プロローグ(2)

    ○


「……迷った」

 そして夏帆と別れて十分後、亮介はぼうぜんと立ち尽くしていた。

 詳細な地図があるのだから迷うはずなどないと思っていたが、甘かったようだ。ぼんやりしているうちに人の波に飲み込まれてしまい、地図を開く余裕もないままにぐいぐい押し出されてしまった。

 流れに任せて歩き、ようやく解放されたとき亮介が立っていたのは屋外だった。

 天気は快晴、時刻は昼の十二時過ぎ。ぎらぎらと輝く太陽が皮膚を焼き、屋内とはまた違った暑さが襲ってくる。こまめな水分補給を繰り返しながら、亮介は一度落ち着いて地図を取り出してみた。

「えーと、ここはどこだ?」

 適当に歩きながらあたりを見回してみると、同人誌即売会とはちょっと毛色の違う景色が目に入ってくる。アニメからそのまま飛び出してきたような、カラフルで派手な衣服を着た人たちが歩いているのだ。

 その周りには、プロのカメラマンが使うような立派な一眼レフを手に持ってパシャパシャとシャッター音を鳴らす人たち。

「……あれが姉さんの言ってたコスプレエリアか」

 朝に聞いた話が頭によみがえり、合点がいった亮介はぽんと手をたたいた。

 コスプレイヤーというのもあまりみのない存在だ。面白そうなので見物していくことにする。夏帆に頼まれた買い物はあるけれど少しの寄り道なら問題ないだろう。

 そうして近づいてみるとたくさんの声が聞こえてきた。

「目線くださーい」「こっちもお願いします」「すみません撮影いいですか?」「カウントとりますね」「ありがとうございまーす」「あとで写真送りますねー」「これ自分の Twitter なんでDMに写真ください!」「あっフォローしますよ!」


 同人誌を売っている屋内に負けず劣らず、こちらもにぎわっているみたいだ。カメラだけでなく本格的な撮影器具を用意している人もいて気合いがすごい。観光客のような気分で雰囲気を味わっていた亮介だが、そこで正面に明らかに異質な人だかりを見つけた。

 何かイベントでもやっているのだろうか。

 そう考えていると、近くで話しているカメラを持った二人組の声が耳に入ってきた。

「うわっやべー、誰の囲みだよあれ?」

「サクラだよ。コスプレしてるのは『モノコン』のミリア=アラケルだって」

「えっまじかよ! 俺サクラちゃん撮りてーんだけど!」

「諦めろ、あの囲みだぞ。さすが話題の神コスプレイヤーって感じだな」

 サクラというのがコスプレイヤーの名前らしい。

 どうやらイベントとかではなく、たった一人を撮っている人だかりのようだった。

 百人や二百人ではすまない人数を集めるなんて、いったいどれほどのコスプレをしているのだろう。純粋な好奇心から亮介は人混みの方に向かい、人と人の隙間からのぞいてみた。

 そして、思わず、息をんでしまった。

「…………やっべえ」

 鮮やかな銀髪、りんとした表情に装飾の施された純白の戦闘服。

 手には長いやりを持ち、強大な敵が眼前に迫っているかのような緊張感を放っている。

 少女とその周辺だけファンタジーの世界から切り出されてきたような、見る者を圧倒する迫力がそこにはあった。

 亮介はアニメ方面の知識に疎いから、きつぜんと立つ少女が何の作品のどんなキャラをコスプレしているのかはわからなかった。でも、素人目でもそのクオリティの高さはわかる。コスプレエリアで見てきた他のコスプレイヤーとはまるで次元が違うように感じたほどだ。

 普通のコスプレイヤーが「キャラを演じてみた」のだとすれば、銀髪の少女は「キャラになっている」というのが、近いのかもしれない。

 ともかく、亮介は夢中になって見入ってしまう。

 思わず、周りに倣ってスマホ片手に何枚か写真を撮ってしまっていた。

 人混みは更に拡大していたが、とはいえこの暑さで撮影が無限に続くことはなく、終わりの時間というのは必ずやってくる。

「カウントとりまーす! 五、四、三、二、一……終了です!」

 一人がそう声を張り上げ、カウントが終わると写真を撮っていた人たちはありがとうございましたと気持ちのよいあいさつをしてばらばらと離れていった。銀髪の少女もそれにこたえて一礼し、それから傍に置いていた小さなリュックを背中に担いでとことこと歩き出す。

 そして、少女は亮介の隣をすうっと通り過ぎていった。

 直射日光に長くさらされていたはずなのに、汗のにおいは全くせず、代わりにほのかに甘い香りが漂ってきた。

 その姿にくぎけとなってしまったせいで……亮介は、少女のポケットから何かが落ちたことに気づくのが遅れてしまった。

「あっおい! 今、これ落としたんじゃ……」

 結果的にそう声をあげたタイミングには少女の姿はずいぶんと離れてしまっていた。

 がやがやと騒がしいせいでこちらの声は向こうまで届かない。

 慌てて駆け寄ろうとした亮介は、そこで他の来場者と衝突してしまう。しりもちをついてしまったがそれは相手も同じである。相手は手に荷物を抱えていたためそれが散乱してしまい、すみませんと謝りながら拾うのを手伝ったが、それが終わったときには少女の姿をすっかり見失ってしまった。

