
「ネコバスとはなんであるか? 猫の怪物か?」
「大体、そんなようなもんだ」
真面目に、俊は頷いた。そうかと、ネロも頷き返す。
やがて、二人は血の海を越え、地獄の王の棲む地へと辿り着いた。そこには禍々しい城が建てられている。およそ目に入る範囲全てが、脈打つ肉芽に覆われた壁に塞がれていた。
この城は、生き物に近い。
今も尚、地獄の領地を侵食しながら、城は拡張を続けている。だが、広がり続ける王の城を、地獄に棲む者達は讃えこそすれ、厭うことはなかった。
二人は巨大な正門から、中へと入る。内部の造りは、意外にも簡素だった。岩造りの城内に生物的な要素はない。不意に、金の髪と銀の髪をしたメイドが、二人の前に進み出た。
俊は目を細めた。二人の体は滑らかな金属でできている。使い魔の一種だ。内心、彼は冷や汗を掻いた。この二人は格が違う。佇まいから、俊は卓越した戦闘技能を読み取った。メイドでこれだ。王城に入りこむことは、魔力をゼロにしたところで不可能だっただろう。
「ようこそおいでくださいました。七番目の『王の子』、ネロフェクタリ・フォン・クライシスト・ブルーム様……そちらの方は」
「よい、気にするな。妾の連れよ。そなた達が金属製の脳を回すことではないなぁ」
堂々と、ネロは応える。
顔を見合わせながらも、メイド達は大人しく引き下がった。二人はネロの案内を始める。
蠢く肖像画で彩られた通路を進み、彼女達はメインホールの扉を開いた。
中には、シャンデリアとタペストリーの下げられた一室が広がっている。
そこでは円卓に、六人の『王の子』達が座していた。
息を呑み、俊はそうそうたる面々を眺める。
臆することなく、ネロは七番目の席に着いた。第八子亡き今、末席の身分でありながら、彼女は周囲を睥睨する。俊はその隣に佇んだ。全員がそろうと鐘が鳴りだした。
荘厳かつ重厚な音が、俊の鼓膜を震わせる。やがて、残響は散った。
まず、意外にも六番目が口を開いた。
「……代理戦争とは、正気の沙汰じゃないね」
「ほーう、不満か、『嫉妬と堅実』のガゼ。真面目、退屈、弱気で強気。相も変わらず、つまらん男よなぁ」
「ガゼニア。名前は正しく呼んでもらいたいものだね」
淡い灰色の髪に、眼鏡をかけた少年が不機嫌に言った。
服装も含めて、彼は人間世界における学生に近い姿をしている。だが、仮にも第六子なのだ。その魔力量は、外見通りに大人しいわけがなかった。
また、俊は眉根を寄せる。『王の子』達は魔力により、体の調整を好きに行えるはずだ。
通常、視力の低下など決して起こりはしない。
あるいは、何か目を覆わなければならない理由があるのか。
その隣で、桃色の髪をした第五子が高い声をあげた。人間世界で言えば、ロリータに近い──華美な衣装を揺らして、彼女は机を叩く。
「いーじゃない! わざわざ、自分から死んでくれるのなら願ったり叶ったりよ! 妹君ってば、七子ってだけでも雑魚も雑魚なのに、一〇八子を代理に立てるなんて馬鹿も馬鹿! 大馬鹿だもの!」
「うるさいぞー、リル。『色欲と偏愛』の令嬢よ。願い通りであるのならば、黙ればよいのではないかぁ? 高い声で囀りおって。いちいち一言多いのだ貴様は」
「略さないでくれる? リルシェディス。第七子ごときが頭が高いのよ」
ウェーブがかかった豪奢な髪を指に巻きつけ、リルは吐き捨てた。
さて、と俊は思う。
どうやら、メイドには伝わっていなかったようだが『王の子』達は皆、第七子が代役を立てる旨を知っているらしい。『王の子』だけが使う伝達方法があるのかもしれなかった。
それで広く、ネロはこの度の決定を伝えたようだ。
実際、俊が戦場に立つ以上は、隠しておいても仕方がないことだった。
見る限り、『王の子』達は、おおむね第七子の決定に賛成のようだ。それも当然だろう。何せ、己に挑む者が、第七子から一〇八子へと格が落ちるのだ。
『王の子』ですらない、雑魚中の雑魚に。
彼らからすれば、願ってもない話のはずだった。
そう、俊が思った時だ。
「私は反対しよう」
涼やかで、厳しい声が場を割った。
俊とネロは、声の主の方へ視線を向ける。そこには、軍服めいた服装をした、黄金の青年がいた。美しい金の髪に、青い目を持つ長身の美丈夫が、二人を鋭く見返す。
にぃっと、ネロは邪悪に嗤った。
