第一章 桜宮瑞穂のオンとオフ(2)

 そして放課後、亮介は教室で瑞穂と二人きりで向き合っていた。

 大掃除含めて午前中に解散となったからまだ十二時前である。部活等の用事がないクラスメートたちはカラオケやらボウリングやらと遊びに行ったようで、教室には亮介たちを除いて誰も残っていなかった。

 ちなみに亮介も三バカからゲーセンに行こうと誘われていたものの、瑞穂との約束があったので行けたらあとから合流すると伝えている。

「それで? 話って何だ?」

 亮介はさっそく尋ねてみたのだが、瑞穂はうつむくだけで何も言おうとしない。

 メモ帳を手に持って何か書こうとしているものの、しゆんじゆんを続けているらしい。困ったような顔のまま視線を上げたり下げたりしている。そうして気まずい静寂に包まれてしまったため、少ししてから亮介は思い切って切り出してみた。

「あの、それなら先に俺が話していいか?」

 と、瑞穂は驚いたように顔を上げたが、すぐに首を縦に振った。

「まず確認させてほしいんだけど、夏コミの時のコスプレイヤーの正体は桜宮ってことでいいんだよな」

「(こくこく)」

「実は、あれから色々と調べてみたんだ。コスプレイヤーのサクラって検索したら色々と出てきたからさ。Twitter のアカウントも見たし、ブログとかにまとめられてるのも見た」

 それを聞いた瑞穂は小さく顔をしかめて、おびえるように肩を縮こまらせた。

 だが亮介は喋るのに夢中になっていたのでそんな様子には気づかない。だからそのまま止めることなく言葉を続けた。

「桜宮って、その……めちゃくちゃすごいんだな!」

 それが、亮介が抱いていた率直な感想だった。

 六けたのフォロワーを集め、写真を投稿すれば毎度のように数百のリプライが飛ぶ。コスプレのことはよくわからない亮介でも、それだけたくさんの人を楽しませているという事実がどれだけすごいことかはよくわかる。

 亮介はこれといって趣味を持っていない。オタクとして振り切った存在である姉のせいでアニメやマンガといったコンテンツは敬遠気味になっていたし、他に熱中できるものがあるわけでもない。だからどっぷりハマれる趣味を持っているというだけでもすごいと思うのに、その趣味であれだけ結果を出すというのは素直に尊敬できることだった。

「え……え、っと」

 しかし瑞穂は、その反応が予想外だったとばかりにぱちくりまばたきをした。

 少しの間硬直していた瑞穂は、やがて慌ただしくメモ帳へと書き込み始める。

【あの、わたしがコスプレやってるなんて変だとか思わないんでしょうか?】

「変? 何で?」

【だって……引っ込み思案で人見知りなわたしがああいうことをやっているなんて、ばかにされると思いました】

 自分を卑下するような言葉に、亮介は心底理解できないとばかりに首をひねる。

「確かに普段のイメージとはギャップがあったから驚いたのは事実だけど。俺は桜宮がコスプレやってること知って素直にすごいと思ったし、コスプレ姿もめっちゃ可愛かった」

「か、か、可愛い……」

「ああ。俺はアニメとか見ないからあのコスプレが元々どんなキャラなのかはわからないけど、それでも他のコスプレイヤーとは全然違うなってわかる完成度だった。本当に別世界から飛び出してきたんじゃないかって思うくらいには可愛かったし、かつよかったよ」

 すると瑞穂は顔を真っ赤に染めて俯いてしまった。投稿写真についているリプライでも大量に可愛い可愛いと連呼されているから言われ慣れているだろうに、亮介の方まで恥ずかしくなってしまうような過剰な反応だった。

「ま、まあ、そんなわけだから。もし今度イベントとかでコスプレするならまた見てみたいなって思ったくらいだ」

 だから亮介は照れ隠しのように言ったのだが。

 そうすると瑞穂は耳まで真っ赤にしたまま、硬直したように動きを止めてしまった。

 気に障るようなことでも言ってしまっただろうか──亮介がそんな心配をしていると、ようやく体を動かした瑞穂はメモ帳に何やら書き込みはじめた。しかしそのページとにらめっこを始めたかと思うと一度消しゴムで全て消してしまい、また書き込み、消し、そんなことを何度か繰り返す。

(うーん、何書いているんだ?)

 黙って様子を見守っていたところ、ついに瑞穂は決心したようにペンを動かした。

 そして顔を真っ赤に火照らせたまま、震える手でそのメモ帳を見せてきた。

 亮介はそれを受けとって書かれている文章を読み、仰天してしまう。

「えええっ? ほ、本気で言ってるのか?」

 瑞穂はこくりと一度首肯する。その必死な目で、冗談ではなく本気なのだということが伝わってきた。

【それなら、わたしの家に見に来ませんか?】


    ○


「ほ、本当に来てしまった……」

 二十分後。

 亮介は、瑞穂の部屋へと足を踏み入れていた。

 女の子の部屋に入るのなんて初めてだから、否応なく緊張してしまう。唯一の救いは瑞穂の部屋は男が妄想するような女子力の高いものというより、コスプレ関連の道具が散らかった作業部屋のような部屋だったということだろうか。