「……どうしよう」

 落とし物の正体は財布だった。アニメ柄の小さくて可愛らしい財布である。

 これがないと少女は困るだろう。しかし姿を見失った今、届けるためには何らかの手段で連絡をとるしかない。どうするべきか迷ったあげく、亮介は財布を開けて連絡先がわかるものを探してみた。

 すると、けっこうな金額とともに入っていたのは、学生証。

 そこに書かれた名前と高校名を見て、亮介は思わずとんきような叫び声をあげてしまった。

「う、うっそだろ!?」

 さくらみやみずあおはし高等学校。

 蒼橋高校というのは、他ならぬ亮介の通っている高校であり。

 桜宮瑞穂は、極度の人見知りとして教室で浮いてしまっている、クラスメートだった。


    ○


「はあ、はあ……」

 とりあえず瑞穂が歩いて行った方向目掛けて、亮介は走っていた。

 財布の中に連絡先のわかるものは入っていなかった。そして瑞穂はクラスメートであるにもかかわらず、残念ながら亮介は連絡先を知らない。クラスのグループに入っていない瑞穂の LINE はわからないし、ましてや電話番号なんて知ってるわけがない。

 最初は闇雲に走っていたが、見つけられないので聞き込みをすることにした。サクラというのはかいわいではけっこうな有名人みたいで、わりと簡単に目撃情報が手に入った。向こうの方に歩いていくのを見たという情報を二人から聞き、建物の中までやってくる。

「あの、すみません」

 そして亮介は三人目に声をかけた。

 ちょうど完売したらしく、ブースの片づけをしている二十代半ばくらいの女の人だ。息を切らしながら声をかけてきた亮介を見ると、その女の人はすこし表情を険しくした。

「えーと何か用でしょうか」

「サクラさんってわかります? コスプレイヤーの」

「え? あ、はい。わかりますけど」

「ここを通っていたら教えてほしいんです」

「……知り合いなんですか?」

 すると女の人はちょっとけんにしわを寄せ、今までより一段階低い声を出した。

 もしかしたら悪質な追っかけか何かだと思われているのかもしれない。

 そう考えた亮介は慌てて弁解するように返答する。

「知り合いというか、一応クラスメートなんです」

「ああそうなんですか! すみません、変なこと聞いちゃって」

 クラスメートと告げると女の人はころりと態度を変え、友好的な態度を見せた。

「向こうに早足で向かっていたので、おそらく女子更衣室に行ったんだと思いますよ。地図持ってますか?」

「は、はい」

「ここをまっすぐ進んで、こっちです。一番奥まった場所ですね」

「ありがとうございます! 助かりました」

 ぺこりと頭を下げて礼を言ってから、教えてもらった更衣室まで小走りで向かう。

 しかし──あの銀髪少女が瑞穂だというのは、いまだに信じられなかった。

 ポケットから落とした財布に瑞穂の学生証が入っていたのだから、証拠はかんぺきだ。だけど普段の姿とのギャップがあまりにも大きすぎて、亮介はなかなか受け入れることができなかった。

 そもそも、瑞穂がコスプレをやっているなんて聞いたことがないわけで。

 混乱した頭のまま更衣室の前に辿たどりついた亮介は、とりあえず出口付近で待っていることにした。さすがにもう出て行ったということはないだろう。女子が身だしなみを整えるのは時間がかかるものだし、コスプレ姿から普段の姿に戻すとなればなおさらのはずだ。

 そうして五分ほど待っていたところで、瑞穂は出てきた。

(本当に桜宮だ……)

 スーツケースを引いている瑞穂は、うつむき加減だった。

 下を向きどこかおびえたように、どこか自信なさそうに歩く姿はまさに教室で見る瑞穂。

 亮介は走って近づくと、横から声をかけた。

「桜宮!」

 すると瑞穂は驚いたようにこちらへと顔を向け、そして亮介のことを認識すると、びっくりしたように目をぱちくりとさせる。

「……ど、どうし……て」

 蚊の鳴くような、耳を澄まさないとまともに聞こえないような小さな声。

 それに対し、亮介は財布を取り出して手渡してやった。

「これ、さっきコスプレエリアでちょうど落としてるところ見て拾ったんだ。渡しに行こうとしたんだけど見失っちゃって、連絡先とかわからないかなと思って中探したら学生証見ちゃって……ごめん、悪気はなかったんだけど」

 と、瑞穂はかあっと頬を紅潮させ、ただでさえ俯き気味なのにその顔を更にぐっと下へと向けた。おかげで亮介の方からは表情が見えない。

 何て声かければいいんだろうと思っていると、瑞穂は顔を上げてぺこぺことぎこちなく二度お辞儀した。拾ってくれてありがとうございます、という意味のようだった。そしてそれが終わるや否や、スーツケースの持ち手を握り、逃げるように走り去ってしまった。

「あっ……」

 突然のことに、亮介はその後ろ姿をぼうぜんと眺めることしかできなかった。

 追いかけようかとも一瞬思ったが、明らかに逃げられているしやめておくことにした。とりあえず財布を返すという最大の目的は達することができたし、このままだと夏帆に頼まれていた買い物ができなくなってしまう。


 ともかく──こうして亮介は。

 クラスの誰も知らない瑞穂の秘密を、知ることになったのだった。

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