第一章 桜宮瑞穂のオンとオフ(3)

    ○


 撮影とはいっても、使う道具はカメラではなくスマートフォン。

 何とも締まらない形ではじまったわけだが、亮介はそこで憑依コスプレイヤーと言われる真の所以ゆえんを見せつけられることになった。

「す、すごい……」

 武器を構え、被写体になった瞬間、先ほどまでとは全然雰囲気が変わっていた。

 瑞穂がコスプレしている銀髪少女は、ミリア=アラケルというキャラである。

 ファンタジー系のアニメ『モノクローム・コンバタント』、通称『モノコン』に登場するヒロインだ。犬猿の仲であるはずの黒魔術士のニゲルと白魔術士のミリアが手を組んで強大な敵へと立ち向かう物語……というのが作品の簡単なあらすじだった。

 ともかく、ミリアは戦う白魔術士なのである。

 だからこそ瑞穂はぐっと引き締まった表情になっており、まるで目の前に敵が迫ってきているかのような緊迫感を感じさせるような立ち振る舞いだった。

 本当に、別人に変身しているみたいだ。

 そんな瑞穂の姿を写真に収めるのが楽しくてあっという間に一時間近く過ぎてしまう。

 撮影を終えると、瑞穂はぺこりと小さくお辞儀をしてきた。

「ありがとうございました最上くん。撮影に付き合っていただいて」

「いやこちらこそ、新鮮な体験だったし面白かったよ」

「そう言っていただけるとうれしいかぎりです!」

 柔和な表情を浮かべる瑞穂。亮介はそこで、ふとした疑問をぶつけてみた。

「でも本当に作りこまれた衣装だけど、こういうのって市販されてるのか?」

「コスプレ衣装自体は市販されてますけど……クオリティは微妙ですし、自分のサイズに合わないことが多いのでわたしは手作りしてますね」

「手作り? 桜宮がこれを?」

「はい! わたし、中学時代は手芸部に入ってましたから!」

「まじか……こんなクオリティ高い衣装って作れるもんなんだな」

「けっこうな数作ってきましたからね。最初の頃はなかなかうまくいかなかったんですけど、慣れてくると細部まで作れるようになってきたんです」

 そう言ってから瑞穂はコスプレ衣装専用となっているクローゼットを見せてくれた。

 ずらりと並ぶ何十着もの衣装は、圧巻だった。

 彩りも様々で、一つ一つがとても丁寧に作りこまれているのがわかる。

「すごいな……」

 完全に見入ってしまった亮介だが、すると奥の方に毛色の違う服が何着か並んでいるのを見つけてしまった。まだ衣服としての完全な形になっておらず、未完成とも思えるようなものだった。

「桜宮、これは作りかけのやつなのか?」

 しかし亮介がそう尋ねると、瑞穂はさあっと顔を青くした。

 何か、触れてはいけないものに触れてしまったようだ。瑞穂は焦ったように亮介の前に立つと、両手で隠すようにしながら言う。

「こ、これは見ないでくださいっ!」

「ああ……えっと、ごめん」

 その剣幕に気圧けおされる形となり、亮介は慌ててクローゼットから離れた。

 そうして何だか気まずい空気となってしまったが、そんな静寂を破ったのは、亮介の腹がぐうと鳴る音だった。

 間の抜けた音に、それまでこわった表情をしていた瑞穂は一転して小さく笑った。

「ふふっ最上くん、お腹いてるんですか?」

「ああ……何か恥ずかしいな」

「そういえばもう二時前ですね、すみません長々と拘束しちゃって。おびといってはなんですがうちでご飯食べていきますか?」

「えっ?」

 突然の提案に驚く亮介。

 瑞穂はにっこり微笑むと、補足するように続けた。

「うちは共働きなので、どうせ今から自分のお昼を作らなきゃいけないんです。一人分も二人分も手間は同じなのでよかったらぜひ!」

「まじで? 桜宮が作ってくれるの?」

「はい。最上くんの舌に合うかはわかりませんけど……」

「それならぜひ……食べてみたい、かな」

 女の子の手料理という甘美な響きに釣られ、亮介は思わず前のめりになってしまった。瑞穂はこくりとうなずいてから台所に向かおうとしたが──

「ちょっと待った桜宮、料理するなら着替えた方がいいんじゃないか?」

 そこで、亮介は後ろから声をかけた。

 料理をすれば油が飛び散ったり食材がこぼれたりと、衣服が汚れる危険性も高い。せっかく細部までこだわって手作りした衣装を汚してしまってはいたたまれないだろう。そんな親切心百パーセントの言葉である。