「ほう、三番目の主が文句をつけるとは。まあ、予想したところではある。貴様らしくはあるが、理由を聞いてもよいかのう? 『高慢と冷酷』のエンドレアス?」
「……なんだか、私だけ略されないのも腹が立つものだな。答えは簡単だとも。これは次なる地獄の王を決めるための神聖な戦いだ。一〇八子ごときの、下賤な側室の血が入っている者の参加など許されはしない」
「下賤な側室と貴様は言うがな。父が本妻に産ませた子は、第一子のみ。貴様とて、側室の血だろうて」
「私達は別だ。我らは全員、父君が早くに選び、傍に置いた貴族達の子だ。だが、一〇八子など、奴隷階級にいた、身も心も卑しい女に産ませた雑魚だ。鬱陶しい虫達と何が違う。所詮───」
「ちょっといいか」
ひょいっと、俊は手を挙げた。第三子、エンドレアスは虫けらを見る目をする。楽しげに、ネロは顔を輝かせた。発言の許可を得る前に、俊は口を開く。
「確かに、俺は雑魚だ。それは否定しない。だが、母は俺を下界に逃がして、一人死んだ人だ。それを悪く言う奴は───」
すぅっと、俊は息を吸い込んだ。
この一言を口にすれば、戻れなくなる。
だが、今更だ。俊には、この戦いを降りる選択肢は、端から存在していなかった。
桜花櫻が地獄に堕ちたあの日から。
俊は理不尽な運命と戦うと決めた。
「継承戦で殺してみせる。以上だ」
俊は断言した。
ざわりと、場は揺れる。
ガゼは眼鏡を直し、リルは唇の端を持ち上げた。
ある者は面白がり、ある者は不機嫌を露わにし、ある者は肩をすくめ、
エンドレアスは───、
「よく吼えた」
壮絶に嗤っていた。
美しい顔を、彼は大きく歪める。醜い、とすら言える表情を浮かべ、エンドレアスは俊を睨んだ。その目の中には、不思議と愉悦にも似た光がたたえられている。
くるくると髪を指に巻きつけながら、リルが囁いた。
「あーあ、お兄様、キレちゃったよ」
「いいだろう。ならば、この第三子、エンドレアスが第一回戦に出場する」
ひゅっと短く、俊は息を呑んだ。第三子との戦いは、本来もっと先だ。第六子、第五子、第四子と戦った後が、第三子の本来の出番である。
愉快げに、ネロは口笛を吹いた。謡うかのごとく、彼女は言う。
「つまり、わざわざ順番を繰りあげて、死ににくるということか?」
「死ぬのではない。早々に、虫を潰すのさ。血統を重んじない害虫を生かしてはおけない」
滑らかに、エンドレアスは蔑視の言葉を口にした。
第六子の席へ向けて、彼は問いかける。
「私が第一回戦に出よう。いいね、ガゼ?」
「僕は構わないよ。第一回戦は兄に譲るとしよう」
第六子ガゼが応える。数秒遅れて、俊は事情を呑みこんだ。俊とネロの第一回戦の相手は、第六子ではなく、更に魔力の強い第三子になったのだ。だが、と、俊は思う。
(いつかは、倒さなくてはならない相手であることは同じだ)
やるべきことは、何も変わりなどしなかった。
それについて、ネロも同じ考えを持つらしい。
「では、まず殺し合うは妾達ということよなぁ、エンドレアス」
「ああ、そうだ。君達と私だ。ルールは知っているな?」
「勿論よ。『駒』と『駒』の戦いは三本勝負で行われる」
「私と君達で三回を戦って、先に二勝した方の勝利だ」
「同じ『駒』で三回全てを戦うことはできない。『駒』の選択も毎回必ず行われる」
俊はルールを噛み締めた。
『駒』の選択と勝負は三回行われる。三回のうち、『勝ち』の多い方が生き残る。一回の勝負で勝敗が決まらないのは、不利な立場にある俊にとっては、僥倖と言えるかもしれなかった。瞼を軽く閉じ、俊は殺戮の舞台を想像する。
三回、悪人を選んで戦わせなくてはならないのだ。
(しかも、俺は人間以外呼べない───勝機はどこにある?)
俊が勝ち筋を考える間にも全員が顔を見合わせた。
そして、六人の視線は自然と一人の下へ集まった。
長い黒髪を持った男───恐らく第一子に、全員が意識を集中させる。彼は高身長の中性的な体格をしていた。髪の影に隠れて、その顔は見えない。だが、第一子は確かに囁く。
「許可する────存分に殺し合え」
ここに、開幕の火ぶたは切られた。
第一回戦、第七子ネロフェクタリ・フォン・クライシスト・ブルーム&西島俊
VS第三子、エンドレアス・フォン・クライシスト・ブルーム
互いに、『駒』はまだ定まらず。
しかし、殺し合いの儀は定まり。