 とはいえ部屋に充満するほのかに甘い香りがこうを刺激してくるし、ベッド一つ見ても瑞穂が毎晩使っているものだと思うと変に意識してしまった。

 何とも落ち着かない様子の亮介だったが、その隣に立っていた瑞穂はもっと落ち着かない様子で視線を泳がせていた。

「え、えと……」

 何かを言おうとするものの、相変わらず言葉がうまく出てこないようだ。

 瑞穂は代わりに制服を手でつかみ、ぱたぱたさせた。その仕草で亮介は察する。

「コスプレに着替えるから外に出ていてほしいってことか?」

「は、はい」

「わかった。じゃあ終わったら呼んでくれ」

「(こくこく)」

 そうして廊下に出て一人になったところで、亮介は今更ながら瑞穂の誘いに乗ってしまったことに対する後悔の念に襲われていた。

 そもそも、どうして来てしまったのだろう。

 コスプレイヤーとしての瑞穂に興味があるのと、瑞穂から真剣な表情で提案されたのとが半々くらいだろうか。しかしどうも親は家を空けているみたいだし、女の子と二人きりという状況は何とも心臓によくない。

 扉越しに服を着脱する音が聞こえてくれば、なおさらだ。

 亮介は両手でばしんと頬をたたき、煩悩を頭から追い払う。そうして待っているとしばらくしてがちゃりと内側から扉が開いて、先程までとは別人に変身した瑞穂がおもむろにその姿を見せた。

「おおっ……」

 感嘆の声をあげる亮介。紛れもなく、夏コミの時に目にしたあの銀髪少女だ。

 あのときはわからなかったが、至近距離で見ると衣服の細部までものすごくこだわって作られていることがわかる。

 とにかく、とんでもなく可愛くて、そして恰好いい。

 亮介は思わず見とれてしまっていたが──

 するとそこで、予想外のことが起こった。


「お待たせしました、がみくん!」


 はきはきとした透明感のある声に、亮介は耳を疑う。

 反射的に左右を見回して、瑞穂以外の誰かがいないことを確認してしまった。

 そうしてから──ようやくこの状況を受け入れる段階に至る。

 瑞穂が、しやべったのだ。

 今まで耳にしたこともない、はっきりした大きな声で。

「え、えっと……桜宮?」

「どうしたんですか?」

「いやいやいや、それはこっちのセリフだって! 今けっこう混乱してるんだけど、俺!」

 思い返しても入学以来、瑞穂の声をしっかりと聞いた記憶がない。消え入りそうな小さな声で、たどたどしく言葉を紡ごうとする、そんな印象しかなかったのだ。

 だから亮介は、いつたん頭を整理したのちに瑞穂へと直球の質問をぶつけてみた。

「えっと、もしかしてこっちが桜宮の素の話し方なのか?」

「あ、いえそういうわけじゃないんです!」

 しかし瑞穂は首を横に振って否定してみせた。

「喋るのが苦手で、人と上手うまく話せないというのが素のわたしだと思います。ただ何と説明すればいいのかわからないんですが……こうやってコスプレをしているときは言葉がつっかえなくなって、すらすらと出てくるんです!」

「へえ。そ、そうなのか」

 そうやってにっこり笑みを浮かべる瑞穂を見ていると、普段の姿が嘘みたいだ。

 表情もすごく豊かだし。

 と、そこで亮介は朝のブログ記事に書いてあった言葉を思い出す。

「もしかしてあれか? サクラがひようコスプレイヤーって呼ばれることがあるって記事を見たんだけど、キャラクターになりきってる感覚が強いから喋れる……みたいな?」

「あ、そんな感じかもしれません! その呼び方自体は恥ずかしいから好きじゃないんですけどね」

 瑞穂はそれからちょっと神妙な面持ちになり、ゆっくりと言葉を続けた。

「わたしにとってコスプレをするというのは、自分とは別人格の、アニメのキャラクターに変身するようなものなんですよ」

「なるほど、な」

 まだ衝撃の方が大きいものの、少しは納得することができた。

 普段の瑞穂と、コスプレイヤーとしての瑞穂。それは表と裏のような関係ではなく、全く別の二つの顔なのかもしれない。

「ところで最上くん」

「どうした?」

「せっかくの機会なので、もしよろしければお願いしたいことがあるんですが」

「俺にできることなら構わないけど。何だ?」

「写真、撮ってくれませんか?」

「写真?」

 意外な頼みに、亮介は思わず首を傾げた。

 写真と言われればもちろんイメージはできる。瑞穂のアカウントにはたくさんのコスプレ写真が投稿されているし、夏コミでの囲みでは何百人という参加者がカメラを手に瑞穂を撮影している。

 しかし、それをなぜ自分に頼むのかということが理解できなかった。

「俺、そういうスキルとか特にないぞ?」

「それは大丈夫です! 普段の撮影はわたしが一人でやってますし!」

「そういえばそんなこと、記事にも書いてあったな」

「カメコと言われる、コスプレカメラマンの方と予定を合わせて撮影するのが一般的なんですけどね。わたしの場合コスプレしているときはいいんですけど、着替えたあと素の状態でうまく接する自信がなくて」

「なるほど……」

 確かに納得できる理由だった。仮にも入学五か月目となるクラスメートともまともに喋れていないのだから、初対面となればなおさらだろう。

「だから撮影はセルフタイマーを使って一人でやってるんです。でも誰かに撮ってもらう方が色んなアングルから撮影できますし、せっかくだからお願いできればと思いまして」

「了解。本当にただ撮るだけでいいなら、付き合うよ」

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