 しかし瑞穂はそれを聞いてちょっとだけ顔をしかめてしまった。

「そ、そうですよね」

 一応こくりと頷きはしたものの、どこか気が進まない様子だ。

 何だか複雑そうな表情を浮かべていた瑞穂は、最終的にはあきらめたように息をついてから一度軽く首肯してみせた。

「わかりました、着替えてくるので少々お待ちいただけるでしょうか」

「おう、全然いいぞ」


 そして、その後すぐに瑞穂が渋っていた理由はわかることとなる。

 着替えを終えて戻ってきた瑞穂は、ピンク色の可愛らしいパジャマを着ていた。ウィッグを外して化粧を落とし、教室で見慣れた姿へと様変わりしていた。

「そういえば桜宮、何か俺も手伝った方がいいか?」

 そんな瑞穂に対し、亮介はさっきまでと同じ調子で声をかけたのだが。

 うつむき加減のまま、何も返事がなかった。

「……桜宮?」

 げんな表情を浮かべる亮介に対し、瑞穂は、今にも泣きそうな目になっていた。いったいどうしたのだろうと心配していたが、その理由は単純なものだった。

「そ……そ、の……」

 蚊の鳴くような、小さく震えた声。

 さっきまで自然に会話が成立していたから亮介はすっかり忘れていたが──コスプレをしていない普段の瑞穂は、こうだった。

 瑞穂は何かしやべろうと必死に口を開いていたが、言葉がつっかえてうまく出てこないらしい。もどかしそうにぱくぱく口を動かしたあと顔を赤らめてしまった。

「……本当に、コスプレしてる時じゃないとうまく話せないんだな」

「(こくこく)」

 瑞穂にとってコスプレは、嘘偽りなく精神的に大きな意味を持っているようだ。

 コスプレを経験したことのない亮介にはわからない感覚があるのかもしれない。

「あーそれで、結局俺は手伝った方がいいのか?」

 とりあえずそんなふうに尋ねてみたところ、瑞穂は無言のままダイニングテーブルを指さした。それからぺこりぺこりと二度頭を下げる。その必死なジェスチャーで何となく言いたいことは伝わった。

「わかった。待ってればいいんだな」

「(こくこく)」

 そういうわけなのでテーブルで待っていると、台所に立った瑞穂はてきぱきと手を動かしはじめた。ぼんやりと眺めているとあっという間に料理は完成し、テーブルの上に一汁三菜のそろった和食が運ばれてくる。

 焼き鮭にかぼちゃの煮物、ほうれん草のごまえ、それにご飯としるというラインナップは非常に家庭的。手際の良さも盛り付けの彩りも、手慣れているさまを感じさせた。

「めっちゃ美味おいしそうだな。桜宮、料理得意なんだ」

「あっ……は、はい……」

「えっと、それじゃあいただきます」

 食べてみると、本当に美味しかった。

 味噌汁はまろやかで甘い。焼き鮭は身がふっくら、皮がパリッと仕上がっている。副菜も丁寧で優しい味付けに仕上がっており、派手とはいえない料理だけどその完成度はすごく高かった。

 空腹だったこともあり、あっという間に食べ終わってしまう。亮介は思わずお金を払った方がいいかと聞いてしまったが、ジェスチャーで断られたので仕方なく後片付けくらいはやらせてもらうことにした。

 そして食器を洗い終えたところで、亮介はおいとますることにする。

「そろそろ帰ることにするよ。あんまり長居しても悪いし」

 それにしても予想外のことがたくさん起こった一日だった。

 家に招待されたのもそうだし、コスプレをしているときの瑞穂が別人のように明るくはきはきと喋るようになるなんて全く知らなかった。

 それに加えて撮影を手伝い、手料理まで振る舞ってもらうなんて昨日の自分に言ってもきっと信じてもらえないだろう。

(でも、楽しかったな……)

 玄関で靴を履いている最中、亮介はそう感じていた。

 コスプレをすることによってじようぜつとなった瑞穂と話すのは新鮮だった。

 そして被写体となったときの、ひようという言葉が大げさでないと頷けるほどの変化は本当に驚かされた。

 できることなら、他のキャラクターのコスプレ姿も見てみたい。

 今まで見たことのなかった瑞穂の様々な表情を、もっと見てみたい。

 そんなことを思ってしまった亮介だが、それを口にすることは、はばかられた。瑞穂の方がどう思っているかなんてわからないのだ。しかも告白されて泣き出してしまったという話は今朝聞いたばかりだし、無理な頼みごとをして困らせてしまうのは嫌だった。

「えっと、今日はありがとうな桜宮」

 だから亮介は、それだけ言うと、瑞穂の家をあとにしようとした。

 しかし──

 その瞬間、ぎゅっと小さな手ですそつかまれた。

「あ、あの…………」

 亮介が振り返ると、瑞穂は何かを訴えかけるような必死な目をしていた。

 ポケットに入れたメモ帳を取り出し、書き込もうとする。しかし途中で思い直したようにメモ帳を脇に置くと──目をぎゅっとつむり、りようこぶしを胸の前で握りこんで、覚悟を決めたとばかりの様子で口を開いた。


「まっ、また今度……わたしのこと、撮ってくれませんかっ!」


 大きな、声だった。

 当の瑞穂もびっくりしたように口元を押さえて目をぱちくりさせている。自分がそんな声を出せるのが、信じられないとばかりに。

「あ、あれ……?」

 おろおろした様子の瑞穂とは反対に、亮介は驚くと同時に胸が熱くなるのを感じた。瑞穂が自分と同じ気持ちであったことはうれしいし、それを声で伝えてくれたというのはもっと嬉しかった。

「桜宮さえよければ、ぜひまた撮らせてくれ。俺の方から逆にお願いするよ」

「は……は、い」

「そうだ。連絡先とか交換しとくか?」

「(こくこく)」

 そうしてお互いに携帯を取り出し、LINE での友達登録をすることになる。

 瑞穂はアプリこそインストールしているもののほとんど使ったことがないらしく、友達追加をするのはこれがはじめてだという。

 一番上に亮介のアカウントが表示されると、瑞穂はぱあっと顔を輝かせた。

 しばらく嬉しそうに画面を眺めていたが、やがてチャットを開くと何やらぽちぽちと打ち込んで送信してきた。

『今後ともよろしくお願いします、最上くん』

 瑞穂の方を見ると、少し照れくさそうな様子。

 それを見て亮介の方まで恥ずかしくなってしまった。

 ともかくそんなふうにして──二人の関係は始まったのだった。

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