プロローグ(1)

 正直なところ、十八禁などというのは有名無実の規定だと言わざるを得ない。

 選挙の時に高々と掲げられる公約や、生徒指導室に呼ばれて書かされる反省文と同じようなものだ。守られるといいなー、でもどうせ守られないんだろうなー、くらいのノリで書かれているはずである。

 健全な思春期男子がそういったものと無縁なまま十八歳を迎えるなんてありえないし。

 だから気にすることはない──それが姉であるがみの主張だった。

「……あのさあ」

りようすけだって、十八禁コンテンツにお世話になったことないなんて言わないでしょ? というか押し入れの箱に色々隠してるのは知ってるし」

「待った待った、なんでバレてるんだよ!?」

「とにかく、今日はよろしくね亮介。約束通りバイト代は弾むから」

「いやいや……まじかよ」

 亮介は頭を抱えながら、数日前の自分を呪っていた。

 夏休み。部活に入っているわけでもなく、遊びに出かけるような恋人もいない亮介は時々男友達と遊ぶ以外は家でだらだらと過ごしていた。しかし暇を持て余してきたのでバイトでもやってみようかと求人の雑誌を見ていると──夏帆が食いついてきたのだ。

 何でも、一日限定の良いバイトがあるからやってみないかと言う。接客の仕事だとしか説明はされなかったが、時給がかなり良かったこともあり素直に乗ることにした。そうして連れてこられたのがこくさいてんじよう駅だった。

 嫌な予感をひしひしと感じたが、その予感は正しかったようで。

 満面の笑みを浮かべた夏帆から仕事の説明を受けて、亮介はげんなりしていた。

「あのさあ、姉さん。俺だって十八禁コンテンツに触れたことがないとは言わない」

「うんうん、そうだよね!」

「でも、これはさすがに一線を越えてるだろ!」

 最上亮介、高校一年生。年齢は十六歳。

 一応十八禁を触ってはいけないはずの年齢であるにもかかわらず──表紙からして肌色全開な、十八禁の同人誌を売らされそうになっていたのだった。

「ビニールしとけば売り子が十八歳未満でもいいって規定なんだよー。だからセーフ!」

「いや正直こんなもん売るのめちゃくちゃ恥ずかしいんだけど」

「失礼だなー。あたしが丹誠込めて描き上げた新刊だっていうのにさー!」

「内容とかじゃなくて、エロ同人誌を売るのが恥ずかしいって話だよ!」

 現在大学二年生である夏帆は、かいわいではそこそこ有名な同人絵師という話だ。エッチな絵を描いては「見てー亮介、これ超エッチじゃない?」と見せてくるので閉口させられているものの、技術に関しては身内びいなしに相当なものだと思う。

 そんなわけで、亮介の仕事は夏コミ会場での手伝いだった。

 売り子として同人誌を売るのを手伝う。一冊が五百円で、千部ほど用意してあるからそれが売り切れるまでということだ。売り上げ金はキャッシュケースで管理する、まとめ買いの冊数は制限する──もろもろの説明を受けているうちに、亮介は半ばあきらめていた。

「……まあ、いっか。姉さんと一緒なんだし」

「何言ってんの? 売り子やるのは亮介だけだけど?」

「はあ?」

「そのためにバイト代払って連れてきたんだよー。あたしは買いたいもの大量にあるから朝一からあちこち回ってくるつもりだし! というわけで、頑張ってね!」

「あっ、ちょ! 待ってよ姉さん!」

 夏帆がばいばーいと手を振って走り去っていくのと、開場のアナウンスが流れたのは、ほとんど同時のことだった。


「くっそ、姉さんめ……呪ってやる……」

 そして二時間後。

 亮介は機械のように手を動かし続けながら、そんなふうに愚痴をこぼしていた。

 十八禁の同人誌を手売りするのは最初こそ恥ずかしかったものの、十分もしないうちに慣れた。「作者さんですか?」と話しかけられるたびに姉の手伝いに来たのだと説明するのもすぐに慣れた。

 どうしようもなかったのは、しやくねつ地獄ともいえるほどの暑さである。

 とにかく、見渡すかぎり人で埋め尽くされているのだ。

 コミケ初参加の亮介は経験したことがなかったが、八月という一年で最も暑い月に十万単位の人が一堂に会するのだから大変なことになるのは目に見えている。汗をいても拭いてもきりがないし、持って来た飲み物も底をつきかけていた。

「新刊一部くださーい!」

「こっちは二部お願い!」

「はいはーい! 少々お待ちください!」

 途切れることのない行列を前に、ひたすら同人誌を売り続ける。夏帆の描いた同人誌を求めてこれだけの客が来るなんてすごいことだが、今の亮介にはそんな感慨に浸っている余裕なんてこれっぽっちもなかった。

 そうして次から次へと客をさばいていると、山のようにあった同人誌もずいぶん数を減らしていた。あと十分か二十分すれば売り切れそうだ。その旨連絡を入れたところ五分もしないうちに夏帆が姿を現した。

「おつかれさーん! お、ほんとにそろそろ売り切れそうだね」

「ああ、うん……それよりすごい荷物だな」

「色々買ってきたからねー。ほい、それじゃああたしは列整理に行ってくるからあとちょっと頑張ってもらうよー!」

「はいはい」

 夏帆は大荷物の詰まった袋を置いていくと、軽快な足取りで最後尾へ向かっていった。

 それからもしばらく同人誌を売り続け、ようやく最後の一人へと売り終わると、亮介はぐったりと机に突っ伏した。

「ようやく終わった……」

「はい、亮介。これでも飲みなよ」

「え?」

「クーラーボックスに入れといたから、キンキンに冷えてるよー。こんな暑さだし水分補給は大事大事!」

「えっと、ありがとう姉さん」

 ペットボトルを受け取ると、よく冷えたスポーツドリンクをのどに流し込む。

 体の深い部分にまで冷たさが染みわたり、一気に生き返った。

 何だ、姉さんも気が利くな──評価を改めようと思った亮介だが、それも夏帆の次の言葉を聞くまでだった。

「これからも亮介には存分に動いてもらわないといけないからねー」

「……はい?」

「当たり前じゃん。今日は一日拘束って言ってあるでしょ」

「いや、もう売り切れてるけど。もしかして追加の在庫とか用意してたの?」

 そうじゃないよーと夏帆は肩をすくめ、かばんから紙を取り出して亮介へと手渡してきた。

「はいこれ。亮介に買ってきてほしいものリスト」

「え? 俺にも姉さんの買い物を手伝えと?」

「そのとおーり! ほら、お金は五万円くらいあれば足りるから。お釣りが出るの嫌がられるから売り上げ金から五百円玉と千円札詰めていってねー」

 有無を言わさず軍資金を詰めた財布を突き出してくる夏帆。

「じゃあ、行ってらっしゃーい! あたしも後片付けすませたら買い物に行くから! もちろん効率重視のために別行動だけどねー」

「はいはい、わかりましたよ」

 本当に人使いの荒い姉だな、と半ば諦めるようにため息をついてから、亮介は地図片手に人混みのなかへと向かっていった。

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